第一話 狂王女との出会い
「……」
目の前には鎖で繋がれた少女。
中世時代に登場するドレスに身を包んでいる彼女は育ちが良いのだろう。傷一つない磨き抜いた大理石の様な肌と銀月を髮に流して映えさせている錯覚を与える。
そんな少女が手足を縛られ無抵抗の状態になっているのを見ると、イケナイ感情が湧いてくーー
いや、落ち着こう。
そんなことは今どうでも良い。
一体何が起きた?
俺は学校から帰った後、制服を脱ぎ捨ててパソコンの電源をつけた記憶まではある。
そして液晶に今プレイしている“ユーカリア大陸物語”というゲーム画面が表示されたと思った瞬間、何故か俺はここにいた。
「……落ち着け、落ち着くんだ」
状況確認しよう。
こういう時は名前など確定していることから整理していくことが良い。
俺の名は火桜優希、十七歳の高校二年生。
数あるMMORPGの中で最も自由度が高いと評判の“ユーカリア大陸物語”にドップリ嵌ったヘビーゲーマーだ。
廃ゲーマーでないのは、俺はまだ現実を捨てていないから。
まあ、それは単に母の存在があったからな。
もし廃人になると冗談抜きで家から追い出される。
母は普段から微笑みながら何事も許可するが、一度決めたことは例え悪魔との約束であろうとも執行してくる。
……浮気をした父がどんなに泣いて謝ろうともいつもと変わらぬ笑顔を浮かべながら離婚届に調印させたのは幼い記憶ながら鮮明に覚えていた。
あの日以来、俺は決して母には逆らうまいと心に誓ったな。
余談だが、現在両親は戸籍上は他人ながらも同居しているという複雑な関係である。
……話を戻そう。
俺はそのユーカリア大陸物語において一つの国家を運営していた。
産業系に特化させたその国家の名は産業国家ジグサリアス。
俺はそこの盟主として数あるプレイヤーから一目置かれていた。
自分の指先一つによってガラリと街並みや人口が変わるのは壮観だ。
政策の成功失敗含めて楽しかったのを覚えている。
「そこの浮浪児」
そんなことを考えていると不意にあの銀髮の少女から警戒心を込めた声音で呼ばれる。
「浮浪児とは誰のことを言っている?」
俺は十七歳だから子供の年齢でない。
だから俺の他に誰かいるのだろうかと辺りを端から端へと見回していると。
「あなたよあなた、そこの黒髮の坊やよ」
「だから俺は坊やという年齢ではーー」
と、そこまで言いかけて止まる。
冷静に周りを見渡していると、視点が低いように感じられ、身につけている服も継ぎ接ぎだらけの薄汚れたボロ着。
さらに掌の大きさも十代後半のサイズとは思えない。
「な、な、な……」
混乱の極地にある俺はこの感情をどう表現していいのか分からずに右往左往していると。
「そこに鏡があるから確認してみると良いわよ」
銀髮の少女が顎でしゃくった先にある銅板の前に転がる様に駆け込み、そして俺の目に映ったものはーー
「はあああああああ!?」
五年前の俺。
すなわち十二歳頃の姿の俺が銅板の前で驚愕していた。
「ねえ、そこの浮浪児」
「何だ?」
放心状態の俺に対して銀髮の少女が再度問いかける。
「少しこっちに来なさい」
その命令口調に一瞬逆らいたくなったが、反抗しても仕方ないので素直に従う。
「もっとよ」
言われて三歩前から一歩前まで近寄る。
「顔を近づけなさい」
「え……」
間髪入れずそう命令されて躊躇う俺。
壁にもたれかかっている彼女は全身から支配者が持つ独特の気配を放っており、髪とお揃いの銀色の瞳に吸い込まれそうになる。
「早くしなさい」
「あ、ああ」
せっつかれた俺はどうしようかと戸惑うが、彼女が真剣にこちらを見つめてくるので応えないわけにはいかないので俺は腰を曲げて首を伸ばした。
物理的な時間は僅かだったが、体感的な時間は永いように思える。
銀色の少女に呑まれないよう必死になって心を強く保つのに苦労した。
「綺麗な顔ね、惚れちゃいそうだわ」
微笑みを浮かべた彼女の言葉によってようやく呪縛から逃れられた俺は地面に転がる。
まるで百メートルを全力疾走した後の心境に似ていた。
「は、は、は……」
俺は大きく口を開け、肩で息をしなければならない。
どうしてだろう。
褒められたはずなのに全然嬉しくなく、それどころか俺の頭が変な奴に目を付けられたと警鐘を鳴らしていた。
「ねえ、そこの少年」
「……何だ?」
「名前は何て言うの?」
「答えると思うか?」
これ以上の面倒事は御免だぞ俺は?
