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エチュード

S→H→R

 オフィス街の谷間にある公園脇の電話ボックスで、深夜悪魔に相談事を持ちかけるのが流行はやっている。悪魔に相談するというのもおかしな話だが、バブルが破裂し日本中が未曽有みぞうの不景気風にさらされている昨今、人々は見返りを求めぬというその慈悲深い悪魔にすがりつきたく思うようだ。


 僕はこの春ようやく馴染んできた仕事をやはり不景気を理由に解雇された。昭和の上へ上へと向かっていく青天井がごとき好景気を生きた先達たちは、異口同音に「いい時代だった」と過去をしのび、賛美する。しかし僕は、まだ若輩の僕は、今が絶望の時代であっても直向ひたむきに未来を見ていたいものだ。


 受話器の中の悪魔と話をしてみたくなったのは、拭い難い不安のためだった。

 亭主が職を失ったこの時期に、我が一家は新しい命を授かった。家族が増えてもちろん直面している家計の心配もあるのだが、それ以上に我が子が生きる次の時代は明るいのかと、漠然とした、自分一人では解消できない不安に背を押され、噂の悪魔に尋ねてみたくなったのだ。なんでも悪魔の眼には未来を見る力があるらしく、思い立った深更に当の電話ボックスへ行くと、そこが二十一世紀の入り口であるかのような、目もくらむほどの期待が狭い空間に満ちていた。


 電話機に十円硬貨を積み置き準備も万端に、十進法のボタンから──悪魔も人間と同じ0から9の整数を用いるようだ──悪魔の電話番号を押していった。

 無機質な呼び出し音が何度か繰り返され、ようやく応じた悪魔の声は、耳に引っかからない、聞いたそばから忘れてしまいそうな印象の薄いものだった。僕が名乗ると思い出したように、告げたはずのない僕の経歴をすらすらと口にする。そして昔からそうであったかのように「兄弟」と、熱のない声で僕を呼んだ。


「兄弟、なあ兄弟よ。お前は息子のために未来がどうなるか知りたいんだろ? だがな、知ったところで変わるものじゃないんだぜ、未来ってのは」


「ああ分かっている。だけど僕は希望を持ちたいんだ。過去に酔うのではなく、未来は今より良くなるのだと確信を手に入れたい」


「お前が望むように、たしかに未来は良くなるよ。人間の技術は日進月歩、三十年も待たないうちに、地球はSFの世界を超越する。科学さまが凡人の想像力を破ってくんだ」


「そうか、なら僕らの子供にとって生きやすい世の中になるんだな」


「生きる上では不自由ない、便利なところさ、未来は」


 通話を終えてひととき目を閉じると、僕がいたはずの電話ボックスは跡形もなく消えていた。


 それから僕は仕事を探し、再び働き始めてからは時間の流れが加速度的に早くなった。二十一世紀が来たかと思えば、もう四半世紀が過ぎ去っている。あのどん底に思えた世紀末は、年を重ねるごとに輝きを増し、ついには最高の記憶に昇華した。

 しかし若き日々はすでに遠く、息子は上の空で死にたいと言う。


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