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第八話 二人の邂逅

「アハハハハハ!!」

 私の報告を聞いたベアトリクス様は大笑いします。

 それはもう涙を流すほどの激しさ。

 私からすれば何故そこまで笑うのか理解出来ません。

「ん~、私も見てみたかったわね。キッカとやらが悩み苦しむ様を」

 そう思うのはベアトリクス様だけでしょう。

 直に伝えた私からすれば良心に激痛が走りましたよ。

 何が悲しくてあんな少女に死刑宣告を授けなければならないのか。

「しかし、さすがユウキね」

 私が物思いへ沈んでいる間にベアトリクス様は満足そうに微笑みます。

「何がですか?」

「分かっているくせにぃ」

 そう仰って私をツンとつつくベアトリクス様。

 正直イラっときましたが、一介のメイドである私では突っ込みはなど出来ないでしょう。

 なので私は軽く一礼して流します。

「はあ、つまらない」

 私の態度の何が気に入らなかったのかベアトリクス様はそうため息を吐いた後に。

「これがユウキなら遠慮なくきたわね」

 愚かしくも一国の王女であるベアトリクス様に身分を持たない者が出来るで――

「やると考えたわね」

 ベアトリクス様は私の思考をまたも読み取りました。

 ですから人の心を読まないで下さいと。

「なんか違うのよね、ユウキって」

 椅子に腰掛けて深く体を預けながらベアトリクス様は独白します。

「人であって人でない。例えるなら形や色こそ同じ人形だけど構成している材料が全然違う。そんな感じよ」

 どうやらベアトリクス様でさえカザクラ様の正体を掴みきれていない様子。

 そしてついには。

「駄目だわ、情報が少なすぎる」

 首を振って匙を投げました。

「ベアトリクス様でも不明なことでもあるのですか」

「まあね、私は神でないのだから」

 神でなく悪魔ですからね。

 と、私は心の中で言葉を添えると。

「王女を悪魔と考えるなんて……全裸で王宮を散歩したいのかしら?」

 はあ……もう良いです。

 ベアトリクス様の嫌がらせにも慣れました。

 なのでここは下手に逆らわず。

「何のことですか?」

 シラを切り通すことにしましょう。

「フフフ、残念」

 この切り返しが正解だったのでしょう。

 ベアトリクス様はそう微笑むだけで終わってくれました。

「さて、本当にユウキは興味深いわね」

 肩を揺らしながら呟くベアトリクス様は続けて。

「己を犠牲にしてまでも守りたかったものをアッサリと捨て去らせた。面白い面白い」

 何か褒美を取らせないとね。

 ベアトリクス様は人差し指を口に当て、暫く考えた後に。

「キッカ達がいた“ラード”の店長にでもしましょうかしら」

「……」

 そんなものを貰って誰が喜ぶのですか。

「あら、大丈夫よ。そこは摘発の対象外にするから」

「そういう問題ではないのですが」

 ペドフィリア専門の店なんて私でもお断りです。

「素直に永年上級市民の身分を授けましょう」

 それが最も無難です。

「ん~、それだとつまらないのよね」

 しかし、ベアトリクス様はご不満な様子です。

「何かこう、アクセントみたいのがほしいのよ。ありきたりではなく、『やられた』と頭を抱えるような」

 ベアトリクス様は褒美を何だと考えているのですか?

 相変わらずのベアトリクス様の思考に私は内心頭を振ります。

「エルファ、何か良い案はない?」

 結局私に任せますか。

 まあ、良いでしょう。

 カザクラ様もベアトリクス様も納得させる物でも贈りましょうか。

「ベアトリクス様、この様な案は如何ですか?」

「アハハハハハ! それは良いわね」

 私の提示したものはベアトリクス様も喜んでくれたみたいです。



「あんの極悪王女がああああ!!」

 早朝

 俺は天に届けとばかりに叫ぶ。

「何が褒賞だ! 嫌がらせの間違いだろう!」

 キッカ達を連れて宿へ戻ってきた俺に待ち構えていたのはあのエルファさんだった。

「お分かりでしょうが、王宮前の騎士の会話は芝居です」

 そんな前置きの後、キッカ達――特にアイラからの憎悪を平然と受け流しながら今回の事の経緯を伝えた。

 そして渡された目録。

 その内容は永年上級市民であることを証明する身分証と家、そして従者二人。

 身分証は良いだろう。

 これは有難く貰っておく。

 家もまだ許容範囲。

 郊外にあるちょっとした屋敷の家。

 何故か土地から調度品まで全て俺の名義で借金したことになっており、抗議したが無表情の仮面で却下されてしまった。

 だが、それ以上に従者二人は頂けない。

 あれは駄目だ。

 従者は姉弟の二人で、確か姉がメアリーだったか。

 元王宮のメイドということで少しは期待していたものの、実際この目で見てビックリ。

 一言で表すとダルマ。

 妊娠でもしているのではと錯覚してしまうほど突き出た腹を持ちさらに常時三重あご、頷くと四重あごになってしまう弛みきった顔。

 そしてそれ以上に豆の様に小さな瞳に涙を浮かべながら愚痴を吐いてくるのは気が滅入ったな。

「ううう……どうして私がこんな目に会うのでしょうか?」

 知らねえよ。

 というかそれは俺が発したい台詞だぞ?