俺は絶対に答えるまいと固く決めていたのだが。
「答えなさい、これは命令よ」
「……火桜優希だ」
彼女から発する気に呑まれてしまい、気が付けば俺は素直に答えていた。
「何、その変な名前は? 姓は? 名は?」
「……ああ、そうか」
一瞬何を言っているのか分からなかったが、名の後に姓がくる習慣の国があることを思い出す。
「ユウキ、ユウキ=カザクラだ」
「ユウキ……カザクラ」
彼女は俺の名を舌で転がす様に呟く。
「ねえユウキ、私の胸元にブローチがあるでしょう?」
「ああ、綺麗なサファイアだな」
「取りなさい」
言われるままに手を取ったそれは金と銀で装飾されており、それを間近で見ると思わず魅入ってしまう程の妖しさと美しさを内包させている。
「言っておくけどそれ一つで市民一人が一年間遊んで暮らせるわよ」
「それはそれは……」
やはりというか相当な価値を持つそれに俺は腰砕けになった。
「それを持って窓から脱出し、近くの騎士に見せてきなさい」
「分かったよ」
このまま宝ブローチを持って逃げようかと考えたが、彼女の佇まいや私物を鑑みると裏切るのは得策でない。
万が一彼女が助かれば俺は必ず報復されるだろうな。
少なくともこれから先、太陽の元を歩くことが出来なくなりそうだ。
「それでは、少し待っていてくれ」
近くの箱を動かし、その小さな体を使って器用に登っていく俺。
この時ばかりは少年の体に感謝する。
十七歳の体格では絶対に抜けられなかったな。
「ユウキ」
窓から外に出る直前俺の背中に声をかけられる。
「私は誰だと思う?」
そう問われたので俺は深く考えず、思った通りに答える。
「誘拐されたどこかのお嬢様」
「それ以外に思う所はない?」
「思うところねえ……」
俺は彼女をまじまじと見つめる。
美少女かと問われれば迷いも無く頷くが、共にいたいかと聞かれると首を振ってしまう。
彼女の瞳の奥にある何かが俺に対して危険だと訴えていたからだ。
「まあ、ずっと側にいて欲しい人ではないな」
油断していると骨までしゃぶり尽くされる。
そんな気の休まらない日々を送るのはごめんだった。
「アハハ、正直ね」
すると銀色の少女は何が可笑しいのか体を揺らして笑い、そして。
「ベアトリクス=シマール=インフィニティ」
先ほどよりも柔らかい声音でそう告げるベアトリクスと言う名の少女。
「そのブローチと共に私の名を出すと良いわ」
ベアトリクスと名乗る少女はそう告げるものの、それ以前に俺はベアトリクスという名が頭の隅に引っかかった。
「ベアトリクス?」
一体何だろう。
奥歯に物が挟まった嫌な感触に首を傾げてしまうが。
「モタモタしていないで早く行きなさい」
ベアトリクスと名乗る少女に急かされて慌てて飛び降りた。
「またお会いましょうね」
最後にそんな呟きが聞こえた様な気がしたが、おそらく幻聴だろう。
騎士はすぐに見つかった。
どうやら何かのパレードが近日中に開催されるらしく、屋台を準備する人々と巡回中の騎士が大勢いる。
通りを行き交う人々はローブやマントなど日本でお目にかかれない服装をし、商いを行っている店は商品を並べている。
石畳みや煉瓦の建物といった中世風の様式から、ここは俺が知っている世界ではないかと考えるが、それは後で良いだろう。
誘拐犯達が戻ってくる前に一刻でも早く騎士をベアトリクスの元へ連れて行かなければ。
「あの、すいません」
とりあえず俺は近くにいた騎士に声をかける。
「……」
無視かよ。
騎士は俺を一目確認するや否や、ゴミを見るような視線をぶつけた後巡回に戻る。
「だからすいません」
その態度に傷付いたものの、諦めるのは癪だったので再度声をかける。
「あの、このブローチを見て下さい!」
今度はベアトリクスという少女から預かったブローチを取り出す。
これで俺の話を聞いてくれるだろうと期待したのだが。
「うわっ!」
