手紙
「あー、なんか面白いことねえかなぁ……」
誰に言う訳でもなく、俺は退屈の息を漏らした。
返ってきたのは素っ気ないアキの返事だけ。
街路地に設置されたベンチに腰を掛け、存分にその姿勢を崩し大口を開けぼけーっと空を眺める。
その様は怠惰の一言だろう。
最近なにかとベンチに座っている気がする。
アキはといえば、行儀の良い姿勢で座り、好奇心旺盛な眼差しで夢の世界を観察している。
正直、お互い話すネタは尽きていた。
そうやってぼけーっと街並みを眺めていると、次第に俺たちの目の前の道路が少しずつ盛り上がり、坂道が出来上がった。
驚きはなかった。
単純に慣れてしまっていた。
半口を開けながらアキを見る。
アキはすまし顔で首を振った。
ふむ、じゃあまた迷い人か。
そう間を置かず、坂道を前によたよたと歩く人が見えた。
歳の頃は二十代前半だろうか、片側だけ前髪が長く、目に届きそうな髪はそこだけ金髪。
アシメ……だったっけか? ナウいヤングの髪型はよく分からない。
そんな髪型をしたイケイケな兄ちゃんは何を思ったか、いきなり坂道を全力で駆け上がり始めた。それも凄んごい速さで。
呆然と見つめる俺たち。
坂の頂上には売店があった。
それは店の外にカウンターがあり、まるで古き良き時代の煙草屋のような。
商店街に全く馴染めていないのがシュールでしょうがない。
「おばちゃん!ハンバーガーと芋焼酎、ロックで!」
カウンターを乗り出し、大声で注文する兄ちゃん。
さっと出されたハンバーガーを口にくわえペットボトルを受け取る。
中身は芋焼酎なのだろうか? ロックとはなんだったのか。
「おばちゃん! サンキューな!」そう言い残し、兄ちゃんはスーパーマンよろしく大空へと飛び去った。
形を保てくなくなったのか、砂が落ちるように坂や売店は崩れ、元の商店街へと形を戻す。
なんと言っていいものか……、意味不明だ。
「なんだかよく分からない夢見てるね。あの人」
呆気に取られた顔でアキは呟く。
口が空きっぱなしになってるぞ。アキだけに。
……えふん。
人の夢は意味不明だ。
勝手にステージに立ち、シナリオもクソもないストーリーを展開して、終われば勝手に消える。
唯一不変なのがこの世界で意思を持っている俺たちだけ。
その他はなんであろうが夢に巻き込まれ作り替えられてしまう。
「いや、むしろあれが普通なんだろう」
「むう、確かにそうかも」
……またも訪れる沈黙。
もっとバスケットボールみたいに弾む話題はないものかね。
この世界に来て無駄話は散々してきた。
それしか時間を潰す手立てが無かった、と言ったほうが正確かも。
アキが沈黙を苦とも思わない性格だから助かるが、俺は沈黙が苦手だ。不安になる。
なのでジョーク混じりに散々振ってきた話題でも出す。
俺のレパートリーってば本当に少ない。
「そういえばあっちはどんな感じ? 俺がいなくて女子たちがわーわー泣いてたりしない?」
「残念ながら普通……かな? なによりほら、夏休みだし」
アキは毎回違う返事をくれる。
俺の心情を知ってか知らずか。
「あー、そうか。そうだったっけな」
声のトーンが落ちたのが自分でも分かった。
全く実感の沸かない現実。
俺だけ蚊帳の外、ハブられたような疎外感。
「……いいなぁ夏休み」
十七歳の夏。高校二年の夏。
人生でいうところの最も楽しい華の時期だろう。
部活に励み仲間と共に汗を流したり、彼女を作って忘れられない思い出を作ったり。
友達と海に行ってビキニお姉さんを横目でチラ見したり、山に行ってキャンプってのもいいな。
清流のせせらぎ、野鳥のさえずり、木々の擦れる音を聞きながら、腕に止まったやぶ蚊を潰したり。
大自然を堪能しながらみんなでカレーを作って、夜には花火にキャンプファイヤー。
肝試しとかして、可愛い女の子に抱きつかれたりしちゃったり……むふふ。
嗚呼、素晴らしきかな青春。
かたや俺といえば病院のベットの上、いつ戻れるかも分からないまま夢の中で一人遊びときたもんだ。
贅沢は言わないから、せめて友達と一緒にプールくらい行きたかったなあ……。
ため息がこぼれる。そんなリア充は爆ぜて飛び散ってしまえばいいのです。
でも夢の中で夏休みを過ごすってのも、考え方によっちゃラッキーなのかもしれない。
まずないもんね、こんなこと。
……ん? あれ? でも待て、確かこの前……。
「……ニヤけたり落ち込んだり大変だねえ、春幸君は」
アキは満面の笑みを浮かべていた。俺には凄い悪い顔に見えた。
「えっ、いや、ごめん。考え事してた」
「へーえ? どうせ春幸君のことだから彼女を作って忘れられない思い出を作ったり、海に行ってビキニお姉さんを横目でチラ見したり、山に行ってキャンプとかしちゃって夜には肝試しとかして可愛い女の子に抱きつかれたり、とか考えてたんでしょう?」
!?