 しかも弟のルートは歩くことすら出来ない病人だし。

 青息吐息で生気のない表情のまま絶望の色を瞳に浮かべている様子はメアリーよりしんどい。

「僕のせいで姉さんが……本当に死にたいよ」

 じゃあ死ねよ。

 そんな負のオーラを撒き散らすぐらいなら今すぐ死んでくれ。

 と、俺はどんなに言いたかったことだか。

 断っておくが、俺は別に醜い容姿だろうが病人だろうがあまり気にしない。

 だが、周りを落ち込ませる空気を発するのは止めてくれ。

 今日もまた朝食が準備されていなかったので、ルートの部屋へ向かうと、案の定二人でメソメソと泣いていた。

 俺は即刻解雇しかったのだが、エルファさんの悪魔の言葉。

「解雇しても構いませんがその場合、住居等の借金の利息は十日で五割になりますよ?」

 ふざけんなよ。

 勝手に送りつけておいて何がトゴだ。

 俺は一言も家が欲しいと言った覚えは無いと逆らったが。

「これで大分譲歩したのですよ。本来ならカザクラ様はさらに“ラード”で店長を務めないといけなかったのですから」

 俺が絶句しているのを他所にエルファさんは言葉を重ねて。

「ちなみに拒否すれば身分はおろか、このシマール国から追放します」

 つまり本来なら市民という身分が欲しければ違法店の店長をやれというわけか。

 もはや言葉にするまい。

 一体何を食っていたらここまで人を貶めることが出来るのか聞きたい。

 ベアトリクス=シマール=インフィニティとエルファ=ララフルの二人。

 悪名高いこの二人は確かに常人と比べ、一味も二味も違っていた。

「……ユウキ、朝から煩い」

「ああ、ユキか。もしかして起こしてしまったか?」

「……うん」

 俺の問いかけに頷くユキ。

 ボサボサの髪と寝ぼけ眼から先程まで寝ていたのだろう。

「悪い、済まなかった」

 例えどんなに虫の居所が悪くとも、他人に迷惑をかけて良い道理は無いので俺は素直に謝る。

「……ユウキの苛立ちは分かる」

 ぼんやりとした表情のままユキは続ける。

「……けど、彼女達の心情も汲み取ってあげて」

 聞くところによるとあの二人は王家の戯れとして利用されていたらしい。

 二人からすれば必死に頑張ってきたが、弄ばれ挙句の果てにはゴミ屑のように捨てられてしまえば茫然自失となるのも仕方ないだろう。

 なら、少しは大目に見てやるか。

「一週間だな」

 俺は期限を口にする。

「一週間は何も言わない。だが、それを過ぎても何も変わらなければ俺は遠慮なく二人を放り出す」

 これが俺の許せる最大限の譲歩。

 さすがに何時までも無駄飯を食らわせたく無いからな。

「……うん、それで良い」

 ユキは俺の提案に賛同し。

「……あの二人ならその期間でユウキ色に染められる」

 という謎の言葉を残した。

 俺色って何だ?

