逃げ場のない思い
次回最終話です。
明日、22時10分頃更新予定になります。
その朝、リリアは早く目が覚めた。
窓の外はまだ薄暗く、辺境の空気は静まり返っている。
鳥の声もない。まるで、世界が息を潜めているかのようだった。
――今日、言わなければならない。
昨夜、何度も自分に言い聞かせた言葉が、胸の奥で重く沈んでいる。
王都の召還を断った。
この地を選んだ。
それでも、それと“これ”は別だ。
リリアはゆっくりと身支度を整え、部屋を出た。
廊下を歩く足音が、やけに響く。
執務室の扉の前で、一度だけ立ち止まった。
深く息を吸い、ノックする。
「……入れ」
カイエルの声。
中へ入ると、彼は机に向かっていた。
書類に視線を落としたまま、こちらを見ない。
「何か用か」
いつも通りの、距離を保った声。
「……お時間を、少しいただけますか」
彼の手が、わずかに止まった。
「構わない」
短い返答。
リリアは一歩、部屋に入る。
だが、それ以上近づかなかった。
「王都からの件ですが」
「聞いている」
「改めて、お礼を言わせてください」
彼の視線が、初めてこちらを向く。
「ここに居場所を与えてくださったこと。
私を……疑わなかったこと」
言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。
「でも、それ以上は……」
胸が、きしむ。
「……私は、ここに“守られる存在”として留まるべきではないと思うのです」
沈黙。
カイエルの表情が、ほんの僅かに変わった。
「意味が分からない」
「分かって、いらっしゃるはずです」
リリアは視線を伏せた。
「私は追放者で、あなたはこの地の領主です。
これ以上、あなたの立場を危うくするわけにはいきません」
一歩、下がる。
「ですから、少し距離を――」
「それは、君の本心か」
遮るように、低い声が落ちた。
顔を上げると、カイエルが立ち上がっていた。
机越しではない距離。
「それとも、自分を納得させるための言葉か」
胸が、跳ねる。
「……違います」
嘘だった。
違わない、と言い切れるほど、強くはなかった。
「君は、いつもそうだ」
彼の声が、少しだけ荒くなる。
「自分の価値を、過小評価する」
「それは……」
「王都でそう扱われてきたからか」
言葉が、突き刺さる。
「それとも、私の前でもそうするつもりか」
空気が張り詰める。
リリアは、一歩も動けなかった。
「私は、領主として君を迎えた」
カイエルは言った。
「だが、それだけではない」
その言葉に、胸が締めつけられる。
「……それ以上を、言う必要はありません」
絞り出すように言う。
「私には、受け止める資格がない」
「資格?」
彼が、低く笑った。
「そんなものは、最初から要らない」
距離が、一気に縮まる。
「私は、君を選んだ」
はっきりとした声。
「有能だからではない。
必要だからでもない」
一拍。
「――君だからだ」
心臓が、音を立てて暴れ出す。
「……そんなの」
否定しようとして、言葉が続かない。
「怖いのだろう」
彼は、静かに言った。
「失うことが」
図星だった。
「私も同じだ」
初めて聞く、弱さを含んだ声。
「だから、距離など取れない」
彼の手が、そっと伸びる。
触れない。触れないが、逃げ場を塞ぐ。
「君を失うくらいなら、立場などどうでもいい」
あの夜と同じ言葉。
だが今度は、逃げられなかった。
リリアの視界が、滲む。
「……卑怯です」
小さく言う。
「そんな言い方をされたら……」
声が震える。
「……諦められないじゃないですか」
沈黙。
次の瞬間、リリアはそっと抱き寄せられていた。
強くはない。
逃げようと思えば、逃げられる距離。
「……答えは、今でなくていい」
カイエルが言う。
「だが、覚えておけ」
低く、確かな声。
「君の居場所は、ここだ。
私の隣だ」
胸の奥で、何かが崩れ落ちた。
守ろうとしていた理性が、
積み上げてきた遠慮が、
音もなく溶けていく。
リリアは、彼の外套をきゅっと握った。
――もう、逃げられない。
そして、それを
少しも嫌だと思っていない自分に、気づいてしまった。
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