その騎士は一瞬目を見開いた後、剣を持っていない手で俺の胸ぐらを掴んで押し倒す。
「何だいきなり!」
背中に走る鈍い衝撃に目を白黒させながらもその横暴な態度に声をあげる俺だが。
「この餓鬼! どこから奪いやがった!」
返ってきたのは罵声だった。
「それはお前みたいな餓鬼が持って良い様なものじゃねえんだ! さあ、何処から引ったくったのが早く言え!」
「だから俺はそんなことはしていない! ベアトリクスとかいう少女から預かったんだ!」
「嘘を付くな! お前みたいな浮浪児が王女と接点を持つはずがねえだろう!」
「うう……」
確かにその通りである。
俺もその騎士の立場ならそう考えても仕方ないだろう。
しかし、いくらみすぼらしい格好をしているとはいえ、こんな乱暴な態度を取らなくても良いんじゃないか?
少なくとも俺なら二度と騎士に声をかけようと思わなくなるぞ。
そんなことを考えていると、この騒ぎを聞きつけたのかワラワラと騎士が集まってくる。
「何かあったのか?」
五~六人程集まった騎士の中から他の者より豪華な装飾に身を固めた騎士が一歩進み出る。
「はっ、この餓鬼がどこかの商品を盗んだ疑いがあるので身柄を取り押さえた次第です!」
「勝手なことを言うな!」
あまりに決めつけに声を上げる。
「俺はベアトリクス=シマール=インフィニティと名乗る銀髪の少女から預かったんだ! そしてその少女は鎖で繋がれて囚われている!」
「と、このように申して罪を認めようとしません」
「ふざけるな!」
俺は力の限り叫んだ。
何だこの仕打ちは?
一体俺が何をした?
あまりの理不尽さに俺は怒りが込み上げてくる。
「童の言い分は分かった」
隊長らしきその騎士は腕組みをしそう唸る。
「だからそれはわしが預かろう」
そして騎士からブローチを受け取った。
「良かった」
俺を押さえつけていた力が緩んだので、ようやく起き上がることが出来る。
「じゃあ案内するから俺の後について来て」
これでベアトリクスとかいう少女との約束を守ることが出来る。
一時はどうなることかと思ったが、隊長が聞き分けの良い人で良かった。
……後であの騎士をクビにするよう申告してやろうかなと内心笑っていると。
「各員! 各々の持ち場へ戻れ!」
「えっ!?」
何と隊長は俺の後についてくることも、増援を呼ぶこともせずに集まってきた騎士を解散させる。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
俺は慌ててその隊長を呼び止める。
「どこに行こうとしているんだよ? このブローチの持ち主が危険だと言っているだろ?」
こうしている間にも誘拐犯が戻ってこないとも限らない。
そうなればベアトリクスという少女に危険が及んでしまう。
声をかけても止まらなかったので、俺はその隊長の前に立ち塞がったのだが。
「グッ!」
何と隊長は俺を蹴り飛ばして立ち去って行った。
蹴られた衝撃に俺は背を丸くして悶絶していると、他の騎士からの声が降り注いでくる。
「あ~あ、また隊長が持っていったよ」
「多分明日には質屋で売られているな。隊長って結構借金があるらしいし」
「て、いうかどうしてお前はあの餓鬼から早く奪い取らなかったんだよ」
「馬鹿言え、あんな衆人環視の場で騒がれて隊長の耳に入ってみろ。俺は殺されるぞ」
「確かになぁ、隊長って強欲だからそんなことをすると後が大変だ」
「やれやれ、終わりまで後数時間頑張ろうぜ」
口々にそんなことを言いながら持ち場へ戻っていく騎士達。
そして俺が蹲っている間、騎士はおろか通行人すら誰も俺に目をかけることは無かった。
「……これが現実か」
俺の中でファンタジー世界に対する憧れが砕け散るのを感じる。
日本と違う風景に心を躍らせたのもつかの間、身分制が存在する社会の厳しさに俺は泣きそうになった。
「はぁ……」
