第6話:出会いと警告、そして追跡
工房の戸口に立つ、見知らぬ少女。神殿の書記官だと名乗った彼女、ニナは、エンキが必死に隠してきた秘密――力の存在と、その代償までも言い当てた。エンキは尖筆を握りしめたまま、凍りついたように動けなかった。恐怖、混乱、そして裏切られたような怒り。様々な感情が渦巻き、言葉にならない。
「な……なんで、お前が、それを知ってる……?」かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
「私の師が遺した記録にありました」ニナは革袋から、一枚の粘土板のかけら――エンキが持っていたものとは違う、より緻密な文字が刻まれたもの――を取り出した。「師は、あなたと同じ力…『リビル・キシュ』について調べていたのです。これはその分析メモの一部。力の特性、そして代償についても…ここに書かれていることと、あなたの体験は一致しませんか?」
ニナが示したかけらの文字は、エンキには読めない古代文字だった。だが、彼女の真剣な眼差しと、自分の身に起きている不可解な現象を結びつけざるを得なかった。この少女は、本当に何かを知っている。
「信じられないかもしれません。ですが、今は私を信じてください」ニナは必死に訴えた。「大神官ザイウスは、このリビル・キシュの力を求めています。彼はすでにあなたの力の兆候を掴み、動き出しているはずです。このままでは、あなたのお母様も…危険が及ぶかもしれません!」
母の名を出され、エンキの心は激しく揺さぶられた。(この女は、俺の弱みに付け込もうとしているのか…? それとも、本当に…?)疑念と、無視できない警告の間で、エンキの思考は混乱した。
「大神官は、その力を使って、恐ろしい儀式を行おうとしています。日食の日に…」ニナがさらに核心に迫ろうとした、まさにその瞬間だった。
ドンッ!!
工房の古びた木の扉が、凄まじい音を立てて蹴破られた。土埃と共に、武装した神殿兵士たちが雪崩れ込んできた。彼らの目は冷たく、手にした青銅の槍が鈍い光を放つ。その動きには一切の躊躇いがなく、明らかにエンキたちを捕縛しに来たのだ。
「来た……!」ニナが悲鳴に近い声を上げる。
「なっ…!」エンキは完全に不意を突かれ、恐怖で体が竦んだ。ピップが袖の中で小さく震えるのを感じる。
「エンキ=ドゥムジだな? 大神官様がお呼びだ。おとなしく来てもらおうか」兵士の一人が、威圧的に言い放った。
(どうする!? 逃げられない!)エンキはパニックに陥りかけた。
「エンキさん、しっかり!」隣でニナが叫んだ。「裏口へ!」
その声に我に返ったエンキは、ニナの手を掴むと、工房の奥へと駆け出した。背後で兵士たちの怒声と、物が倒れる音が響く。
裏口の扉には、太い木の閂がかかっていた。エンキは焦って閂を外そうとするが、手が震えて上手くいかない。
「くそっ、開かない!」
「落ち着いて!」ニナが叫ぶ。「エンキさん、ピップに! あの棚の上にある壺を落とさせて!」
エンキは咄嗟にニナの意図を理解した。ピップに強く念じる。「ピップ、あの壺だ! 落とせ!」
ピップが袖から飛び出し、素早く棚の上の土器の壺に体当たりする。ガシャン!と大きな音がして壺が床に落ちて砕け、兵士たちの注意が一瞬そちらに向いた。
「今です!」ニナが閂を外すのを手伝う。
二人は裏口から、夕闇に包まれた裏路地へと転がり出た。しかし、息つく間もなく、別の方向から松明の光と兵士たちの姿が見えた。すでに包囲されかけている。
「こっちです! 近道を知っています!」今度はニナがエンキの手を引いた。彼女は書記官として神殿周辺の地理には詳しかった。
二人は迷路のようなウルクの裏通りを、必死に走った。月明かりが届かない狭い路地は暗く、どこから追手が現れるか分からない。背後からは、兵士たちの足音と、「逃がすな!」という怒声が絶え間なく響いてくる。時折、行く手を阻むように別の兵士が現れるが、エンキが咄嗟に念じて足元のゴミを散乱させたり、ニナが機転を利かせて別の路地へ誘導したりして、辛うじて追跡を振り切っていく。
(なんで、俺がこんな目に……!)
恐怖と混乱の中、エンキの心に怒りが込み上げてくる。だが、今はただ、隣を走るこの見知らぬ少女を信じ、足を動かすしかなかった。
やがて二人は、人通りの絶えた、夜の静けさが支配する広い通りへと抜け出した。しかし、安堵する間もなく、背後から複数の松明の光と、規則正しい足音が急速に近づいてくるのが分かった。
「……まずい、追いつかれる!」エンキは絶望的な気持ちで振り返った。
月明かりの下、武装した神殿兵士たちの影が、長く伸びて二人を飲み込もうとしていた。