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短編集  作者: 雨咲はな
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幸福の使者(後編)



 ──それでもその日、サトゥークは聡子を連れて、宮殿の中庭を案内してやることにした。

 王妃に言われたから、というばかりでもなく、時にはそうやって渡り人のご機嫌もとっておかねばならないな、と思っただけだ。ただそれだけだ。両親がさっさと聡子と親しくなっているのが悔しかったとか、この機に先日出された宿題の期限を延ばしてもらおうという姑息な計算があったとか、そんな理由では、断じてない。

 聡子はまたせっせと掃除をしているところだったが、サトゥークが誘うと、すんなり承知してあとに従った。

 ちょっと意外な気もしたが、考えてみたら、サトゥークがこうして聡子を私的に誘うのは、これがはじめてなのだ。今までは、「宿題の提出」 以外に、聡子と顔を合わせること自体が、ほとんどなかったのである。

 灰色ドレスに白エプロンというメイドのような地味な服装をしているのは色気がないが、今から着替えてこいと命じるのも面倒なのでやめた。彼女の部屋のクローゼットには、色とりどりの美しいドレスが溢れんばかりに並べられているはずなのに、聡子がそれを身につけているところを、サトゥークはこれまで見たことがない。

 宮殿の中庭には、あちらこちらで季節の花が見事に咲き誇っていた。庭師が腕によりをかけて丹精している花の園は、うっとりと見惚れてしまいそうなほどに素晴らしい眺めだ。

「どうだ、ここは美しいだろう、サトコ」

 思わず自慢げに胸をそらす。

 サトゥークも、王子としてそれなりにスマートに女性を扱うことには慣れているので、いつもだったら相手の手を取り、「ここにある花も、あなたの美しさの前では色褪せてしまいそうですね」 などという歯の浮くセリフを口にするところである。しかし、なぜか聡子を前にすると、子供のような負けん気ばかりが、むくむくと湧いてきてしまうのだ。

「はい、本当に綺麗ですね」

 周囲を見回しながら、聡子が率直にそう褒めるものだから、ますますサトゥークは調子に乗った。

「そうであろう、そうであろう」

 ふんぞり返りすぎて、後ろに倒れそうになる。

 聡子が赤い大輪の花を指差した。

「佐藤くん、あの花はなんていう名前なんですか?」

「あれか、あれはだな、セルフィーヌだ」

「じゃあ、あれは?」

「あれは……確か、ミレムナ、だな」

「あれは?」

「……えー、と」

「知らないんですか」

「ちゃ、ちゃんと知っている! ど忘れしただけだ! 大体、花の名前なんて知る必要などないではないか! 花はただ、愛でて、心を楽しませる、そのためだけのものだ!」

「そうでしょうか」

 なんなんだ、その不得要領そうな顔は。この自分がせっかく庭を案内して、美しい花々を見せてやろうというのに、どこまでも可愛くない。

「じゃあ佐藤くん、花の名前については次の機会までの宿題として」

「また宿題か!」

「この世界──いえ、この国では、花や草というものは、本当にそうやって、ただ愛でて楽しむだけのものなんですか?」

「ど……どういう意味だ?」

 目を瞬いて問い返す。花や草に、他にどういう用途があるというのだろう。

「薬にしたり、食べたりはしないんですか、ということです」

「バカなことを」

 サトゥークは、ふん、と呆れて鼻から息をした。何を言うかと思えば、薬はともかく、食べる、とは。

「木に成る果物や、畑で作る野菜とは違うぞ。草食動物でもあるまいし、そこらの花や草を食べることなど、あってたまるものか。それともそなたの世界では、人々は、野に生えている花や草を引き抜いて口にする、などという野蛮なことをするのか」

「そのまま食べるよりも、煮たり焼いたりする場合が多いです。山菜とか、野草とか、普通に食卓に乗るし、美味しいんですけど、そうですか、この世界ではそれは野蛮なこととされるわけですか」

「当たり前だ」

「当たり前なんですか」

「……多分、そうだ」

「絶対ですね?」

「…………。ええい、調べてくる!」

 と怒鳴ると、サトゥークはその場から猛然と走り去った。



 ──で、結局。

 調べてみると、この国でも、一般民衆はわりと普通に野草を食べていることが判った。

 煮たり焼いたりして普段の食事に出てくるだけでなく、少し小腹が空いたという時などには、そのまま口にすることもよくあるらしい。中でもトリゴという小さな白い花をつける草は、食べ方に少々コツがあるものの、甘くて栄養があって、大人も子供も見つけると大喜びするくらいに好きだという。

