第71話 彼女は心から二人の幸せを願う
春陽についての話が一段落し、一息ついた後、今度は麻理から美優に話が振られた。
麻理が聞きたいことというのは、大きく二つあった。
一つは、美優のこれまでのことだ。
麻理にとっては春陽が甥なら美優は姪だ。
ほとんど関わりがなかったとはいえ、美優もまた大切な存在であることに変わりはない。
そんな彼女がこうして自分に会いにきてくれて、春陽のことを知りたいと真剣な眼差しを向けてきた。
だが、何年も会っていなかった弟だ。
それも異父弟……。
偶然再会したというだけで、それほどの強い意志を持てるものなのだろうか。
そこまで考えたとき、麻理は嫌な想像が頭を過ったのだ。
思い過ごしであってほしい。
そう思いながらも麻理は、美優がこれまでちゃんと幸せな生活を送れていたのかが気がかりだった。
だが、その想像は春陽の話を聴いているときの美優を見て、確信に近くなってしまった。
だから聞こうと思った。
美優は今までどうしてきたのか、今はどうしているのか、と。
美優は自分のこれまでのことを聞かれるなんてと少し驚いた様子だったが、ちゃんと話してくれた。取り繕うことなく彼女にとって本当のことを淡々と。
その話を聞く過程で美優自身が語ってくれたため、二つ目はわざわざ聞く必要がなくなった。
「美優……」
美優が話を終えたところで、麻理は美優の名を呼ぶことしかできなかった。
言葉が出てこないのだ。
彼女の父、直哉のことは正直あまりよく知らなかったが、美優の話がすべて真実だとしたら、直哉と静香はある意味似たもの夫婦だったと言えるだろう。
もちろん誉め言葉ではない。
子供のことを考えない、自分のことしか考えていない、という意味でだ。
幾らか主観が入っているところもあるかもしれないが、美優はこれまで実際にそう感じてきたのだ。
美優にとっての真実、それは酷い内容だった。
美優も春陽も優しい子だ。もう少しまともな親であったならどれほど幸せに暮らせただろうかとそんな詮無いことを考えてしまう。
話を聞き終えた麻理はついそんなことを思ってしまい、表情を曇らせる。
そんな麻理に対し、美優は自嘲するような笑みを浮かべる。
「参っちゃいますよね。春陽が入院したあの日、あの二人の言い争いを聞いて、知った気になってましたけど……、今日こうして話を聞いて、春陽が送ってきた生活はそれ以上だったとわかりました。……今の私には当時の春陽の辛さが全部とは言いませんがわかる気がするんです。父と二人で暮らし始めて、あの人が自分に興味を持っていないことは感じていました。そしたらすぐに再婚ですよ。もう本当にびっくりで。再婚して以降、あの家で私はずっと異物なんです……」
「そんな状況をずっと放っておいているというの……?」
娘と継母の関係がそんな状況ならば実父として何か対応するものではないのか。そもそも離婚、そして大して間をおかずの再婚のときからそうだ。子供にとってどれほど心の負担があったことか。そういう話があるのなら、まずは娘の心のケアをしっかりしてあげなくては。それが親の義務ではないのだろうか。
「どうなんですかね。わかってて何もしようとしないのか、何もわかっていないのか、それはわかりません。けど知ってる、知らないは関係ないんだと思いますよ。あの人にとって大切なのは今の奥さんと子供だけですから」
娘にこんなことを言わせる父親。
そのことに麻理の胸が苦しくなる。
「……けど、それならどうして一人暮らしを許してくれないのかしら?言い方が悪いのは百も承知だけれど、その方が家庭全体を見たっていいと思うのだけど……」
美優を自由にしてあげれば、自分たちだって家族三人平和に過ごせるのではないかと思えてならない。
現に、継母は美優を追い出したいのだろう。
そうすれば美優ももっと心穏やかに過ごせるのに。
「それは、たぶんですけど、今の家族関係のせいだと思います。あの家では私は連れ子で、そんな私に一人暮らしをさせるというのが、周囲からは私を追い出すように見られるんじゃないかと気にしているんだと思います。あの人は周囲の目というのを異常なほど気にしていますから。自分のやってることはとてもそうは見えないことばかりなんですけどね」
たとえば離婚後すぐの再婚がその最たる例だ。
美優は何もかも諦めたように苦笑する。
美優は話しながら一人暮らしを申し出た際の直哉との会話を思い出していた。
必要ない、そう切って捨てられた後の会話だ。
『お前は私の言う通りにしていればいいんだ。ここからでも通える大学だというのに、一人暮らしなんかさせてみろ。近所からどんな風に見られるか。少しは義母や異母弟のことを考えてやれ』
『っ、私がいない方がこの家にとってもいいでしょ!?家族三人仲良く暮らせばいいじゃない!私は自分でバイトしてでも―――』
『お前がそんな考えだからいけないんだろう!もっと自分から歩み寄る努力ができないのか!だからお前はダメなんだ!ここまで育ててやった恩も忘れて勝手なことばかり言って。お前には人を思いやる心がないのか!?まったく、それもあの女の血のせいか』
『っ!?』
そこまで言われて、もう美優には何も言い返す気力がなくなってしまった。
どうしてそこまで言われなければならない?
血というなら、この人の血だって入っている。
この人にとって自分はいったい何なんだろうか。
親子っていったい何なんだろうか。
美優にはもう何もわからなかった。
直哉は自分のことも春陽のことも離婚するずっと前から興味の欠片もなかったのだろうと散々見せつけられた今ならわかる。だから静香がおかしくなったのか、その前後はわからないが、美優からしたらどっちもどっちだ。
麻理は美優の言葉を聴いて、手のひらに爪が食い込むほど、手を握っていた。
そんなことのために娘を苦痛の中に閉じ込めるというのか。
もしそうだとしたら、静香も異常だと思ったが、直哉も異常だ。
どうしてそこまで自分のことばかり考えていられる?
