第12章:咲かぬ檻、眠らぬ花
「“花姫”が消えた……本当に、これで終わったのか?」
橘の問いに、美月は黙ったまま顔を伏せていた。廃教会の地下に残された匂いは、もう花ではなく、土と血と煤の混ざったものだった。
外に出た二人の前に、一台の黒塗りの車が停まっていた。運転席から降りてきたのは、刑事の真柴涼子——あの事件以来、公安から姿を消していた美貌の女性だった。
「ずいぶん遅かったわね。地獄巡りは、楽しかった?」
真柴の口調は皮肉めいていたが、眼差しは鋭かった。彼女の首元には、かつて美月に刻まれた爪痕が薄く残っている。
「あなたも来てたのか……どうやって」
「私の情報網を舐めないで。あの“檻”がまだ動いていること、あんたらより早く気づいてたわ」
真柴は美月に近づき、耳元で何かを囁いた。その瞬間、美月の表情が一変する。
「嘘よ……それは……」
「本当。"彼女"はまだ生きている。今も“檻”の外で、別の花を咲かせてる」
真柴が手渡したのは、かつて地下壕で使われていた“治療記録”の断片。そこには、脱出後に“保護”された少女たちのうち、ひとりが国家の研究施設に転用されたとの記述があった。
その名は——“高階 麗”。
「まさか……あれほどの崩壊の中で……」
「生きていたのは、肉体だけじゃない。"花姫"の核——"性の構造"と"死の記憶"を記録した精神データ。あれは、今でも誰かに利用されてる」
美月が吐き捨てるように言った。
「そんなの、また“あの檻”を作り直すようなもんよ」
真柴は口元を歪めて笑う。
「違うわ。“檻”はもう最初から、国全体に広がっていたのよ」
橘の中で、過去の出来事がつながっていく。
——桜ホームの建設許可を出した市の議員。
——不自然に抹消された職員の記録。
——そして、匿名の寄付金によって支えられていた“地下治療室”。
「すべて、意図されたものだった……」
「だから、終わらせたいなら、あんたが行くしかない」
真柴は橘に小さなカプセルを渡した。中には、極微量の毒薬。
「それは、花を咲かせずに殺すためのもの。私の趣味には合わないけど、あなたなら……使えるでしょう?」
橘はしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「どこに行けばいい」
「中部厚生管区第七特別研究機構——名古屋港の倉庫街の地下よ」
美月は橘の手を握る。
「わたしも行く。わたしが最後まで、見届けなきゃいけない」
その夜、名古屋の街は小雨が降っていた。
だが、その雨に濡れても、桜の花はなぜか——萎れなかった。