秋*亀裂
「リコ、最近帰りが遅いときが増えてない?」
「え……そうかしら、気のせいじゃない?」
季節はまた巡り、森の木の葉は色づいてきました。そんなある日、リコはまたいつものようにアセナの家に出掛けようとすると、お母さんから思いがけない事を言われました。
「気のせいじゃないわ。明らかに前よりも遅くなってる。どこかに寄り道でもしているの?」
「してないったら。お母さんも心配性よ。いってきます」
「あっ、ちょっと。リコ!」
リコはお母さんの言葉を無視し、家を飛び出しました。
確かに最近、アセナと会う回数が多くなっていました。また、アセナと薬草を採ったり、話したりと夢中になっているうちに、夕方になってしまうことはしょっちゅう。しかし、お母さんや村の人々にバレる訳にはなりません。アセナと会っていることは、二人だけの秘密なのですから。もしバレたら、会えなくなるどころか、最悪の場合アセナが殺されてしまうでしょう。リコは一人、「そんなのは絶対に嫌。だって、私はアセナの友達だもの」と呟くとアセナの家に向かいました。
「アセナ、こんにちは」
リコがアセナの家の扉を開けると、甘い香りがふわりと漂いました。アセナはキッチンで何かを煮詰めているようでした。
「あら? これは……ジャム?」
「ああ。それに普通のジャムじゃなくて、薬草入りのやつだ。」
「へぇ。薬草なんて入ってるの」
「これから冬だからな。採ったやつはなるべく早く加工しないとな」
「ふふ、相変わらずエプロン姿が似合わないわね」
「うるさい」
エプロンを身につけ、甘い香りに包まれながら鍋をかき混ぜる狼の姿は、なんとも不思議なものです。それに加え、カボチャをつまんでいるため、余計に妙な光景でした。今日は珍しく蒸かしていましたが。
リコは「ごめんごめん」と言うと、棚の中の色とりどりのジャムを眺めました。イチゴ、ブルーベリー、マーマレード……しかし、リコは肝心のある果物のジャムがないことに気づきました。
「ねえ、アプリコットはないの?」
そうです。リコの名前でもあるアプリコット──つまり、杏のジャムがないのです。
「ああ、アプリコットはな……。それよりも、リコ。味見してくれないか」
アセナは言葉を濁らせると、ジャムをすくったティースプーンをリコに渡しました。
「んっ、おいしい! さすがだわ。……でも、少し甘さが足りないかしら。ジャムの割りには薬草の苦味が効きすぎてるかも……」
「だよな。砂糖、この前なくなってな、少しケチって作ったんだ。どうしたものか」
うーんと二人は数分間考え込むと、リコが「そうだわ!」と声を上げました。
「ねえ、昔お婆様から、森のどこかにものすごく甘い薬草があるって聞いたんだけど」
「甘い薬草? なんだそれ」
アセナは一旦鍋の火を止めると、リコに向き合いました。
「その薬草自体の効力は忘れたんだけど……とっても甘いらしいの。名前は確か……シュークレ草、だったかな。可愛らしいピンクの花が咲くはず……」
「シュークレ草……それなら聞いたことがあるかもしれん。よし、探しにいってみるか」
「さんせーい!」
リコはコートを早々と羽織ると、外に飛び出しました。
「い、今行くのかよ……仕方がないな」
アセナは籠を持ち、外に出ようとしましたが、少し考え込んで棚の引き出しから小瓶を取り出し、籠の中に入れました。
「アーセーナー? どうしたの? 早くいこうよ!」
「ああ、今行く」
二人は森の中に入っていきました。
「うーん……ないわね」
あれから数時間後。二人はあらゆるところを探し回りましたが、シュークレ草らしき花は見つかりませんでした。それどころか、日が徐々に落ちてきて辺りも薄暗くなってきました。
「うー、それに段々寒くなってきた……」
「なあ、リコ。また今度、探しにくればいいじゃないか」
「えー! ここまで来たのにあきらめて帰りたくないわ。もう少しだけ……!」
「ったく……」
アセナが言うことにも聞く耳持たず。リコはキョロキョロとあちこちを探しました。しかし、やはりどこにもありません。
日がほとんど落ちて、すでに辺りが暗くなってきました。それでも、リコはいまだに諦めていませんでした。
「おい、リコ! もう諦めろと何度も……」
いい加減に帰らせようと、アセナが怒鳴ろうとした、その時。
「あー!!!!」
ふいに、リコが空を見上げて大声をあげました。その声につられて、アセナも顔をあげてみると──なんと、木の枝の上に、ピンク色の光を放った花が咲いていました。
「あれじゃないかしら!? 絶対そうよ! よし、登ってとらなきゃ……」
リコはスカートなのも気にせずに、木をよじ登ろうとしました。
