第5話:エピローグ
主人夫婦が自室で幼い娘のことで話し合っている頃、使用人の食堂では、休憩中の使用人と仕事が終わった使用人たちが休憩をしていた――
「旦那様も奥様も、自室以外でも仲良くしてくださったら、よろしいのに」
「そんなことをされても、品も格も疑われませんのに」
「夫婦仲がいいなら、屋敷の雰囲気に悪影響なんてありませんのに」
「不器用な方々なんですよ。器用な方々なら、今頃、皆が望んだ通りになっていますよ」
執事に嗜められて、使用人たちの口が一旦、閉じる。
ラヴィニアは社交界の常識を守らなければいけないという固定観念に縛られている。それは概ね正しい。社交界の華と呼ばれる女性は、わざと逸脱してみせて流行を作り出すが、その他大勢の女性は逸脱することを恐れてできない。
アントンは屋敷の中まで社交界の仮面をかぶらなくても、使用人が尊敬してくれることを知っている。だから、屋敷の敷地で家族と使用人の前だけなら、幼い娘が素を出すことに反対はしない。
それでいて、妻にそれを告げたりはしない。
ラヴィニアの持つ固定観念は、ある意味で正しい。子どもをもうけて、自分たちの人生を歩み始める仮面夫婦には必要なことだ。
社交界の常識を来客がいなければ守らなくていい、というのは、ラヴィニアが信じてきた常識を引っ繰り返してしまう重大な変化が必要になる。
自室だけでなく、屋敷の中でもラヴィニアが安心して自然に振舞えるようになるのを、アントンは待っている。大きな変化に妻がついていけないことがないように、慎重に見守っている。
不器用と言えば、不器用だ。
でも、それが不器用な妻の為に不器用なアントンができることなのだ。
「アンナ様みたいになってくださったら、ねえ」
「アンナ様こそ、この家の方々が幸せだという証かしれませんね」
「そうですね」
アンナのようになって欲しい。それには執事も同意した。
当て馬のいなくなった二人は――
アントンがいなくては、距離が詰まらなかった二人。
アントンがいなくては、お喋りな男と仲間たちの足止めが出来なかった二人の結末は変わってしまった。
惚れていても、護衛も雇わず、自室にあるおもちゃのように放置しておいて、危機にも間に合わず、とても当て馬より優れているとは思えない男と、そんな男が好きな物好きな女。
二人の結末を聞いて、アントンは「ああ。それが起こったのは今の時期だったか」と呟き、一年後には忘れ去っていた。
お喋りな男の言葉ではないが、結婚の準備中に乗り気ではなくなった元婚約者のその後など、その程度のものだった。