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2 四年後、弟子キース

「師匠は綺麗な文章を書く人だった。それは間違いない。けどな、師匠の生き方は雑そのものだった。あんなもん、とてもじゃないが上手いとも綺麗とも言えない生き方だった。


 俺はそんなに師匠のことを知っているわけじゃない。夫がいて、娘がいて、血の繋がった人間は娘一人しかいないってことくらいだ。どこから来たのかも知らない。だがなんとなくわかることもある。師匠はたぶん、魔女だ。


 ああ、頭のおかしいやつだと思うなよ。お前が思うような魔女じゃない。俺が言っているのはな、『言葉の魔法』のことだ。師匠の言葉は魔法そのものだ。お前、師匠が書いた本を読んだことはあるか? なんだ、ないのか、珍しいやつだな。その辺の本屋にでも行ってみろよ、どこに行っても置いてあるはずだ。いいか、カタリナだ。家名なしの、カタリナって作家を探せ。それが俺の師匠だ。


 師匠の文章は人を魅了する力がある。そりゃあ、物書きなんてもので食っていける人だったから当然のことかもしれないが、それでも師匠以上の文章を書くやつなんてそうそういないだろう。師匠の本に惚れちまってる俺だからそう思えるのかもしれないが、それだけの力があるのは確かだ。そうじゃなけりゃ、俺はあんな面倒な女の弟子になんかならない。


 そう、師匠は面倒な女だった。独占欲は強いし自分を卑下しすぎてるし、それでいて自分の本には絶対の自信を持ってる。あんなに悲観的な物の考え方をするやつは初めて見た。

 なんというか、正反対の性質を同じくらい強く持ってる女だったんだ。こっちが呆れるほど悲観的なくせに、呆れるほど楽観的だった。自分なんて最低の人間だと思ってるくせに、自分ほど最高な人間はいないと思ってる節もあった。本当に面倒な女だったよ。旦那はなんであんな女と結婚しようと思ったんだろうな。


 四年前の、春のことだったか。百合の花に抱かれて師匠が死んだのは。本当に驚いたよ。意外なことをやらかす人だとは思っていたが、あんな死に方をするとは流石に思わなかった。あんな劇的な死に様、俺が読んできたどんな本にも書かれていなかった。


 娘には会ったか? 師匠の娘の、生意気なガキのセイラだよ。ああ、会ってないのか。あいつが最初に見つけたんだ。それで、俺のところに知らせに来た。

 正直なんで俺なのか今でもわからない。父親のところに行けばよかったものを。まあ、セイラのことだから、たぶん一番近くに家があったからとか、そんなものなんだろうな。


 師匠が死んでるのを見て、ああ、この人はやっぱり魔女なんだと思った。真っ白な中に赤い花をいくつか咲かせて、まるで眠るように微笑んでいたんだ。とびきりの美人というわけでもないくせに、あれほど綺麗な女はいないと思ったほどだ。あれで眠ってただけならそれほど美しいとも思わなかっただろう。死んでいたからこそ、人の心を掴んだ。美人過ぎない顔もよかったんだろうな。美人過ぎちゃあそれこそ本や絵の世界だ。そこそこで留まる美人だったからこそ、身近に感じられて、しかし近すぎない死を演出できたんだ。つくづく天才だよ、師匠は。死に様まで物書きのネタになることをしてくれる。


 死んで悲しかったかと聞かれたら、答えはノーだ。まったくもって悲しくなかった。悲しみより、美術品を愛でる感覚の方が勝った。その場に紙もペンもないことが悔しかったよ。目の前であんなにも美しい死が広がっているんだ、忘れないうちに描写したかった。


 薄情な弟子だと思うか? 思って当然だ。だが、こう育て上げたのは他でもない師匠なんだ。どんなことがあっても、それが例え他人の不幸であっても、ネタになるんなら存分に使えってのが師匠の教えだった。人でなしってのは師匠のためにあるもんだと、いつも思ってたよ。そして、それこそが物書きのあるべき姿だと思った自分も、人でなしだとな。


 物書きってのは無から一を創り出すんじゃない。一から百を創り出すか、百から一を創り出すかのどちらかだ。無から創り出すなんて、物書き以外の人間がそう考えるだけで、そんなものができるのは神様くらいだ。自分の本の世界では神様になれるが、この世界でなれるわけがない。書くのはこの世界だ。無からなんぞ書けやしない。


 だからいつであれ何であれ、ネタになると思ったらすぐに使えと師匠には言われた。それが誰かを傷つけることだとしても、多数の読者を楽しませられるならそれでいいってな。誰かが面白いと言ってくれるのであれば、自分は恨まれてもいいらしい。カタリナっていう物書きはそういう人間だった。

 それを聞いたときには納得したね。ああ、だからこいつはあんな本を書けるんだ、ってな。カタリナの書く物語には大団円が極端に少ない。読者の誰にも媚びない内容なくせに、読者が一番求めるものを書くんだ。


 大団円を求める読者は少なくないが、都合の良すぎる大団円はいらない。そんなものを読んだって心にもやもやしたものが残る。だが、カタリナという物書きは、そのもやもやを一切残さない物語を紡ぐんだ。

 悪人が栄えれば善人が現れ、しかし悪人は善人をねじ伏せる。正義は勝つとは限らない。不幸な人生を歩んできた人物が必ず幸せになるとは限らない。他人の不幸を喜ばない人間ばかりではない。心にほんの少しの悪も持たない人間はいない。そういう主義だったからこそ、現実味を帯びたものを書く。その大元になってるのは、現実をよく見て、現実からネタを持ってきてるからだ。師匠は、不幸が続く人生を書くのが、誰よりも上手かった。


 数少ない大団円も、そこに到る明確な理由が描かれている。身分差の恋愛を描くとしたら、それに見合う理由を用意していただろうよ。まあ、師匠が書く恋愛は、大抵が悲恋だったがな。世の恋人たちに何の恨みがあるんだってくらいにえげつない結末ばかりだったよ。

 師匠が死んだあと、ようやく俺は本を出せるようになった。カタリナ二世現る、なんて煽りだったかな。無理もないだろうよ、あんな衝撃的な死に方をした物書きの弟子だもんな。内容も、あんな師匠の下で影響されて腕を磨いてきたんだ、思考が似てきたんだろう。ちょっとばかり似たような書き方をしていた。


 もちろん同じものを書くなんてことはしない。ちゃんと俺は俺として評価されてる。大体、師匠みたいな本を書く人間なんてそうそう現れないだろう。あんなに生々しいものは、まだまだ俺には書けない。一体何を見て何を経験したら、あんなどす黒い人間の闇が書けるんだか。


 師匠の死に様はいろんな創作家たちが題材にしてる。俺も、何度かしようとしたよ。あんないいネタはない。これを書かなきゃ師匠も怒鳴るんじゃないかと思うくらいにな。


 だが、まだ俺には書けない。何度も何度も書こうとしたさ。いろんな方向から光を当てて、いろんな描写を試したよ。

 でもな、書けないんだよ。師匠の文体を真似たって書けない。この目で見たあの美しさは表現できないんだ。あのとき受けた衝撃は、俺には表せない。


 あれを間近で見たやつは、どんな創作家であっても表現できないだろう。現に師匠の旦那だって、師匠ほどではないにしろ有名な画家だ。それなのに描こうとすらしない。あれはただ単に悲しいだけじゃない。少なからず俺と同じようなことを思ったんだろうよ。


 唯一、あれを完全に描写できるとしたら、それは他ならぬカタリナだけだ。師匠なら、きっと世界を驚かせるくらいのものを書くんだろう――」


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