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雨の降る街

作者: 宇治原海月

ポツ、ポツ…


「あっ…」

少女が上を見上げる間も無く、サーっという静かな音がし、あたりを濡らし始めた。


「あぁ、また雨か…」


この街は、「五月雨町」と呼ばれるだけあって特別雨が多かったが、最近特に雨の日が多い気がする。

少女は傘をさす様子もなく、静かに歩き始めた。背中の半分に届くくらいの、色の薄い髪が揺れるたびに、雨粒が柔らかくまった。




「うわっ、また雨かよ。」

少年は慌てて近くの家の屋根の下に駆け込んだ。まったく、嫌になる。この街を訪れて5日が経つが、この街の空は一回も青色を見せていない。いつも街全体を飲み込むようにどんよりとし、灰色の雨を降らせている。

「はぁ…」

濡れた赤っぽい髪を少し湿ってしまったタオルでわしゃわしゃと無造作に拭いた。おかげで髪は荒れ放題だ。

少女のような可愛らしい顔をした少年は、形の整った小さな鼻をひくひくと動かした。だが、もう雨の匂いさえしない。すっかり鼻が慣れてしまったらしい。

「はぁー…」

もう一度重くため息をついたその時、目の前に何か淡く光っているものが見えた。

「なんだ?」少年が雨のカーテンの向こうに見えるものを良く見ると、

1人の少女だった。傘もささずに、静かに歩いている。色の薄い髪が雨粒を散らし、淡く光って見えた。なんとも不思議で幻想的な光景だった。


「あ、こっち、濡れますよ。」


はっと我に帰った少年は少女に呼びかけた。すると少女はふわりとこちらを振り返った。実に優雅な動きだった。不思議そうな表情を浮かべながら、ゆっくりとこちらに歩いてきた。そして屋根の下に入り、少年のほうを振り返った。


美しい人だな、と少年は思った。透けるような白い肌、真っ赤に染まった唇、金髪とも茶髪とも言えない薄い色の髪、一般で言う愛嬌のある顔ではなかったが、少しつった目が、濡れたまつげに縁取られていた。可愛いや、麗しいというより、彼女には「美しい」という言葉が合ってるな、と少年は思った。


「これ、飲んで」唐突に少女は少年に小さな瓶を渡した。少女の顔が余りにも真剣なので、少年は理由を聞くこともできずその瓶の中身を飲み干した。

少年がそれを飲み干すのを見届けると、やっと彼女の顔がすこし緩んだ。


「君は、どうして傘もささずにあるいていたの?」

瓶の中身を尋ねるよりも先に、少年は聞いた。すると少女は少し口元に笑いを浮かべて、

「だって、もう意味がないもの。」

と静かに答えた。


「意味がないだって?じゃあもう君は既に風邪をひいているのかい?」

少年が不思議そうに尋ねると、少女はころころと笑った。

「そうね、そうかもしれないわ。

今度は私の番よ。あなたは誰?どうしてここにいるの?」


「僕はアレン。旅人。君は?」


「ゼルダよ。」

少女はにこりと笑った。笑うと印象の変わる子だな、とアレンは思った。


「アレンは、どうして旅をしているの?」

ゼルダと名乗る少女は尋ねた。


アレンと呼ばれた可愛らしい少年は、少し驚いたような顔をし、嬉しそうに話した。


「僕は、あまり裕福でない下町から来たんだ

。僕の住んでいる下町は物作りが盛んでね。結構有名なんだ。それで、色々な所から注文がくるんだ。けど、僕のお世話になってるじいさんや、街の老人たちはみんな足が悪かったりして、届けることができないから、僕が代わりに届けてるんだ。」


「アレンは、ずいぶん嬉しそうに話すのね。」


ゼルダが言うと、アレンは美しい顔をくしゃっとさせて微笑んだ。


「そうさ。僕はこの仕事が嬉しいんだ。いつもお世話になってるじいさんやみんなに恩返しできる1番の方法だもの。本当に嬉しいんだ。」


「アレンはきれいだね。」

アレンを見てゼルダは言った。


「きれい?どこがだい?」

アレンが不思議そうに尋ねた。


「瞳も、心も、全てよ。」

ゼルダが微笑んで言った。



「さぁ、次は僕の番だね。どうして君は雨の中歩いていたんだい?」

アレンが尋ねた。


「あら、それはさっきも言ったはずよ。意味がないからって。」


「意味がないってどういうことだい?」


アレンの真剣な顔を見て、ゼルダは開きかけた口を一回閉じた。

そして、鳶色の瞳でアレンをじっと見つめ、すうっと口を開いた。


「私、多分もうすぐ死ぬのよ。」


ゼルダは悲しそうでも嬉しそうでもない様子で言った。


アレンは大きな目を丸くした。

ゼルダはさっきと同じように、にこりと微笑んで見せた。


「この街の雨は、少し他とは違うのよ。ほら、少し粒が小さいでしょう?[コーイル]って、知ってる?」


コーイルは、アレンにも聞き覚えがあった。90年前に全世界に原子力発電廃止令がでて、その頃原子力を主としていた人々は、圧倒的な電力を失ってしまった。そしてその10年後、すなわち今から80年前に1人の博士が素晴らしい発明をした。それが、「コーイル」である。コーイルは、水H2Oにつけることで恐ろしいほどの電力を生み出すものだった。コーイルは、天然では存在せず、博士の手によって出来たものだから、切れるということはない。そして、一番謎に包まれていることは、発生時に出来た有毒物質は、不思議なことに、しばらくすると消えてしまうのだ。空中を調べても、その物質が探知されることはない。なんとも謎なことだが、人類は欲に負け、コーイルの大量生産に成功し、今では主の発電方法となっていた。




