第11章:黒衣の花嫁
美月の手の中で震える“最初の檻”の鍵。それは、名古屋郊外・守山区の廃教会にある旧修道院の地下へと続く扉の鍵だった。
「この場所……かつて“花姫”が最初に目覚めた場所よ」
廃墟のようなその教会には、かつて桜ホームの前身である施設が併設されていたという記録が残っていた。第二次世界大戦後に建てられたその孤児院は、国家の秘密研究とも関連していたという噂もあるが、公式な記録はすべて抹消されていた。
橘と美月は鍵を使って地下へと降りる。
そこには、花の意匠で飾られた無数の棺桶と、壁一面に書かれた奇妙な文字群。
「これは……旧カトリックのラテン語? いや……もっと原始的な……」
橘が文字を読み上げようとした瞬間、辺りの空気が凍りついた。
——そして現れた。
黒いヴェールに身を包んだ少女。かつて橘が見た麗によく似ていたが、その表情はあまりに静謐で、あまりに狂気に近かった。
「ようこそ。これは“わたし”の結婚式。あなたたちは、証人」
その背後には、棺の中から這い出す“花嫁”たち。
いずれも過去の犠牲者、もしくは記憶に囚われた少女たち。
「わたしは、私たちを束ねる存在。
この世の檻から、性と痛みと愛で繋がれた遺構の花々よ——」
美月が叫ぶ。
「やめて、あなたは誰かになりたかっただけ! 誰かに“見られたい”だけだった! でも、そんなのは——もう——」
黒衣の花嫁が手を掲げると、棺のひとつが開き、中から橘の若き日の写真が出てきた。
——そこには、まだ若く清廉な橘が、少女に薬を手渡す姿。
「これは……」
「あなたも、最初から檻の中だった。私たちの“始まり”は、あなたの優しさ。だから、あなたが“終わらせて”。」
棺の中の一つに、鍵穴があった。美月が鍵を差し込む。
「これは、開けるためじゃない。閉じるための鍵——」
カチリ。
音と同時に、花嫁たちの動きが止まり、香のような匂いが空気を満たした。
黒衣の少女は、微笑んだ。
「ありがとう。これで、咲き切れた」
そして、音もなく崩れるように、彼女は花弁となって消えた。
橘と美月だけが、残された。
「これが終わりか?」
「いいえ……これは、ようやく“始まり”よ」
外では、また一輪、桜が咲いていた。だがその花びらは、血のように赤かった。