第六話 報酬はでかい
「うう……」
「あらあら、何を泣いているのメアリー?」
ベアトリクス様は優しく一人のメイドに語りかけますが、私を含む他のメイドは恐怖で目を見開いています。
ベアトリクス様はトントンと皿を叩きながら。
「ほら、まだステーキが残っているじゃない。この脂タップリの特別製はメアリーのために作ったから残しちゃ 駄目よ」
脂ギトギトのステーキ十枚を並べておきながらそんなセリフは無いでしょう。
メアリーの胃はすでに何も受け付けないのか顔を真っ青にさせながら泣いて懇願します。
「もう……許して下さい」
「許す? 何を許すというの? 詳しく教えてほしいわあ」
「それは……」
ベアトリクス様の問いにメアリーは目を伏せます。
メアリーに答えられる訳が無いでしょう。
メアリーはベアトリクス様お付きのメイドであるにも関わらず、フォルター宰相と繋がっていたのですから。
しかし、彼女も彼女なりの理由があります。
彼女には病弱な弟がおり、その治療には高額なお金が掛かるそうです。
そこをフォルター宰相が彼女にベアトリクス様の身辺状況を自分に伝えるよう取り引きをしました。
まあ、それは良いでしょう。
シマール国はユーカリア大陸において三大国家の一角なのですから、例え身内であろうとも骨肉の争いを行うのは当然のこと。
現にベアトリクス様もフォルター宰相やキルマーク騎士団長の身辺を探っています。
だからメアリーを責めますまい。
ただ、メアリーは知らなさ過ぎた。
幼い頃から王国の闇で生き残ってきたベアトリクス様からすれば、王国に仕官して数カ月というメアリーの不審な動きに気付かない訳がないでしょう。
ベアトリクス様は全てを承知です。
そして、その上でこのように遊んでいるのです。
しかし、それでも……
「沈黙するということはまだ食べたいということね。ほら、デザートのチョコレートケーキワンホール。味わって食べてね」
この満面の笑みを浮かべるベアトリクス様に些か恐怖を覚えてしまいます。
そしてテーブルの前に置かれるチョコレートと生クリームタップリのケーキ。
「本当に、本当に許して下さい。もう私に着れる服が無いんです」
「だからメアリー、あなたは何を言っているのか私には分からないのよ」
メアリーはベアトリクス様の虐めによって体重が三倍となり、顔も吹き出物で一杯の醜女と成り果てました。
外見も重要視される城内ゆえに、城を歩くメアリーを見る兵や役人の目はまるで汚物を眺めるが如き冷たい視線です。
同じ女としてメアリーと同じ状況になったと想像するだけで全身の血が凍り付きます。
絶対にベアトリクス様には逆らうまい。
それが私達メイド全員が共通している思いでしょう。
「……」
ケーキの前に立ちすくむメアリー。
もはや手遅れとはいえ、これ以上体重を増やす様な真似をしたく無い様です。
そんなメアリーの葛藤を楽しげに眺めているベアトリクス様は大仰にため息をつきながら。
「はあ……仕方ないわねえ。いいわ、もう食べなくても良いからどこかに行きなさい」
「っ!」
ベアトリクス様がしっしと手を振るジェスチャーをしたのを見たメアリーは息を呑みます。
まあ、それはそうでしょう。
もしベアトリクス様からそっぽを向かれればフォルター宰相の依頼を果たせなくなります。
それはつまりメアリーの弟に薬が与えられないということ。
自分と弟の命。
その天秤にメアリーは多少逡巡したものの、すぐに意を決してケーキを喰らい始めました。
「アハハハハハハ! それで良いのよメアリー」
泣きながらケーキを食すメアリーとそれを見て高笑いするベアトリクス様。
選ぶことが出来る強者と選べない弱者がそこにいました。
余談ながらフォルター宰相はメアリーとの約束を守る気はサラサラなく、弟に与えている薬は只の小麦粉です。
そして、それを含めて私達全員は承知です。
つまり何も知らないのはメアリーのみ。
