好きだと、気付いてしまったから
その夜、リリアは眠れなかった。
ベッドに横になっても、目を閉じるたびに思い出してしまう。
砕けた窓。
床に広がった霜。
そして――あの言葉。
《君を失うことだ》
胸の奥が、ぎゅっと縮こまる。
まるで、触れてはいけない場所を指で押されたような感覚だった。
「……だめ、ですね」
誰もいない部屋で、小さく呟く。
肩の傷は、もう痛まなかった。
包帯の下で、きちんと治り始めている。
だが、心の方は違う。
――どうして、あんな目をするの。
あのときのカイエルの表情が、何度も脳裏に浮かぶ。
冷静で、理性的で、感情を表に出さないはずの人が。
一瞬だけ、壊れそうな顔をしていた。
それが、自分のせいだと思うと、息が詰まる。
「……勘違い、ですよね」
彼は領主だ。
自分は、保護されているだけの存在。
必要だから。
有能だから。
それ以上でも、それ以下でもない。
そう思おうとすればするほど、胸がざわつく。
翌朝、いつもより早く目が覚めた。
夜明け前の薄暗い時間。
リリアは静かに身支度を整え、部屋を出た。
廊下はまだ冷え、足音がやけに大きく響く。
――距離を、取らなければ。
それが、理性的な判断だと思った。
食堂には誰もいなかった。
簡素な朝食が用意されているだけ。
席に着こうとして、ふと気づく。
机の端に置かれた、小さな瓶。
薬草の香り。
昨夜、手当てに使われたものだ。
「……気づかれないように、置いたのでしょうか」
胸が、少しだけ痛む。
食事を終え、リリアは執務棟へ向かった。
これまで自然に手伝っていた仕事を、今日は意識して減らす。
質問されても、簡潔に。
意見は求められた分だけ。
――これでいい。
そう思っていた。
「……リリア」
呼び止められて、足が止まる。
振り向くと、カイエルが立っていた。
いつも通りの表情。いつも通りの声。
「顔色が良くない」
「……そうでしょうか」
「無理はするな」
それだけ言って、彼は去ろうとする。
――優しい。
だが、その優しさに甘えてはいけない。
「公爵」
思わず、呼び止めていた。
彼が振り返る。
「しばらく、仕事から距離を置こうと思います」
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
「……理由を聞いても?」
一瞬、言葉に詰まる。
正直に言えない。
言ってしまえば、すべてが壊れてしまう。
「……私の存在が、狙われる理由になるのなら」
選んだのは、半分だけ本当の理由。
「これ以上、ご迷惑をおかけできません」
沈黙が落ちる。
カイエルは、しばらく何も言わなかった。
否定も、叱責もない。
「……そうか」
やがて、短く答える。
「判断は、尊重する」
それだけ。
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
――引き止めて、くれないのですね。
期待していた自分に、嫌気がさす。
「ですが」
彼が続けた。
「必要なときは、声をかける。君は、ここにいる」
命令でも、慰めでもない。
事実を述べるような声。
「……はい」
それ以上、言葉は交わせなかった。
その日、リリアは一人で庭を歩いた。
辺境の空は高く、雲がゆっくりと流れている。
ここに来てから、初めてだ。
「……好き、なんですね」
小さく、吐息のように漏れた。
否定しても、誤魔化しても、もう遅い。
彼の声に。
視線に。
触れた手の温度に。
心が、確かに反応している。
だが同時に、恐怖もあった。
――この気持ちは、許されるものなのだろうか。
追放者の自分が。
すべてを失った自分が。
彼の隣を望んでいいはずがない。
「……だから、距離を取る」
それが、自分にできる精一杯の誠実だと信じた。
夕暮れ時、屋敷の灯りがともる。
執務室の窓に、カイエルの影が映る。
リリアは立ち止まり、そっと目を伏せた。
――この想いは、しまっておく。
誰にも見せず、誰にも言わず。
氷の公爵に向けた恋心は、
静かに胸の奥へと沈められた。
そう、思っていた。
その選択が、
やがて自分自身を追い詰めることになるとも知らずに。
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