第46話 六年ぶりの姉弟の会話は
美優はこの日夏休み中にもかかわらず、大学に来ていた。
サークルの打ち合わせがあったからだ。
スマホで済ませればいいのに、と思わなくもないが、終わった後に皆で遊びに行くために、こうして集まろうとするのは時間のある大学生だからだろうか。まあそんなところも気に入ったから美優はこのサークルに入った。女子だけで騒ぐのは気楽で、時間を忘れて楽しめる。
しかし、部室に着いて、時間まで漫画を読んでいると、ギリギリになって中止の連絡がグループメッセージに届いた。
こんな緩いところもこのサークルのいいところではあるのだが、今日に関しては完全にしてやられた感じだ。
大学まで出てきてしまって、すぐに帰るのも虚しい。
これからどうしようかと考え、やることもないし、きりのいいところまで漫画を読もうと美優は決めた。ただ、折角メイクなどそれなりに時間をかけて準備して家を出たというのにこんな時間の使い方になってしまうとは……。思わずため息が出てしまった。
そうして、漫画を読んでいた時だ。
妃奈がやってきたのは。今日はオープンキャンパスのスタッフをしていたはずだが、聞いてみれば、まさにその最中らしい。
高校生が何人も入ってきて、妃奈が彼らに美優のことを紹介した。
美優が高校生から挨拶をしてもらっていると、後ろの方で、男子高校生がふらついた。
咄嗟だったのだろう。扉についた手が思いのほか大きな音を立てた。
友人であろう周りの子が声をかけている。
そこで聞こえてきた名前に美優の心臓が一度大きく鳴った。
今、彼らは何と言った?
かざみはるひ、確かにそう言った。
美優が件の男子に目を向ける。
『春陽、なの?』
そう確認すると彼はこう言った。
『お久しぶりです、美優さん』と。
まさか、こんなところで弟に再会するなんて―――。
美優の頭が一瞬真っ白になる。
何かを言わなければ、そんな思いばかりが募る。
けれど何を?
元気にしてた?会えて嬉しい?……バカじゃないのか。そんなこと一体どの口が言うのだろうか。考えれば考えるほど言葉が見つからない。
それに、『美優さん』だ。
昔のように姉とは呼んでくれない。
それは当然のことではある。それだけのことをした自覚も美優にはある。
でも、だからこそ、余計に言葉が出てこない。
すると、美優が何かを言おうとしていることを察した春陽が、後で時間を取りますからと言った。
春陽のそういうところは昔から変わらない。察しがよくて、相手が望むように動こうとする。
今もそうだ。
春陽には自分に言いたいことなんてないだろうに。それがまた美優の胸を締め付ける。
そして、待ち合わせのために、と美優は春陽と連絡先を交換した。ただ交換するだけでこんなにドキドキしたのは初めてだった。手が震えそうになるのを堪えるのに必死だった。
その時の美優は、自分のことでいっぱいいっぱいで、春陽の顔色は目に入っていなかった。
オープンキャンパスが終わり、春陽からメッセージが届いた。
美優は正門前にいるからと返し、一足先にドキドキしながらそこで待っていると、春陽がやってきた。
「お待たせしました」
それから二人は、大学近くのカフェに向かった。
それぞれ、アイスコーヒーを買い、席に着いたところだ。
「久しぶりね、春陽。六年、ぶり?」
ずっと何を話そうかと考えていたくせに、最初に出てきたのはそんなことだった。それでも顔が引き攣りそうになる。言葉が閊えそうになる。
「そうですね、お久しぶりです」
一方、春陽は淡々としていた。
話し始めても二人が目を合わせることはない。
「あんた、今高二だっけ?明政受験するの?」
「いえ、決めていません。というか、これまで将来のことなんて考えてもいなかったので。なので、安心してくだい。もう明政を受けることはないでしょうから」
春陽の体調は大分悪い。
先ほどの目眩からさらに悪化しているのを春陽自身感じていた。
頭の働きも鈍く、深く考えて話すこともできていなかった。