どうして私達がメアリーに知らせないのかと言いますと、もし話せば伝えた本人を除く私達全員がメアリーと同じ目に会います。
私達は基本的に衣食住が共であり、職場も同じであることからそれがどんなに恐ろしいことか理解出来るでしょう。
呼吸をするかの如くえげつない行為ができるベアトリクス様は高笑いした後に私達を見回し、目でこう訴えました。
“他人事じゃないわよ”
ええ、そうでしょうとも。
悪魔の権化であるベアトリクス様を敵に回そうだなんて誰も考えていませんよ。
「あ~、面白かった」
メアリーが全てを食べ終え、そして泣き崩れるのを見たベアトリクス様は立ち上がります。
「散歩でもしようかしら。エルファ、着いて来なさい」
一通りの余興を終えたベアトリクス様は上機嫌で私を呼びます。
ベアトリクス様に指名された私は目の前の惨劇によって恐怖で慄く陣列から抜け出て後についていきます。
ベアトリクス様のお伴をする分には問題ないのですが、そろそろお勉強の時間なのです。
しかし……
「新しいおもちゃはまだ来ないの」
「いえ、ベアトリクス様の指南役を引き受ける者はまだ見つかっていません」
教師は全てベアトリクス様によって壊されてしまったので姫は独学で勉強することを余儀なくされました。
「あーあ、早い所来ないかしらねえ」
そして弄られ、弄ばれてノイローゼとなり休職を余儀なくされた者を増やすおつもりですね。
ベアトリクス様の言葉に私は心の中で突っ込みを入れました。
ベアトリクス様に付き従い、王宮を歩く道中。
「ベアトリクス様だ」
「あのエルファもいるぞ」
「エルファってあの冷酷なメイドか?」
「ああ、噂によると眉一つ動かさず警備騎士隊長のギードに溶けた硬貨を顔に流したとか」
「他にもメアリーとかいうメイドに対する虐めを見ても唯一無表情を保っているメイドだそうだぞ」
等、言いたい放題言ってくれますね。
本人達は聞こえていないとお思いでしょうが、特殊な訓練を受けた私にはまるで耳元で話していると同じです。
それに私だって感情はあるのですが。
怒りや恐怖など腕を鈍らせる感情を抑える訓練を受けて来たので、表に出にくいだけです。
まあ、ベアトリクス様の言動は容易に許容量を上回りますけどね。
「エルファ、あなたも有名人ね」
「……彼等の陰口が聞こえているのですか?」
段々と遠ざかっていく彼等はすでに拳ほどの大きさです。
悪口という性質上、声を潜めますので聞き取るのは至難のはずですが。
そんな疑問を浮かべる中、ベアトリクス様は軽く首を振って。
「いいえ。ただ、彼等の視線や表情から噂しているのは私でなくエルファだと推測しただけよ」
……このようにとんでもないことを言います。
果たしてベアトリクス様を上回る輩など現れるのでしょうか。
フォルター宰相やキルマーク騎士団長がベアトリクス様に優っているのは立場や権力によってのみ。
同じフィールドに立てば必ず勝つでしょう。
まあ、可能性のありそうなのが。
「ユウキのことを考えていたわね」
……ですからどうして私の考えが読めるのですか。
自信がなくなります。
「まあ、私を愉しませてくれそうなのがユウキだけだから、エルファの推測も間違ってはいないのよね」
私の落ち込みを他所にベアトリクス様はお構い無しに話をそこまで進めた後、クルリと回ります。
「最近、面白い物を見つけたのよ」
その瞳に邪悪な光を宿しながら。
「キッカ=バロットイック=メタロス」
天上の鐘の如き美声で。
「竜を従えて有頂天となった愚か者に立場というものを分からせてあげましょう」
こうなればベアトリクス様は止まらないでしょう。
これまでの経験から今のベアトリクス様に何を言っても無駄ですね。
「畏まりました」
なので私は恭しく一礼しました。
椅子に座った俺は机に積まれた羊皮紙の束を見る。
「早い所仕事を片付けないとな」
キッカがギールを従えてから一ヶ月。