痛みが引いてきたので俺はゴロリと仰向けになる。
雑踏の中にいるせいか辺りはガヤガヤと煩い。
公共の大通りで横になったことなど無かったせいか、少しの緊張と大きな開放感が俺の身を包んでいた。
太陽はちょうど雲にかかっていので手をかざす必要がない。
眼下に広がる大空は果てしなく蒼く、自分の存在などちっぽけに思えてしまう。
普段空など見上げたことはなかったが、この色は日本にいた頃と同じに思えた。
「広いなあ……」
俺は思わずそう呟く。
そういえば母さんがよく言っていた。
昔の母さんは辛いことや苦しいことがあるとその度に空を仰いでいたと。
この無限に広がる虚空の前には己の存在などちっぽけに思え、小さな事で悩んでいるなあと納得できるらしい。
日本にいる間はその言葉の真意が分からなかったが、異世界に飛ばされて何もかもないようやく理解した。
なるほど。
これは良い。
こう地べたに寝っ転がっていると、騎士から受けた理不尽が小さな事に思えてしまう。
「ふう」
地面に寝そべったまま深呼吸を二、三度行った俺は立ち上がる。
つい先ほどまでは怒りと屈辱で鳴き叫びたかったが、空を見た事で気分が落ち着いた。
一度失敗したからどうした?
それで怖気づいて諦めてしまっては何時になっても目的は達成されない。
転んだのは進もうとしたからだ。
こうして不条理を味わったのは俺が一歩踏み出したから起こってしまったものだと自身に納得させる。
「よし、泣き言は終わり」
俺は頬を叩いて気合を入れて起き上がる。
今回はあたった騎士が悪かった。
声をかけ続ければ、浮浪児でも耳を傾けてくれる騎士に当たるだろう。
証拠となるブローチを無くしてしまったのは痛かったが、授業料だと思い込むことにしよう。
俺は心機一転して始めようと決意した瞬間。
「……ベアトリクス様をご存知なのですか?」
「え?」
何時の間にか俺の正面にメイドが立ち、見下ろしていた。
珍しいエメラルドグリーン色の髪を腰まで伸ばしたそのメイドは一流の彫刻師が造形した様な表情と体型ゆえに、人形と相対している気分になる。
「あなたの名を教えて下さい」
「ユウキ=カザクラだ」
「……ユウキ=カザクラ様ですか」
俺の名を繰り返すメイド。
「珍しい名前ですね、どこの国から連れて来られたのですか?」
「日本という国だ」
「日本……聞いたことがありませんね」
まあ、そうだろうな。
逆に知っていれば驚きだ。
「ふむ……しかし、別の国から来た者にしては流暢なシマール語を扱うのですね」
「シマール語? 何だそれは?」
メイドが言っている意味が分からず、俺はそう聞き返すのだが。
「まあ、詮索は後で良いでしょう。それよりも今はベアトリクス様です。王女様はどこに囚われているのでしょうか?」
「あ、ああ」
メイドからの質問に俺は戸惑いつつも頷いた後にベアトリクスと名乗る少女がいるであろうその建物の方角と周辺にあった特長的なものを述べる。
「なるほど、分かりました」
俺から全てを聞き終えたメイドは無表情に頷き、そしてスカートの端をチョンとつまんだ後に。
「申し遅れました。私はエルファ=ララフルです。以後お見知りおきを」
「エルファ......」
その名前もベアトリクスと同じく頭の隅に引っかかる。
一体この違和感は何なのか。
顔を顰めて記憶を引っ張り回していると。
「異国の地から来たカザクラ様に一つ助言を差し上げましょう」
静かな声音でそう口火を切るエルファという名のメイドは続けて。
「故郷に帰りたければ力を付けることです」
「力?」
オウム返しの言葉にエルファと名乗るメイドは首肯する。
「私は故郷へ戻ることを願った者を何人も知っています。仕事を辞めて故郷に戻り、幸せになった者の共通点は力があった者なのです」
と、ここでエルファという名のメイドは俺を上から下まで眺める。