逆に言うと、それは春陽の話す言葉が、本音に限りなく近いものになっているとも言える。
春陽はあくまでも態度には出さず、抑揚のない話し方をしていた。
「っ、どうして?……って、私がいるからか……」
今の春陽の言葉だけでも美優は顔を顰めたくなるのを堪えるのに必死だった。
そして、自嘲するように自分のせいかと結論付ける。自分はそれだけの罪を犯した。
「あなたとの約束はちゃんと覚えています。知らなかったとはいえ、会ってしまってすみません」
そう言って頭を下げる春陽。
「それはっ……」
続く言葉がすぐに出てこず、二人の間に沈黙が流れる。
「……ねえ、あんたは今もあの人と一緒にいるんだよね?」
しばらく経ち、美優が言い辛そうに聞く。だが、春陽には美優の内心は伝わっていない。
あの人、それが誰を指しているかは春陽にもわかる。
母親のことだ。
「いえ、今は一人暮らしをしています」
だからこれも春陽は淡々と答える。
「そうなの!?」
「ええ。というか、もうずっと会っていません。今何をしているかも知りません。興味もないですし」
「ずっとって……。あんた今までどうやって暮らしてきたの?」
「小六の夏から麻理さん、……ある人に引き取られて、そこに中学卒業まで住まわせてもらってました。高校入学と同時に一人暮らしを始めましたけど」
新しい情報が次から次へと出てきて、美優の頭が混乱する。
だが、春陽が言い直した麻理という名前は美優の耳にしっかり届いていた。
「……麻理って誰?あんたとどういう関係が…」
「それは俺にもわかりません。教えてもらったことはないし、自分から積極的に聞くこともなかったので」
「そんな相手がなんであんたを引き取るなんてことになったの?」
他人が、子供を引き取るなんてことがあるのだろうか、と美優の中で疑問が大きくなる。
「それもわかりません。小六の夏に家で死にかけて、病院で目覚めたら、麻理さんに引き取られることになっていましたから」
「っ!?」
死にかけた、その言葉に美優は絶句する。それは春陽が大袈裟に言っていると思ったとかではもちろんない。あの母親ならやりかねないからだ。苦痛を感じているかのように美優の顔が歪む。
「……高校から一人暮らしって言ってたけど、その麻理って人の家での暮らしもいいものじゃなかったの?」
母親と暮らしていたことがいいものじゃないのはわかりきっている。
「?いえ?すごくよくしてもらいましたよ。俺みたいな人間にはもったいないほど。けど、だからこそ、これ以上甘えちゃいけないと思って一人暮らしすることに決めたんです」
美優は、今一麻理の存在に納得できない部分もあるが、春陽があの母親と離れて、いい生活をしていたことはよかったと思う。
と同時に、自分は今でも家族のことで苦しんでいるのに、春陽だけが様々なことから解放されてずるいと思ってしまう。
自分にそんな資格などないというのに。春陽の言葉の端々から、幼少期に植え付けられた自己肯定感の低さが窺えるというのに。自分の身勝手さが心底嫌になるが、そんな思考を止めることができない。
「…お金は?どうしてるの?麻理って人が出してくれてるの?」
「いえ、麻理さんがお店をやっていて、そこでバイトさせてもらってます。それでなんとか」
「店?」
美優の問いに春陽がフェリーチェについて説明する。
「そう……。いいね、あんたは楽しそうで。羨ましいくらいだわ」
小馬鹿にしたような言い方になってしまったが、春陽は特に反応しなかった。
それは春陽の過去を知っていれば、嫌味以外の何物でもない。
美優もこんな言い方をしたい訳じゃなかったが、思わず出てしまった。言ってすぐに後悔が襲う。それを誤魔化すように美優はさらに言葉を続ける。
「さっき部室に来た時、女の子も二人あんたに声かけてたよね?もしかして、どっちかが彼女だったりするの?ってそれはさすがにないか」
美優自身、あんな両親を見てきたため、恋愛には足踏みしてしまう。彼氏がいたこともあったが、長続きはしなかった。
春陽もそれは一緒のはずだ。
