第2章:誰が檻を継ぐのか
名古屋市昭和区、夜の高級住宅街。黒塗りの車が静かに一軒の洋館の前に停まった。降り立ったのは、長い黒髪を揺らす若い女性、安藤美月。冷たくも艶のある瞳を持つ彼女は、元・精神科医であり、現在は厚労省の依頼で閉鎖施設の監査官を務めていた。
彼女の調査対象——あおば静養院。
橘刑事と同様、美月もまた、その施設の消失に強い違和感を抱いていた。患者名簿は破棄され、カルテは改ざんされ、残っていたのは一冊の童話集だけだった。
『檻の中の花姫』と題されたその童話には、こう記されていた。
《花姫は自ら望んで檻に入り、檻の中で誰かを咲かせる。咲いた者は名を失い、姫となる。檻は、檻ではない——》
美月は、その童話を読みながら微かに笑った。
「これは症例記録よ。物語の形を借りた、異常者たちの連鎖」
彼女の笑みには冷酷な光が宿っていた。
——彼女自身が、かつてその“連鎖”の一部だったのだから。
その頃、橘刑事は新たな証言者と面会していた。
桜ホームで一時期だけ清掃業務を請け負っていたという老女・森口照代。彼女は、事件の直前に見た奇妙な光景を口にした。
「地下にあったの。ほんの短期間だけ開かれていた“部屋”。そこにね、白衣を着た子どもが……三人、いたのよ」
「子ども?」
「でも……何かがおかしかった。顔がね、同じなの。まるで、鏡写しのように」
橘は背筋を凍らせた。冴子、志乃、詩織——三つの名が浮かんでは消える。
森口は最後にこう告げた。
「あれはね、人間じゃない。あれは……人間の皮を被った“何か”だったよ」
調査が進むごとに、現実は次第に歪み始める。
過去の罪、愛の残滓、そして檻を巡る奇怪な連鎖。
それを終わらせるのか、それとも——継ぐのか。
物語は、深く、静かに動き始めていた。