破れかけの靴に穴がいくつもあいている衣服など、どこから見ても浮浪児の疑いない俺にエルファと名乗るメイドは。
「見たところ、今のカザクラ様に力などあるわけがないので、仮に戻れたとしてもここ以上の不幸が待っているでしょう。なので――」
そう言って俺の手に数枚の金貨を握らせる。
「この金貨がカザクラ様の命。これを全て失った時がカザクラ様の命は潰える時です」
この世界の通貨の価値は未だ不明なものの、金が使用されていることから相当高いだろう。
「これが俺の全てか……」
何の身寄りもない俺にとってこの手にかかる重みが俺の命。
軽くて重いという奇妙な感覚に囚われていた俺なのだが。
「それでは失礼します。また会いましょう、カザクラ様」
「え?」
エルファと名のるメイドの別れの挨拶に俺は急いで振り返ったものの、エルファと名乗るメイドはおろか他のメイドすら発見出来なかった
「さすがエルファね」
鎖で繋がれていた手首を摩りながらベアトリクス様は呟きます。
「けど、もっとスマートに出来なかったのかしら。今回のショーは以前と比べても心あらずで何の面白みが無かったわ」
「申し訳ありません」
誘拐犯の血糊によって汚れたナイフを拭いていた手を止めた私はベアトリクス様の言葉に頭を垂れます。
「ユウキ=カザクラと名のる浮浪児のことを考えていました」
ベアトリクス様に嘘が通用しないのは周知の事実なので私は正直に答えます。
「あ、そうなの? なら良いわ」
ベアトリクス様はカザクラ様に特別な思い入れがあるのか許してくれました。
私としては最悪罰を受けることも覚悟していたのですが、お咎めなしということで胸を撫で下ろします。
しかし、いくらカザクラ様に興味を引いたと言っても仕事中に考えてしまうのはいけません。
ああ、私もまだまだ未熟ですね。
「エルファ、ユウキについて何か知っているかしら?」
「はい、そうですね……」
ベアトリクス様の言葉によって私は思考を打ち切ります。
「日本という国から来たそうです」
「ニッポン? 何その国?」
「私も寡聞にしてご存じありませんが騎士に対して無防備に近づいていき、そして暴力を受けて呆然としていることから騎士に対する信頼が厚い国です」
「まあ、国なんてどうでも良いわ。それより私が聞きたいのはエルファ自身がユウキを見てどう思ったかのよ」
「それは申し訳ありませんでした」
私はそう腰を折った後に咳払いを一つして。
「放ってはおけない人でしょうか。何となく手助けをしたくなります」
「そう。私の目に狂いはなくて良かったわ」
「つまり、近い将来カザクラ様が立ち塞がると」
「そうね。私が保証するわ。ユウキは必ず大物になるわよ」
それはまた不吉なことを仰いますね。
ベアトリクス様が認めた人物というのは得てして国にとって不愉快なことを起こします。
まあ、現状に退屈しているベアトリクス様からすれば面白いかもしれませんが、国の安全を守る義務を負っている私からすれば笑えません。
大物になるということは、近い将来国を脅かす存在になると同義語。
なので私からすれば飼い慣らすなり殺すなりと何らかの手を打ちたいのですが。
「エルファ、手を出しちゃ駄目よ」
案の定、ベアトリクス様は釘を刺します。
「彼はしばらく放置。例えお兄様であろうと邪魔はさせないわ。だからエルファ、あなたも例外でないわよ」
「しかし……」
私としては見過ごすわけにいかないので前言を撤回させようと口を開きます。
「もう良い頃じゃない?」
しかし、もうベアトリクス様の興味はカザクラ様から目の前の出来事に移ってしまったので、その件についてはまた後日伝えることにしました。
「そうですね。もう金も銀も銅も原形を留めていません」
即席の竈で煮ているのはこの国に流通している金、銀そして銅の硬貨。
普段はしっかりとした形を保っているのですが、ずっと煮詰めていたので液体と化しています。