「……ところで」

 ユキがそう発した後に、彼女のお腹が鳴ったので。

「朝食はまだだぞ」

 俺はルートの部屋を指し示しながら答える。

「メアリーが立ち直るまでお預けだ」

 従者なのだからメアリーが作るべきだろう。

 だから俺は作らんぞ。

「……ユウキ、いつものように作って」

「嫌だ、メアリーに言え」

 俺はそうつっけんどんに断るのだが。

「……うるうる」

「……………………分かったよ」

 ユキの視線に耐え切れず、俺はキッチンへと向かう。

「ユキのそれは反則だろう」

 保存していたパンと肉、そして取れたての卵を調理しながら俺はそう文句を垂れた。


「あ、おはよう」

 料理の盛り付け段階に入った頃にクロスが顔を出す。

 僅かに顔が蒸気している様子から朝練をしていたのだろう。

「相変わらずクロスはマメだな」

 俺の記憶にある中でクロスが朝練を欠かした試しがない。

 その習慣に俺は感嘆の息を上げると。

「僕は騎士だからね。毎日鍛錬が必要なんだよ」

「あいつらに聞かせてやりたい台詞だな」

 俺はあの警備隊の騎士どもを思い浮かべながらそう漏らした。

「確認しておくが」

 朝食を並べながら俺は切り出す。

「キッカは三日後ここを発つそうだ」

「うん、キッカは国家犯罪者の娘だから」

 先日

 メタロス家は正式に国史抹消となった。

 誤解しないでほしいのが、これはキッカが約束を破ったからでなく国の意向によるものである。

 メタロス家の残党がリーザリオ帝国と共謀し、国家転覆を狙っていたと発表され、三日後その処刑が行われる。

 本当にメタロス家はリーザリオ帝国と繋がっていたのか。

 判断材料が国の発表しかない俺に真実かどうかなど分かるはずもなかった。

 まあ、事の真実は置いておいて。 

「やはりキッカに付いていくのか?」

 俺は前々から気になっていたことを尋ねると。

「……うん」

「そうなるね」

 俺の問いにユキとクロスは迷いもなく頷いた。

「やはりそうなるか」

 俺は大きく息を吐く。

 本音としてはユキまたはクロスのどちらか一人でも残って欲しいと思うものの、昔ながらの付き合いである四人を引き離すのは得策でないだろう。

 後ろ髪を引かれる思いであるが、ここは快く送り出すことが最善だな。

「装備を新調しておいた」

 沈黙を打ち破って俺はそう口にする。

「他にもポーションなど薬に加え、路銀もいくらか用意する」

「ユウキ、本当にご--」

「謝らなくて良い」

 クロスの言葉を遮った俺は強い口調で言い放った後。

「……俺が勝手にそうするだけだ」

 ポツリと付け加えた。

「うん」

 俺の心境が伝わったのかクロスは目を伏せる。

 俺は何か言葉を発するべきか悩んだが、結局良い話題が思い浮かばずに沈黙したまま。

 朝日が差し込み明るい様相なのに、今の俺にはちっとも気分が晴れなかった。

 まあ、唯一救いだったのが。

「……ぐー」

 朝食を食べ終えたユキは眠くなったのかすやすやと寝息を立てていたことだな。

 俺もクロスも共々に癒された。


「おはようございます」

 クロスが寝入ったユキを抱いて部屋へ戻った数分後に礼儀正しい挨拶がリビングに響く。

「アイラか、おはよう」

 俺は紅茶を飲みながら返答する。

 階段から降りてくるアイラはいつも通りの黒装束と黒酢巾で身を固めていた。

「アイラ、キッカの分の朝食はキッチンにある。いつも通り持って行ってくれ」

 キッカはあの日以来塞ぎ込みがちになり、部屋から出て行こうとしない。

 なので食事など身の回りの世話はアイラに任せており、こうしてキッカの分を取りに降りていた。

「アイラも飲むか?」

 俺は湯気の立つカップを持ち上げながら尋ねるが。

「いえ、結構です」

 アイラは首を振って断る。

「そっか、それは残念」

 俺がアイラのつれない返事に苦笑するのは、これが住居不定の時から続いている流れだから。

 アイラは習慣なのか他人から出された飲食物には一切手を付けない。

 しかし、キッカ達からのなら受け取り、食していたので俺もその様な仲になりたいと日々アプローチをかけていた。

「結局、無理だったか」

 アイラが旅立つ直前になっても心を開いてくれなかったのを見た俺は少し後悔が残る。

「が、まあ。全てが思い通りにいくはずもないか」

 挨拶は返してくれるようになったんだ。

 ひとまずそこで満足しよう。

「どうしました?」

「ああ、すまない。独り言だ」

 どうやら口に出していたらしい。

 この話題を続けるのも気恥ずかしかったので俺は別の事柄を口にする。

「そういえばアイラの素顔を見たことが無かったな」

「そうでしたっけ?」

「ああ、そのはず。アイラもその記憶がないだろ」

「ふむ……言われてみれば確かにその通り。で? それがどうかしました?」

「いや、何でもない。ただ気になっただけだ」

 本当は話題を逸らしたかっただけだがな。

 まあ、何にせよアイラの関心を他所に向けられたから良しとしようか。

「気になりますか?」

 が、アイラはこの話題を引っ張る。

「まあ、気になるかと問われれば頷くしかないな」

 俺はアイラの真意が分からないまでもアイラの素顔に興味があったので素直に答えると。

「なら、この頭巾を外しましょうか」

 呆気なくアイラは素顔を覆っている被り物を取り払った。

 そして現れたアイラ自身を見た俺の感想といえば。

「……」

 カップを落としたことも気付かず、ただ見つめるだけだった。

 もしエルフがいるのだとすれば、間違いなくアイラがそれに属するだろう。

 彫りの深い顔立ちに細い切れ目の瞳からは何を考えているのか想像もつかない。

 髪の色こそ金でなく藍色なものの、逆に言えばそれ以外はエルフとーー雰囲気や佇まいも含めて同一だった。

「さて、と」

 落としたカップを拾い、テーブルを手早く拭いた俺はそそくさと立ち上がる。

「アイラは早いところキッカの分を持って行ってくれ。俺はメアリーとルートの分を運んで来る」

 俺はアイラに背を向けながらメアリーとルート二人分の食事の準備をする。

「感想を仰ってほしいのですが」

 アイラの言葉が聞こえた気がするが空耳だと思うことにする。

 早いところ持っていかないと冷めてしまうからな。

 ルートは病人なので消化の良い麦粥と果物。

 メアリーは俺達が食べたメニューと同じだが、量がクロスより多い。その訳は突然減らして体が飢餓状態だと錯覚させないため。

 無理して痩せさせてリバウンドでもされたら堪らないからな。

 ……まあ、メアリーは俺の真意が分からず泣き喚くが。

「その瓶は何ですか?」

「ああ、これか」

 アイラの質問に俺は振り向かず、それを振りながら。

「これは俺が調合した美容液。顔や体に出来た吹き出物を落とす作用がある」

 この時代はまだ科学が発達していないのか、迷信が横行しているので俺が作ることになった。

 何が満月の夜に摘んだ草に効果があるのか。

 あんなものに高い金を出している婦人を見る度にそんなことを考えたものだ。

「それは素晴らしいですね」

「アイラには必要ないと思うけどな」

 その陶器のような白く滑らかな肌には不要だろう。

 そうして俺は準備を終えて運ぼうとしたが。

「……ユウキ様。こちらを向いて下さい」

「頭巾は被ったか?」

「いえ」

「じゃあ駄ーー」

 俺は最後まで続けることができなかったのは突然羽交い締めにされたから。

「止めろ! 離せ!」

 俺は抵抗するのだがアイラは応じようとしないどころが俺の耳元に唇を寄せて。

「ユウキ様、もしかして緊張していらっしゃるのですか」

「っ!」

「図星ですね」

 俺は思わず息を呑んでしまい、アイラに真意が漏れる。

「フフフ、ではその緊張を解いてあげましょう」

 その言葉と共にアイラは俺を抑えていた手をずらすが。

「って、アイラ! どこを触ろうとしている!?」

 アイラの右手が俺の下腹部へと移動し始めたので俺は焦る。

 しかも左手はガッチリと俺を拘束したままだ。

「大丈夫です、力を抜いて安心して任せて下さい」

「任せるわけが無いだろう!」

 普段の平坦な調子と違い、艶のある声音に俺は思わず怒鳴り返す。

「っていうかアイラは玄人なのか!? 妙に慣れているぞ!」

 痛すぎず弱すぎずという絶妙な手の動きといい、子供が知っているテクニックではない。

 そんな考えを察知したのかアイラは更に言葉を続けて。

「私が習った心得の中に房中術というのがありまして」

「一体何を教えているんだ!?」

 幼少時にそんな技など知る必要はない!