体を仰け反らせ、私いまとても驚いていますを表してアキを見る。
悪い顔がさらに悪く見えた。
「なんで分かんの!?」
「ん、声に出てたよ」
「……マジで?」
なにこれしにたい。
「あ、そうそう。海で思い出したけど、そういえば冬月さんと海行く約束してたね」
思い出したようにアキが言った。
「ふゆつき……?」
俺がふと出した疑問形な発言に対して、疑問的な顔で返されても困るんだけど秋広君。
それより誰だ、ふゆつきって。ふゆつき……はて?
……そうだ、冬月雪奈。
俺の幼馴染で小学校からずっと同じ学校、同じクラスだったじゃないか。家も近所で小学生のときには集団登校の班長を、中学生のときには文化委員長を俺に押しつけたあの雪奈じゃないか。
それを今のいままで忘れていたとは……、俺の前世は鳥類か何かだったのだろうか。
「――そういえばしてた……かも」
「……でも流石に、海には行けそうにないね」
またため息。
ひらめいた!
「そうだ! 雪奈をこっちに呼ぶってのはどうかな?」
身を乗り出しアキに攻め寄る。
「ここに? でも春幸、わかってると思うけど――」
そう言うとアキは少し視線を落とした。
まあ、言わんとすることは分かる。
「わかってる。自分の意思では自由に動けない、だろ?」
「うん」
そう、それが問題。
この世界で俺やアキみたいにちゃんと意識が定着しないと自由に動けない、さっきの金髪兄ちゃんみたいにはちゃめちゃな夢の展開に流され行動してしまう。
俺たちは意識があるけど、これはいつの間にかあって、具体的にどうすれば定着するのかは、未だ分からないままだ。
たまに道行く迷い人に話しかけたりもしたが、大抵は訳のわからない展開に巻き込まれ、散々な結果に終っていた。
「雪奈を夢に呼ぶ為に方法を考えよう! っても呼ぶだけなら簡単だけど……」
「んー……、具体的にどうすればいいんだろうね」
「あっ」
俺は不意に息を漏らした。
いつの間にか、俺たちの座っているベンチの前に制服姿の少女が立っていたからだ。
俺はちらっとアキを見る。
アキはまたふるふると首を横に振った。
その少女はぼけっと棒立ち、眠たそうな表情を作りこっくりこっくりと船をこいでいる。
状況だけ見れば間抜けにも思えるが、その姿は見惚れるほどに可憐だった。
制服の合間から見える雪のように白い肌、それに反するように真っ黒いさらさらなストレートの髪。
虚ろまぶたで半口空いているのが少し滑稽だが、華奢な顔立ちは深窓の令嬢を思わせる気品を漂わせている。
しかしそんな姿に騙されてはいけない。
俺の掘り起こされた記憶がこう告げる、こいつは鬼なのだ。悪魔なのだ。
「おい雪奈……、よだれ垂れてるぞ」
そう声をかけると「んんっ」と雪奈は身を震わせ、頬を赤らめ恍惚の笑みを浮かべた。
思わず息を飲む。
「もう食べられないよぉ……」
そう一言、雪奈は不敵にニヤけ始めた。
「なんてベタな夢を……」
ちょっとどきっとした自分が憎い。ってか夢の中で夢を見るなと。
「んー、やっぱり冬月さんもないっぽいね。意識」
ふふ、ふふと笑いながら横揺れしている深窓の令嬢。
そんなどう見ても危ない人を前に、至って冷静なアキ。
「スカートでもめくってやれば覚醒するんじゃね?」
刹那、俺の顔めがけ光速で雪奈の正拳が飛んできた。
完全に不意を突かれ、避けることもかなわず顔面でそれを受け止める俺。
「――ッ痛! な、何すんだおまえ、まだ何もしてないだろ!」
実際痛くはないんだが、まあノリで。 あ、でもちょっと痛いかも。やっぱ痛い! 夢なのに痛い!
「大丈夫? 春幸。 ってか『まだ』って……、するつもりだったの?」
「しねえよ、したらこうなるって分かってたからな。 ……しなくてもなったけども。 あー、いてえ。鼻はダメだろお前……。うわ、涙出てきた」
雪奈はアキのおしとやかさを少しは見習うべき。
「なあ、おい。聞いてんのか雪奈」
「ヤバ! 私今日塾だった! よっちんごめん、先帰るね」
「は?」
さっきまで虚ろだったとは思えないほどの真剣な表情でそう言うと、雪奈は走り出した。
「ちょ、おま、待て雪奈!」
俺の制止もなんのその、雪奈はあっという間に米粒大に。
なんなの? 走るの流行ってるの?
