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短編集  作者: 雨咲はな
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 真夏に、バーベキューなんてやるもんじゃない。

 というのが、私の感想である。

 そりゃね、周りを緑豊かな自然に囲まれて、近くにはさらさらと透き通った水の流れるいかにも涼しげな川なんかがあったりして、そういう場所のキャンプ場に若い男女が集まり、肉を焼いたり野菜を食べたりビールをガブガブ飲んだりするのは、とても楽しく気持ちの良いことでしょう。その点は、私だって異論はない。

 でも、その準備段階は、けっこう大変だ。

 ここはちゃんと管理人もいて施設も整った有料のキャンプ場なので、炭もコンロも鉄板も、ちゃんと用意されてある。自分たちで持ってくるものといったら食材くらいなので、初心者にだってすぐに始められるという手軽さだ。そういう意味では、本格アウトドア志向の人たちからしたら、ほんのお遊び程度にしか思えないだろう。

 でもねえ、本格的だろうとお遊びだろうと、やっぱり暑いものは暑いんですよ!

 用意されているのは場所と木炭であって、そこから火を起こすのは当然ながら利用者に任される。この火を起こす作業というのがもう、猛烈に暑い、というか熱い。

 ただでさえ、三十五度を超えた真夏日である。そんな中で、炭を崩したり広げたり、うちわで扇いだり炎を上がったりするのを見たりしていてごらんなさい。十分でもう汗だく、顔は真っ赤、頭からは湯気が出そうな状態だ。

 昔のマンガに出てくる泥棒みたいにタオルをほっかむりにして、サングラスをかけ、一心にバタバタとうちわで燃える炭を仰いでいる私の耳に、ぷっと噴き出す笑い声が聞こえてきた。



「すごい格好でやってるね」

 と言いながら、煉瓦で囲まれた大雑把な造りの炉の前に座り込んだ私の隣にやって来て、同じようにしゃがみ込んだのは、沢井という名前の若い男だった。

「煙で息苦しいんですよ」

 私は答えたが、タオルもサングラスも外したりはしない。うちわを動かす手を止めることもしない。大分、炭がいい感じになってきたところなのだ。ここで目を離して、今までの努力を無にするつもりはカケラもなかった。

「汗だくだよ。えーと、鞠乃ちゃん、だよね」

 沢井さんは傍に置いてあったもうひとつのうちわを手に取り、炭ではなく私をパタパタと扇いだ。いきなり名前呼びか、と私は思ったのだが、考えてみたら、紗也子は私を他のメンバーに紹介する時、「高校の頃からの友達の鞠乃」 としか言っていないのだ。そりゃあ、名前でしか呼べないに決まってる。

「俺が代わるから、休んでおいで。大体こんなこと、普通男がやる仕事なのに、なんで君みたいな女の子が一人でやってるの」

「他の人には他の人で、いろいろとやることがあるんですよ。それに、私、こういうの嫌いじゃないし。ほら、炭がだんだんいい感じに白くなってきたでしょ。これが今までの私の汗と涙の結晶だと思うと気分いいです」

 ほっかむりとサングラス姿の変な女が、ふふふ、と不気味な笑いを漏らしながら赤々と燃える炎をうっとり眺める姿をどう思ったのかは知らないが、沢井さんは 「バカなこと言ってないで、ほら休憩」 と私を押しのけるようにして追いやった。おのれ、火起こしの手柄を横取りするつもりか、と私は思ったが、渋々引き下がって炉から離れた。

 そこから離れた途端、涼しい風を感じた私は、ふう、と息をつきながら、ようやくタオルを取り除ける。顔に風が当たって気持ちいい。びっしりかいていた汗が、一気に引いていく。

 周囲に顔を巡らせると、少し離れた場所で、他の三人の男性陣と一緒にクーラーボックスを運びながら、きゃあきゃあと明るい声を出してはしゃぐ紗也子の姿が目に入った。

 長く伸ばした髪を今日は大きなシュシュでひとつに括って、いつもの清楚さとは少し雰囲気を変えている。Tシャツにジーンズという素っ気ない格好の私と違い、ショートパンツからすらりと伸びた脚は白くて細い。周りを取り巻く男の人たちの鼻の下が、一斉にでれりと伸びているのも納得だ。今日のメンツは私以外はすべて紗也子の会社の同僚なので、普段から、さぞかしちやほやとした扱いを受けているんだろうなあ、というのが簡単に推測できるような空気がそこにはあった。