「まあ、当初は先生もまだ早すぎると難色を示していましたが、私が説得しました」

「何故わざわざ教えを請う!?」

「関心があったのです。そう、私にとって数少ない興味の一つですね」

「だああああああ!! もう!」

 俺は訳が分からなくなって吠える。

 何だ?

 一体何が起こっている?

 何故俺はあのアイラから襲われているんだ?

 初対面からのギャップに俺は混乱の極みに達していた。

「この際ですから暴露しますと」

 アイラは微かに声のトーンを上げて。

「ユウキ様の計らいによって私達は情事をせずに済み、キッカ様達を始め皆様は喜んでいましたが私としては試す機会が失われ、少々残念だったのですよ」

「そんなの知りたく無かった!」

 突然のカミングアウトに俺は叫ぶがアイラは気にしない。

 そして最後にこう言い残した。

「さて、ユウキ様は精通を済ませてあるのか。調べさせてもらいますよ」

「だからそんなことはしなくていいと! おい、聞いて……アッーー」


「ううっ」

 身も心も汚された俺は肩を落としながらキッカの部屋へと向かう。

 俺の手にはキッカの分の朝食。

 本来ならアイラが持っていくはずだったのだが、今日に限っては俺に任せてきた。

「キッカ様と話してあげて下さい」

 放心状態だったのをいい事に、問答無用で押し付けてきたのを覚えている。

 そう沈んでる内に辿り着く扉の前。

 このめそめそしている状態ではキッカに不安を与えてしまい、逆に心配がられてしまうだろう。

「気分を切り替えるか」

 俺はそう呟くと同時に一つの決意をする。

 今後、アイラと二人きりには絶対になるまい。

 そう決め込むと俺の心はだいぶ楽になった。

 コンコンコン

「キッカ、いるか?」

 俺はノックを三回した後にそう尋ねる。

「……」

 が、返ってくるのは無言。

 もう一度ノックをしても返事が返ってくることはなかった。

「キッカ、入るぞ」

 このままでは埒が明かないと判断した俺はドアノブに手をかけて開ける。

 元々鍵のついていない仕様の屋敷であり、引き戸だったこともあってドアはすんなりと開いた。

「中々の放心状態だな」

 部屋に足を踏み入れ、中とキッカの様子を確認した俺は苦笑する。

 部屋はアイラがこまめに掃除しているためか清潔感が保たれており、キッカ自身も汚れた様子ではない。

 この辺はアイラに感謝だな。

 もし部屋もぐちゃぐちゃでキッカ自身も乱れきっていれば俺は途方にくれていたかもしれない。

 まあ、でも喜ぶべきところはそこしかないんだよな。

 キッカはその赤い髪と瞳の色に映える真っ赤なワンピースに身を通し、靴も小奇麗なローヒールを履いている。

 が、肝心のキッカはベッドに腰掛け、魂が抜けたようにぼんやりと虚空を見つめている様子から、まるで等身大のキッカの人形がいるように見えてしまう。

 これがあのキッカなのか。

 そこにいるだけでヒリヒリとした何かを発し、灼熱の如く熱い闘志を辺りに撒き散らしていたキッカとは似ても似つかなかった。

「ほら、食事だ」

 いつまでも戸口に立っているわけにもいかないので俺は中へ入ってキッカの前に持ってくる。

 スプーンとフォークも目に見える位置にあったので俺はキッカがそれを取るだろうと予想していたが。

「あーん」

「……一体何の真似だ?」

 キッカは手を動かさず、口を開けたので俺は面食らってしまった。

 これは食べ物を口に運べという意思表示か?

