第五話 命をかけて
「ふむ……」
俺は所持金を数えながら唸る。
現在は金貨一枚と銀貨二十三枚そして銅貨が四十八枚あることが確認できた。
「この調子だとすぐに金が底をつくな」
この三ヶ月で払った額は金貨二枚と銀貨が数十枚。
部屋を借りる際に金貨一枚に等しい額の他にも、事業の失敗によって失った金は大きい。
事業はおそらくあと一回が限界だろう。
もしそれに失敗すれば俺は本当に無一文で彷徨う羽目になった。
「弱音を吐くのは極力控えているが、どうしてもな……」
周りは全て敵ばかり、頼る人がいない状況に置いとかれるのは予想以上に精神が消耗する。
「仕方ない、今日は気分転換として観光目的で街でもうろつくか」
部屋の中で考えても良いアイディアは出てこない。
だったら今日は何も考えずに外に出向こうかと俺は靴を履いた。
「……何も考えずに見て回ると言ってもなあ」
街を歩きながら俺はぼやく。
「どうしても考えてしまう」
つい先程も売っていたパンケーキにどう工夫すれば売れるのか、気が付いたら計算していた。
ちなみに思案した結果、もっと牛乳を増やして甘くすれば若者に受けるのではないかという点に至る。
「ああ、どうすれば心を無に出来るのか」
そして精神を休めたい。と、頭を抱えている時。
「……~♪」
「ユキに聞いてみようかな」
ちょうどユキが俺の前を通り過ぎたので呼び止めることにした。
「……うまうま」
ユキは今、大量のパンケーキが入った袋を抱えて舌鼓を打っている。
お菓子を食べるユキの表情は幸せそのものであり、俺も買って良かったと思えるが……
「ユキ……胸やけを起こさないか?」
こんなに大量の砂糖を短期間にとって気持ち悪くならないのかと俺は懸念を示すのだが。
「……?」
「いや、何でもない」
ユキは可愛く首を傾げたので俺はこれ以上の追及を止めた。
そしてユキはまたお菓子を食べる作業に戻る。
見た目が小学校低学年としか思えない容姿なのにキッカもアイラも一目置いている存在。
「思えばユキから全てが始まったんだよな」
あの時、ユキが脱走して俺を引き留め無ければどうなっていただろう。
そのまま傭兵として参加していたのかもしれない。
風の噂によるとその部隊は捨て駒として扱われ、一人残らず皆殺しにされたそうだから、ユキの行動は結果的にキッカの命を救っている。
クロスの言う通りユキはキッカの横暴を止める役割を持っているとすれば、彼女は立派にその役目を果たしたと言えるだろう。
見方によるとユキはアイラよりも臣下に相応しい人物の様に思える。
「それに魔法使いとしても一級品だし」
伝承によるとユキは幼少時から他の魔法使いと一線を画する技量を持っていたとされる。
何百という人間を殺しながらも顔色一つ変えずに魔法を放つ様は、敵は勿論のこと、味方からも恐れられたとされているが……
「とてもそんな風には思えないよなあ」
どちらかというと街で皆から可愛がられるマスコット的存在といった方がしっくりきた。
「……飲み物」
いつの間にかユキは手を止めてこちらを見上げてくる。
確かにパンケーキの様なモフモフしたのを食べるのは水が欲しいだろう。
「ハイハイ」
だから俺は財布から数枚の銅貨を取り出してユキに渡す。
「……ありがと」
銅貨を受け取ったユキはパンケーキの入った袋を俺に渡し、ドリンク屋に駈け込んでいく。
「……絶対食べないで」
と、俺にくぎを刺しておくことも忘れなかった。
「これまた凄いのを買ってきたな」
俺が呆れるのはユキが買ってきたドリンクによるものだ。
何とその大きさはユキが両手の指と指を合わせることが出来ないほど巨大なキングサイズ。
こんなでかさが買える程俺は金を渡していなかったはずだが。
「……サービスしてくれた」
ユキのポツリと呟いた一言で全てが解決した。
「ユキは愛されているよなあ」
パンケーキの袋をユキに返した俺は苦笑する。
「本当に羨ましい」
俺もユキの様に愛されていれば今頃俺は金欠で悩むことなど無かっただろう。
ユキは英雄だから仕方ないという考えも一瞬浮かんだが、これは英雄の資質とあまり関係が無いだろう。
一体どうすればユキの様に好感を持てるのだろうか。
そのような質問を投げかけようとしたが。
「いない!?」
いつの間にかユキはどこかへ行ってしまっていた。
慌てて辺りを見渡すが、ただでさえ混雑している街中で小柄なユキを見つけるのは至難の技だろう。
つまり俺はユキにパンケーキとジュースを御馳走しただけという結果に終わってしまったが。
「何かユキらしいよなあ」
ここまで自由奔放に振る舞うと怒りを通り越して感嘆してしまう。
「ああ、そうか」
俺は気付く。
何故ユキは自由なのか。
「自分の心が赴くままに行動しているからか」
それなら周りはともかく自分が後悔することは無い。
何事も楽しんで取り組んだ方が周りも明るくなるから得だよな。
よし、次は笑顔を意識して交渉してみるか。
「ありがとうな、ユキ」
俺は気分が軽くなった気がする。
「今度はもっと上等なお菓子でも買ってあげるか」
少なくとも気分転換はできた。
