全てを振り払い、ただ一人の手を掴め。
あのことを聞いて、数日。
いつも以上に俺はむしゃくしゃして、喧嘩に明け暮れるようになった。
町を歩けば相変わらず向けられるぶしつけな視線も、女たちが俺に向ける好意の視線も、知人が向ける哀れみによく似た心配する視線も、全てが気に入らなかった。
「また、喧嘩したの?」
長い間天姫殿の自室の、布団の上から動くことのできない俺の天女。
呆れたようにため息をついても、病魔にその身を脅かされても、相変わらず竜里は美しくて。
だけれど、今の天姫殿にそんな彼の姿はない。
ねぇ・・・何で?
いつもと同じ、天姫殿の天姫の部屋で目を覚ます。
竜里が、いなくなって・・・狂ってしまったのは俺なのか、それとも世界なのか。
いつもと違うものの配置からそれに気づき、俺は乱暴に自分の髪をかき回す。
癖のない俺の黒髪は、寝る前よりいくらか華奢な俺の手をすり抜けて落ちる。
あたりを見渡せば少しばかり困った顔をした、癖のない黒髪を持つ女が俺を見ている。
大きな丸い黒い瞳も、腰まで伸びた癖のない黒い髪も、俺が昔においてきた華奢な体と小さな背丈も。
あんたは自分と俺がどこか似ていながらも、俺のほうがあんたより綺麗だといったけれど、俺にとってのあんたはこの世で一番憎い存在だ。
「おはよう、呼宝君。」
純粋な人しかできないような、そんな優しい笑い方は俺にはできない。
「おはよう、イツク。」
竜里の愛した天姫殿を残すことさえ、俺にはできない。
小さな声で、賛美歌を歌う。竜里が好きな、賛美歌を。
「呼宝君って、声高いね。」
今日の彼は、私と同じくらい。
夢の中で彼と出会う私は、いつも16歳の女の子で、眠る前は16歳の息子を持つ母だ。
彼は毎夜違う姿で現われ、そしていつも変わらない人間離れした美しさを持っている。
例えば10歳ほどの少女にも少年にも見える少年の姿であっても。
例えば18歳の町を歩けばお姉様方に囲まれそうな青年の姿であっても。
そして今日の彼は16歳の少年で。
でもその年頃らしからぬ色気をその身に纏っていた。
「イツクのほうが、声は高いでしょう?」
「(あぁ、それも気に入らないのか。)」
優しげにでもどことなく皮肉げに目を細めて、彼は笑う。
綺麗な綺麗なオトコノコ。だけどその美しさは花嫁のドレスとは対照的なもので。
ハデス
冥界の、女神を思い出した。
「何を考えているの?」
楽しくもないのに笑う彼は、相変わらず皮肉げな笑みを浮かべ、アタシの首に手をそえる。
絞めることはないけど、いつでも殺せるんだとでも言うように、彼はアタシの首に手をそえる。
ねぇ、貴方の竜里は、まだ・・・生きているのでしょう?
竜里が若くして死んでいくことを彼が知ったら、彼のこのアタシを格下に見ている余裕は、崩れるのだろうか。
かわいそうな子供。竜里に愛され、竜里を愛して、アタシを殺せると信じている、可愛そうな子。
「ねぇ・・・呼宝君。ひとつ・・・教えてあげましょうか?」
彼のほうが愛されていたか、アタシのほうが愛されていたか。
結局何があっても、アタシにとっての最愛の敵は彼であり、
彼にとっての最大の敵はアタシなんだろう。