 少し待っていてもキッカは何も言わずに口を開けていることから、俺の考えは間違いでないだろう。

 まさかキッカにご飯を口に運んでやる日がこようとは。

 複雑な思いに顔を顰めながら俺はパンを小さく切ってキッカの口へ運んでやった。

 三十分ぐらいかけて食事を終えたキッカはまた元のように黙り込む。

 ふと、俺はここで思うところがあったので試してみることにした。

「キッカ、右手を上げろ」

 するとキッカはのろのろとした動作で右手を上げる。

「立ち上がれ」

 言われたとおりに立ち上がる。

「座れ」

 その言葉と同時にキッカは元の場所へと腰を下ろした。

「……これは相当重症だな」

 容器を手早く纏めながら俺はキッカの容態を憂う。

 何というか、今のキッカには意思というものがない。

 ただ、人から言われたとおり動こうとする、人形そのものだった。

「よくこれで旅に出ようと言い出しーー」

 俺は呆れ声を出そうとして止める。

 思えば俺はアイラからそう伝え聞いただけであってキッカから直接言われた覚えはない。

 アイラが暴走したのかと勘繰ったが、アイラは今のキッカは時間を置くと、どんどん駄目になっていくと判断したのだろう。

 その決断が正しいのか否かはわからないが最もキッカと共にいるアイラがしたことだ。

 俺がとやかく言う権利などあるはずもないな。

「まあ、それにしても」

 相変わらずボーッとしているキッカを見やりながら俺は呟く。

 今は人に命令されないと動くこともないキッカだが、それでも部屋やキッカ自身は清潔感を保っている。

 アイラの性格上、ユキやクロスの助力を断り、一人で全てを行ってきたのだろう。

 ここまでくれば立ち直らせることもアイラ自身がやりたかったに決まっている。

 しかし、それを放棄してまでーーしかもユキやクロスでもなく俺に助けを求めたアイラ。

 あそこまで過激なアプローチを仕掛けてきたのは一種の照れ隠しなのかもしれない。

「アイラ……」

 そんな忸怩たる様子を全く見せなかったアイラの姿勢に俺は素直に尊敬した。

「けど、まあ」

 このままキッカを見つめていても仕方ない。

 せっかくアイラから任されたんだ。

 期待には応えてやるべきだろう。

 そう決めた俺はキッカの後ろに回って抱き抱え、そっと手を合わせた。

 キッカの手のぬくもりを感じながら俺はその体勢を維持する。

 窓の向こうには昼が過ぎ、夕焼けが見えて夜の帳が下りようとも俺は何も言わないし何もしない。

 ただ、キッカが何か話すまでずっとそうしているつもりだった。

 そして夜が白み始めた頃。

「……乾いた」

 微かだが、確実にキッカの唇が動く。

「どうしたんだ?」

 俺はゆっくりと安心させるように言葉を紡ぐ。

 するとキッカは前よりハッキリとした口調で。

「のどが渇いたわ。お水を頂戴」

 ようやく。

 ようやくキッカが自分から要望を口にしてくれた。

「ああ、分かった」

 俺は内心喜びながら頷いた。


「……私って何なのかしら」

 水を飲み終えたキッカはそう切り出す。

「アイラ達を巻き込んだのに家は国史抹消され、挙句の果てには尻尾を巻いて逃げ出すなんて……アハハ、私って最悪ね」

 別にキッカが悪いわけではないだろう。

 どれだけ渇望しても、血の涙を流そうとも変えられないものは存在する。

 何の身分も持たないキッカ達が奮闘しようとも国の決定には逆らえないし、ただの人である俺に元の世界へ戻る術など知りようもない。

「過去のことは忘れたほうが良い」

 俺は無難な言葉を口にする。

「起こってしまったものは消せるわけがない。だからその後どうするかを真剣に模索するべきだろう」

 そう、俺はこの世界へ飛ばされてしまったのだから、元の世界のことを懐かしむより如何にこの世界で生きていくのか考えた方がずっと建設的だ。

「あんたは何でそう簡単に割り切れるの?」

「? おかしいのか?」

 キッカの問いかけに俺は首を傾げると、彼女は呆れ調子で。

「当たり前よ。あんたって本気で落ち込んでいたかと思えば次の瞬間には笑っているし。見ている方が心配してしまうわ」

 そうだったのか。

 俺はそれが普通だと考えていたが、それをキッカから見れば異常だと映るらしい。

「治した方が良いのか?」

 性格異常者だと思われたくなかった俺はそう尋ねるが、キッカは首を振って否定しながら。

「いえ、むしろその方が良いわ」

 と、簡潔に言葉を紡いで。

「一つの物事に執着しすぎると私のようになるし」

 最後にそう自嘲したので俺は首を振る。

「今回は運が悪かっただけだ、だから気にする必要はない」

 不器用な人間のほうが長生きするし、皆から慕われる。

 何せ変わらないということはそれだけで信頼に値するからな。

「その証拠に周りを見てみろ。アイラ、ユキそしてクロスはそれでもキッカについていこうとしているぞ」

「うん、本当にもったいないぐらいね」

「あ――、いや、違うだろう」

 キッカの言葉に俺はうっかり賛同してしまいそうになってしまった。

「あーあ、これからどうしようか」

 幸いにもキッカは気づかなかったのか背伸びをして息を吐き出す。

「傭兵団として何をするのか。ただ生きるためっていうのは虚し過ぎない?」

 確かにキッカはメタロス家の再興を願って心血を注いできた。

 そのためには命も辞さずという姿勢を貫いてきたキッカにとって生存のために生きるのはやり甲斐を感じないのだろう。

「ふむ……」

 そんなキッカを見ながら俺は考える。

 この際だから話しても構わないかな。

 この世界に飛ばされてから考え続けてきたこと。

 この世界での地位を確立するために俺の中には一つの案がある。

 そしてそれを話せばキッカも発奮してくれるだろう。

「なあキッカ。俺には一つの目的があるんだ」

「それってあんたがいた“日本”という国の常識を広めること?」

「いずれは広めるだろうが、その前にやっておかなければならないことがある」

 と、ここで俺は一つ深呼吸をして口を開いた。

「俺は近いうち、“ジグサリアス”に行く」

