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序2

なんと奇妙な館だろうか。

エントランスにあった背もたれのない二人掛けのソファに促され、私はそこに腰かけた。腰かけたはいいものの、居心地が悪く、何度も座りなおした。そのためお尻がまったく温まらない。むき出しの手足も冷え切っており、足先をぎゅっとつかんで熱が少しでもとどまらないかと抗ってみる。葉で切ったのか、左の手元に傷があることにその時気づいた。

座るよう促した本人は私が腰かけたのを見届けると、何も言わず背を向けてどこかの扉に入ってしまった。私は硬くなった首を動かし、今いる建物を見回す。まるで躾のなっていない子供のようだと、我ながら失笑する。

うすらぼんやりと照明は灯っている。床一面は白い大理石のタイルで埋め尽くされている。真ん中には濃い赤色のカーペットがある。柄はよくわからないが、花を幾何学的に模しているのだろうか。先ほど自分の泥でカーペットの端のあたりが茶色くなってしまった。それを除けばよくよく掃除が行き届いているようだ。

壁紙はカーペットと同じ濃い赤色だ。ついでに壁掛けのキャンドルスタンドも同時に視界に捉える。こちらもタイル同様よく磨かれているが、金具の装飾の複雑な部分だけは黒かった。掃除がしにくい箇所なのは素人目に見てもよく共感できる。

かつては蝋燭で明かりをともしていたのだろうが、今は電球の影がうっすらとガラス製のランプシェードに映っていた。

そこまで見て、先ほどの男性が戻ってきた。左手にはブランケットをかけており、右手には薄い湯気の立つマグカップを持っていた。洗練された立ち振る舞い、と言えば語弊があるが姿勢がよく、ミステリアスな雰囲気があった。大理石のタイルを躊躇することなくブーツで踏んでいく。彼のブーツは程よく使用感があって、やはり丁寧に磨かれた痕跡があった。この館といい、ブーツといい、綺麗にしたいのは彼の趣味か主義か、とにかく館で権威をふるっているのは彼ではないかと推測できた。

「どうぞ。」

やや低いが年齢に相応の声。差し出されたマグカップを受け取った。

「ありがとうございます。」

「ブランケットも、寒ければ使っていい。」

「はい。」

丁寧に隣に置かれたブランケットを早速使いたい。寒いのでマグカップをサイドテーブルに置いて、ブランケットを肩にかけた。本当に寒かった。助かった心地だ。姿勢を丸めてブランケットが落ちないようにして、マグカップの中を覗き込む。ゆらゆら揺れる紅い水たまり。手元からすでにゆっくり温まっていく。香りは、なんだろうか、紅茶には詳しくないので何の香りかはわからないが、確かにレモンの香りがする。そのまま吸い寄せられるように口をつける。マグカップの中に滞留した香りがどっと口の中に溢れた。ちょうどいい温度で、思っていた以上に渇いていた喉は刺激を受けて紅茶を欲した。一気に飲み干し、ほっと一息ついた。体の真ん中からじんわり熱が広がる。

「…もう一杯要りそうかな。」

「あっ。」

男性の目の前で、はしたないことをしてしまった。私は気恥ずかしくて肩をもっと丸くした。

「いえ、大丈夫です。すみません。」

「そうか。」

男性はマグカップを受け取りますよと言いたげに手を伸ばした。断るのも変なので手渡すと、彼はサイドテーブルに置いた。カップはまだほんのり温かった。

「さて。」

本題に入ろう、とばかりに彼はこちらに向き直った。彼の服にはシワも染みもない。唯一異常なのはやはり彼の眼だろう。

「君は、わからないと先ほど答えたな。自分が何者かわからないと。」

「はい…その、あの…。」

信じてもらえるだろうか。しかし話は聞いてくれそうだ。ブランケットをきつく体に密着させる。

「名前も、全部、わからなくて…信じてもらえないかもしれませんが、気づいたら森に立ってたんです。」

「そうか。何ならわかる。」

「わかるもの…ですか?」

彼の言葉は平坦で、疑問をこちらに投げかけているのかどうか少々分かりづらい。私は頭をひねって考えたが、わかるものというと、言葉と、事象と、体の感覚。記憶に関してはまっさらなのだ。訴えるように見上げてみる。彼の顔は無表情だ。

「記憶は、もう、全然…。言葉とか、は、わかるんですけど。」

ふーむ、と彼はわかりやすく鼻から声を出しつつ顎に手を添えた。

「そう、か。」

そうか、そうか。彼の口癖なのだろうか。

「まあ、そういうこともここでは珍しくないが、君は少々特殊だからな。君のことは後でもっと詳しく聞こう」

そう言うと彼は顎にあった右手を今度は腰に当てた。左手は胸の上にある。

フリルの袖のブラウス、大きいリボンが胸元を飾る。キュロットにブーツ。どこか作り物のような顔立ちで、切れ長の目の中には瞳孔が複数あって、よく見ればそれぞれ縮小と拡大を繰り返している。フェミニンな雰囲気で飾られているが、確かに彼は男性で、年齢でいえば二十歳前後ではなかろうか。それでもそのかわいらしい衣装を着こなせる程度には中性的な顔立ちだ。長い前髪と、後ろで一つに束ねた髪も相まってるせいかもしれない。

