1 五年後、娘セイラ
「五年前の春、百合の花畑の真ん中で、白い花の中にいくつかの赤い花を咲かせて、母は死んでいました。
花畑の後ろには、道を挟んで土葬墓地がありました。そこは、死んだら埋めてくれと母がずっと言っていた墓地で、私は少しだけ母が怖くなりました。まあ、ある意味いつも怖かったけど……。なんというか、母の執念のような、上手い言葉は見つけられないんですけど、強い思いみたいなのがここで母を殺したんじゃないかって、思ったんです。
はい、母が死んだのは、五年前の今日でした。真っ白な百合の花が咲き乱れていて、晴れ渡った青い空と墓地をぐるりと囲む緑、そこから見える街の景色が、とっても美しい景色を生み出していて、不謹慎にも綺麗だなんて思っちゃいました。母は特別美人ってわけでもなかったけど、それなりに綺麗な顔をしていたし、真っ白な服を着ていて柔らかく微笑んでいたんです。その服も、ちょっと赤くなってたけど。
百合の花の香りが漂っていて、その中に少しだけ鉄臭さがありました。当然ですよね、母は血を吐いて死んでいたんですから。病的な白い肌も、赤く染まっていました。
母は昔から弱い人だったそうです。私には全然そう見えなかったけど、父がそう言っていました。とはいえ、父も母の幼少期は知らないみたいです。もともと母はこの街の出身じゃないし、天涯孤独の身だったと言っていました。父と結婚して私が生まれなければ、きっと一人で死んでいたとも。
小さい頃はよく熱を出して、外にも出られずただ本を読んでいたそうです。暇で暇で仕方なかったらしくて、気に入らない小説の結末を書き換えることから物書きの道に入ったって。絵も好きだったって言ってたけど、才能がなかったからってやっぱり文章ばっかり書いていたみたいですよ。書き換えるのに飽きたら、今度は自分で物語を考えるようになって、それで今の自分がいるんだって言っていました。
その頃の作品は全部燃やされたらしいです。母はあまり自分の生まれを話さない人だったので詳しいことはわかりませんが、家が燃えたとかで。えーっと、たぶん『家が燃やされたから全部焼けちゃった』みたいに言ってました。
……あんまり気にしてなかったけど、『燃やされた』って言ってるあたり、放火されたみたいな言い方ですよね。本当のところはどうなんでしょう。考えても無駄だってわかってるけど、ちょっと気になります。
父にも話を聞いたんですか? え、あのあとすぐに? 全然知らなかった、お父さん何も言ってくれなかったのに。
まあ無理もないですよね。あのとき私、まだ十歳でしたもん。母が死んだところにも、私、偶然行っただけでしたし。偶然じゃなかったら、子供にあんな場所、普通に考えて見せませんよね。母親が死んですぐの子供に、いくら父親でも母親が死んだときの話をしに行ってた、なんて言いませんよ。父親だからこそ、かもしれませんけど。
何か言ってました? 父は全然母の話をしてくれないから、ちょっと気になります。どんな風に思ってたんだろう。
……なあんだ、お父さんもお母さんのこと、全然知らなかったんですか。夫婦のくせに知らないなんて、夫失格ですね。私、父のような男とは絶対に結婚しません。
話を戻しましょう。私が知ってる母の話をすればいいんですよね?