「ジグサリアスって……あの魔物が出る場所のこと?」

「ああ、そうだ」

 この世界の人々は魔物をこの目で見ずに命を終えることが一般的である。

 騎士でさえその例外でないことから如何に魔物が希少なのか知れるが、それでも魔物はいる。

 そしてその魔物と遭遇する数少ない場所がシマール国の東端にあるジグサール地方。

 森林がうっそうと生い茂る未開の地であるジグサール地方は魔物が跋扈していた。

「あんた、どうしてそんな辺鄙なところ行くの?」

 まあ、キッカからすれば信じられないだろうな。

 王都であるカリギュラスを離れてまで行くべき場所でない。

 一定の地位を確保しているのを蹴って危険な場所へ赴こうとしているのか分からないのだろうな。

「可能性があるからだ」

 千年後の世界の姿を知っている俺からすればカリギュラスよりもあそこに住むべきだ。

 なぜならジグサリアスは千年後でさえ残っている都市だから。

「そこで俺は生きたい」

 ここでいう“生きる”とは俺の正義を証明すること。

 すなわち奴隷など身分制度のなく、人が人として生きることが出来る場所を作り上げたい。

 そう考えると、廃墟となるカリギュラスに居座るよりかは千年後存続しているジグサリアスでやるべきだろう。

「が、今はまだ力が足りない」

 金も人もない現在の俺がそこへ向かったところで先住者の強者から搾取され、捨てられて終わり。

 カリギュラスの支配者とまではいかなくとも実力者と一目置かれるまでここにいるつもりだ。

「生きていくには力が必要……その言葉の意味がよく分かったよ」

 今回の件で如何に力が重要なのか痛感した。

 日本では本当に守られていたんだな。

 今更感謝しても遅いが、それでも懐かしんでしまった。

「ユウキ」

「ん? どうした?」

 俺が過去の郷愁に浸っていると横から声がかけられる。

「お願いがあるのだけど、聞いてもらえないかな?」

 キッカの様子から並々ならぬ様子でないことは見て取れる。

「あ、ああ。良いぞ」

 その気迫に押されながらも頷くと、キッカは以前よりさらに気迫を纏わせて。

「もし……もしあんたがジグサリアスへ移住した時、私を雇いなさい」

 有無を言わせぬ口調。

「あんたはいずれ大物になる。あのジジイも言っていたけど、ユウキ=カザクラは凡庸で終わるわけがないわ」

「買い被りすぎだ。俺はそこまて優れた人物ではなーー」

「いいえ」

 俺の言葉を一言で却下したキッカは続けて。

「切り替えの早さに加え、目的を達成するまで耐える忍耐力も持っている。そして何よりその相手の心を開かせる何かがあるのよ」

 そう言われてもピンとこない俺がいる。

 別に俺は狙ったわけでもなく、ただそうしたいからしただけだ。

 それ以上でもそれ以下でもない。

「そうよ、そうすれば良いのよ。それならメタロス家の復活も夢ではなくなるわ」

 そんなことを考えている間にキッカは俺から目を離し、うわ言のように呟く。

「そしてゆくゆくは王を護る第一の騎士。ああ、何て素晴らしいのかしら」

「……」

 キッカの変わり身の早さに正直俺はドン引きだったが、心の何処かで今のキッカに安堵している。

 この一見不可能なことに勇んで挑戦しようとする姿勢がキッカそのもの。

 とりあえず今は元のキッカに戻ったことを素直に喜ぼうか。

「まあ、いつかそうなったら良いな」

 俺は天井を見上げながらそう呟くと。

「いつかなったら、じゃない。必ずなるのよ」

 キッカらしい答えが返ってきた。



「ふう」

 誰もいないリビングで俺は一息吐く。

 キッカ達はすでに旅立った後でメアリーとルートは部屋に閉じ篭っているので、実質俺一人だった。

「キッカは王都から出奔したかな」

 時刻は午後二時を差している。

 キッカやユキ達の両親や先生方の公開処刑が正午に行われることを鑑みると、すでに王都を出ているだろう。

「お父様とお母様を見届けるわ」

 旅立つ直前、キッカはそう宣言していた。

 キッカの性格上、目に留まらせるために必ず何かをしでかす。

 しかし、具体的に何をするかは教えてくれなかった。

「ユウキに迷惑を掛けるわけにはいかないからよ」

 その言葉からとんでもないことをやるつもりなのだろう。

 俺は今日仕事が溜まっているので動くわけにはいかないので、明日街に出た際の楽しみにしておこうか。

 コンコンコンコン

「ん?」

 明日の街中はキッカ達の話で持ち切りになっていることを想像し、思わず笑みが零れたと同時にノックされる。

 来客なんて珍しい。

 こんな時間帯に俺を訪ねてくるのは一体誰なのかと興味を持ち、確認しようと立ち上がった瞬間ドアが開く。

 そして現れた人物は。

「お久しぶりですカザクラ様」

 礼儀正しく頭を下げるメイドのエルファさんと。

「御機嫌よう、ユウキ」

「……ベアトリクス=シマール=インフィニティ」

 シマール国王女。

 銀色の髪と瞳を持ち、儚い雰囲気を身に纏わしている彼女が目の前に立っていた。


「カザクラ様、ポットとカップはどこにあるでしょうか?」

 来客室にベアトリクスが腰掛けるや否やそうエルファさんが尋ねてきたので、俺はキッチンにある左側の棚の上から三段目だ、と答える。

 お茶を沸かしている最中なのでエルファさんはいない。

 つまり俺はベアトリクスと相対して座っていた。

「お久しぶりというべきかしら」

 膝の上で手を組んだベアトリクスはニコニコと笑いながら口火を切る。

「あの出来事からもう四ヶ月。本当に月日が経つのは早いものね」

「それは俺も同感」

 俺は肩を竦めながら答える。

「明日の安全をどう確保しようかもがいている内に四ヶ月が過ぎたな」

「ウフフ、一国の王女に向かってその口の聞き方とか、その舌を引っこ抜かれたいの?」

 ベアトリクスは続けて。

「昨日、死刑囚の舌を切り取って目の前で焼き、それを食したら罪を軽くすると言ったところ、食べている最中の表情はとても愉快で、そのまま保存したかったから思わずその場で殺しちゃった。さて、ユウキ。あなたはその死刑囚以上の素敵な顔を見せてくれるのかしら?」

