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短編集  作者: 雨咲はな
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魔女の種



 ──その国には、古来より、「魔女の種」 というものが存在する。


 宮廷楽師のノーヴァリンは、並々ならぬ決意に身と心を奮い立たせ、楽長に休みを願い出て、魔女の種を探す旅に出た。

 種を土に蒔いて丹精込めて育てれば、美しい魔女が花とともに生まれて、育てた者の願いを叶えるという、魔女の種。国の北側に遥か高くそびえるセシル山の、どこか奥深くで、ひっそりと、自分を見つけて拾い育てる人間を待っているという。

 ノーヴァリンはそのセシル山に入り、ある時は寒さに凍え、ある時は崖から転落しそうになり、ある時は食糧捕獲のために木の実を採りながら、魔女の種を探し続けた。もともと楽師であるから、運動神経はもとより、山の中で生き抜く知恵や度胸や技術などあろうはずがない。持ってきた食べものが底を尽き、飲み水を探そうにも泉も湧き水も見つからず、ようやく見つけたものがどよんと濁った底なし沼だった時には、ああ自分はもう死ぬんだと諦めの境地に至った。

 二十年ちょっとの、短い人生だったなあ──と、異臭を放つその沼のほとりに座り込み、ノーヴァリンは半ば呆然としながら、つれづれと今までの生涯の回想を辿った。

 子供の頃から何もまともに出来ない不器用な人間で、父親にも母親にも散々嘆かれて育ったノーヴァリンだったが、どういうわけだか音楽にだけは才能があった。他の者には音を出すことすら難しいと言われる楽器だって、ノーヴァリンがちょっと息を吹き込むだけで、たちまち美しい音色を響かせた。その腕を買われて宮廷に楽師として就職できた時には、両親はもちろん、なにより自分自身がホッとしたものだ。

 ああ、これからはグズだのノロマだのと、みんなに叱られることも、からかわれることもない。邪魔者扱いされて居たたまれない思いをすることもない。両親に心配をさせることも、泣かせることもない。楽器を演奏してさえいれば、それでいい。今だって、友人もいないし、怒られることもやっぱり多いのだけど。

 慎ましくひそやかに、身分の高い人たちの耳を楽しませてさえいれば、それで何事もなくつつがなく、一生を送っていける。

 暗い夜空を見上げ、独りぼっちの寂しい時間を過ごそうとも、生きていくことは出来る──

 そう、思っていたはずだったのに。


 人生とは、なんと思い通りにいかないものだろう。


 ぽっかりと虚脱した気分になって、ノーヴァリンは、死への恐怖を束の間忘れた。転んでも落ちても獣に追われても、これだけは肌身離さず持ち続けた革の袋を引き寄せ、中からほっそりとした棒状の、銀色の楽器を取り出す。

 ティルト、という楽器である。非常に扱いの難しい楽器で、普通の人間には動物の呻き声のような不様な音しか出せないが、演奏者によっては、それは見事な美しい音を奏でるという、奇跡の楽器だ。宮廷の楽団でも、これを扱えるのはごくわずかしかいない。

 ノーヴァリンは、ティルトに唇を近づけて、そっと息を吹き入れた。

 特に思惑や意図があったわけではない。言ってはなんだがノーヴァリンは、あまり頭が廻る方ではなく、どちらかといえばウッカリで、その場の雰囲気に流されてしまいやすいタイプでもあった。だからこの時も、死ぬならせめて美しい音と共に逝きたい、などという、後ろ向きかつ生産性ゼロの、ロマンティックな幻想に酔っていただけだった。

 美しくない沼に、美しい音色が響き渡る。

 ──と。

 それまで腐ったような臭いを放ち、ぶくぶくと不気味な泡を立てていた、どんよりした底なし沼に、突然、異変が起こった。

 なんとも形容しようのない呪われた色、としか言いようのなかった水が、すーっと澄んでいったかと思うと、次第に神々しい光を放ち始め、しまいには黄金色に輝きだしたのだ。

 その黄金色のきらきらとした眩い光がぽっかりと割れて、中から現れたのは、同じく金色の種だった。

「おお、これが……!」

 ノーヴァリンは震える両の手でそれを受け取り、感極まった声を出した。

 彼はそうして、魔女の種を手に入れた。



          ***



 早速大事に持ち帰ったその種を、ノーヴァリンは丹精込めて育てた。

 仕事に復帰しても誰にも何も言わず、酒も付き合いも辞退して、ひたすらせっせと種を育てることに没頭した。土に蒔いたその種は、不思議なことに、種は見えなくとも土自体が金色に輝くという神秘さである。ここから魔女が生まれたら、さぞかし美しいのであろうと、期待で胸がはちきれそうだった。