「お、おい! スカートなのは百歩譲って目をつむるが、もう暗いのに木登りだなんて危ないぞ!」
アセナがリコに向かって叫びましたが、リコはブンブンと首を横に振りました。
「だって、せっかくここまで来たのに……それに、アセナじゃ枝が折れちゃうでしょう? ここは私が適任よ」
アセナはやれやれと肩を竦めると、「くれぐれも落ちるなよ」と念を押すと、リコはどんどんよじ登っていきました。
「あと、ちょっと……! 採れたっ!」
リコはシュークレ草を手の先で掴みとると、枝にしがみつきながら歓声をあげました。
「見てっ! 綺麗ね、薬草なのに光ってる」
「ああ、光ってなければ分かりにくいところにあるから昼には見つからなかったんだな」
「そうね。じゃ、今から降りるからまっててね……って、あれ?」
なんと、リコが枝から降りようとしたとき、メキメキと音をたてて枝が折れてしまいました。
「あ、あぶねぇ!」
「きゃああああっ!」
ゴツッと鈍い音が森に響き渡りました。しかし、リコはどこも痛くありません。ふわふわとした感触に包まれています。ゆっくりと目を開けると……。
「あ、アセナ!?」
アセナはリコの下敷きになっていたのでした。リコは慌てて起き上がると、アセナの手をとって起こしました。
「ごめんなさい。痛かった? 」
「うう……ちょっと、な」
腰を擦りながら、アセナは笑みを浮かべました。その表情に安心したリコは、シュークレ草を差し出しました。
「ほら、シュークレ草。勢いが良すぎて根っこごと採れちゃった」
アセナは「無茶をするなよな」とぼやきつつ、シュークレ草を受けとりました。シュークレ草は摘まれてもなお光輝き、ぴんと葉を反らして咲き誇っていました。
「ふう、遅くなっちゃったわね。私、そろそろ帰るわ! お母さんに怒られちゃう」
じゃあね! と手を振って駆け出そうとするリコの手を、アセナがとりました。
「待て、お礼。これのお礼してない」
「あら、シュークレ草? そんなの良いわよ。アセナがいなかったら採れなかったし」
「いや、もともと渡そうと思ってたんだ」
アセナは籠のなかをごそごそと漁ると、手のひらサイズの瓶を取り出しました。リコが手にとって見てみると、中身はどうやらジャムのようで「 Apricot 」と書いてありました。アプリコット──つまり、アンズのジャムでした。
「これ、アプリコット?」
「ああ。いつも来てくれる、お礼」
「ほんと!? いいの? ありがとうっ」
リコは瓶を受けとると、アセナに抱きつきました。「おいおい……まったく。まだまだ餓鬼だな」とアセナは呟きました。
「ほら、そろそろ帰れ。親が心配するぞ」
アセナがリコを引き剥がし、見送ろうとした、その時です。
突然、何かが破裂したような音が森中に響きわたりました。すると、アセナは、低い呻き声をあげてその場にうずくまってしまいました。
「アセナ!?」
リコが駆け寄ろうとすると、「リコ! 近づいてはダメよ!」という声が聞こえてきました。リコがその声の方向を向くと
、そこにはお母さんとお父さんが立っていました。
「二人とも、なんでここに……!?」
「ああ、リコ! 無事で良かったッ……! はやくそいつから離れなさい!」
お父さんの握られているものを見ると、リコはサッと血の気がひきました。──猟銃です。さっきの破裂したような音は、お父さんが銃を発砲した音だったのです。
「まさか、アセナを撃ったの!? なんてこと……」
「当たり前だ。そんな怪しげな狼──いや、怪しくなくても、狼は危険だと前から忠告していただろう? あの子だって──」
「アセナはそんなことしない!」
お父さんが話している途中でリコは叫び、アセナの肩を見ました。……かなり深い傷です。リコは自分のスカートの裾を切って止血しようとしましたが、腕をグイッと引っ張られました。
「危ない! ほら、早く逃げるぞ!」
「やめてってば! アセナは危なくない。他の狼みたいに凶暴ではないもの!」
リコが手を降り払おうとしても、成人男性の力には敵うはずもなく。リコは、あっけなく抱えられてしまいました。お父さんは去り際に、「人殺しの野蛮野郎が!」と捨て台詞を吐くと、村への道をお母さんと共に、走っていきました。
「──やっぱり俺は、一人でいるべきだったんだ」
アセナはポツリと呟くと、焼けるように痛む肩を押さえながら立ち上がりました。
先程までキラキラと輝いていたシュークレ草は、まるでアセナの沈んだ心を読み取ったかのように、光を失っていました。その隣には、リコが落としたアプリコットのジャムの瓶が、無惨に割れていました。
──そして、独りぼっちの狼は、静かに森の奥へ消えていきました。