 いきなりそれか。

 まあ、予想していたとはいえ王女であるベアトリクスにタメ口は不味かったか。

「嫌なら口調を変えようか? インフィニティ様」

 しかし、あの残虐非道で有名なベアトリクスに弱みを見せることは断固避けたかったので俺は挑発気味にそう言い返すと。

「いえ、ここは非公式の場だから別に構わないわ」

 予想通り、ベアトリクスは御免だとばかりに手を振った。

「フフフ、さすがユウキね。フランクに接されたのは国内だとあなたが最初よ」

「それは褒め言葉か?」

 言い換えれば俺ほど無礼な奴と出会ったことはないと捉えることも出来るが。

 しかし、その心配は杞憂に終わり、ベアトリクスはさらに笑みを深めて両手を天に伸ばしながら。

「ええ、もちろん。私は心の底から嬉しいわね」

 本人は喜びを表現しているつもりだろうが、見ている側からすると芝居がかってわざとらしいので不快な印象しか抱かない。

「で、今日は何の用だ?」

 これ以上ベアトリクスの茶番に付き合うのは御免だったので俺は用件を尋ねる。

「断っておくがキッカ達はもう戻ってこないぞ」

「ええ、それは知っているわ。あれだけの騒ぎを起こしておきながら街中に滞在なんて並の神経じゃ出来ないわね」

 一体キッカは何をやらかしたのか。

 ますます気になった。

「メタロスの子供達が何をやったのか知りたいみたいね」

 その通りだとばかりに頷く俺にベアトリクスは己の銀の髪を弄りながら。

「まあ、それは追々話すにしても」

 その時エルファさんが湯気の立てたポットとマグカップ、そしてお菓子を盆に載せて持ってきた。

「お茶です」

 そしてエルファさんは完璧な所作でテーブルにそれらを並べていく。

「今はお茶にしましょう」

 ベアトリクスの言葉に異論が無かった俺は迷いもなく頷いた。


「どうかしら、本場のメイドによるお茶は?」

「美味しいな」

 これは冗談抜きでそう思う。

 薄すぎず、渋すぎずと砂糖を入れていないにも関わらず紅茶が美味しいというのは初めての感覚である。

「エルファは私のお気に入りだからね。これぐらい当然よ」

「恐縮です」

 ベアトリクスの褒め言葉に対し、エルファさんは頭上のカチューシャを揺らすことなく一礼した。

「言っておくけどあげないわよ。エルファは絶対に手放さないのだから」

 そしてエルファさんの手を握って自分の方向へ引っ張るベアトリクス。

 ベアトリクスに引っ張られたエルファさんは一瞬だけ目を見張った。

「ベアトリクス様、お戯れが過ぎます」

「エルファったら照れているのね」

 コホンと咳払いをしたエルファさんはそう断るもベアトリクスは全く持って聞く耳を持っていない。

 それを察したエルファさんはため息を一つ付いた後にお説教を再開しようとしたが。

「で、キッカ達は何をやらかした?」

 これ以上ベアトリクスとエルファさんのじゃれ合いを続けさせるのは嫌だったため、強引に話題を打ち切った。

「んもう、せっかちねえ」

「いいから早く本題に入れ」

 ベアトリクスは大げさにしなを作って悲しみを表現するも俺からすればウザいことこの上なかったのでそう言い切ると。

「さすがユウキ。私は今の様な言葉が欲しいのよ」

 何故かベアトリクスの好感度を上げる結果に終わった。

「さて、メタロス家のことだけど」

 ベアトリクスはそう前置きして話し始める。

「結論から言うとメタロスの当主やその妻、そして付き従っていたミドガルド家やマルフェイス家、そしてサードワイズ家の面々は殺されたわね」

「……そうか」

 結局キッカ達は騒動を起こすも何も出来なかったか。

 その無情な現実に俺は黄昏ていると。

「ユウキ、最後まで聞きなさい」

 ベアトリクスがそう窘めてきた。

「私は『殺された』と、言ったの。処刑されたわけではないわ」

「ん? どういうことだ?」

 ベアトリクスの言葉の真意が分からずそう聞き返すと、彼女は面白くて仕方ないとばかりににんまりと笑って。

「それがね、刑を執行する直前に突然竜が現れて受刑者全員をボウガンで打ち貫いたの。処刑前に殺されたから騎士団長であるキルマーク兄様の面目丸つぶれ。ああ、あの時の兄様の怒り様は本当に面白かったわ」

