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神奈月短篇集(黄)

第44次口内防衛戦[第30師団より]

作者: 蒼崎 れい




 今年もこの時期がやってきたか。年に二回の定期検診。敵の偵察をやりすごす隠れ家と陣地の構築が急がれる。

 おっと、申し遅れた。私はミュータンス帝国軍、上顎部奥歯方面軍、第30師団の指揮官である。少し前までは最前線の第3師団に配属されていたのであるが、現在は春先の第43次防衛戦後に突如浮上してきた奥歯の整備を任されている。

 ただ、この歯は立地的に消失の危険を伴うのだが、大本営は陣地構築並びに居住区の整備命令を撤回する気はないようだ。全く、これだから上の連中ときたら……。

 だが、命令は命令だ。しっかりとこなさなければ。

 しかし、今年は歯を開発するのに必要な糖分が少なく、整備は難航している。急がねば、このままでは防備が不十分な状態で敵の攻撃に晒される事になってしまう。

「隊長!! た、大変です!!」

 いや、そう思っている間に、もうその時がきてしまったらしい。

 ふっ、第1次防衛戦から現役だった私も、ついに年貢の収め時かもしれん。

 だがそれはそれとして、部下にはきちんとさせねばならない。

「馬鹿者! 伝達事項は正確にとあれほど言っておいただろう!」

「す、すいません! しかし隊長! 偵察から連絡が、この歯の主が歯科医とやらに入っていくのを確認したと……」

「ふん、貴様の態度を見ればそれくらいわかる。第30師団全兵に命令する! 全部隊、第一次戦闘配備で待機! 非戦闘員は他の居住区へ移動しろ! この歯にとどまっていては、殲滅される可能性がある!」

 陣地構築を行っていた部隊は即座に武器を取り、居住区の整備をしていた職人達は続々と別の歯に避難して、居住区の更に下いあるシェルターへと入っていく。

 うむ、これでいい。死ぬのは我々、戦闘員だけで十分だ。

 戦闘部隊は作りかけの塹壕へと潜めさせた。

 連中の手管は全て把握している。まずは目視で陣地を偵察した後、エキスカや探針(たんしん)とかいう先の尖った器具で浅い塹壕を掘り返し、堅牢なトーチカを破壊してくる。

 全ては運任せ。だが、それも悪くない。辺りを満たすのは静寂とギリギリの緊張感が全てを支配する。

 これが初陣の新兵達はがたがたと震え、古参の者はただ息を殺してその時を待つ。

 私も、ずいぶんと長い時間残ったものだな。同期の者など、もはやほとんど残っていない。

 そしてついに、その時がやってきた。

 歯の持ち主たる人物の口が大きく開き、暗黒たるこの世界が禁断の光に照らされる。

 そして我々を殲滅せんとする先兵、索敵能力を倍増させるミラーと、全ての設備を破壊するエキスカが現れた。

 ──ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッ!!!!

 くそっ、だから塹壕はあれほど深くしろと言っておいたのに。

 手を抜いていた中層部隊の塹壕とプラークのトーチカがあっさり発見され、エキスカによって掘り返され、あるいは打ち砕かれた。

 たった一撃で、数万の同胞が散っていった。

 続いてフロスが歯の間に降下してく。くそ、歯の隙間は居住区の整備が終わるまで逃げ込むなとあれほど言っておいたのに。対応を誤った非戦闘員達が、次々と憎き糸にからめ取られていった。

 だが、これでひるんでいる暇はない。これはまだ、前哨戦でしかない。

 浅い塹壕とトーチカが軒並み破壊されつくした、これからが本番だ。

 水攻めによって、負傷した兵士達が次々と消えていき、いよいよやつが下りてくる。

「隊長! 電動ブラシとバキュームが!」

「しかも見ろ、ブラシに歯垢分解酵素(デキストラナーゼ)殺菌薬(クロルヘキシジン)の連中が!!」

 やはり来たか、歯垢分解酵素(デキストラナーゼ)殺菌薬(クロルヘキシジン)