 やっぱり綺麗な花とともに、ふんわりと美女が生まれるのだろうか。それとももくもくとした煙なんかと一緒に荘厳な登場の仕方をするのだろうか。魔女というからには、きっと魅惑的な、威厳のある面持ちをしているに違いない。「そのほうの願いは何か」 と重々しい声で問われたら、きっとアガッてしまう。今のうちに答え方の練習をしたほうがいいだろうか。

 水をやり、日光に当て、肥料をやり、手間をかけ時間をかけて育てること三十日。

 むくむくと芽を出し大きくなったその不思議な植物は、とうとう大きな蕾をつけた。

 拳ほどはあろうかという、白くてほんのり薄紅の色がついた蕾である。閉じている状態でも、その可憐さと美しさは想像できる。ノーヴァリンはますます力を入れて世話をした。

 そして、ある日、ようやくそれは開花した。

 ノーヴァリンが今か今かと期待して見ている前で、その蕾は、ぽこん、というちょっと間の抜けた音を出して、余韻も何もなく一気にぱかっと割れるように開いた。

 花の中央には、ちっちゃな女の子がちんまり座って、ノーヴァリンを見ていた。

「ど~も~、お初にお目にかかります~、ご主人さま~~」

「…………」


 なんか、思ったのと違う。


 正直、そう思った。

 目の前にいる手の平サイズのその女の子は、一応黒い衣装に身を包んではいたが、魔女というよりは妖精かなんかに近い。それももっと儚げで美しくて神秘性に溢れた外観をしているのならまだしも納得がいくのだが、目の前にいるのは、つぶれたパンに、棒で引っ掻いたような細い目と鼻と口がくっついているだけのようなシロモノである。ほら、子供が地面によくラクガキして書く、「平面人の顔」 があるでしょう、あんな感じ。

「え、っと、君が、魔女?」

「はい~、そうでございます~、ご主人さま~」

 なんか、目鼻立ちと同様、喋り方も間延びしてるし。声も重々しいどころか、風が鈴を鳴らしているように軽い。

「え、子供、だよね? あ、もしかして、これから成長して美人になるとか」

 まだ完全には夢を捨てきれないノーヴァリンなのだった。

「これが完成形でございます~。子供ではなく、成人でございます~。ご主人さまより年上くらいでございます~」

「ええっ、ウソでしょ?!」

「ウソでございます~。種から生まれた魔女に年齢などございませぬ~」

「…………」

 なんかもう泣きたくなってきた。なんだろう、このハンパなく裏切られたような気分。

 いや、問題は魔女が美人かどうかじゃないんだ、と、ノーヴァリンはなんとか気を取り直した。種を育てるのに没頭するあまり、いささか目的を見失いかけていたが、そもそもあんなにも苦労して種を探しだしたのは、魔女に願い事を叶えてもらうためだったのだ。魔女の外見がどうであろうと関係ない。美人じゃなくても問題ない。へちゃむくれでも気にしない。

「では、僕の願い事を、君の持つ魔術で叶えてくれるんだね?」

「左様でございます~」

「実はね、僕、ひそかに恋い焦がれる女性がいるんだけども」

「左様でございますか~」

「その女性は、とても高貴な身分の、尊いお方なんだ」

「左様でございますか~」

「その方をお慕い申し上げている僕の心は嘘偽りなく本物だ。でも、僕の身分はしがない宮廷楽師でしかない。お近づきになることも、お声をかけることだってままならない」

「不憫でございますな~」

「でも僕は本当に本気であの方を愛してるんだ……! 僕はどうしても僕のこの気持ちをあの方に伝えたい。通じなくともお伝えすることだけはしたい」

「一方的でございますな~」

「そこで君にその橋渡しを頼みたい!」

「それくらい自分でやれやこのヘタレが~」

「今なんか言った?!」

 ノーヴァリンはぱっと振り向いたが、小さな魔女は 「いいえなにも~」 としれっとした顔をしているだけである。開いているのかどうかも判らない線のように細い目は、まったく最初から何も変わらない。にこにこ笑っているようにしか見えないが、実際のところそれも不明だ。