 白馬に乗った王子様を想像するかの様にうっとりとするベアトリクス。

 血の分けた兄の不幸を喜ぶ妹の姿に俺は多少嫌悪を覚えつつも、俺が関心を持っているのはそこでない。

 何故キッカ達は自らの手で両親を殺したのかだ。

「一般的に名誉を重んじる者にとって絞首刑は恥辱です。しかし、槍や矢などで殺される分には名誉となります」

 俺の疑問を感じ取ったのか、ベアトリクスの後ろで佇んでいたエルファさんがそう補足してくれた。

 よく分からないが、騎士や貴族は体に何かしら傷が残る殺され方が望まれるらしい。

 この辺りは現代人である俺に分かるはずが無いな。

 そうしている間にベアトリクスはテンションが元に戻ったのか丁寧な口調で。

「そして犯人は竜に乗って逃亡。今頃所属の竜騎士が必死になって追いかけているけどあの分じゃ絶対に捕まえられないでしょうね」

 それは吉報である。

 俺にとって最大の不安事項はキッカ達の身の安全だったのだが、事なきに終わってやれやれだ。

「まあ、一つ目の要件はこれで終わり」

 そうベアトリクスは締め括り。

「次が二つ目よ」

 その言葉に反応したエルファさんがスッとテーブルの上に一枚の紙を置いた。

 一見すると何の変哲もない紙だが、それを持ってくる際にエルファさんが手袋をしていたことから、必ず何かあるだろう。

「これは魔力に反応する紙よ」

 ベアトリクスは続ける。

「知っている通り、これは紙を摘まんだ者の魔力にって色が変わる。さあ、ユウキ、この紙を握りなさい」

 一辺二十センチの正方形のその紙。

 摘まむのは簡単だが、あの役場でのおじさんの言葉が呼び起こされる。

 あの言葉が真実なら俺はそれを握るべきでないだろうと考えるが。

「ユウキ、あなたを白を出したのでしょう」

 それより先にベアトリクスが先手を打つ。

 どうして知っているのかと俺は片眉を上げるとベアトリクスは笑いながら。

「役人も人の子。職務怠慢の罰としてその役人の娘に全身入れ墨を施してあげたら泣きながら真実を語ってくれたわよ」

 その時の様相をベアトリクスは面白くて仕方ないとばかりに唇の端を吊り上げた。

「……お前は」

 俺は一度しか会っていないおじさんの顔を思い浮かべる。

 最愛の娘を傷者にされた親はどんな心境なのか想像するだけで怖気が走る。

「良いわねその表情。私は大好きよ」

 が、ベアトリクスは俺の怒りを心底楽しんでいるように思えた。

「まあ、良い」

 まだ怒りが収まらないものの、俺はこの感情を一旦封印する。

 ベアトリクスが悪魔なのは分かり切っていることだ。

 それを責めてもベアトリクスは何も感じないだろう。

「で、俺はその紙を掴めばいいのか」

「ええ、その通りよ」

 俺の問いかけにベアトリクスが頷いたので出された紙を掴む。

「何も変わらないわね」

 やはりというかその紙は全く変化が起こらなかった。

「やっぱりやっぱり。面白いわあ」

 クツクツクツと肩を揺らしながらベアトリクスは目を細める。

「純白の白なんて私は初めて見たわね。やはりあなたは“別”よ。将来必ず大物になるわ」

 でもね。と、ベアトリクスは続けて。

「発展途上ね」

 ベアトリクスの手が触れている部分からどす黒く染められていき、ついには俺の指先寸前まで真っ黒となった。

「ユウキ、あなたはまだまだ未完成。今のままじゃあ権力の中枢に巣くう魑魅魍魎に食われてお終いよ」

「別に俺は権力が欲しいわけではないのだが」

 俺は本心からそう伝えるのだが、ベアトリクスは甘いとばかりに首を振って。

「無理無理。あなたがあなたであり続ける限り周りが放っておかない。必ず権力者があなたの前に立ち塞がるでしょうね……けど、それを防ぐ方法が一つあるわよ」

「言っておくが俺は諦めるつもりなど毛頭ないぞ」

「フフフ、そう。良かったわ」

 何が面白いのかベアトリクスはニコニコと微笑む。

「さて、ユウキの意志も確認できたことだから私はもう戻るわ」

 これ以上滞在していると騒ぎが大きくなるからね。

 と、ベアトリクスは続けた。

 エルファさんを伴い、ベアトリクスは腰を上げる。

「玄関まで送ろうか」

 俺はそう言って立ち上がろうとしたが、ベアトリクスは必要ないと言わんばかりに手を振る。

「……ベアトリクス、一つ聞いて良いか?」

 来客室から出て行く直前、俺は問う。

「先のキッカに伝えた約束はベアトリクスの独断か?」

 その問いかけにベアトリクスは足を止めて首だけ俺の方に向ける。

「残念ね、私じゃない。フォルター兄様よ」

 と、そんなことを言ってきた。

「……そうか」

 俺はベアトリクスの答えに大きく息を吐き出す。

「そうか、ベアトリクス」

 俺は瞑目した後ゆっくりとした口調で。

「お前は嘘を吐くことに何の躊躇いも良心の呵責も無いことが分かった」

 …………

 ビシリと空気がひび割れた。

 意外だったのはベアトリクスだけでなくエルファさんも硬直していることだな。

 二分、三分と誰も動かない沈黙の時間が続く。

 この止まった時間を動かせようと俺は口を開いて何事か呟こうとした矢先。

「アハハハハハハハハ!」

 突然ベアトリクスが狂ったように笑い始めた。

「アハハハハハハ! ユウキ! あなたって本当に面白いわ!」

 腹を抱え、涙を流すほど笑いながらベアトリクスは哄笑し続ける。

 そして一しきり笑ったベアトリクスは眼尻を拭って息を整えた後、体を俺に向けて。

「ユウキ、早く私の場所まで来なさい。そしてこの退屈な世界を動かして頂戴ね」

 クックックとベアトリクスはまだ笑いが収まらないのか肩を揺らす。

「それでは失礼します」

 そしてベアトリクスが出て行った後、エルファさんが扉を閉めた。

「……ふう」

 ようやく訪れた静寂の時に俺は体の力が抜ける。

「さすがベアトリクス、格が違う」

 あんな人物に始めて出会った。

 人の不幸を何より好む快楽主義者は存在していることは知っていたが、実際に出会うと怖気が全身に走る。

「これから先、ベアトリクスと同じタイプと関わり合うことになるのか」

 正直尻尾を巻いて逃げたくなるが、それは許されない。

 俺は俺のためにも日本での常識をこの世界に定着させる。

 それが俺の生きる目標。

 突然この異世界に飛ばされ、虚飾や見栄が剥ぎ取られた末に残った感情。

 これが潰える時俺は死ぬだろう。

 俺は死にたくない。

 そう、だからこそ。

「俺は絶対に負けない!」

 たった一人、誰もいない空間で俺は高らかに宣言した。

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