だからいるはずのないユキに対して感謝の言葉を述べた所。
「……じゃあ、お代わり頂戴」
「はあ!?」
どこかへ行ったはずのユキは何故か俺の前に立ち、空になったパンケーキの袋を差し出していましたとさ。
「クロス……何している?」
「あ、ユウキだ」
街を散策していた俺はとある場所でクロスと出会う。
午後は各々が好き勝手行動することが多いため、クロスがどこで何をするにしても不思議でない。
が、それでも限度があるだろう。
「おお、クロスの知り合いけぇ?」
クロスの隣にいたガテン系のオヤジがタバコ状の何かを吸いながら口を開く。
「そうだよジンさん。僕の仲間なんだ」
「ガハハ、そうかそうか」
ジンという名のガテン系のオヤジは何が面白いのか高笑いを始めた。
ちなみにジンさんと同じくガタイの良い奴は他にも沢山いる。
そんな彼らが集まり、何をしているのかというと。
「クロス。どうしてお前は大工をやっているんだ?」
切り揃えられた木材に杭を打ち付けて施設を作る建築現場にクロスはいた。
「まあ、一言で言うとお金を稼ぐためだね」
ちょうど休憩時間だったらしく、俺はクロスの横に座ってクロスの話を聞く。
「キッカ様達のような女子供が働ける場所なんてそれこそ風俗関係しかない。そんなところでキッカ様達を働かせるわけにはいかないからこうして僕が稼いでいるわけ」
「つまりクロスが稼ぎ頭というわけか」
キッカ達三人を食わせるだけのお金を稼いでいるクロスを見上げながら俺は感嘆するが、どうしても聞きたいことがあった。
「しかし、そこまでしてるのにクロスはキッカ達に文句を言わないな。本来ならキッカに命令して良いはずなのに」
「キッカ様は僕の主君だよ。対等な意見なんてとんでもない」
自分は臣下だから働くの当然。
そんな封建的な言葉に俺は若干の反発を覚え、言い返そうとしたが。
「ユウキ、これは僕が好き好んでしていることなんだよ。だから口出ししないで」
俺が何を言うのか察したクロスは普段より厳しい口調でそう窘めてきたので、俺としては沈黙するしかない。
沈黙するしかない……が。
「クロス、主君の傲慢を諌めるのも臣下の役目だぞ」
ユキの自由奔放な言動を思い出した俺はクロスが納得するであろうギリギリの例を出して忠告するが。
「アハハ、でもそれはユキの役目だよ。僕に出来ることは今の様に陰ながらキッカ様を支えること」
「……それはキッカが望んでいるのか」
「……」
俺の言葉にクロスはどう返していいのか分からず、ただ笑ってごまかした。
クロスの友人が来たということで、ジンさんが気を利かせて長めに休憩を取ってくれている。
俺としては作業を邪魔する訳にはいかないので断ろうとしたが、ジンさんは笑いながらとんでもないことを言ってきた。
「なあに、クロスの坊は実質職長として野郎どもを取り纏めているからよ、こえぐらいは構わねえ」
「幹部クラス……」
確かクロスはまだ十二歳のはずである。
なのに自分の年齢の二、三倍下手すれば四倍の職人を仕切っている事実に俺は言葉を失った。
「あまりそうは思えないのだがなあ」
クロスは四人の中では大人しい方で、俺が見てきた中で自分から何かアクションを起こしたことはない。
いつも後ろで付いていくクロスが荒っぽい連中を率いているのはどうも納得がいかなかった。
「アハハ、仕事になると僕の性格は変わるよ」
「へえ」
そういえばゲーム内の記録によると、クロスは二重人格だと伝えていた覚えがある。
その際のクロスはとにかく残忍な性格であり、ベアトリクスには及ばないものの、英雄屈指の曲者だとか。
「何か興味あるな」
俺としては気性の激しいクロスに興味があるのでそんなセリフを漏らすと。
「じゃあ少しここで働いてみる?」
「……何でそんな言葉が出てくる?」
普通は『少しここで見ていく?』だろう。
何故俺が働かなければならないのか分からなかった。
「いいぜぇ、少し頼りねえがちょっくらやってみたらいいさあ」
しかもジンさんも乗り気だ。
「どうかな? ここに作業着があるからすぐに入れるよ」
この流れは不味い。
何か言いださなければ俺は肉体労働をしなければならない羽目となる。
「いやいや、俺は嫌だからな」
なので俺はブンブンと首を振って断りの意志を伝えると。
「ん~、もっと上手い切り返しは無かったのかな」
クロスが顎に手を当てながらそんなことをのたまってくる。
「まあ、十二歳の坊主にそこまで期待するのはおかしいさあ」
ジンさんもそうしたり顔で頷くことから、俺はおちょくられたのだと気付く。
「……クロスってそんなキャラだったか?」
「アハハ、その通りだよ」
苦虫を噛み潰した表情をしている俺にクロスは屈託なく笑った。
「さてと、休憩も終わりにしようかな」
「ん? もう始めるけえ?」
俺をからかい終えたクロスは水を一杯口に含んだ後にそう漏らす。
「うん、だってあの人達が暇そうにしているからね」
クロスが指し示した方角にいる人たちは気が緩んできている。
これ以上休ませても意味が無い事は俺にも分かった。
「坊主よ、これからおもしれえものが見れるぜ」
