第4章:断章の標本
その夜、橘刑事は名古屋市内の旧市街にある古本屋を訪れていた。そこには、冴子が以前頻繁に通っていたという記録が残っていた。
書棚の奥、埃をかぶった一冊のファイル。中には、新聞の切り抜きと、手書きのメモが無造作に綴じられていた。
『花嫁標本事件』『人工知能による精神パターン模写』『多重人格における記憶の継承性』……。
橘はそれらのキーワードに覚えがあった。全て、かつて冴子が口にしていた言葉だ。
ファイルの最終ページには、こう記されていた。
《記憶は、保存されるのではなく、喰われる》
その文の横には、花のスケッチと、“標本番号:A001〜A003”の文字。
まるでそれは、誰かの頭の中を標本化したかのような記録だった。
そのとき、店の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、かつて桜ホームで介護士をしていた男、村岡だった。
「刑事さん、まだ……続いてるんですよ、あれ」
村岡は震える手で、一枚の写真を差し出した。
そこには、あの“地下の部屋”と同じ構造の空間が写っていた。
そして中央には、誰かが立っていた。
白いワンピース、真っ赤な傘——。
橘は息を呑んだ。
「これ……いつの写真?」
村岡は静かに答えた。
「昨日です。撮ったのは、僕じゃない。送られてきたんです……“冴子”って名前で」
記録は断章として漂い、標本となっていく。
だが、誰がそれを作っているのか?
何のために?
答えはまだ、霧の中だった。