「ウフフ、そろそろお楽しみといこうかしら。ねえ? そこで縛られている警備騎士隊長さん」
「ひっ!」
ベアトリクス様に微笑みをかけられた隊長は顔面を蒼白にしています。
「お、お許しを……もう二度としません」
もう四十近いのに顔面をぐしゃぐしゃにして許しを請う姿は切なく、とてもじゃありませんが直視できません。
「あらあら、何を言っているのかしら。あなたの行動は親戚郎党皆殺しにしてもおかしくないのよ? そこを理解していて?」
「そ、それは……その通りです」
「ウフフ、素直でよろしい」
言葉に詰まった隊長は何かを言いたそうな顔をしますが、結局何も出てこずに唇を噛みます。
「さて、エルファ。暴れられると困るからしっかりと抑えつけておいてね」
「は」
ベアトリクス様はそう仰って溶けた硬貨が入っている鍋を隊長の顔の上まで持ってきます。
「警備騎士隊長、これから何をするのか知っているわよねえ?」
「……」
隊長はベアトリクス様が何をするのかすでに予測が付いているのでしょう。
しかし、それを言葉にするのは余りに恐ろしすぎるので涙を流しながら首を振ります。
「他人の物を自分の物にする強欲なあなたには溶けた硬貨で顔面を覆うのがお似合いね。さあ、最期に遺したい言葉はあるかしら?」
「や、止めろおおぉぉぉぉぉぉぉ! 俺は死にたくないいいいぃぃぃぃぃぃ!」
「アハハハハハハ! 良いわねえその表情、大好きよ!」
一瞬後、倉庫中に魂すら凍る絶叫が響き渡りました。
「~♪」
「はあ……」
動かなくなった隊長を布で包んでいる私は隣でクルクルと回っているベアトリクス様を拝見してため息を漏らします。
ベアトリクス様の最大の欠点といいますか、とにかく人が苦しむ様を見るのが大好きなのです。
教養も美貌も政治力も兼ね備え、統治者として相応しいのですが、その趣向によって全てを台無しにしています。
本当に、神はどうしてベアトリクス様を王族として生を授からせたのか理解に苦しみます。
参謀とはいかないまでも実力を重んじる役職ならばきっと後世に名を残していたでしょう。
「あー、スッキリした」
しばらく回転することに興じていましたが、疲れたのかホウッと息を吐きます。
「エルファ、服が汚れてしまったわ」
己の服の端をつまんでそう微笑むベアトリクス様に私は黙ってマントを差し出しながら。
「老婆心ながら忠告しますが、このような余興はもうお辞めなさい」
少なくとも一国の王女が持つ趣味ではありません。
「ベアトリクス様はゆくゆく一国の代表として他国に嫁ぐなり女王として君臨しなければならないのです」
私はもう何度目になるのか分からないほど苦言を繰り返すのですが。
「はいはい、分かっているわよ」
ベアトリクス様は手をヒラヒラ振ってさっさと倉庫から出て行きました。
「……後で応援を呼んでおきましょう」
ベアトリクス様をそのまま参らせるわけにはいかなかった私は倉庫の前に注意書きを残してベアトリクス様の後を追いました。
「あ! 思い出した!」
ようやくあの二人の名前をどこで聞いたのか記憶が蘇る。
あれは俺がプレイしているユーカリア大陸物語においてクエストに登場する名前。
ベアトリクス=シマール=インフィニティとエルファ=ララフル。
あの二人は過去、初めてユーカリア大陸を統一させたアルファを立ち上げた者達の中で中心人物の一人として伝承に出ていた。
ベアトリクスはその類稀なる智謀でアルファを支え。
エルファはそのベアトリクスの補佐として活躍していた。
ようやくわかったのでスッキリしたのも束の間、新たな疑問が湧き上がる。
「しかし、彼女達が登場した時期はゲーム開始より千年前だぞ」
どうして過去の偉人である彼女達が今、俺の前にいたのか。
何故街並みはゲームとほとんど同一なのか
この世界がゲームの世界と断定するのはまだ早いかもしれない。
「う~ん、謎は深まるなあ」
俺は首を捻りながら道を歩いていった。