「ん?」
ジンさんの言葉の意味が分からず、首を傾げた俺だがすぐにその意味を知る。
「おい、貴様ら! 休憩は終わりだ! サッサと持ち場に付け!」
何故なら関係ない俺でさえ身を竦ませるような怒鳴り声が辺りに響き渡ったから。
「応!」
そしてそれに応えるように休んでいた荒くれが立ち上がり、作業を再開した。
「……クロスなのか?」
俺はその怒声の発信源を見やる。
聞き間違いでなければ、先程の大声はクロスから発せられたものである。
「ああそうよ、本当にクロスの坊は仕事になると性格が変わるけえ」
「いや、変わり過ぎだろう」
ニヤニヤと笑うジンさんの横で俺は呟く。
「何やってんだてめえ! 休憩は終わりといっただろう!」
先程までニコニコと笑っていたクロスは影も形もなくなり、今では気を抜こうとするあらくれを容赦なく叱咤している。
同姓同名の別人とした方がまだ納得がいった。
「厳し過ぎではないか?」
あらくれに次々と指示を出しているクロスを見ながら俺はぼやく。
「職人はあれだけ高圧的に、しかも年下に怒鳴られてなんとも思わないのかな?」
俺だったら確実にクロスに殺意を覚えている。
「ハッハッハ、坊主はあめえな」
が、ジンさんは笑い飛ばす。
「ここはな、年齢が高ければ偉いんじゃねえ、出来る奴がえらいんだ」
「それでも感情的に納得するのか?」
俺は断固嫌なのだが。
「ん~、それは俺も当初は懸念していたんけえよ。今ではそれは杞憂だったんだなあこれが」
「何故?」
「百聞は一見にしかず、ほら、見てみるけえ」
そう言ってジンさんが指し示した方向にはクロスと一人の荒くれがいる。
「おい、お前顔色が悪いが大丈夫か?」
「ああ、クロス職長か。なあに、問題ねえよ」
どうやら動きの悪い荒くれに対してクロスが声をかけているらしい。
そして荒くれの言葉にクロスはじっと見つめて。
「そうか、お前がそう言うのなら俺は何も言わねえ。だがな、調子が悪くなったらすぐに言えよ。お前が怪我をしてもらっては困るからな」
「ありがとうございますクロス職長」
クロスの労りある台詞に感動したのかその荒くれは有難そうに頭を下げた。
「……クロスは凄いな」
そんな光景を見た俺はそう漏らす。
「確かに従業員達が文句を言わないわけだよ」
飴と鞭というべきか。
その硬軟織り交ぜた対応に俺は感嘆した。
「ああ、あの年であそこまで出来るのは凡人じゃ無理だ。クロスの坊は絶対大物になるぜ」
「まあ、そうだよな」
隣のジンさんの呟きに俺は苦笑する。
大物どころか歴史に名を残す存在になるのだけどな。
けど、それを言ったところで仕方ないから俺はこれ以上突っ込まなかった。
「あんたクロスに何を言ったの?」
「……何の事だ?」
宿に帰って来た俺に待ち受けていたのは物々しい雰囲気。
その息の詰まるような空気を出しているのは中央に陣取っているキッカだった。
「一から説明してほしいのだがな」
全く事情が呑み込めていない俺は慌ててそう口走ってしまったが、選択を間違えたと後悔する。
「何ですって?」
案の定、キッカから発せられる怒気が一段と大きくなった。
「ここから先は私が説明しましょう」
キッカが冷静に話せる心境でないことを悟ったのか。
隣に控えていたアイラが一歩前へ進み出る。
「先日からクロスの様子がおかしかったのです」
黒頭巾で頭部全体を隠しているアイラは続ける。
「そしてそのことをユキを通して尋ねたところ、ユウキ様からの言葉が原因だとか」
「あ~、あれか」
ここまで説明されて俺もようやく思い当たる。
そう言えば以前クロスと工事現場で出会った際、このままで良いのか的な旨を言った覚えがある。
「思い出したようね」
キッカはアイラを押しのけて一歩進み出る。
「あんた、私は以前言ったよね。何をしても良いけど、私達の団結を乱すような真似はしないと」
「忘れるはずもないが」
「なのに何故あんたはそれを破ったの?」
「破ったつもりはなかったのだがな」
俺はあくまでクロスのためを思って忠告したのであり、キッカを困らせようとした意図は毛頭ない。
「キッカ、これだけは言える。俺はキッカ達の仲を裂こうとか微塵も考えていない」
「ふうん、そうなのね」
怒れるキッカの目を見ながらハッキリと宣言した俺の表情にキッカの怒りが多少和らぐ。
「だったら、今、ここでクロスに謝りなさい。『自分は間違った発言をした』とね」
キッカの指し示す方向にいるのはクロス。
いつもは後ろの方でニコニコしているのだが、今のクロスは今のキッカと俺の剣幕も目に映らないようでベッドの隅で丸くなっていた。
「僕は……どうすれば」
ブツブツと呟く言葉はそんな感じ。
自分は何をして良いのか分からなくなっているようだ。
「あんたのせいよ。クロスを立ち直らせるためにも早く謝罪しなさい」
キッカがそう俺を責めたてるが、俺としては素直に頷くことはできない。
何故なら、ここで謝ることは俺の常識は間違いであったと認めることになり、ひいては俺がこの世界に屈したことになる。
そう、差別が当たり前な狂気の世界を肯定することとなる。
だから俺は――