「ねえ、何かあるだろ、恋を成就させる方法とかさ。僕を好きになってもらう魔法とか。いっそ惚れ薬を作るとか!」

「伝えるだけでいい、というのとは大分違いますな~」

 魔女に覆い被さるように身を乗り出して問いかけるノーヴァリンに、返ってきた返事はどこまでも冷静だった。

「いや、そりゃ伝えるだけでいいっていう気持ちに偽りはないけど、でもどうせだったら両想いになれたらいいかなーって」

「ご主人さま小心のくせに結構厚かましいですな~」

「いいじゃないか。それで出来るの、出来ないの?」

「出来ますよ~」

「えっ。ウソ。ホントに?」

「魔女に不可能はございませぬ~」

「ちっこいのに言うことは一人前だなあ」

「ノータリンさまのために頑張ります~」

「ノーヴァリンだよね?! 今、ノータリンって言わなかった?!」

「空耳でございます~」

 そんなわけで、ノーヴァリンはこのどう見ても頼りなさそうな小さな魔女に、自分の恋の行く末を預けることになったのだった。



          ***



 ……で、まあ、結論から言うと。

 ある程度予想はしていたことであったが、小さな魔女のやることは、どれもこれも失敗ばかりだった。

 ノーヴァリンの意中の姫君を教えれば、人違いして近くにいるメイドの方へと突進していく。こちらを振り向く呪文をかけさせれば宮廷中の人間がノーヴァリンをまじまじと注目するものの、肝心の相手はただ一人余所を向いている。惚れ薬を仕込むよう指示すれば、別の人間、しかも男に誤って飲ませてしまい、ノーヴァリンは彼に迫られ貞操の危機に陥るところだった。

「君、無能だね!」

 カンカンに怒っても、魔女はちっとも気にしなかった。

 今も、ノーヴァリンの手の平の上で、ゴロゴロと寝そべって、おまけにクッキーのカケラをぽりぽりと齧りながら寛いでいる。お前はオッサンか。最近、ちょっと太ってきたような気もする。そのうち、出っ張った腹を出してヨダレを垂らして寝るようになったらどうしようと気が気ではない。

「それは仕方ありませぬ~、種から生まれる魔女は、種を育てた人間の性質気質をそっくり受け継ぎまするゆえ~」

「僕、君ほどマヌケで役立たずで粗忽でおまけに怠け者じゃないと思うんだけど!」

「人間、自分のことは見えないものですな~」

「どういう意味さ!」

 怒鳴りながら、ノーヴァリンは魔女を自分の机の上にある、小さなクッションにそっと置いた。口調は怒っていても、手つきは繊細だ。間違っても、魔女を落っことしてしまわないように。

 手の平大のそのふかふかのクッションは、魔女のために彼が何軒も店を廻って探し出したものである。手触りの良い滑らかな生地は、魔女もお気に入りなようで、しょっちゅうこの上に行っては、ぐうぐうと怠惰に眠り込んだりしている。

 やれやれと溜め息を吐きつつ、ノーヴァリンは近くに置いてあったティルトを手に持った。途端に、寝そべっていた魔女ががばっと身を起こして目を輝かせる。

 その様子を見て、ちょっと苦笑した。

「君、好きだねえ、この音」

「大好きでございます~。わたくしは、この音色に呼び覚まされましたゆえ~」

「そうだねえ」

 そもそもあそこでこの楽器を演奏しなきゃ、こんなおかしな拾い物をすることはなかったんだよなあ、と思うと感慨深い。


 育てた人間の願い事を叶えるという、魔女の種。

 ちっとも、事実ではなかったけれど。


 ノーヴァリンはゆっくりと唇を寄せて、ティルトから音を紡ぎ出した。穏やかで豊かな音が、ゆるやかに狭い室内に広がっていく。

 しっとりとした抒情的な音に合わせ、クッションの上で立ち上がった魔女が、ふわりと身体を動かして揺れはじめた。高くなり低くなるティルトの音楽と一緒に口ずさみ、リズムを取りながら流れるように踊るちっちゃな魔女は、ノーヴァリンを見て、にっこりと笑った。

 とても楽しそうで、幸せそうだった。

 ノーヴァリンはいつしかその動きに見とれ、夢中になってティルトを演奏し続ける。褒められたり感心されたりすることはあっても、自分が出す音楽で、こんなにも楽しそうで幸せそうな顔をする人間を、今までに見たことがない。

 自分の何かが、自分以外の誰かを、楽しませたり喜ばせたり出来る。

 ……それは、これ以上なく幸福なことなのだ。

 そのことを、ノーヴァリンは生まれてはじめて知った。

 美しい音楽は、いつまでもやむことなく、流れるように夜空の下で響いていた。



          ***



 その後一年して、ノーヴァリンが想いを寄せていた姫君は、他の身分の高い男性と結婚した。

「結局ダメだったじゃないか!」

「これも運命にございますれば~」

「なに運命論にすり替えちゃってんだよ、無能魔女!」

「やかましいわこのヘタレ~」

「なんて?!」

 そんな風に、散々泣いたし、文句も言ったし、喧嘩もした。

 それでも案外早く立ち直ったノーヴァリンは、今も宮廷楽師をしながら、役立たずのその小さな魔女と、賑やかに楽しく暮らしている。

 音楽を奏で、歌ったり、踊ったり、笑ったり。

 もう、ノーヴァリンは、一人きりで孤独に夜空を眺めることもない。



 その国には、古来より、「魔女の種」 が存在する。

 願いを叶える、魔女の種。

 その種が、育てた人間の、心の奥にある 「本当の願い」 を叶えるということは、実はあまり知られていない。




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