 彼らにとってそれはどこまでも日常的な風景の一つで、もちろん、「野蛮な行為」 などと思う人間はいない。

 のだそうだ。

「…………」

 臣下のその説明を、サトゥークはひどく仏頂面で聞いた。

「……しかし、私は生まれてこのかた、そのようなものを食した覚えはない」

 ぼそぼそと言うと、臣下が微笑んだ。

「それはそうでしょう。王家のお食事にお出しできるようなものではございませんから。あくまで庶民の食べ物でございますよ」

「しかし、サトコはなんとなく知っているような感じだったぞ」

「サトコ様は気安いお人柄でいらっしゃるので、宮殿内でいろんな者と身分を問わず親しくされているそうです。そこからお聞きになったのでは?」

「…………」

 誰もかれも、王子である自分を差し置いて、聡子と仲良くなりおって。

 面白くない。

「お前だって知っていたではないか」

「私も平民上がりですので」

「しかし……」

 しかし、それを王子たる自分が、まるで何も知らないとは。

 サトゥークは、宮殿の中庭の美しさだけを見て、聡子に胸を張ったことが恥ずかしくなってきた。

 くるっと振り向き、臣下の顔を正面から見る。

「お前、植物のことは詳しいのか」

「は? 植物のこと……と申しますと」

「花の名前や、草の名前、どれが食べられてどれが食べられないのか、ということについて、詳しいか、ということだ。いや、そればかりでは足りぬな、民たちの食生活についても知りたい。いつもどんなものを作り、どんなものを食べているのか。それは果たしてどのような味なのか。私が通常口にする食事と、どれほど違っているのか、余すことなく説明できるかと聞いておる」

 臣下は戸惑う顔になった。

「そ……それはちょっと、私には荷が重すぎるかと」

「では植物学者なり街のおかみなり、それを全うできる者を探して連れてこい」

「は、今から、でございますか」

「無論だ。時間をかけると、またサトコに遅いと文句を言われてしまう」

「しかし、本日は国王ご夫妻と、サトコ様を交えてお茶のご予定があるのでは?」

「そんなヒマがあるか。大体、手ぶらのまま、おめおめサトコと顔を合わせられるものか。父上と母上には、よんどころない事情でお茶の席にはご一緒出来ませんとお伝えしておけ。いいか、至急だ! このままでは、サトコから出される宿題が溜まる一方だからな!」

「は、ははっ、承知いたしました!」

 臣下は頭を下げると、大慌てで出て行った。

 その後ろ姿を見ながら、「……見ておれ、サトコ」 とサトゥークは忌々しげに呟く。

 こうなったら、なんとしても、聡子に自分を認めさせてやらなければ。

 ただ、「淡い色のドレス」 を着た聡子を見られないのは、少し残念だな、と心の片隅でちらっと思った。




 その後、サトゥークは、書物を読み漁り、頻繁に学者を呼びつけ、城下に出ては民の暮らしを見て廻り、判らないことは自分が納得するまでとことん追究した。

 そうして、答えを一つ見つけるたびに、「サトコ、サトコ」 と嬉々として聡子の許へ駆けつけ、調べた内容を一生懸命説明しては、彼女が感心したり納得したりする顔を見て、子供のように喜んだ。

 宮殿の中庭に咲いている花の名前だって、すべて覚え込んで、聡子にひとつひとつ教えてやった。トリゴの食べ方も教えた。聡子が目を丸くして、すごく美味しい、と言うので、サトゥークは大いに面目をほどこしたものだ。

「サトコは、食べられない花は好きではないのか?」

 と訊ねると、聡子はちょっとむくれて頬を膨らました。

「私、そうまで食いしん坊じゃありません。『ただ愛でるだけの花』 だって好きですよ」

「そうか」

 ならば、と、フィリネオという名の、淡い色の花を髪に挿してやった。

 聡子が、少し照れたように下を向く。

 確かに、よく似合って、可愛らしかった。



          ***



 そして、聡子がやって来てから半年ばかりが経過した、ある夕暮れ時。

 サトゥークが部屋を訪れると、彼女は出窓に腰かけ、赤く染まりだした空を眺めていた。

「…………」

 いつも生意気な態度ばかりの聡子だが、空に顔を向け、全身を薄っすらとした朱色に染めて、じっとしているその小さな後ろ姿は、ひどく寂しげなものに見える。

 一体、何を見て、何を頭に浮かべているのだろう。

 そう思ったら、居てもたってもいられなくなって、つい、言葉が口から滑り落ちた。

「──サトコ。もとの世界のことを考えているのか」

 いくら郷里や家族を想い、懐かしがっていても、自分は聡子を帰らせるわけにはいかない。帰らせる方法も知らない。その上でこんなことを訊ねるとは、なんと情のない行為かと思う。サトゥークは自分を恥じたが、それでもそう問わずにはいられなかった。

 胸の中に湧いているもやもやしたものはなんだ。不安? 聡子が、もとの世界を恋しがることが?

 帰りたい、と思っているかもしれないことが?