「クロス、俺は間違ったことを言っていない」
「あんた!!」
「しかし、キッカも間違ったことを言っていない」
俺の言葉にキッカが激昂して掴みかかろうとするが俺の続く言葉に一歩踏み止まる。
「俺もキッカも正しいことを言っている。そして、どちらもクロスのためを思って忠告している。だからクロス、存分に悩め。俺やキッカ、アイラやユキもお前のことを心配している」
これが俺の答え。
大事なのは本人がどうするかであり、誰かがどうこう決めるものではない。
だから悩むことは大いに結構だと考えていた。
「……よく分かったわ」
俺の思考をキッカの言葉が中断させる。
「ユウキ、どうやら私達とあんたは本気で受け入れられないようね」
その幽鬼のような底冷えする口調に俺は身が竦むのを抑えきれなかった。
「……出て行きなさい」
そしてキッカはドアの方を指差す。
「これ以上あんたに仲間をかき乱されるのは堪らない。だから一秒でも早く私の目の前から消えなさい」
「キッカ、俺の話を――」
「さっさと出て行きなさい!!」
俺は何とか意見を聞いてもらおうとしたが、途中でキッカの雷に遮られる。
「あんたとは二度と会いたくない! 即刻消えなさい!」
「……キッカ」
「黙りなさい! ユキ!」
「……ひっ」
何かを言いたそうにユキが口を挟もうとするがキッカの怒りを受けて縮こまる。
「一応ここは俺が借りた部屋なのだがな」
あまりの態度にカチンときた俺はそう皮肉を言うと、キッカは黙って短剣を抜く。
……なるほど。
大人しく出て行くかそれとも死ぬかを選べという意味か。
問答無用とばかりのキッカの態度に俺は苦笑するしかなかった。
「じゃあな、世話になった」
俺はそう言い残して踵を返そうとする。
当然ながら誰も俺に言葉を掛けようとしない。
まあ、当然といえば当然か。
自分の言葉一つでここを奪われたのだが今の俺に後悔など無い。
自分の思うがままに言っての結果なんだ。
むしろ清々したな。
と、俺は晴れ晴れとした心境でドアノブに手を掛けると。
「愚か者ですね」
後ろからそんな怜悧な声音が響いた。
「愚か者か……確かにアイラの言う通りかもな」
その抑揚のない声音はアイラだと察した俺はそう返す。
そしてそのままドアを開けて出ようとしたが。
「何故理解できたのですか?」
普段とは違う、呆然としたアイラの言葉に俺は立ち止って振り返ると。
「ちょっとアイラ、どうしたの?」
キッカの言葉通り、アイラの様子がおかしかった。
「いつの間にミドガルド家のみ伝わる暗号を解読されたの? 何も知らない浮浪児が知っているはずが無いのに……」
いつもは佇んでいるはずのアイラが口元に手を当てて何かを呟いている。
「ユウキ様、もう一度よろしいでしょうか?」
「あ、ああ。良いぞ」
そうかと思うと急に顔を上げ、すごい剣幕で尋ねてきたので、俺は押されるがままに頷く。
「私はアイラ=ミドガルドです」
「私はアイラ=ミドガルドです」
「っ、私は生まれた時からキッカ様と共にいました」
「私は生まれた時からキッカ様と共にいました」
アイラは一体何をしたいのだろうか。
その意図が掴めずに眉根を上げながらもアイラの言葉を反芻させる。
「まさか、そんなはずはありません。もう一度もう一度やります。良いですか?」
「……だからアイラは何をしたいんだ?」
何故アイラは戸惑っているのか、そしてどうしてキッカやユキ、そしてクロスは目を丸くしているのか俺にはさっぱり分からなかった。
「キッカ様はよく寝言で『ママ、大好き』と呟き、そして耳元で『キッカ、どうしたの?』と囁くと嬉しそうな表情を作ります」
「キッカ様はよく寝言で『ママ、大好き』と――」
「止めなさい!」
キッカの金切り声によって俺の復唱は中断される。
「私はそんなことを言った覚えなんてないわよ!」
消したい黒歴史を暴露されたせいなのか。
キッカは今、別の意味で真っ赤となっていた。
「……ユウキ、私も試す」
一体何のつもりなのか分からず首を傾げる俺にユキがそう尋ねる。
するとユキは切れ端にサラサラと文字を書いた。
「……これを読んで」
「あ~、私はお菓子が欲しい。そして、パンケーキをもう一度食べたい」
「……なるほど」
俺の言葉を聞いたユキは納得したかのように頷いた後、キッカの方を向いて。
「キッカ、おそらくユウキは全ての言語および文法を理解できる」
と、とんでもないことを言ってきた。
「はあ? ありえないわよ」
キッカの言葉も最もだろう。
何せ俺自身も信じられない。
が、ユキは首を振りながら俺に読ませた切れ端を掌に置いて。
「……これはシマールで一般的な文じゃない。上はバルティア皇国の共通語で下はリーザリオ帝国での公共語」
「本当ね」
キッカが唸りながらもその事実を認めるが。
「で、それがどうしたの? 全ての言語を理解できるからと言ってユウキが出て行く事実は変わらないわよ」
確かに、それが出来るからといって俺がここに留まる理由にならない。
さて、そこをユキはどう乗り切るのか。
俺はユキの次の言動を注視する。