キッカは勿論のこと、隣にいた俺の存在も注目を集めていた。
もし俺に逆らえば竜に乗ったキッカが報復に来る。
そんな話題が広まったせいか、俺から功績を奪った職人と大作家は泡を食って俺に得た利益を返しに来た。
俺としては金が戻ってきた以上に、誰かに自分の功績を横取りされる心配が無くなったことの方が大きい。
正しい努力を正しく評価してくれる。
そんな当たり前のことに喜びを噛み締めながら、俺はこの世界には無い商品の開発を行っていた。
「……どうやら戻ってきたようだな」
気配を感じた俺は思考を打ち切って顔を上げる。
数週間キッカ達と接してきたせいか最近は気配だけでその存在を察することができる。
姿が見えなくとも人の存在を感ずる。
漫画の世界だけだと笑っていたことが可能となるとは思わなかったな。
「……ただいま」
「おかえり、ユキ」
俺は両手を広げて待ち構えていると、案の定ユキが飛び込んでくる。
「……疲れた」
言葉少なくそう述べたユキはそのまま俺の胸で丸くなった。
「やれやれ」
本気でそのまま寝入りそうなユキの様子に苦笑する俺。
キッカ達四人の中でマスコットの位置を占めているユキは、あどけない容姿からこう甘えられても嫌味を感じない。
むしろ愛しいと感じてしまう。
「……ん」
試しにその金色の髪を撫でると嬉しそうに声を出すユキ、この柔らかい髪を撫でるごとに俺は幸せを感じる。
もうそろそろ他の三人も戻ってくるだろう。
この状態を、特にキッカに見つかれば後が煩かったのでユキを離そうとするが。
「……もう少し」
ユキはその小さな両手で俺の衣服を握り締めているため解くことが出来なかった。
「はいはい、分かったよ」
俺は苦笑しながら座り直す。
いやあ、本当にユキは可愛いな。
ユキを抱いていると気分がほんわかしてくる。
今、俺にとってこのユキの甘えが俺の心の安定を保たせていた。
「ただいま、ユウキ」
「ああ、クロスか。おかえり」
クロスの挨拶に我に返る俺はユキを抱いていない方の手を上げて。
「イエイ」
そしてハイタッチを交わす。
これがクロス式の挨拶。
こういったのがクロスのお気に入りらしいので俺とクロスはよく手や体を叩き合う。
まあ、クロスの力は強いので合わせた箇所がしばらくはヒリヒリと痛むことが悩みどころかな。
「いやあ、本当に参ったよ」
「ん? 何が?」
完全に寝入ったユキをベッドに運んだ後にクロスがそうぼやく。
「キッカが何かやらかしたのか?」
「アハハ、そんなんじゃないよ」
俺の冗談にクロスは手を振って否定する。
「今日の野党退治なんだけど、騎士団と野盗が共謀して僕達に攻撃を仕掛けてきたんだ」
サラリと述べる重大な出来事に俺は硬直する。
「よく生き残れたな」
野党と騎士団との繋がり。
絶体絶命という窮地からよくぞ生還できたと感嘆する俺にクロスは首を振りながら。
「ギールのおかげかな。彼が暴れてくれたから何とか事なきを得たよ」
「へえ、ギールが」
「うん、ギールの攻撃に怯んでいる隙にユキが魔法を完成させ、一気に形勢を逆転したよ」
ユキの魔法によって野盗は一撃で全滅させたらしい。
俺の腕の中で寝息を立てているユキがそんな大量虐殺を起こすなんて想像もつかないが、クロスは嘘を言わないことから本当のことなのだろう。
「ユキ……」
俺は様々な感情を押しこめてそうユキの頭を撫でると同時に。
「ほら、見てほしいな」
その言葉と共に鋼の大剣の刀身を見せる。
「今回はだいぶ人を斬っちゃたからね。研がないと切れが無くなってしまうよ」
「うわあ、これは酷いな」
渡された武器の鞘を引き、中の様子に顔を顰める俺。
赤黒くコーティングされた剣は所々に皹が入っている。
断っておくがこれは鋼鉄である。
最硬とされるの鋼をここまで磨耗させるには相当なことをしなければならないが。
「また鎧ごと両断したのか?」
「うん、そう」