「鞠ちゃんは、藤堂さんの高校の同級生だったんだってね」

「あ、そうです」

 沢井さんは、火起こしを続けながら、ちらっと私に目をやって問いかけた。藤堂は紗也子の姓である。まあ、紗也子は同僚なのだから姓で呼ぶのも仕方ないかもしれないが、私に対しては、「鞠乃ちゃん」 が、すでに 「鞠ちゃん」 になっている。けっこう軽薄な、いや、気さくな人柄であるらしい。

「俺たちはみんな同じ会社の人間だけど、君一人だけ、この中では部外者でしょ。気を遣って、居づらいんじゃない?」

 これはもしや、「なんでお前みたいなやつが入ってるんだ」 という意味の当てこすりなのか? と私は思ったが、沢井さんの整った顔には、純粋な疑問だけがあるように見える。なので私も、なるべく率直に答えることにした。

「なんでも、他に会社の女の人たちが二、三人メンバーになってたらしいんですけど、みんな直前になって都合が悪くなったり体調が悪くなったりしたそうですよ。それで残ったのが紗也子だけで、他に女の子がいないと寂しいし心細いからって、急遽私が呼ばれて加わることになったんです」

 私の説明に、沢井さんは驚いたように目を見開いた。

「そんな経緯だったの? 俺は、会社仲間でバーベキューやるから来いよ、とだけ言われてさ。もっと大勢来るもんだとばかり思ってたのに、実際来てみたら会社の女の子は藤堂さんだけだし、知らない女の子もいるしで、面喰らった。じゃあ、なおさら君にこんな仕事を押しつけるなんて、どうかしてる。無理に来てもらったようなもんなのに」

 沢井さんは少し憤慨したように、うちわを乱暴に動かした。そんな投げやりなやり方で、私が美しく燃やした炎を台無しにしないで欲しい、とそっちのほうがハラハラだ。

「私は楽しんでますから、気にしないでください」

「そうは見えないよ。あいつら、さっきから藤堂さんにまとわりついてるだけで、君のことはほったらかしだ」

 むっとした表情なのは、紗也子と一緒に楽しそうに騒いでいる男性たちへの嫉妬、というわけでもないようだ。本当に私のために怒ってくれているのか、と思うと、ちょっとこの人のことを見直した。

「沢井さんは、いい人なんですね。顔がいいわりに」

 私の褒め言葉に、沢井さんは戸惑ったらしい。

「え、ごめん。意味が判んないんだけど、その理屈」

「だって普通、顔がいい人は、性格は悪いものじゃないですか」

「普通……?」

 沢井さんは眉を寄せ、非常に疑わしそうな顔をした。そんな顔をしても、この人はやっぱりイケメンだ。もっと大幅に崩れていれば私の好みなのだが。惜しい。

 などと思っていた、その時、

「あっ、ごめんなさい、沢井さんにばっかりやらせちゃって。わたしもお手伝いしますねー」

 朗らかで甘えたような声が割って入った。見ると、紗也子が同僚男性たちを引き連れてこちらに駆け寄ってくる。よし、これでこっちはお役御免だな、と思い、私はタオルで汗を拭きながら、黙って踵を返し、その場を立ち去ることにした。

 願わくば、いかにもアウトドアには向いていなさそうなあの男たちが、私が苦労して起こした火を消してしまうことのないように、と思いながら。



 いざバーベキューが始まると、紗也子は実に甲斐甲斐しく働いた。

 自分はほとんど食べもせず、肉や野菜を次から次へと網で焼き、男性たちの紙皿にせっせと配って回している。このキャンプ場には現地集合ということになっていて、自分で車を運転してきた人が多いので、飲んでいるのはノンアルコールのビールのわけだが、残りが少なくなると、すかさず紗也子がさっと次の缶を手渡すという次第。マメだなあ、と私は感心しつつ、ぱくぱくと自分で取った肉を食べ、ごくごくと缶を消費していった。

「ちょっと鞠ちゃん、それ俺が食おうと思って目をつけてた肉なんだよ」

 と沢井さんに文句を言われても気にしない。

「なに言ってんですか。焼肉なんていうのは早い者勝ちに決まってるでしょうに。素早く取った者に食べる権利があるんです」

「だって俺、肉はよく焼けたやつが好みだからさ」

「そんな甘いこと言ってるから食いっぱぐれるんです。牛肉はレアで。野菜は半生。ビールは冷たいうちに。これが常識です」

「さっきから思ってたけど、君の常識はなんかおかしい」

 ぶうぶう文句を言い続ける沢井さんに、紗也子が笑って、「こっちのお肉はよく焼けてますからどうぞー」 とトングで挟んで皿に置いた。ああ、どうも、とぼそぼそ返事をする沢井さんの声は小さい。照れてるのかな、と私は思った。