私が知っている母は、いつも元気で、気の強い人でした。怒るととっても怖くて、たまに理不尽に怒られることもありました。なんというか、たまにスイッチが入っちゃうみたいで。私を理不尽に怒鳴りつけたあと、血の気の引いた顔で泣きながら謝ってくるんです。ごめんね、あなたが悪いわけじゃないんだからね、って。
あんまり必死に謝るものだから、ここで許さなかったらいなくなっちゃうんじゃないかと思って、いつも許してました。大丈夫だよお母さん、わかってるよ、って言ったら救われたように笑うんです。もしかしたら私、そのときの母の顔が見たかったのかもしれません。だって、私が知っている母の顔の中で、一番綺麗な顔をするんですもん。
そのスイッチっていうのは、何に対してもいらついちゃうっていうスイッチで、いつもは喜ぶことに対しても怒るんです。スイッチが入るとずうっとイライラしてて、眉間に皺がよってて怖かった。そういうときは、黙って外で遊んでくるようにしてました。
母親失格だと思いますか? はは、いいんですよ、本当にそのときの母は母親失格と言うにふさわしい態度でしたから。私もむかついてましたし。
でも、そのスイッチさえ入っていなければ、母は自慢の母だったんです。それなりに綺麗だし、優しいし、なんといってもその職業。話題の物書きだなんて、すごく自慢になるじゃないですか。近所の人たちにも、お前のお母さんはすごいねって、いっつも言われてたんですよ。
それに、頭もよかったんです。学校の先生より詳しく教えてくれるし、わかりやすいんです。先生より断然好かれてましたよ。まあ、先生って嫌われやすい職業かもしれないけど。どんなに不真面目な生徒でも、私の母の言うことだけは聞くんです。その子たちの母親たちにも頼まれて、たまにうちで勉強会を開いてました。
そのときの母はすごかったんですよ。話を聞かない子には笑顔で怖いこと言うし、それでも聞かなかったら定規でその子の手を叩くんです。暴れまわる子の襟を掴んで椅子に座らせたり。もちろん手を叩くときはそんなに強くは叩いてませんでしたし、終わったらちゃんとその子の親に謝りに行ってました。でも、近所の子たちだったから、母親同士でもともと仲が良かったし、気のいい人たちばっかりだったもので、そのことで怒られたことはありませんでしたよ。みんな笑って、もっと殴るくらいしてくれたっていいのに、って言ったくらいです。
人気者だったんです、母は。近所では一番の美人だなんて、それこそ母より綺麗な奥さんに言われたりもしました。そりゃもちろん、いくらなんでも否定しすぎだってくらい否定してましたけど、その奥さん……シンディーさんが言うには、そういうところが可愛いらしいです。シンディーさん、自分がどれだけ綺麗かよーくわかってる人だったんで、顔だけなら私の方が綺麗だけどねって言ってました。これだけ聞くとすごく嫌な人に聞こえるかもしれませんけど、とってもいい性格してるんですよ。五年経った今でも、変わらず綺麗ですし。
あれ、シンディーさんにも話聞いたんです? なあんだ、知ってるんじゃないですか。
母が死んだとき、シンディーさんはすごくショックを受けて、一週間くらい家に籠っちゃったんです。ううん、シンディーさんだけじゃない。近所のみんなが、母の死を悼んで泣いてくれました。母は好かれていたんです。
棺桶の中に眠る母は、綺麗にお化粧がされて、なんだか眠っているだけみたいでした。それでもどこか冷たい雰囲気で、花畑で死んでいたときの若い女の子みたいに可愛らしく見えた母がそんな風になったのが、なんとなく悲しく思えました。
それに、棺桶に敷き詰められた百合。白と赤と黄色の百合があったんですけど、赤い百合は私が全部取り払っちゃいました。だって、全然綺麗じゃなかったんです。母の血で染まった百合の方が、綺麗、だったんです。
おかしいと思いますか? 私もおかしいと思います。母が死んだことを充分理解していたのに、母が吐いた血で染まった百合の方が綺麗だと思うなんて、自分は実はすごく冷たい人間なんじゃないかって、ずっと悩んでました。
でも、それくらい、百合の花畑で死んでいた母は、綺麗だったんです。
あなたも見たことあるでしょう? 母が死んだ場面を描いた絵画を。このことを知ったいろんな画家が、母の死を題材に絵を描きましたし、いろんな物書きが本にしましたけど、あれって本当に綺麗な場面じゃないですか。そんな場面を見て、綺麗だと思わない人はいないでしょう。現実には、絵も本も、足元に及ばないくらい綺麗だったんですよ。
もしかしたら、母はそれを見越して、あの場所で死んだのかもしれません。病で死んだんだろうってみんな言うけど、私は違うと思ってます。もちろん自殺でもありません。
母は、あの場所で死ぬことを定められていたんです。運命だか神様だかわかりませんけど、母はあの場所で死ぬんだと定められていて、母もきっとそれを知っていて、望んでいたんです。だからあの後ろの墓地に埋めてくれと言ったんです。衝撃的で、神秘的にも感じるくらいの死に方をするのだから、その近くにいたいと願ったんだと思います。
そう思ったから、私は怖くなりました。あのとき、あのタイミングで母が死んだのは、母が強く願ったからなんだって。
もう他の人たちからも聞いたと思いますから言いませんけど、そうだと思いませんか? 母はあの墓地に埋められることを望んでいたんです。だから、その望みを叶えるために、きっと――。
ちょっと話が戻っちゃいますけど、父は母が死んだ場面を一度も描いてくれないんです。他の絵描きの絵も見なくって。父もそれなりに有名な画家だって、知ってますよね? 母の死をじかに見た画家だから、いつか描くんじゃないかって言われてるけど、描いてくれないし、描く気もないみたいです。
私、それだけはちょっと残念です。父が描けばどんな絵よりも絶対に綺麗なのに――」