 いいや、でも、聡子はこの国にいてもらわなければいけないのだ。この世界に。この国に。サトゥークの傍に。

 帰らせるわけにはいかない──帰したくない。

 そんなことを一心に思い詰めている自分に驚いた。こんな気持ちになるなんて、今まで考えたこともなかったのに。

 聡子はこちらを向くと、サトゥークのその顔を見て少しきょとんとし、それから、にこっと笑った。

 はじめて見る、彼女の素直な笑顔に鼓動が跳ねる。

「この世界も、夕焼け空はあちらと同じなんだなあと思って。不思議ですね。いろんなものが違っているのに、同じに見えるものもある。見たことのない花、見たことのない動物、見たことのない建物──でも、時々、懐かしいような気もするんです。どうしてでしょう。佐藤くんが、いろんなことを私に教えてくれたからかもしれません」

「……そうか」

 聡子が花や鳥を見るたびに、あれは何という名前かと訊ねるので、サトゥークも今ではすっかりそれらの名を覚えてしまった。生まれた時から見慣れていたもの、でも、名前もよく知らなかったもの。改めて調べてみると、新しい発見は数えきれないほどたくさんあった。

 サトゥークにとっては当たり前でも、聡子にとっては当たり前ではない。当たり前ではない人間の目から見ると、「当たり前のこと」 が 「疑問」 に変わる。

 聡子の目を通すと、それらすべてが新鮮に見えた。

 漫然と見過ごしていたこと、見ていても気にも留めていなかったこと、知っているつもりがまったく知らなかったこと。

 そのことに、気づかされる。


 ──考えてみれば、この国に対してもそうだ。


 いろいろと訊ねられ、そのつど調べ、考え、答えていくうちに、サトゥークは以前とは別の目で、「国」 というものを見るようになったのではないだろうか。

 いずれ自分が治めるべき国なのに、サトゥークはあまりにも、知らないことばかりだったのだ。

 民の暮らしも、生活基盤も、国のあり方も、未来への指標も。

 聡子がいたから、ようやく気づけた。

「……もとの世界での、私の父と母、は」

 聡子が目を伏せ、ぽつりと言った。

 彼女の口からその言葉が出るのは、はじめてだった。

「とても、仲の悪い夫婦だったんです。家の中にいても、お互いまったく口をきかなかった。いつでも冷たい空気ばかりが漂っている、そんな家でした。両親は、離婚しないのは、お前がいるからだって、私に言いました。お前がいなきゃ、すっぱり別れて自由になれるのに、って何度言われたか判らない。……だから、帰りたい、とはあんまり思いません」

 小さな声で言って、聡子はまた窓の外へと顔を向けた。

「私は昔から理屈っぽい子供で、よく怒られていました。親はこういう私のことを、あまり好きじゃなかったんだろうと思います。なぜ、なぜ、ってそればかり言うんじゃないって──でも、私は知りたかったんですよ」


 愛し合っていた二人が、なぜ、今はそんなにも憎み合っているの?

 「お前がいなきゃよかった」 なんて言うのなら、なぜ、私を生んだの?

 ……なぜ、私はここにいるの?


「だから、『そなたが必要だ』 って佐藤くんに言われて、ちょっと嬉しかったんです。ここなら私がいてもいいのかな、って。でも、やっぱり不安で、いろいろ訊ねずにはいられなかったんです」

 本当に 「私」 を必要としているのか。

 本当に、ここにいても許されるのか。

 渡り人のこと。この国のこと。優しくしてくれる人々のこと。そして、必要だと言ってくれたサトゥークのことを。

 どうしても知りたかった、と独り言のように続けた。

「──では、サトコ」

 サトゥークは彼女のもとに静かに歩み寄って、名を呼んだ。

 こちらを向いた聡子に、優しく微笑みかける。

「これからゆっくりと、私のことを知ればいい。私のことも、この国のこともだ。私もそなたのことを、もっとよく知りたい。なんでも話そう。教えて、教わろう。そうやって、お互いのこと、この国のこと、知らないことを、一緒に知っていこう」

 そう言って、華奢なその手を取り、甲に口づけを落とした。

「私には、そなたが必要だ」




 それから数年後、サトゥークは正式に国王になった。

 新しい王は国についてあらゆることに詳しく、臣下の意見を取り入れることも躊躇しない磊落な人柄で、また民の声もよく聞いた。好奇心が強く、知識を深くすることを好み、知らないことは手を尽くして、すぐに調べようとする。

 その王の賢治世のもとで、国は大いに栄え、民衆は幸福に暮らした。

 王の傍らには、「渡り人」 であった、異界からやって来た妃の姿。

 二人は時に言い合いをしたり、意見を分けて議論することもあったが、より良い結論を出した後は、いつもすぐに仲直りして笑った。王をやり込められるのはこの妃だけだ、と臣下たちは皆、目を細めながら口を揃えて言う。

 妃はずっと、伴侶を愛情込めて 「佐藤くん」 と呼んだが、王本人は喜んでいたようだ。

 サトゥーク王は一人も側妃をとらず、この妃だけを大事にし続けた。



 ──そして後世、王と妃の間にあったあれこれはすべて省略されて、「渡り人は幸福をもたらす」、ということだけが、また書物に記されることになった。




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