ここにいる全員の注目を集めたユキは一度だけアイラを見た後に。
「……なら私はユウキと共に行く」
「はあ!?」
と、特大の爆弾発言を行った。
「ユキ、どういうことなのか理由を付けて説明しなさい」
キッカがそう詰め寄るのも無理ないだろう。
キッカの詰問を受けたユキは一つ息を吸った後に言葉を続ける。
「……ユウキの能力。これは相当大きい」
「そうね。行商人など商人からすれば喉から手が出るほど欲しい能力よ。けど、戦うには全く必要が無いわね」
確かにその通りである。
殺すか殺されるかの戦場において言葉など無意味だろう。
さて、ユキはどう続けるのか。
「……普通なら必要ない。けど、ユウキは違う。おそらく人外でも意思疎通が出来る可能性がある」
「百歩譲って可能だった場合、どうなるの?」
キッカの切り返しにユキは目を閉じた後、またアイラの方を見て。
「……とても愉快なことが起きる」
「はあ? どういうこと?」
キッカは訳が分からずにユキを見るが、ユキは何も答えようとしない。
「……」
そしてユキはまたアイラを見た。
「アイラ、あなたは何かを知ってるの?」
ここまで露骨な態度を取れば誰だって気付くだろう。
キッカはアイラの方へ向き直って問う。
「何のことでしょうか?」
が、アイラは首を傾げて惚けるのだが。
「アイラ、私に隠し事はしないの。ユキが何を知っているのか教えなさい」
アイラはキッカの命令に逆らうことが出来ない。
教えなさいとキッカから命令された場合、アイラは必ず答えなければならなかった。
「キッカ様、お耳を」
観念したアイラはキッカに音もなく近づき、何事かを耳打ちする。
キッカは始め燻んでいたものの時間が経つごとに怒りが消え、その代りに笑みが浮かぶ。
「それは本当でしょうね?」
「危険過ぎます。私はお勧めしません」
「私が聞いているのは真実か否か。アイラの感想なんてどうでも良いのよ」
キッカの執拗な問いかけにアイラは渋々頷いた。
そしてしばらくキッカは腕を組んで考え、そして。
「よし、ユウキ。あんたはここにいて良いわ」
何とキッカが前言を翻した。
「え? どういうことだ?」
一体何がキッカの心境を変えたのか。
全く分からない俺はキッカに尋ねるが。
「その日が来れば分かるわよ」
と言い残してまともに取り合ってくれなかった。
もちろん歯軋りしているアイラが答えてくれるわけが無い。
なので俺は最後の希望とばかりにユキへ縋るが。
「……パンケーキ買って来て」
お腹を押さえながらそう言ってきたので、恩がある俺はパンケーキを買いに行かざるを得なかった。
「いらっしゃいいらっしゃい! 良い品物揃っているよお!」
「そこのお兄さん! 横にいる可愛い彼女にピッタリなものがあるから少し見ていかない?」
「俺の母さんだ!」
「ほお……」
今、俺はキッカ達と共に市場に出ていた。
ある日、帰宅した俺にキッカが開口一番『明日の予定は開けておくように』と伝えてきた。
一体何だろうと首を傾げていた俺だが、次の日はお祭りであることを知って納得する。
「何というか……圧倒されるな」
日本では味わえないこの活気。
商人が大声で客引きをやっている隣では客との値切り合いが行われている。
俺としてはこの風景を見ているだけで楽しいのだが。
「そっちじゃないわよ」
「服を引っ張りながら言うな!」
キッカは俺の服を掴んで引きずっていったので、残念ながら少ししか眺められなかった。
「おい、キッカ。一体何処へ向かっているんだ?」
キッカ達の後についてきた俺は不安な声を上げる。
今、俺達は祭りによって活気溢れる市場を通り過ぎ、とある枝道を突き進んでいた。
一歩進むごとに路面が汚れていき、ゴミも落ちている頻度が高くなる。
俺の予想が正しければこの先にあるのは。
「決まっているでしょ。スラム街よ」
「やっぱりか!?」
予想に違わぬ回答に素っ頓狂な声を挙げる俺。
「金を渡すから俺は帰って良いか?」
あのジジイとの一件以来、俺はここに対して軽いトラウマがある忌まわしい場所なので今すぐにでも去りたいのだが。
「だから勝手に行動しないの」
キッカは全く聞く耳を持たなかった。
その突き放した態度にさすがの俺も頭にき、一人で戻ろうとすると。
「キッカ様の命令が聞けないのですか?」
「だからな! 頭を締め付ける前に言ってくれ!」
一体その細い体の何処にそんな力があるのか。
「おおお……」
アイラのアイアンクローを喰らった俺はしばらく蹲ってしまう程のダメージを受けた。
「ユウキ、大丈夫?」
クロスが心配気味に声をかけてくるのは嬉しいが、俺を連れて行くんだな。
まあ、心配してくれただけ有難いと思うべきか。
クロスの腕の中で揺られながら俺はそう自分に納得させた。
ちなみにユキが静かなのは。
「……お菓子、美味しい」
先程の市場で買ったお菓子を食べるのに夢中で俺達のことなど眼中になかったからさ。
「アイラ、その情報は間違っていないわね」
「はい、キッカ様」
スラム街のとあるビルに入り込んだキッカは隣のアイラに確認を取る。
「現在裏コロシアムでは竜に関する見世物が行われています」