「俺はカフカ。このホテルの支配人だ。」

「ホテル…。」

ただのお屋敷じゃないらしい。ならばこの奇妙なほど手入れが行き届いているのも、ホテルだからなのだろうか。ホテルというものがどういうものか、はっきり知っているわけではないが、一見して宿のようには見えない。察したのか、カフカさんは言葉を続ける。

「もともとあった洋館をそのままホテルとして運用しているんだ。といっても、俺たちも住んでるから、空き部屋を客室用にしているだけだ。」

「へえ、そうなんですねぇ。」

「そろそろ全員下りてくると思うから、その時に君の処遇を考える。」

「しょ、処遇…。」

「今のところ三択だ。」

カフカさんがそう言い切ったとき、バチバチバチ!と非常に耳障りな音が聞こえた。見ればカーペットが丸焦げになって、その中心に赤い髪の少年がいた。美しかった赤のカーペットが見る影もない。少年は大股でカフカさんに向かって突き進んできた。

乱れたボブヘアはまだ髪の毛に電気が残っているのかふわふわと逆立っている。動くたびにぱちぱちと静電気の音が漏れている。分厚い靴底のブーツのおかげで、床に電気が逃げないのかもしれない。薄汚れたシャツと、よく見ればオレンジ色の襟巻がちらりと見えている。若干丈の短いズボンとサスペンダー。どれもこれも土で汚れている。

私は彼と初対面ではない。あっ、と声を出し、彼の顔を、目を見開いてしっかり見つめるが、彼は気づいていない。手袋を嵌めながら愛らしい笑顔をカフカさんに見せている。彼もまた中性的、というよりもかなり少女のような顔立ちだ。ぱっちりした二重の目は、恐らく私よりも魅力的。

「カーフカ!用事ってなんだ?」

気づいていない?いや、それどころか、無視?ちょっとばかり傷ついちゃう。

「スピ。手帳を見せてくれないか。」

「いーぞ。」

スピ、と呼ばれた少年はポケットから分厚い手帳を引き抜いた。使い古された本革のカバーで、ぐるぐると紐で縛られている。

カフカさんは紐をぐるぐると解き、中を開いた。川のように目を通してはページを捲る。

何の時間だろう。私は膝を閉じてその様子を見るだけ。スピさんは私のほうを一瞥してはにこりと笑うが、どうも二度めましての相手に向けるものではなさそうな気がする。

「ああ、やっぱりだ。君。」

「はいっ。」

呼びかけられて顔をカフカさんに向ける。背を伸ばし、肩に力が入る。彼はどこか申し訳なさそうで、それでいて憐れんだ眼をしていた。表情筋は硬くフランス人形のようだが、すべての瞳孔がそんな哀愁を漂わせている。

「ここにはスピに言われて来たんだな。」

「あ、はい。」

森で文字通り立ち往生していた私は、あてもなく歩いていた。その時木陰からスピさんが現れ、藁にも縋る思いで迷っていることを伝えた。しかし彼はまじめに取り合わない、というよりも、あっけらかんと大丈夫!と元気にこの場所のことを教えてくれた。簡単に、極めて不安な説明だった。すぐそこに建物あるから、入っていいぜ!とだけ。

「指をさされた方向を信じて進みました…。」

「それは災難だったな。せめてガウェインやマリアなら君をきちんとここに連れてこられただろうに。」

首を傾げて、スピさんは私を指さした。

「こいつ、誰なんだ?」

「えっ、わ、私…。」

確かに名乗ってはいないが、どうしてそんな、初めて見るときのような言い方をするんだろう。まるで、そう、あの出会いがなかったかのような言いぐさだ。意地悪でしているようには見えない。私は混乱と、なんだか私だけ彼を意識しているような、思春期に似た気恥ずかしさでそれ以上自分を主張できなかった。そもそも主張する自分をあいにく持ち合わせていない。

カフカさんはスピさんを右手で指した。

「ちょうどいい、彼はスピリッツ。このホテルでは庭師と森の整備を担当している。君とは二回目の対面だろうが、彼の中では初対面だ。極度の忘れん坊でな、新しいことは三分程度しか記憶が持たない。悪気無く君を忘れている、どうか許してやってくれ。」

スピさん、もといスピリッツさんはその言葉を聞いて手帳を見た。

「ああ!もう会ってたか。よろしくなぁ。」

あっけらかん。またあっけらかん。しかしこんな症状を持っていては、あっけらかんとするほかないかもしれない。

私は、ははは、と乾いた笑いを浮かべて軽く会釈をした。

「どうも…。」

「で、お前の名前は?」

「すみません、覚えてなくて。なーんにも。」

「そいつは困ったなぁ。俺も手帳に何て書けばいいかわかんないし、お前もどうすればいいのかわかんないなぁ。」

「はい…。」

「お互い困ったな。」

「ねぇ。」

「困ったもん同士仲良くしような。」

「えへへ。」

なんだろう、忘れられたのは悲しいが、悪い人ではないだろう。歳も近そうだ。

彼は少し考えて何か手帳に書き足した。おそらく私のこと。きっと碌な書き方はされていないんだろうな。

紅一点。しかしこの中で一番花がないのは私だ。そんなことを気にするほどの余裕はないし、寧ろスピリッツさんのおかげで居心地が少し良くなった。私は自分の癖ばかりの硬質な長髪を撫でた。


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