 だが、若く精強揃いの第30師団を舐めてもらっては困る。

「薬用歯磨財空挺団だ! まずは塹壕に逃げ込んで、ブラシから身を守れ!!」

 大量の歯垢分解酵素(デキストラナーゼ)殺菌薬(クロルヘキシジン)を連れたブラシが、最前線の前歯に不時着して、我々の掃討を開始した。

 電動モーターがうなりを上げて回転し、その回転を利用して歯磨剤空挺団が方々に散っていく。

 しかもそれだけにとどまらず、ブラシは我々がせっかく構築した塹壕にもやすやすと潜り込んできた。

 毎度の事ながら、歯磨剤空挺団だけは手に負えない。

 歯垢分解酵素(デキストラナーゼ)は我々が構築した全ての構造物を破壊していき、殺菌薬(クロルヘキシジン)は文字通り殺菌弾によって同胞を撃ち殺していく。

「怯むな! アシッド弾をたっぷりお見舞いしてやれ!!」

 命令を受けた部下達が、手に持つ武器から酸化作用のあるアシッド弾を撃ちまくる。

 この日のために、少ない糖分をやりくりして作った弾丸の味、しっかり味わうがいい。

 だが、戦況は極めて不利だ。最奥のこの場所まではブラシはやって来れないようだが、目の前の歯まで部隊の降下とそれを支援可能としたのは、ひとえにブラシの力に他ならない。くそ、敵はなんて残虐な兵器を投入してくるのだ。

 負傷した者、捕らえられた者、または夢半ばで散っていった者達が、バキュームで吸われていく。貴様等の事、私は絶対に忘れんぞ。

 だが、戦力差は圧倒的。敵は最新の装備で雲霞の如く押し寄せてくるが、こちらは旧式の装備の上に寡兵ときている。

 アシッド弾に倒れていく空挺団よりも、殺菌弾に倒れていく同胞の方が多い。

 ここは、損耗の少ない我等第30師団が奮起せねば。

「歯磨剤空挺団を近付けるな! 我等、寡兵なれどその気高き魂、奴等に見せつけてやれ!」

 歯の表層を制圧した歯磨剤空挺団が、ついにこちらにも移ってきた。

 ちっ、やもうえん。こちらもアレを出すしかない。

「爆酸迫撃砲、用意!」

 乗り移ってくる歯磨剤空挺団を、前線の者達は水際でくい止めてくれている。

 一撃必中。頼もしい限りだ。圧倒的不利な戦況というのに、嬉しさで涙がにじんでくる。

「隊長! 爆酸迫撃砲、準備完了しました!」

「よし。奴等の頭上に、盛大な酸の雨を降らせてくれる。爆酸迫撃砲、第一隊、撃てぇぇえええええ!」

 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ!

 凄まじい爆発音の後、たっぷり酸の詰まった砲弾が撃ち出される。それらは歯磨剤空挺団の真上までくると、一斉に爆発した。

 砲弾からまき散らされる酸の雨をもろにくらい、歯磨剤空挺団の進軍速度が圧倒的に落ちた。

「今だ! 一兵たりとも、上陸させるな!」

 敵の動きが鈍ったところに、アシッド弾の一斉射が加わる。

 やらせはせん、歯磨剤空挺団どもに、やらせはせん!

