4 二年後、編集者アレックス
「正直に言わせてもらえれば、あんなに面倒な作家に出会ったのは初めてでしたよ。自分の都合で全部決めてしまうし、こうと決めたら絶対に決めない癖に発言に責任は持たないなんて、あれほど面倒で自己中心的な人間は滅多にいないでしょう。少なくとも僕の周りには先生しかいませんでしたね。
本を作るのには時間がかかるんです。だから、作家にはできるだけ早く書いてもらわなきゃならない。そのために締め切りを設定するんです。
まあ、自由に書いてもらうのが主なんですけどね。信用とリピーターを増やすには、定期的に新しいものを出していく方がいいっていうのがうちの考えなんですよ。いいものを書く作家や、よく売れる作家、新人なんかには締め切りを設定するんです。他に取られないように、専属の契約をしてね。
カタリナはうちでも一番の作家でしたよ。その名前を出すだけでかなり売れました。
でも、それはカタリナの血の滲むような努力の結果でした。あの先生は、他と比べて、才能自体はない方だったんです。
僕が先生と関わったのは二年くらいで、その頃にはもうカタリナの名を知らない者はいないくらいでした。他の出版社からもかなり勧誘されてて、先生は気に入らないことがあると『他のところで出す』とばかり言っていました。あの先生の前では、契約なんてただの紙切れみたいなものなんです。違約金を要求されても、ぽんと出せるほど、先生は売れっ子だったんですから。
先生を担当することになった僕は、何よりもまず、先生に気に入られなきゃならなかったんです。先生を他の社に取られたらうちは大損ですからね。
先生に気に入られて、本を書いてもらう。内容に関することはそれほど口出ししなくていいんです。何を書いても、先生の本は素晴らしい出来でしたから。
そりゃああんまりひどい表現があったら言いますけどね。こっちだって商売ですし、カタリナの影響力は並じゃありません。実際、先生が死んだときは、随分たくさんの読者が後追いをしましたし……。
そんなわけで、僕も先生の機嫌を見ながら指摘しました。けど、先生は全く僕の話を聞かないんです。
ここは理由があってこの表現なんだとか、そういう言い方をされるともう、僕は何も言えなくなるんですよ。先生はそれをわかっててそう言うんです。それでも言うと『お前は物書きじゃないからわからないだろうな』って……。まったく、人をなんだと思ってるんでしょうね。こっちの立場も考えて欲しいものです。
まあ、わからなくもないんですよ。先生が言いたいことは。
ついぞ先生には言わなかったけど……僕だって、一時期は作家目指してたんです。編集者になる前は、カタリナにあこがれもありました。
だからこそ、なんでしょうね。僕は先生をあまり好きになれませんでした。むしろ、人としては嫌いなくらいでしたよ。
だってそうじゃないですか。誰だって、憧れていた人物が、思っていた以上に変人で最低だったとしたら耐えられないでしょう。僕はずれた人間だとは思いませんよ。
あんな綺麗な文章を書くんだから、きっと儚げな、それでなくても優しい人だと思ってました。綺麗だけど、陰鬱な気分になるような文章でしたから、もしかしたらすごく後ろ向きな人なのだろうとも思っていました。
確かに普通じゃないくらい後ろ向きな人ではありましたけど、なんというか先生は『後ろを向きながら前に進む』ような人だったんですよね。ああ、この例えは先生の作品からの引用です。
先生があんな人だってわかって、失望しましたよ。自分勝手で他の迷惑を顧みない、最低な人だってね。
嫌いでしたよ。ええ、大嫌いでしたよ。
ただ……ただ、先生の文章は、嫌いになれませんでしたね。あれほど胸を抉ってくる本はなかなかありません。暗くて、鋭くて、冷たい文章。それでいて、優しい文章だったんです。嫌いになんて、なれるわけないじゃないですか。
何度殴ってやろうかと思うほど理不尽な怒りを受けたかわかりません。何度殺してやろうかと思うほどイラついたかわかりません。でも、先生がそんな最低な人間だとわかっても、先生の文章は変わらなかったんです。悔しいくらいに。