人体を真っ二つにするという大事を成し遂げたクロスはあっけらかんと認めた後、困ったように頬を掻きながら。
「僕って剣を握ると性格が変わるんだよね。こう、血を見るのが大好きになるというか」
「ああ、そうですかい」
クロスは普段温厚だが、剣を握ると性格が豹変すると聞いている。
ユキ曰く、凶戦士。
獰猛な笑みを浮かべ、持ち前の膂力のまま敵を血祭りに上げることから、四、五体ほど敵を葬ると向こうは戦意が消失するらしい。
ちなみにその状態のクロスは自分のことを俺と呼んでいるとか。
「アイラも無事だったようだな」
俺は安堵の吐息を吐く。
アイラはその教育のせいかキッカが危なくなれば躊躇いもせず己の身を差し出す癖がある。
キッカ以外はどうでも良いといわんばかりの態度に当初は嫌悪を感じていたものの、アイラの域までいくと感動すら覚える。
……キッカがおねしょをした際、それをアイラが自分がしましたと無表情で言い放ったときには絶句以外の何者でもなかった。
キッカが死んでやると叫びながら窓から外へ飛び降りようとし、それをクロスが必死に止めていたのは良い思い出。
ちなみにユキは騒々しい中でも関わらずまだ寝ていた。
「おーい、アイラ。天井裏から入らずにドアから入れ」
「……」
天井のふたが開き、アイラが軽い音を立てて着地する。
「また察知されてしまいましたか」
「いや、そんなに悔しそうな顔をされてもな」
傍目には全然変化が無いが、その声音からアイラが内心歯噛みしたい心境であることを察知できる。
俺が四人の気配を感じるようになってからか、どうもアイラは俺に存在を察知されたくないらしく俺から身を隠そうとしている。
あまりに面倒くさかったので一度わざと見逃すと平坦な声音で詰められた。
アイラは本当に十二歳の子供か?
命の危険さえ感じたぞ。
「次は負けません」
アイラは言葉少なくそう言い残して定位置である部屋の隅に移動して目を閉じる。
「大分人間の感情が出てきたな」
競争心でも向上心でもアイラが人間らしい感情を持ってくれて嬉しいと思う俺だった。
さて、お待ちかねのオオトリ。
歩く核弾頭ことキッカ。
その小さな体に苛烈な闘志を宿らせるキッカがすぐそこまで迫っていた。
そして……
「あー! もう! イライラする!」
ドアを吹き飛ばすかのような勢いで入室したキッカは開口一番そう叫ぶ。
「何なのあの騎士団! 共謀などなかった? この事件は不問にしてやるからありがたく思え? 一体何様よ!」
「煩いな……」
あまりの騒々しさに耳がキンキンする。
ここは宿屋であり、他の宿泊客もいるのだから苦情が来る前に静かにしてほしいと思う。
「ああ! まだ怒りが収まらないわ! もう一度外に出て騎士の連中でも殴ってこようかしら?」
「頼むから国家権力に喧嘩を売ることだけは止めてくれ」
「心配しなくても竜を従える私に刃向おうとする警備隊なんていないわよ」
「それでも治安を守る役割の部隊は手を出さないほうが良いだろう」
何せ奴等は身内に被害が及ぶととことん追い詰めてくるからな。
確かに嵌められたキッカからすると腸が煮えくり返るような思いだが、今後のために我慢してほしかった。
「……もう手遅れ」
「は?」
いつの間にか起きていたユキの台詞に俺は間抜けな音を漏らす。
「あ~、ユウキ。僕達の帰りってバラバラだったよね」
クロスが言い難そうにそんなことを述べたあたりから不安がムクムクと沸いてくる。
「おいおい、まさか」
こういう時の不吉な予想は得てして当たるものだ。
「私達の抗議が一蹴された帰り道。キッカ様は目に付いた騎士に襲い掛かりました」
「何をやってるんだよ」
つまり四人はずっと逃げていたというところか。
「……安心して、ちゃんと気絶させておいたから正体はばれていない」
どこを安心して良いのか分からない。
俺としては文句の一つでも言おうと口を開いたが。
「疲れた、もう寝るわ」
キッカはサッサとベッドに潜り込んで寝息を立て始めた。