「うん、それで?」
キッカの催促にアイラは少し戸惑った後に顔を上げてこう続けた。
「名称は“オールorナッシング” 三十分間竜のいる檻に居続けることが出来ればその竜と多額の賞金を、そして負ければ竜の食糧となります。人数に制限はありませんが、武器や持ち物は禁止となっています 」
さらに詳しい内容の説明を要約すると、竜を封じている鎖が解き放たれるのは開始してから十分後であり、その十分が過ぎれば竜が俺とキッカに向かって進んでくるとのこと。
観客はその十分間で、奴隷が何分持つのか賭けるらしい。
人がいつ死ぬか賭けるゲーム。
本当にこの世界は人を人とも思っていないな。
そんなことを考えている内に俺達は入口へと辿り着く。
ゲートは二つあり、大抵の人は右手に向かっているのでおそらくそちらが観客席だろう。
そして左手が。
「い、嫌だー! 俺は死にたくないー!」
鎖に繋がれた奴隷が喚きながら引きずられていることから、こちらが挑戦者用だな。
脱走させない為だろう。
こちらは右と違ってドアでなく、鉄格子状になっていた。
「アイラ、クロス、そしてユキ。あなた達は右に行きなさい」
命を失う可能性すらあるのにキッカはまるで動じず、テキパキと指示を出す。
「キッカ様――」
「アイラ、私の気持ちは変わらないわ」
アイラはキッカに対して何か進言しようとしたが、キッカは一言で封じる。
「例え神が立ち塞がろうとも私は突き進む」
キッカが最も信頼を置いているアイラが黙らされたことからクロスとユキは何を言っても無駄だと悟ったのだろう。
何か言い出さないように口を固く閉じていた。
「なあ、キッカ」
その状況に居心地を悪く感じた俺はアイラ達の代わりに答えようと口を開ける。
「お前……そこまでして竜が欲しーー」
己の命を危険に晒してまで手に入れようとするキッカに俺は声をかけようとするが思い留まる。
そういえばキッカは英雄として名を残しているのだから今ここで死ぬわけがないだろう。
そう考えると気分が楽になり、俺は観戦気分でいこうかと思った矢先。
「さあユウキ、行くわよ」
「はあ!?」
突然名指しされた俺は素っ頓狂な声を上げる。
「待て待て待て! どうして俺だけが参加する羽目になる!?」
「は? 逆に聞くけど、どうしてあんたが参加しないの?」
首を傾げるなキッカ!
そしてそれは俺の台詞だ!
「ユウキ様はどんな生物であろうとも意思疎通が出来るからです」
アイラがそう補足するが俺は納得いかない。
確かに俺は異なる言語であろうとも判断できるが、人間以外に試したことがない。
ぶっつけ本番でやるには余りにリスクが高すぎるだろう。
俺は理路整然とそのような趣旨を説明しようとしたのだが。
「煩いわねえ。私も参加するのだからそれで良いじゃない」
だから全然良くないんだよ!
キッカは確実に生き残るが俺にその保証はない!
一般人と英雄を一緒にするな!
「はあ……クロス。こいつを押さえつけて頂戴」
「えーと……ごめんねユウキ」
「むごご!」
キッカに命令されたクロスは申し訳なさそうな顔をしつつも俺を羽交い絞めにする。
「本当に申し訳ないんだけどこれも命令だから勘弁してね」
だからクロスは白黒つけてくれ!
そんな顔をするぐらいならアイラの様に無表情でやられた方がましだ!
と、俺は抗議の視線を送るがもちろんクロスに届くはずがない。
「さあ、登録は済ませたわよ。ユウキ、行きましょう」
そんなこんなをしているうちにキッカは全ての準備を終え、右手にある牢獄を指差した。
「放せー! 俺はまだ死にたくないー!」
俺はそう叫んで暴れるが、筋骨粒々なクロスの束縛を逃れられるはずもなく、キッカがいるその中へ放り込まれてしまった。
「……中でお菓子は売っているかな?」
ちなみにユキは相変わらずゴーイングマイウェイを貫いていましたとさ。
竜と聞かれて想像するのが炎を吐き、空を飛ぶ姿だろう。
ユーカリア大陸に登場する竜もその例に漏れず、一般的な竜の形をしている。
芸がないと思われがちだが、それは画面の向こうから見ているから。
実際に--全長五メートル強の姿形をこの目で納めれば、余計な感情など一発で吹き飛んだ。
「これは……」
竜なんて生物を始めて見た俺はそんなため息しか出てこない。
猿轡を噛まされて全身を鎖で縛っているのに加え、これでもかというぐらい頑丈な檻で閉じ込められているのに俺は身が竦むのを抑えることが出来なかった。
もうすぐ、俺とキッカはこの檻の中へ入る。
その檻の中には引き千切られた布切れそして竜が吐く吐息から感じる生臭い臭いから、すでに何人の奴隷が喰われているのだろう。
「結構冷静ね。途中まではあんなに喚いていたのに」
キッカの言葉に俺はため息を吐きながら。
「泣き喚くことで救われるなら俺はいくらでも暴れてみせるが」
今、そんなことをしても助かる可能性が潰えてしまうだけなのでやらないがな。
やれやれ、俺も随分と図太くなったものだ。
俺の知らなかった自分の発見に内心笑っている内に事態は進む。
「さあさあ! 次の生贄はなんとあどけない少年少女! 竜を手に入れるために挑戦するこの日初の挑戦者だあ!」