作家という職業には、変人がたくさんいます。それこそ、先生みたいに理不尽なことを言ってきたりする作家も、普通にいますよ。
でもやっぱり、僕は先生以上に酷い作家を見たことがありません。本という形ではなく、カタリナ自身の言葉として物を書かなかったのは、たぶん先生が自分の性格をよくわかっていたからでしょうね。自分が自分として言葉を世の中に発すれば、どれほどの人間が幻滅し、どれほどの人間が失望し離れていくか、きっとよくわかっていたんでしょう。
先生が死んだと聞いたとき、少しだけすっきりしたんです。やっと死んでくれたか、って。それと同時に、先生と僕は同じような人間なんだって、気付かされました。
先生は他人の不幸が好きでした。三度の飯より好きだとか、自分で言っていましたよ。それくらい他人の不幸を楽しんでいて、容赦なくそれを本にした。……僕も、同じだったんです。作家になりたくて文章を書いていたとき、僕は他人の不幸を笑っていました。これはいいネタになるって、よく思っていたんです。
先生と関わるようになった頃にはもう諦めていたから、書いてすらいなかったんですけど、先生が死んだその日、僕は筆を執っていました。ほとんど、無意識でした。
それで気付いたんです。ああ、先生は、僕がなりたかった姿なんだ、って。
最低な人間だと、そう思っていたのに、僕は何よりも先生みたいな人になりたかったんです。先生みたいに、何もかもを投げ捨ててでも書き続けられる人になりたかったんです。あんな生き方は全然上手くないし、他人に迷惑ばかりかけるような生き方です。それでも僕はなりたかったんです。文章に命をかけたかったんです。
先生は最期まで作家でした。自分の死すらも、後の世の作家の糧となるように演出して死んでいきました。
あんな人に、僕はなりたかった。評価されなくてもいい、自分の好きなように好きなものを書いて、それで世の中に何かを訴えたかったんです。
少しだけ、期待をしてたことがあるんです。先生の、遺書を期待していました。
遺書って人生最期の作品なんです。最期に自分の言いたいことをすべて書いて、後の世に残すためのものだって、先生が言ってました。
そんな先生だから、きっといいものを書いたんだろう、きっと誰もが涙するような、もしくは誰もが笑ってしまうようなものを書いたんだろうって。
でも、先生の遺書は見つかりませんでした。残念です。
先生らしいと言えば、らしいんですよね。先生は誰かの期待に応えるような人じゃなかった。ただ自分の好きなものを書き、それを認められるような形に変えるだけで、自分の意見だけは絶対に曲げなかった。期待されたらその反対を行くような、そういう人だったんです。
今、僕は先生の弟子だったキースさんの本を作っています。彼とはたまに、先生の話題で盛り上がるんです。
ここだけの話、彼は先生のことが好きだったんですよ。もちろん先生は結婚してるし子供までいましたから手を出すようなこともしてませんでしたけど、あの態度の悪さは絶対我慢の反動でしたね。先生にばっかり突っかかって、他の人には普通に優しいやつなんです、彼。
先生は気付いてなかったから、余計にこじれてもう……。見ているこっちがもやもやするくらいでした。今では悲しくなんかなかったって言ってますけど、先生が死んだとき、彼の荒みようはそれはもう酷かったんですからね。昼間から酒を飲んで、先生の本を破り捨てようとしては泣き崩れて。こうなることはわかってたんでしょうね、自分に何かあったら彼の面倒を見てくれって、先生は僕にずっと言ってたんですよ。僕が見に行ってなければ、首でもくくって彼も死んでたかもしれませんね。
いや、違うなあ。僕じゃなくて、先生の娘のセイラちゃんのおかげでしょうね。セイラちゃんがいたから、きっと彼も生きてるんでしょう。先生の旦那さんも、変わった人でしたからね。
先生の死は、予想以上に周囲に影響を与えました。でも、先生の死で、変わったことはあまりないんです。
変わったのは、先生がいるか、いないかだけ。たったそれだけなんです。僕らはみんな、先生がいなくても、幸せに笑って生きているんです。
そういうのって、いいことだとは思うんですけど、なんだか少し、虚しいような――」