「私の街は、全ての気流が集まる所なの。国中の空気が、この街に集まってくるのよ。良い空気も、悪い空気も。

そして、あなたたちの信じていたコーイルは、本当は無害なんかじゃなかった。だって、いきなり有害物質が消えるのよ?おかしいと思わない?実際はその有害物質は、直ぐに気化して、風に乗っていたのよ。ふふ、ばかよね。そんなことにも気付かず、[素晴らしい発明]だなんて。」


ゼルダは笑いながら淡々といった。


「じゃあ、まさかっ…」


「そう、気化した有害物質は、気流に乗って全てこの街に集められているの。そして、この雨で、私たちに降り注ぐ。消えるなんて、そんな魔法みたいなこと、起きるはずがないのよ。」


「じゃあ、まさかこの街は…」


ゼルダは微笑んで言った。



「そう、五月雨町よ。」


アレンは信じられなかった。一度だけ耳にしたことがある、「五月雨町」。全ての悪いものを吸い取ってくれるんだよと、父が昔言っていた。そんな街が、本当にあったとは…。「コーイル」は、一度50年前ほどに、発明者によって破棄されそうになった。やはり有害物質が消えるなんておかしい、と。だが発明者の意見は届かず、彼は牢獄行きとなった。その時彼は、こう言っていた。

「この有害物質を取り込んで、苦しんでいる人が絶対にいるはずだ。この絵をみてくれ!」

その絵には、雪のような白い肌、血のように紅い唇、薄い色をした髪の毛の、人間が描かれていた。それを見て、人々はこう思い、その架空の病気にこう名付けた。

「白雪病」と。


今、その絵と全く同じ容姿をした少女が、アレンの前に立っていた。


「ゼルダは…死ぬの?」


美しい顔をした少年は震える声で聞いた。


「分からないわ。何も分からないのよ。私を白くする成分も、これが命を縮めているのかも。ただ一つ、分かっているのは少しこの雨を浴びてしまっただけの人は、この街が作り出した液薬を飲めば、少し進行を抑えられること。でも、私たちはもう遅いの。14年にも渡って、この雨にあたり続けているから。私の髪は薄い色。私は白雪姫にもなりきれない、普通の人間にもなりきれない、哀れな人間なのよ。」


少し悲しげな目をして、静かにゼルダはいった。アレンは、さっき飲んだ瓶に入ったものを思い出していた。


「アレンはとりあえず大丈夫だと思うけど、もうこの街にはいない方がいいわ。この薬がどれほど効くのかも、よく分からないもの。これ以上雨に当たったら、私たちと同じになってしまうかもしれない。」


「ゼルダは?ゼルダはどうするの?」


アレンは顔を歪ませて聞いた。


「私はこの街に居続けるわ。生まれた時からここに居るんだもの。それに、ずっとあたり続けていたから、少しくらい抗体ができているかもしれない。死ぬ時が来るまでは、この姿で生きようと思う。」


ゼルダは笑って言った。


少し間を空けて、アレンは言った。


「また、この街に来てもいいかい?3年後、僕らが大人になったら、もう一度。僕も、この国を変える努力をしてみるよ。だから、お願いだから、それまでは生きて僕を待ってて、ゼルダ。」


そう言う、覚悟を決めたアレンの美しい顔を見て、ゼルダは顔をふわりと和らげて笑った。


「そうね、祈ってみるわ。また、アレンに会いたいもの。」


アレンはこくりと嬉しそうに頷いた。





あれから2年後、一人の少年の書いた本が批判の声を受けながらも大ヒットとしていた。それは社会を動かすほどのものだった。「コーイル発電は止めるべきだ。」彼は本中でこう強く主張していたという。あまりの影響力に、彼の意見が国のトップにまで届こうとしていた。





だがその数ヶ月後、恐ろしい噂が流れ始めた。

「コーイルによって発生する有毒物質を含んだ五月雨町の雨を浴びると、不老不死になる」




誰がそれを言い始めたのかは分からない。

何故そういう噂が立ったのかも分からない。

ただ人々は、永遠の命と若さと美しさを求めて、五月雨町を侵食した。五月雨町の人々は街の隅に追いやられ、人々は狂ったように雨に当たり続けた。その雨は機械によって集められ、ペットボトル詰めにして売られていった。置いても置いても棚が埋まることはなかった。

少年はその光景を目にし、顔が引きつるのを抑えることができなかった。





「…何故、こんなことになってしまったんだろう。」


蒼く透き通るような空の下で、涼しい風に吹かれながら少年は言った。


少し背の伸びた髪色の薄い少女は、大きく広がった水たまりを見ながら、静かに少年を見た。


永遠の命と若さを求め、狂った人々は、彼らが雨を浴び、飲み続けた一ヶ月後、みな中毒死していった。彼らの最後の顔は、五月雨町の人々のように白くはなく、皆真っ黒だったという。


「たぶん、急に体内に有害物質を大量に取り込んだから、皆死んだのね。

哀れなこと。こんなに透き通った青をみたのは、何年ぶりでしょう…。」


ゼルダは鳶色の瞳で透き通った空を見上げた。



今、この世界には五月雨町の住人以外、ほとんど生息していない。小さな子供が数十人、この街とアレンの故郷に送られてきた。

そして今、五月雨町に雨はほとんど降らない。それは、コーイルによる発電が完全に止められたことを意味していた。


今、アレンの隣にはゼルダ、そして発明者であるリンドがいる。


世界には、風の音しか聞こえない。


「アレン、君は今何を考えてる?」


ゼルダは、本当に不老不死であるかのような微笑みをたたえてアレンに問いかけた。


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