 怒涛の勢いで火を噴くアシッド弾と爆酸迫撃砲の嵐。耳がおかしくなるほどの轟音が、戦場を支配する。

 よし、これなら、守りきれる。

 だが、戦況は我々に微笑んでくれる事はない。

「隊長! 敵の増援が……。その数、数百万から数千万、我々の兵力では到底防ぎ切れません!」

「仕方がない。戦線を引き下げ、遅滞工作を行う。各個、敵を牽制しつつ第二防衛戦まで順次後退せよ!」

 敵の力は確かに圧倒的だ。だが、それゆえに向こうにも弱点はある。

「この攻勢もすぐに終わる! 最後まであきらめず、持ちこたえろ!」

 そうだ。敵の攻撃は苛烈にして熾烈を極めるが、その活動時間は極めて限定的だ。

 もう少し持ちこたえられれば、バキュームによる回収や水攻めによって、歯磨剤空挺団は洗い流される。

 流れ弾の殺菌弾が、頭上を通り過ぎていく。増援を受けて、敵の進軍速度が上がったか。

「隊長! 敵が第三防衛線にまで現れました!」

「隊長、もう持ちません! 指示をください!」

「隊長!」

「隊長ぉおお!!」

 くそ、ここまでか。ここまでなのか。

 苦楽を共にした仲間が、また多く散ってしまった。

 それらの犠牲は、全て無駄だったとでも言うのか。

「ひゃっはー、バイ菌は殺菌だぁぁぁああああああああ!!」

 歯磨剤空挺団の乱暴な言葉がすぐ近くから聞こえてくる。

 もう終わりかもしれない。そう思った時だった。

「観測班より、連絡! 水が来ます!」

 来たか、ついに来たか!!

 待ちこがれていた時間が、ついにやって来た。

「全員、近くの構造物に隠れろ! 水が来るぞぉおおおお!!」

 その直後、圧倒的な水量が辺りを埋め尽くした。

 何人が今の命令を聞いていただろう。聞けなかった者達もいたに違いない。

 激しい水攻めが終わると、辺りは静寂に包まれていた。

 我々をあれほど苦しめていた悪辣な歯磨剤空挺団は、キレイさっぱり洗い流される。

「戦況を報告せよ」

「はい。最前線の前歯方面は精強な者が多く、被害は二割ほどにとどまりましたが、中層の部隊は七割方壊滅しました。そして、我々奥歯方面は、間の五割ほどが」

「……そこまでか」

 この報告を聞くのも、もう何度目だろう。時間制限付きだからまだ持ちこたえられてはいるが、これが長時間居座られていたらと思うとゾッとする。

「それと連中、カルシウムとフッ素で歯をコーティングしていきましたから、再開発にはまた時間がかかりそうです」

「そうか。わかった、下がっていいぞ」

 さて、まずは全軍の再編からやらねばなるまい。そちらは大本営が全て行ってくれるだろう。

 だがまず、残った兵士で仮設の居住区を整備しなければならない。

 しかし、その考えは甘かった。自体はまだ、収束してなどいなかったのだ。

 水ではない何かが、頭上から降り注いでくる。

 何なのだ、これはいったい。そう思っていた矢先、生き残っていた兵士がバタバタと倒れたのだ。

「あぐぅぅ、こ、これは……!?」

 私もまた、例外ではなかった。

「隊長、体が……」

「し、痺れて、動かない」

 ま、麻酔、だと?

 普段なら歯磨剤空挺団との戦闘が終われば、それで終了するはず。

 だが、麻酔が振りかけられているという事は、まだ戦闘が継続されている事を意味していた。

 そして私の真上に、絶望的な戦術兵器が姿を現した……。

「あれは、抜歯鉗子」

 特殊な形状の棒を二本くっつけたそれは、我々第30師団が防衛する歯をがっちりと固定し、あっけなく抜き去った。

 眼下には、遠ざかってゆく故郷の口内が…………。

 だから、大本営にはあれだけ提言したのに。親不知(おやしらず)を開発するのは、絶対に止めた方がいいって。

 はい、ちょうどタイムリーに11月13日に親不知(おやしらず)抜いてきたので、こんなの書いてみました。うん、全然笑えんなぁ。コメディでいいのかこれ、ちょっと心配になってきた。


 まあそれはそうとして、みなさん、歯磨きはちゃんとしましょうね。大変なことになりますから。私は今回親不知が虫歯になってしまったので抜いてもらいましたが、他の歯は大丈夫でした。だって、あそこまでブラシ届かないんだもん……。

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