女性の嫌な面をそれこそ嫌という程見てきたはずなのだから。
「ええ。付き合い始めですけど」
だが、春陽の答えは美優の予想外の言葉だった。
なんだそれは。
美優の心にモヤモヤしたものが広がっていく。
どうして春陽ばかりそんないい思いをしているのか。
一方で、美優の冷静な部分が必死に声を上げている。
春陽のそれまでを考えれば、未だ負債の方が大きい、と。
美優の中で、モヤモヤとした感情が勝ってしまったようだ。
美優の口から出てきた言葉は、最悪に近いものだった。
「へぇ。あんたに彼女がねぇ。あんたは女が苦手だと思ってた。ううん、女なんて嫌いだと、憎んでると思ってた。あんた、あの人とか私にされたこと忘れちゃったの?その彼女に同じようにされるかもって思わないわけ?」
「っ!?」
初めて春陽が反応らしい反応を示した。目を大きくしている。
「その彼女も内心どう思ってるかわかんないでしょ?あんたのこと裏切るかもよ?」
春陽の反応に、美優は自分の中のモヤモヤが晴れていく気がした。
本当に嫌な性格をしている、と心の中で自嘲する。
すると、春陽が今日初めて美優にまっすぐ視線を向けた。
視線を感じ、美優が前を向くと、真剣な表情の春陽が、自分を射貫くような眼差しで見ていた。
「……将来のことは誰にもわからない。けど、俺にとって彼女は、…雪愛は、初めて好きになった、大切な人だから。彼女もこんな俺を好きになってくれた。俺は、同じ女性だからと雪愛をあなたたちと同じに考えることはありません」
はっきりと言い切った春陽の言葉に、美優は目を大きくし、すぐに言葉が出なかった。心がものすごく痛かった。
こうして目を合わせてよく見ると、春陽の顔が赤くなっている。
自分で言っておいて照れているのか、とそのことにも美優は心がモヤモヤした。
実際は、この時すでに春陽は限界が近いくらいに体調が悪かっただけなのだが、美優にはそんなことわからない。
その後、少し会話をしたものの、二人の六年ぶりの会話は何とも後味が悪い形で終わるのだった。
一方、春陽が去った後、大学では、雪愛が悠介に美優のことを聞いていた。
その表情は春陽のことを心配して曇っている。
「あの人は、橘美優は……、春陽の姉だ」
悠介は言い辛そう、というよりも苦しそうに告げた。
「お姉さん!?」
悠介の言葉に雪愛が目を大きくする。
「ああ、春陽のあの反応、間違いない」
悠介は複雑そうな表情をしている。
「けど、苗字が……」
「風見は母親の姓だ。今時、珍しいことでもないだろ?」
悠介の言い方、つまりは離婚した、ということだろうか。
雪愛は春陽に姉がいたことも、その姉と苗字が違う、つまり両親が離婚していることも今初めて知った。
麻理のところにいたことから、てっきり春陽の両親は亡くなっていると思っていたため、尚の事驚きが大きい。
だが、ここでふと思った。
久しぶりに姉に会っただけにしては春陽の反応がおかしくないだろうか。
それに、と悠介に目を向ける。
悠介の様子も先ほどからおかしい。
「ねえ、佐伯君。お姉さんに偶然会ったのはわかったけど、それだけにしては、春陽くんの様子おかしくなかったかしら?…それに、佐伯君も」
「っ、それは……。悪い。俺の口からは言えない。本当に悪い」
悠介は苦虫を噛み潰したような顔をした。
悠介は何かを知っている。
けれど、雪愛には教えるつもりがないようだ。
(春陽くん……)
具体的な形の見えない不安が大きくなり、春陽への心配が尽きない雪愛だった。
春陽は、美優との話を終え、何とか家に辿り着いた。
どうやって帰ってきたかは春陽自身記憶が曖昧だ。
だが、そこまでが限界だった。
熱を測ってみれば、三十九度を超えており、春陽はそのままベッドへと倒れ込んだ。
どうやら疲れが出たとかいう程度ではなく、本格的に風邪を引いてしまったようだ。
春陽はそのまま、眠りに就くのだった。
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