「うわー、早いねー。冬月さん」
楽しそうですね秋広君。
「追うぞ!」
俺たちは雪奈を追った。
走り去る景色はみるみる姿を変え、鮮明さの欠けた街路地はどこまでも続く。
それを気に止める余裕はない。
雪奈に全く追いつけない。早い、早すぎる。
もう米粒は針の穴ほどになってしまった。
まずい。このままでは見失ってしまう!
「おい、待てって! 雪奈! おーいってば」
俺の声など届くはずもなく、雪奈は全力疾走。
その走り方はオリンピック選手のそれだ。
「春幸! 乗って!」
「おお!? なんでバイク!?」
いつの間にかアキが、原付スクーターに乗って並走していた。
「お前、免許持ってたっけ!?」
「もち! 無免だよ!」
その立てた親指の意味を小一時間ほど問い詰めたい。
「あーもう、どうでもいいや!」
やけくそで原付に飛び乗る。シートが固い、乗り心地最悪。
でも、これならイケる。
「掴まって春幸! 飛ばすよぉ!!」
意気揚々とアクセルを全開に。
けたたましく鳴らされる排気音、オートでつくライトは獲物を見る鷹の目のそれだ。
しかし、秋広君楽しそうだなー。
「そんな馬鹿な、こっちは三十キロ出てるのに全然追いつけない!」
「なんでそこだけ現実的?」
どうせなら大型バイクにでも乗ってくれば良かったのに。
人間にみるみる引き離される。嗚呼、悲しかな原付。
雪奈の速度は軽く四十キロは出ているだろう。
人間の時速はジョギング程度で約時速十キロメートル、オリンピック短距離走の選手でも時速三十七キロ程度。それを軽く凌駕してみせる女子高生。
「モーリス・グリーンも卒倒するレベル」
「誰それ?」
「え? 短距離の選手……ってそんなことよりアキ、雪奈見えなくなっちゃうぞ! もっとスピード出ないのかよ!?」
「んー、・・・・・・仕方ない。使っちゃうか。チビユキ!」
「はい、なんでしょうか?」
「うわ! バイクが喋った!」
「あー、春幸。このバイクこの前見せた携帯なんだ」
あの卵かよ。どういう原理だよ。
なによりチビユキってなんだよ。チビユキってなんだよ。
「チビユキ、ニトロターボ!」
「おおー、ごしょもうとあらばー」
「いや、ちょと待て、ちょっと待って。いまニトロって言ったか?」
「大丈夫だよ春幸、ニトロなんて前時代的なものは使ってないから。ちょっと酸素送り込むだけさ。普通はそこまでの加速は出来ないけど、僕がチューニングを施したこのチビユキなら、軽く二百五十パーセントは加速するはずさ!」
よく分らないけど、とりあえず大丈夫ではないのは分かった。
「いっくよー!」
「待て、待ってやめてちょっとアキ、マジでおい!! ――ッうわああああああ」
冗談じゃないほどの加速、前輪が浮き上がり俺の心臓が大きくうなる。全身から汗が噴き出、車体に放り出されそうになり、必死にアキにしがみつく。
あかん、これはあかんて。
「あはははー! たーのしーいねーえ、はるゆきー!」
「マジでお前、後でグーで叩くからな。絶対叩くからな」
米粒だった雪奈にみるみる追いつく。メーターは振り切って何キロ出てるかも分からない。
具現化が完全に追い付けなくなった周囲は光をまとい、その光の道を俺達は突き進む。
「あと少し! でも冬月さんって足早かったんだね」
「限度ってもんがあると思うけどな。それにあっちじゃそこまで早くねえよ。 ッ!! おいアキ、前!!」
雪奈は慣性などまるで無いように急にピタリと止まった。
思わずアキは急ブレーキを掛ける。車体ははバランスを保てず、慣性にその身を任せ原付は横転。
そのまま電柱にぶつかり電柱をへし折った。
投げ出されるか、電柱と生死を掛けた激しいキスを交わすかと思ったが、俺とアキは何故かパラシュートをつけ宙に浮いていた。
事態を把握できず、ただ茫然とする俺。その横で狂ったように笑いこけるアキ。
「いやあ、あぶなかったね春幸。脱出装置付けてて正解だったよ」
あー、そう。後で振りかぶってグーパン決定な。
空のバカンスも十数秒で終わり、無事に転がるように着地。
足が震えて上手く立てない。
見まわすと、遠くにチビユキの無残に亡骸が転がっているのが見えた。
チビユキはすでに崩れて、光に消え始めていた。
雪奈は周囲を全く解せず、というか完全に無視。
何事もないように「ただいまー」と、雪奈は正面の家へと入って行った。
まあ当然っちゃ当然ですか。
それより塾とはなんだったのだろう?
「春幸、ここって・・・・・・?」
「雪奈の家だ。小さい頃よく来た。・・・・・・どうでもいいけど、ちょっと手貸してくれない? 腰抜けて立てない」
読んで頂きありがとうございます。誠感謝の極みです。
前話投稿から一ヶ月以上空けてしまいました、凄いね!
遅筆にもほどがあると自負しております。
PCのマザーとグラボが色々あってぶっ壊れて大変だった、と言い訳しておきます。
停電ダメ絶対!