どうしてもっと子供のことを考えれられない?
子供を作り、生んだのは自分たちだろうに。
その責任はどこにいったのだ。
子供は自分の好き勝手に弄んで、いらなくなったら捨てるおもちゃではない。
どうしてもっと子供の意思や気持ちを考えてやれないのか。
「美優……。私に何かできればいいんだけど……」
麻理は悔しげに眉を顰める。
自分にできることなど何もない。
それは麻理にもわかってはいたが、言葉に出てしまった。
「そんな。私のことなんて本当気にしないでください。これは交換条件、ですよね?だから話しただけですし。……春陽に比べたら大したことありませんから」
そう言って笑ってみせる美優。
それは比べるべきではない話だ。
そんな、本来子供が味わうべきではない、不幸の差など。
美優はそんな環境をこれまでずっと一人で耐えてきたのか。
誰かが美優の傍にいてくれたなら、どれほどよかったか。
けれどそれは自分ではない。
自分では美優の辛さや苦しみを分かち合ってあげることができない。
今日初めて話したと言っていい相手では心を許すなんてできるはずがないのだ。
「私ではあなたの支えになんてなれないことはわかってる。けどね……」
一方で、美優の話を聞いていて、麻理はわかった気がした。
どうして春陽のことでこうも本気になっているのか。
思い過ごしでも何でもない。
美優は家族を求めているのだと、そう感じたのだ。
血の繋がりなどという意味ではなく、心の繋がった家族を。
だから春陽との仲を修復しようと必死なのだろう。
十年以上も一緒に暮らし、幼い頃は仲が良かった二人だ。
静香のせいですれ違いはあっても、美優にとっては春陽こそが唯一の家族なのだ。
あるいは、春陽であれば、美優の心に寄り添うことが可能なのかもしれない。
何かができる必要はないのだ。
ただ、分かち合うことができるだけで、人の心は支えることができる。
春陽が雪愛や悠介に支えられているように。
「……一つだけ、何を言っているんだって思うかもしれないけど、……もし、ハルとちゃんと話すことができて、仲直りができたら……、ハルとならきっと分かち合えると思うわ」
「ははっ、何をですか?私が春陽と何を分かち合うって言うんです?こんな話、春陽にはするつもりありませんよ?」
麻理の言いたいことはわかった美優だが、誤魔化すことを選んだ。
だが、麻理はその誤魔化しには乗らなかった。
「私もできることなら何でも協力する。そのことは忘れないで」
「……ありがとうございます。お気持ちだけ受け取っておきます」
こうして、二人の話は終わり、美優はお礼を言って帰っていった。
ドンッ!!!!
美優が店を出てすぐ、一人、店内に残った麻理は歯を食いしばり、やり場のない怒りを込めて、両手でカウンターを強く叩いた。
(どうしてあの子たち二人にはこんなにも辛いことばかり起こるの!?もっと幸せになっていいはずなのに!あの子たちが何をしたっていうの!?)
麻理は春陽を引き取ると決めてから、春陽の幸せを一番に考えてきたつもりだ。
そのために、自分のできることを必死に考え、行動してきたつもりだ。
春陽の意に沿わないこともしてきたことは自覚している。けれど春陽の意思を捻じ曲げようなんてつもりは全くない。ただ可能性を広げてあげたかった。春陽が求めていないことだとわかっていても。
幸せになってほしいのだ。春陽には絶対に。
そのためなら自分が嫌われようが周りからどう思われようがどうでもよかった。
そして、今日美優と話すことができた。
それだけで麻理は実感したのだ。
自分は春陽のことと同じく、美優のことも幸せになってほしいと願っている。
麻理は心からそう思った。
なぜなら二人とも麻理にとって大切な家族なのだから。
どうか二人の話し合いがいい方向にいきますように。麻理には願うことしかできなかった。
その日の夜。
美優は、自分の部屋のベッドの上で膝を抱えて座っていた。
手にはスマホを持ち、震えそうになる指を必死に堪えながら、春陽への返信を打っているが中々進まない。
麻理から春陽の話を聴いて、会う決心はついた。
けど、怖さはある。
春陽に拒絶されてしまったらという怖さが。
自分は春陽に酷いことを言ってしまった。
昔も、ついこの間も。
美優の目には涙が溜まっている。
このメッセージだって、送った後、その日はちょっと、やっぱり会うのは、と断りの返事が来たらと考えるだけで送るのが怖くなる。
自分はそれでも会おうとし続けることができるだろうか。
メッセージを打っているうちに、幼少期、春陽のことを本当に可愛いと思い、一緒にいることが当たり前だと思っていた頃のことが思い出される。
美優は笑顔の春陽を見るのが好きだった。
(……また、昔みたいな、姉弟に戻りたいよ……。春陽……)
美優は一文字一文字そんな恐怖に耐えながら春陽へのメッセージを打っていった。
春陽に美優からの返事が届いたのは夜遅くのことだった。
美優が指定してきた日に春陽は少し迷ったが、折角美優から連絡があったのに、別の日を調整しようとして延期になってしまうのは雪愛との約束を考えても避けたかったため、美優の言う通りの日付で会うことを春陽は決めた。
だから春陽は美優へ了解の返事を送った。
そして、春陽と美優、二人が会う日時と場所が決まった。
第七章終わりです。ここまでお読みくださりありがとうございますm(__)m
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