第13章:終焉の標本庭
名古屋港、倉庫街の最奥にある廃墟の一角。その地下に存在する“第七特別研究機構”は、存在を許されたはずのない、閉鎖された国家の影だった。
橘と美月は深夜、黒ずんだフェンスを越え、ひび割れた床の先にあるエレベーターシャフトを見つけた。真柴の手引きで解除されたセキュリティを抜け、彼らは無人の施設の闇の中へと踏み込んでいく。
降下するごとに空気が重くなり、無数の監視カメラが彼らを追っていた。やがて視界の先に広がったのは、温室のように整備された奇妙な実験空間——そこには“花”が咲いていた。
しかしそれは植物ではなかった。人間の臓器を模した人工培養物、生殖器官の断片、神経組織の標本……それらすべてが、ガラスの中で咲いていた。
「これは……標本庭……」
美月が呟いた。彼女もかつて、その一部として組み込まれかけた。
「橘さん、あそこ——」
温室の奥、厚い防弾ガラスの向こうに座る少女がいた。
——高階麗。
だが、彼女の目には人間らしい光がなかった。
「来たのね。橘主任」
機械音のような声。だが、その中には確かに、微かな“あの頃”の響きがあった。
「あなたが私を創った。『桜ホーム』の檻で。忘れたの?」
橘は唇を噛み締めた。
「救いたかった。そう思ってた……だが、俺はあの施設で、お前たちを“条件付きの命”として選別してた」
麗は微笑んだ。口元だけの、冷たい微笑。
「そう。だから今度は、私があなたを選別する番」
警報が鳴った。温室全体が赤く染まり、壁の奥から複数の生命反応が現れる。
“模倣体”——花姫の精神記録を基に作られた複製少女たちだった。精神は壊れ、肉体は過剰に再生され、性と死の境界を漂っている。
美月が叫ぶ。
「橘さん、逃げて! こいつら、もう……人じゃない!」
「逃げない。これは……俺の咲かせた檻だ」
橘は懐から、真柴から渡された毒薬カプセルを取り出した。そして、ゆっくりと飲み込んだ。
「橘さん!?」
その瞬間、身体が激しく痙攣し、皮膚の下を黒い網が走る。
だが、それと同時に、彼の中の“花姫”の記録が共鳴し始めた。かつて触れた少女たちの記憶、愛と苦痛の断片、埋葬されなかった罪——それらが毒と共に開花し、精神体となって"標本庭"を焼き尽くしていく。
「麗、お前も……自由になれ」
ガラス越しの麗が、ふと、涙を流したように見えた。
美月が駆け寄った時には、橘の意識は既に燃え尽きていた。
——だが、花の残り香だけが、どこまでも漂っていた。
そして、真柴涼子はそのすべてを見届ける位置にいた。廃施設のモニター室で、彼女は記録映像を保存していた。
「これが、“本当の花骸”……」
彼女の赤い唇が微かに歪む。
「もう一度、咲かせましょうか。今度は……“国”そのものに」
その微笑みが、すべての始まりだった。