 その後の紗也子は、他の男たちにはほどよく焼けた肉を、そして沢井さんにはちゃんと、しっかり火の通った肉を選んで差し出していた。そういう合間に、焼き肉のたれを洋服に飛ばしたりする間抜けな男に、にっこりと濡れ布巾を手渡したりする。まるで、目が四つくらいついているように、くるくると気を廻し、上手に世話を焼いていた。

 私はもちろん、誰にも肉を取ったりすることもせず、飲み物を勧めることもせず、一人でよく食べ、かつ、よく飲んだ。周りの男性からの視線がどんどん冷ややかになっていくことには気づいていたが、知らんぷりで通した。



 そうやってわいわいと焼いたり食べたり飲んだりしてから、「じゃあ、片づけますねー」 と紗也子が先陣を切った。

 汚れた紙皿や紙コップ、食べ残した肉や、空き缶の山なんかを、てきぱきと集め始める。満腹になっていささか動きの鈍い男性陣も渋々のように手伝うが、いかにもやる気がない。家でもこんなことやってないんだろうなあ、というのが丸わかりだ。

 何をどう片づけていいのかもよく判らないようで、ゴミを捨てに行く、という紗也子にいちいち二人くらいがくっついていったりする。非効率だねえ、と思いながら私はボーッと座ってその様子を眺めていたのだが、メンバーが全員その場を離れたところで立ち上がり、放置されていた汚れきった焼き網と鉄板を持って、水道場へと向かった。

 手を真っ黒にしてその二つを綺麗に洗い、管理室に返しに行って、ついでに管理人のおじさんとのんびり世間話をする。最近は網も鉄板も汚れたまま返しに来る非常識な若者が多くてさあー、と苦言を呈するおじさんに、信じられないですねえ、と私は調子よく相槌を打った。

 そうして戻ってみたら、紗也子と男性たちは、ぺちゃくちゃとお喋りしながら、まだゴミを集めている最中だった。あんたら今まで何やってたの? とひそかに呆れる。

 手を出してちゃっちゃとやってしまいたい衝動を抑え込み、私はいかにもぶらりと散歩をしてきた帰り、という風を装って、紗也子に声をかけた。

「こんなにたくさん人手があると、私、なんにもすることなくてヒマ。川で遊んできてもいいかなあ」

 その台詞に、こちらを向いた男たちは、明らかに、はあ? という顔をしたが、紗也子はまったく嫌な顔一つしないで可愛く笑った。

「うん、いいよー。あともうちょっとで終わるから」

 頷いて川に向かって歩き出した私の背中に、「……あの子、気が利かないね。女の子なのに」 というぼそっとした囁きがかかったが、私は聞こえないフリをした。



「おおー、魚がいる」

 浅い川にくるぶしまで浸かって、私は歓声を上げた。透明な水の中には、細くて小さい魚が早いスピードで流れるように泳いでいる。銀色っぽい体が、陽の光にきらきら反射して、輝いて見えた。

 手で捕まえようとしたものの、とても追いつけない。別に食べようってわけじゃないんだからさあ、と苦情を言い立てながら、私は夢中になって魚の群れを追った。

「楽しそうだねえ」

 突然かけられた声に、我に返って顔を上げると、川べりに沢井さんがニコニコしながら立っていた。あれ、と少し当惑し、バーベキュー場のほうに目をやる。そこからは、紗也子と他の男性たちが、まだ賑やかに話している声が聞こえてきた。

「あっちにいなくていいんですか」

 困ったように私が言うと、沢井さんは、うん? と不思議そうに首を傾げた。

「あっちはあんなにいるんだから、俺と君の二人が抜けたところで、特に問題ないんじゃない?」

「そういうことじゃなく……」

 もごもごと口の中で呟く。

「あのう、私に気を遣ってくれてるのなら、お構いなく。私は私で、楽しんでますから」

「俺はこっちにいるほうが楽しそうだからこっちに来たんだけど。それとも、魚獲りの邪魔になる?」

 沢井さんはくすくす笑った。本当に可笑しそうなその様子に、私はますます困惑してしまう。

「沢井さんは、あれですか。仲間外れになった子を見たら放っておけないという、今どき珍しい正義感の強いタイプだったりするんですか」

「俺、そういう男に見える? いや別に、そういうわけじゃなくてさ、ホントに君に興味があるから、もうちょっと話をしてみたいなと思ってるだけなんだけど。……っていうか、こういうことをまともに面と向かって言うのって、照れるね」

