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氷の公爵と、静かな夜

 馬車の中は、驚くほど静かだった。


 車輪の音が一定のリズムで響き、外の冷たい空気が扉越しに伝わってくる。それ以外には、何もない。

 話し声も、命令も、責める言葉も。


 ――静かすぎて、少し怖い。


 リリアは外套の裾を指先でつまみ、膝の上に整えた。

 黒い布は厚く、王宮の夜気を遮ってくれている。先ほどまで感じていた寒さは、嘘のように和らいでいた。


 向かいの座席に座る男――カイエル・グランディスは、窓の外を見ている。

 横顔は硬質で、無駄な線が一切ない。まるで彫刻のようだ。


 ……見られていると気づいたのか、彼がふと視線を戻した。


「何か?」


 短い言葉。責める調子ではない。

 それでも、リリアは反射的に背筋を伸ばした。


「いえ……ただ、夢ではないかと思って」


「夢なら、もっと都合がいいだろう」


 即答だった。


「追放された直後に、辺境公爵が迎えに来る夢など、普通は見ない」


 淡々とした言い方に、思わず小さく息が漏れた。

 ――笑いそうになったのは、いつ以来だろう。


「……そうですね」


 声に出してから、気づく。

 自分が、彼との会話を自然に続けていることに。


 沈黙が戻る。

 だが、先ほどとは違い、重くはない。


「行き先は、私の領地だ」


 カイエルが言った。


「王都からは距離がある。だが、生活に不便はない。使用人も最低限揃っている」


「……ありがとうございます」


 条件反射のように出た礼だった。

 彼はわずかに眉を動かす。


「礼を言われることはしていない」


「迎えに来てくださいました」


「必要だっただけだ」


 その言葉に、胸の奥が小さく波打つ。

 必要。

 役に立つから。価値があるから。


 ――それでも。


「私には、もう地位も立場もありません」


 リリアは、視線を落としたまま言った。


「厄介事を抱え込むことになります。私を受け入れたと知られれば、あなたも……」


「既に知られている」


 遮るように、カイエルが言う。


「王宮の門を出る時点で、私の行動は王太子の耳に入っているだろう」


「……それでも?」


「それでもだ」


 短く、揺るぎない。


 リリアは言葉を失った。

 なぜ、そこまで。


 理由を探そうとして、やめる。

 今は――この人の前で、あまり賢く振る舞う気になれなかった。


「……ひとつ、聞いてもよろしいですか」


「答えられる範囲なら」


「なぜ、私を迎えに?」


 一瞬だけ、馬車の揺れが大きくなった。

 外を走る風の音が、強くなる。


 カイエルはすぐに答えなかった。

 沈黙が数拍、落ちる。


「……君は、覚えていないだろうが」


 そう前置きしてから、彼は言った。


「十年前、王城地下の魔法陣が崩れかけた夜。修復に入ったのは、当時まだ子供だった公爵令嬢だった」


 リリアの指先が、ぴくりと動いた。


「あの魔法陣は、王都全体の防衛の要だった。失敗すれば、多くの人間が死ぬ」


「……はい」


 覚えている。

 あの夜の冷たさ。石の感触。止まらなかった震え。


「誰も評価しなかった。報告書には、複数名の技術者の名が並び、君の名は隅に小さく書かれただけだ」


 リリアは息を止めた。


「だが、私は見ていた」


 カイエルの視線が、まっすぐこちらを向く。


「修復に必要な術式を組み直したのは、君だ。あの判断がなければ、今の王都はない」


 胸が、ぎゅっと締め付けられる。

 痛いのに、逃げたくない。


「……なぜ、それを」


「私は辺境の人間だ。王都の評価など、関係ない」


 彼は淡々と続ける。


「有能な者が不当に切り捨てられるのは、見過ごせない。それだけだ」


 それだけ。

 そう言われてしまえば、それ以上の理由を求めるのは贅沢なのかもしれない。


 それでも。


「……ありがとうございます」


 今度の礼は、反射ではなかった。


 カイエルは小さく息を吐いた。


「感謝されると、やりづらい」


「では……言いません」


「それも極端だ」


 ほんの僅か、彼の口元が緩んだ気がした。

 気のせいかもしれない。

 だが、リリアの胸の奥は、確かに温かくなった。


 馬車は走り続ける。

 王都の灯りが遠ざかり、夜が深くなる。


「領地に着くまで、休め」


 カイエルが言った。


「君は、今夜だけで十分すぎるほどのものを失った」


 その言葉に、リリアは初めて、自分が「失った側」だと自覚した。

 婚約。居場所。信頼。未来。


 ――泣きたくなるはずなのに。


「……不思議です」


 小さく呟く。


「何がだ」


「何も、取り戻したいと思えない」


 正直な言葉だった。


 王太子の顔も、聖女の涙も、もう遠い。

 代わりに、目の前の静かな男と、行き先のある夜がある。


 カイエルは、少し考えるように視線を外した。


「それは、悪いことではない」


「……そうでしょうか」


「過去に縛られない者は、前に進める」


 淡々とした声。

 だが、その言葉は、リリアの胸に深く沈んだ。


 馬車が大きく揺れ、彼女の身体がわずかに傾く。

 次の瞬間、外套の上から、硬い指先がそっと支えた。


「……失礼」


 そう言って、すぐに手が離れる。

 触れたのは一瞬。それでも、心臓が跳ねた。


「いえ……」


 声が、少しだけ掠れた。


 沈黙。

 だが、今度は心地いい。


 リリアは、外套に包まれながら目を閉じた。

 完全に眠るわけではない。けれど、力を抜いても大丈夫だと思えた。


 ――ここは、敵地ではない。


 馬車は夜を進む。

 追

 追放されたはずの彼女を乗せて。


 そして、誰よりも冷たいと言われる男が、その隣にいた。

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