「おおおおおおおお!!」
アジテーターの煽りに興奮する観客達。
すり鉢状の作りであるこの場所はあらゆる場所から好機の視線を向けられている。
それは表通りに広がっていた活気とは似て非なるもの。
明らかに凄惨を熱望した歓声だった。
彼等は一体何を期待しているだろう。
逃げ惑い、恐怖と絶望を貼り付けた表情で食われる様が見たいのか。
人の闇の部分を見せ付けられた俺はパニックよりも吐き気を覚えてしまった。
「彼らは運が良いわね」
が、キッカは全く意に介さず、それどころかまるで大舞台に立つ主役の如く胸を張っている。
「ここにいる全員が歴史に名を残す“竜騎士キッカ”の誕生をこの眼で確認できるのよ。フフフ、これは一生の自慢話になるわね」
もはや何も言うまい。
例えハッタリであろうともそこまで自信満々に振舞えるのはそれだけで一種の才能だろう。
これが英雄たる者が持つ資質か。
キッカを見ていると俺の心の内から勇気が沸いてくる。
「さて、行くわよユウキ」
「はいはい、と」
キッカが迷いもなく一歩を踏み出したので俺は肩を竦めながら後に続く。
少なくともあいつらが望むような死に様など絶対に見せたくないな。
成功して彼らの度肝を抜けば良し。
無理だったとしても悲鳴を上げずに潔く死んでやりたい。
そう腹を括ると幾らか心に余裕が生まれ、落ち着くことが出来た。
「てっきり泣き喚くかと思っていたけど、中々肝が据わっているわね」
「お褒めいただき光栄だね」
俺はにやりと笑いながら続ける。
「無様な姿を見せたくないだけだ。周りの観客を含め、キッカにも」
そんな俺のやせ我慢から何を感じ取ったのかキッカは大きく頷きながら。
「うん、それは上に立つ者として大事な心がけよ。あんたって意外と支配者に向いているのかもね」
「ん? 何か言ったか?」
「何も言っていないわよ」
聞き間違いかと思って聞き返したのだが、キッカはそう答えることでこの会話を終わらす。
俺としては不満が残るが、下手すれば最期の時になるのだからもう少し建設的な話題を出そう」
「言葉が通じると良いんだけどな」
武器も持っていない俺達が唯一頼れるのはこの言語のみ。
もし通じなければキッカはともかく俺は確実に死んでしまう。
俺はそんな懸念に苛んでいたが、横からキッカの力強い言葉。
「『良いんだけどな』じゃない、必ず伝えさせるのよ」
「まあ、確かにその通りだな」
その核心溢れる激励に俺の心は軽くなる。
「やるだけのことはやってみるさ」
「そう、それで良いのよ」
俺の呟きにキッカは合格だと言わんばかりに大きく頷いた。
「初めまして、というべきかな?」
俺は鎖に繋がれた竜に近寄りながら声をかける。
正直鎖を解こうと暴れ回っている竜に近づくのは肝が冷え上がったが、躊躇などする暇はない。
「俺の声が聞こえているのなら返事をしてほしい」
今はキッカ自身の出る幕では無いと悟っているのだろう。
彼女は後ろで待機をしている。
ただ、余計な事をして竜の神経を逆撫でる心配はないが、当然とばかりに腕組みをして鼻を鳴らすのはどうかとおもうが。
「さあ! 後九分! それが未来ある少年少女に残された時間です!」
いけないいけない。
今は目の前の出来事に集中しないと。
怒りや妬みといった感情は隅の方へ置いておかなければ。
「竜よ! 俺の声が聞こえているのか!」
今度は怒鳴り気味に問い質してみる俺。
「俺はお前に聞いている! だから返事をしてくれ!」
頼むから言葉が通じてくれ。
でないと俺は死に、場合によってはキッカも無事では済まないかもしれない。
キッカは英雄なんだ。
断じてここで死ぬわけにはいかない。
「ぐるあああああ!!」
が、竜からの返事は身の毛もよだつ咆哮だった。
もしかして俺の言語は竜など人外に通用しないのか?
そんな疑念が頭を満たし始める。
「さあさあ後五分! 少年は一体何をやっているのでしょうか?」
不味い。
後五分でしかない。
後ろを見るとキッカも焦りの色を浮かべ始めている。
「何をやっているのよ!」
と、キッカは俺に怒鳴りたい気分なのだろうが、それを強烈な自制心で抑えていることは想像に難くない。
さすがキッカだな。
俺は内心彼女のことを見直した。
「後三分でーす!」
伸ばすなうっとおしい!
そんなにも人が食われる様を見たいのか!
ヤバい、焦りからかまともな思考が出来ない。
同じ所をグルグル回っているような感触に襲われる。
まずは深呼吸。
吸ってー、吐いてー。
よし、大分気が落ち着いた。
そして俺はその竜に向き直る。
考えろ、人の場合振り向かせるのはどうすれば良い?
男や女では振り向かない可能性が高い。
そう、相手を立ち止まらせるのに最も良い方法――
「……ギール! 俺の話を聞いてくれ!」
ドンピシャ。
つい先程まで荒れ狂っていた竜が俺の存在に目を止めてくれた。
「ギール、聞こえるのか?」
再度問いかけた俺に返って来たのは。
「どうして俺の名を知っている?」
意思疎通において最良の手段といえる言語が返ってきた。
よし!
