春*出会い
森の奥のひなびた村の、ある日のこと。
この村で生まれた、齢15歳のリコは今日もお母さんから、森で薬草を採ってくるおつかいを頼まれていました。
「リコ、今日もよろしくね。あ、狼に会ったら逃げるのよ? それから……」
「はいはい、分かってるってば」
リコは、もうその言葉は聞きあきたわ、と言い残すと、オレンジ色の長い髪をなびかせ、森に入っていきました。
それから数時間後。薬草がなかなか見つからず、森の奥へ奥へと歩いたリコは、いつの間にか迷ってしまいました。
「ここどこ? 迷ってしまったのかしら……」
周りを見渡しても、辺り一面木、木、木。途方に暮れたリコの目に、キラリと遠くに光るものが見えました。リコは他に目指すものもないので、とりあえずその光に近づいていきました。
その光の元は綺麗な泉でした。泉を取り囲むお花畑と、たくさんの蝶々の先に、小さな小屋がありました。誰かが住んでいるようで、家の周りには畑や井戸、花壇にはたくさんのお花が植えられていました。リコは、道を聞こうと思い、小屋のドアをノックしました。
「すみません、誰かいませんか? 道に迷ったんです」
リコが声をかけた瞬間、ガラガラガラッと物が落ちる音がしました。リコはドアを開け、その音のする方に行きました。
「わあああああっ!? に、ににににににににに人間!?」
なんとそこには、大きな三角の耳に鋭い爪、ふさふさの灰色の毛皮に尻尾をもった狼がいたのです。
リコは一瞬後ずさりしましたが、ブルブルと震えながら部屋の隅に移動した狼を見て、首をかしげました。なぜって、想像していた狼とはまるで違うのですから。確かに外見は聞いていた通りでした。しかし、リコを襲わず、むしろ怯えています。立場が通常と逆です。一体どうしたのでしょうか。
「ね、ねえ……あの。あなた、狼よね?」
「だからなんなんだよぉ! 俺は何も食べてねぇって! 殺さないでうああああ!」
「ちょ、ちょっと。私はあなたを殺しに来た訳じゃないわよ!」
リコが大声で叫ぶと、狼はハッとして震えが止まりました。
「ほんとうか……?」
「そうよ、ほらよく見て。刃物も銃器も持ってないでしょ?」
「……ああ」
リコが手を広げてみせると、狼はホッとため息をつき、立ち上がりました。
狼は驚かせたお詫びにと、お茶とお菓子を出すとリコを椅子に座らせました。狼はリコの反対側に座ると、リコに頭を下げて謝りました。
「さっきは疑ってすまなかった。昔、人間に撃たれそうになったことがあってな、それ以来人間が恐ろしくなったんだ」
「そうなの……。でも、あなた狼でしょ? 反撃したりとか、人間を食べたりしないの?」
すると、狼は「とんでもねぇ!」と言うと椅子から立ち上がりました。
「俺は今まで一度も人間──どころか、肉を食べたことがない。仲間と一緒に暮らしていたこともあったが……どうも、仲間の食べる肉の臭いが嫌いで、群れから逃げ出したんだ」
「狼なのに肉を食べないの? じゃあ普段は何を食べているわけ?」
「野菜とか、薬草とかだ」
「……ベジタリアンなのね」
リコは、狼がベジタリアンってありえない、と疑いましたが、狼が目の前で紅茶を飲みながら生人参を頬張っている姿を見ると、信じざるを得ませんでした。野菜を食べる狼というだけでおかしな光景だというのに、生で食べているのですから。
「それで? あんたはどうしたんだ?」
「それが……迷ってしまったのよ。いつもより薬草が少なくて」
すると、狼は あ、と声をあげると一旦部屋の奥に消え、何かを抱えて帰ってきました。リコが狼の腕のなかを覗くと、たくさんの薬草が入っていました。
「俺が採ってしまった所だったのかもしれない。これやるから……その、時々でいいからここに来てくれないか? ──独りは、寂しいんだ……」
リコは、狼のふにゃりと垂れた耳と悲しそうな目を見ると、放っておけないと思いました。そして、リコは狼の薬草を受けとると
「私、リコ。アプリコットって名前で、皆からはリコって呼ばれてるわ。あなたの名前は?」
と名前を告げました。
案外すんなりと了承したので、狼は目を見開くと、小さく「アセナだ」と呟きました。リコはその言葉を聞いて直ぐ様、手を差し出しました。狼もリコの手を握ろうとしましたが、すぐに手を引っ込めると「爪が鋭くて怪我をするから、よしておくな」と言いました。見た目は恐ろしいのですが、親切で優しい狼もいるものだな、とリコは思いました。そして、握手の代わりにリコはにっこりと微笑みました。
「これからよろしくね、アセナ。いい名前だわ」
「おう、こちらこそ。あんたこそいい名前だな。……美味しそうで」
リコは、肉が嫌いなんだから、人間を美味しそうなんて言っちゃダメよ、と狼を軽く小突きました。
そして、また今度来ることを約束して、リコは狼に教えられた村への道を帰っていきました。