 沢井さんは本当に照れているみたいで、顔を少し赤くしている。私はものすごく奇妙な生物を見るかのように、首を捻った。

「沢井さんは変わってますね。イケメンなのに」

「俺は自分をイケメンだと思ったことはないけど、君の 『イケメン定義』 がどうなってるのか不思議でしょうがないよ」

「顔のいい男は、普通、もっと意地悪で図々しくて腹黒いもんじゃないですか」

「いやだから、その 『普通』 で括られる偏見はどこから来てるわけ?」

「私の今までの人生経験から」

「まだ二十数年しかない経験でしょ。じゃあその偏った人生経験を、少しは平衡に均す手伝いができるかな」

 ぽつりと言われ、は? と問い返すと、沢井さんはますます赤くなった。

「その、これが終わっても、また会って欲しいってことなんだけど。ゆっくりお互いを知っていけばいいし、とりあえず、ケータイ番号とメアドだけでも教えてもらえるかな。あ、言っておくけど、俺、誰にでもこういうこと言うやつじゃないからね」

「…………」

 ちょっと慌てた様子で弁解するように手を振る沢井さんを、私は複雑な気分で見やる。沢井さんが 「誰にでもこういうこと言うやつ」 であったなら、そもそも私は今この場にはいないのだ。

 視線を落とし、川の水を蹴った。

「……どうして、紗也子じゃないんですか」

 独り言のつもりで呟いたのだが、沢井さんの耳には届いてしまったようだ。彼はちらっとバーベキュー場のほうを振り返り、声を落とした。

「うん、彼女は可愛いし、気が利くし、社内でもすごく男たちに人気があるよ。でもさ、藤堂さんの友達である君の前でこんなことを言うのはいけないかもしれないけど、俺、ああいう子は、正直言って、苦手なんだ」

「苦手……」

 私はぼんやりと鸚鵡返しする。

「自分のことは後回しにしてでも、他人の面倒ばかりを見たがるタイプ、っていうのかな。藤堂さん、自分はほとんど食わずに、人の肉ばっかり焼いてたでしょ。肉でも酒でも、俺は自分の好きなように、自分のペースでやりたいほうだし、鞠ちゃんみたいに、なんでも旨そうにぱくぱくたくさん食べる女の子のほうが、見ていて楽しい。それに、俺、君が一人で汚れ仕事ばかりしてたの、知ってるし」

「…………」

 ううーん、と私は心の中で唸った。

 つまり、計算ミスだった、ということか。



 ──紗也子に、「ちっとも自分になびいてくれない沢井さんを落としたい」 と頼まれて、私がいいよと気軽に請け負ったのは、一週間ほど前のこと。

 この日に備えて、紗也子はいろいろと東奔西走して根回しし、策を張り巡らせ、着々と計画を立てていた。まったく健気なほどに。

 その友人のために、私はずっとズボラでガサツな女として、あえて引き立て役に徹していたのだ。まあ、半分以上は地だが、ちょっと悪ノリして、楽しんでいたことは否めない。「気の利かない女」 を演じるのは、それはそれで面白かった。

 しかしまさか、そのすべてが裏目に出てしまうとは。

 沢井さんの女性の好みについての、紗也子のリサーチが足りなかった。それが敗因の一つ。

 そしてもうひとつの計算ミスは。

 ……昔からイケメンなんてまったく興味がなく、そのために紗也子のこの計画にも選ばれた私が、顔はいいのに性格も悪くはない沢井さんに、すでに心惹かれてしまっている、ということだ。

「じゃあ……」

 と言いつつ自分のスマホを取り出した私に、沢井さんはホッとしたように笑った。

 その顔を見て、ごめん、と私は内心で紗也子に頭を下げて謝った。



         ***



 その後、私と沢井さんは、それなりの手順を踏んでから、付き合いはじめた。

 成り行きを知って、はじめのうちは怒り狂っていた紗也子だが、結局、イタリアンを奢ることで許してくれた。あまり根に持つタイプではないので、こういう時は本当に助かる。

 紗也子は、酒に酔うたび、もう二度と野外でバーベキューなんかしない、と気炎を上げる。




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