俺は内心ガッツポーズをする。
ギールという名は英雄であるキッカが乗り回していた竜の名前である。
まさかと思い、その名前を出してみたら大当たりだった。
「そこにいる小娘から聞いたのさ」
俺は後ろに控えているキッカを指差す。
「彼女なら暴れ竜であるギールを乗りこなせると自信満々だった」
「はっはっは、俺はそこまで有名だったのか」
口から出まかせなのだが、ギールは喜ぶ。
「何せ俺だけで一地方の領主の軍隊を全滅させたからな。国からの応援部隊を半壊させてようやく俺を無力化させることが出来たぐらいだ」
凄まじいの一言である。
どれだけの被害が出たのが想像もつかないな。
「後一分! それが少年少女に残された時間だぁ!」
おっと、いけない。
雑談はここまでにしておいて早い所キッカの元へ連れて行った方が良いな。
「ギール、話を戻すぞ」
俺は続ける。
「キッカに会ってほしい。気に入らなければ殺しても構わない」
「ほう、そこまで言うのか」
呆れた様な感心したような様子でギールが呟く。
「お前にとってあの小娘は何かな?」
そんなギールの問いかけに俺は肩を竦めて。
「未来の英雄だよ、俺には一生縁のない存在だ」
「ハッハッハッハッハ、そうかそうか」
そんなことを呟くとギールは何がおかしかったのか高笑いを始める。
「本来ならそのキッカとやらが出向くのが筋だが、お主に免じて許してやるか。ところでお前の名は何だ?」
「ユウキ。ユウキ=カザクラだ」
「そうか。じゃあユウキ、行こうか」
「了解」
俺がそう答えると同時にギールを縛っていた鎖がダラリと垂れ下が、アナウンスが入る
「さあ! ついに凶暴な竜が解き放たれた! 身近な少年の行方はいか……に?」
アナウンスが尻すぼみになったのは仕方あるまい。
何故なら俺に食らいつくはずのギールは俺の後ろを歩いているのだから。
観客席全てがどよめきに包まれる中、俺は悠然とした歩調でキッカの元へ向かった。
「さすがユウキね」
そしてキッカの前まで連れてくると彼女は満足気に頷く。
「ユウキ、通訳をお願い」
「ハイハイ」
後はキッカの力量によるだろう。
さて、キッカはどうやってギールを説得するのか特等席で見物させてもらうか。
「ギールだっけ? 始めまして、私の名はキッカ=バロットイック=メタロスよ。ギールを従える者でもあるわね」
「キッカとやらはずいぶんと生意気な小娘だな」
「ギールからすれば生意気に見えるかもしれないけれど、私は私を変えるつもりは毛頭ないわよ?」
「例え俺に食われるとしてもか?」
ギールが大口を開けて威嚇するがキッカは怯む様子など微塵も見せない。
それどころかギールの口の中を覗き見て。
「人間ばかり食ったようで息が臭いわね。もっと色んな物を食べないとだめよ」
そんなことを言い放った。
これにはさすがのギールも虚を突かれたらしく、一瞬硬直する。
「私はギールに相応しい場所を用意してあげるわ。あなたはここで恐怖に慄く奴隷を喰らうことじゃない。私達を殺そうと鬼気迫る表情で向かってくる敵と戦うのよ」
そして呆気に取られる俺とギールを置き去りにしてキッカの演説は進む。
「あなたがこう奴隷たちを嬲っている間にもギールより格下の竜が大空でその威光を輝かせているのよ。あんたはそれを是とす――?」
「ふざけるな!」
キッカの言葉がギールの逆鱗に触れたのか、そう吠えるが、キッカは全く怯えることなくむしろ笑みを浮かべながら。
「なら私に従いなさいギール。この私の名にかけてあなたを大空へ羽ばたかせてみせるわ」
最後にそう締め括った。
いや……まあ。
前々からキッカは俺達凡人と違うと薄々勘付いていたが、まさかここまでとは思わなかった。
さすが英雄。
考えていることがぶっ飛んでいる。
「ク……クククククハーッハッハッハッハ!」
たっぷり一分間沈黙していたギールは俺とキッカを吹き飛ばさんばかりに大笑いした後真面目な顔つきでキッカに言葉をぶつける。
「キッカは中々の妄想家だな」
「妄想じゃないわ。予定よ」
「どこにそんな根拠がある?」
「私が言ったから」
「……」
さすがのギールもこれには参ったようだ。
何と言っていいのか分からないように見える。
「クックック……良いだろう」
そしてギールは承諾する。
「まだ卵の殻を被ったヒヨッコも良い所だが、その小さな体に抱いた大志は本物。よかろう、俺はお前を認めよう」
俺がそう訳すると同時にギールは頭をキッカの前に持ってくる。
これは服従の証。
主君と認めた者に行う儀礼である。
「ありがとうギール。絶対に後悔させないわ」
キッカは荘厳な顔つきでギールの額に右手を載せた。
「なんとおお! 壮大な番食わせが起こったああ! 少女が凶暴な竜を従えました!」
ああ、そう言えばこれは見世物の最中だったんだな。
キッカのセリフが凄すぎてすっかり忘れていた。
「しかし、キッカの言葉通りになったな」
確かに今この場に見合わせた観客は龍騎士キッカの誕生の瞬間に立ち会えた。
紆余曲折はあったものの、本当に実現してしまうキッカの意気込みに俺は感嘆の吐息を漏らそうとした、が。
「アハハハハハハ! 流石ねユウキ!」
「え?」
ふと観客の一部から見知った声が俺の耳に届いた。
この声音は絶対に一度聞いたことのある。
この一度聞けば心の奥底にへばり付く様な感触を与えるのは俺の知る限り一人しかない。
だから俺は目を端から端まで移動させて該当人物を見つけようとしたが、何故か見つけることが出来ない。
「変なことでも起きなければ良いけどな」
探すことを諦めた俺はキッカとギールに視線を戻し、ポツリと呟いた。