第1話 神谷慧
俺を褒める人間が嫌いだ。奴らは俺の何を知っているというのか。
神谷慧とは俺の名である。賢い人間に育つように、と親が付けた。
あえて端的に言おう。俺は勉強ができる。地元で一番の進学校に首席で合格。その後も、テストの類は満点を逃したことがない。
当たり前の話だが、勉強はできた方がいい。テストの点数が良ければ、内心も稼げる。内心が稼げれば、“いい”大学に行けるし“いい”企業に就職できる。
だが、その生き方に、何か引っかかる自分がいる。これが思春期というやつであろうか。
「神谷!お前の番だぞー!」
先生が俺の名を呼んでいる。あぁ、今はテスト返しの時間だった。
「ふむ。また、満点か。今回も頑張ったな!」
「…はい」
俺は先生が嫌いだ。いつも俺を褒める。高2のテストなど、授業を聞いて課題をこなすだけで分からない問題など無くなる。こんなことで褒められても何もうれしくない。
「やはり思春期か…」
「なぁに?ケイちゃん、思春期なの?」
…。聞かれたか、油断した。こいつは加賀美奏、腐れ縁である。出席番号が近く、中学の頃からよく絡んでくる。浮いている俺に、先生以外で唯一話しかけてくる人間だ。
「ずいぶん遅い思春期だねぇ」
彼女はいたずらに笑う。
「…」
まったく。いつもこうだ。絡んできては俺をからかう。暇なのだろうか。
「用がないなら行くぞ」
放課後である。わざわざ付き合う必要もない。早く帰って課題でもやろうか。
「あ、ちょっと待って。用ならある!」
そういうと彼女は一枚の紙を取り出した。入部届であった。
「ケイちゃん、美術部に入って!」
話を要約するとこうだ。美術部の人数が減ってしまい、部の存続が怪しくなってきた。そこで、奏の友人であり、部活に所属していない俺に白羽の矢が立ったのだ。
「なるほど、大変だな。だが断る。俺はそこまで暇じゃない」
「来なくてもいいの!名前だけ貸してくれればいいから。…お願い!」
「ふむ」
正直、行かなくていいなら所属しておくのもありだ。この学校には部活に所属していない人間はほとんどいない。奇異の目で見られるのはこりごりだ。よし。
俺は彼女が持つ入部届にサインをした。
「これでいいか」
「ケイちゃん、本当にありがとう!!」
本当にやかましい奴だ。
「…それじゃ、俺は帰る」
「うん、バイバイ!また明日ね!」
「あぁ」
帰り道は、大雨であった。
「美術部か」
傘を差しながら空を見上げるとふとあの頃を思い出す。
昔、俺は絵を描くのが好きだった。小学生が描くような、今思えば幼稚な絵。それを毎日、毎日描いていた。…それもあの日までだが…。
「まあいいだろう。」
その日は、何故か課題に取り組む気になれなかった。