第42話 彼と彼女の想いが重なった
(うん……、大丈夫、なはず)
変なところはないかと入念に鏡でチェックしていたら少し遅くなってしまったかもしれない。春陽を待たせるなんて悪いという気持ちはもちろんあったが、雑にはできない。女の子としてはとても大切なことなのだ。変な言い方になってしまうが、これから会うのはその春陽なのだから。
雪愛は逸る気持ちを抑えながら春陽との待ち合わせ場所へと向かった。
シャワーを浴びた後、更衣室で瑞穂達にはこれから春陽と話してくると伝えた。緊張から顔が強張ってしまっていたかもしれない。
今日のちょっと様子のおかしかった雪愛と今の雪愛を見て、未来と香奈も何かを察したのだろうか。
二人もあれこれと聞くことなく、瑞穂と同じように、頑張って、と言って送り出してくれた。その心遣いが嬉しかった。
待ち合わせ場所にはすでに春陽がいた。
(春陽くん……!)
春陽を目にしただけで雪愛の心臓が高鳴る。と同時に緊張の度合いが増していく。
そこで、雪愛は一度足を止め、深呼吸した。そして、今からこんなことでどうすると自分を鼓舞した。
雪愛は、再び歩を進め、春陽に声をかけた。
「待たせちゃってごめんなさい、春陽くん」
緊張で震えることなく普通の声が出せたことに雪愛はほっと安堵した。
そして、今、二人は並んで夕日を眺めている。
すると、春陽が切り出した。
「雪愛の話したいことって何か聞いてもいいか?」
春陽は、雪愛からの話を聞いたら自分の番だと決意を固める。
春陽に問われ、雪愛の心臓が再びドキドキと煩くなる。
折角落ち着けたと思ったのに元通りになってしまった。
「あ、あのね、えっと……」
顔が熱くなるのを感じる。頑張れ、と自分を鼓舞するが続く言葉が出てこない。
「っ、そういえば、春陽くんも私に話があるって言ってたよね?春陽くんの話から聞かせてほしいな」
そして動揺のあまり雪愛は先延ばしにしてしまった。
言ってすぐ、自分のバカと後悔する。どうしてここまで来て逃げてしまったのか。昨日の夜から心を決めてきたというのに自分の不甲斐なさが嫌になる。
「いいのか?」
春陽は意外そうな様子で尋ねる。話したいことがあると言ったのは雪愛が先だったから。
「うん、もちろんだよ」
こうなったら仕方がない。春陽の話を聞いた後にもう一度勇気を振り絞らなければ。けど、そこでふと思った。自分の気持ちでいっぱいいっぱいで深く考えていなかったが、春陽からわざわざ話したいことがあるなんて、いったい何だろう?と。春陽は今日自分がここに来ることも知らなかったのに。
「……わかった」
雪愛の言葉にあらためて覚悟を決め、春陽は一度深呼吸すると、雪愛の目をまっすぐ見つめた。
その表情は雪愛が初めて見るものだった。
「雪愛にどうしても伝えたいことがあるんだ」
「うん。何?」
促した雪愛の身体が強張る。それにちょっと息苦しい。
春陽の真剣さが痛いほど伝わってきたから。春陽は何を言おうとしているのだろうか。
心臓の音が耳まで響き煩い。
恐怖が後から後からこみ上げてくる。
それでも――――。
こんな自分が…、裏切られるのが怖くて、他人を信じられなくて、一人でいることを選んできた自分が、まさか一人の女性にこんな気持ちを抱くようになるなんて。少し前までの自分ならありえないと鼻で笑うだろう。でもこれが今の自分の嘘偽りのない本当の気持ちだ。自分の我が儘だとしても、それを雪愛に伝えたい。こんな気持ちを抱かせてくれた彼女に。感謝の気持ちとともに。
「俺は、雪愛が好きだ」
春陽はまっすぐ雪愛に自分の気持ちを伝えた。
いつの間にか春陽の中にいた。気づけばどんどん大切な存在になっていった。想いは募っていき、自分が人を好きになれるのだと教えてくれた。———春陽が初めて恋した人。
「え……?」
一瞬、何を言われたのか雪愛にはわからなかった。
だが、聞こえなかった訳ではない。
真っ白になった頭が、徐々に春陽の言葉を理解していく。
すると――――、
雪愛の瞳からスーッと静かに涙が流れた。
それは頬を通り、顎先から落ちていく。
雪愛自身は自分が涙を流していることに気づいていない。
その涙に驚いたのは春陽だ。
「雪愛!?どうした?……やっぱり嫌だったか?」
やはり告白なんて雪愛には迷惑だったかと胸に痛みが走る。好きな人を泣かせてしまったという事実は春陽にとんでもなく大きな罪悪感を抱かせ、苦しそうだ。
「えっ?」
春陽の言葉に雪愛の身体がビクッとする。
嫌だなんて言っていない。そんなこと思う訳がない。
それなのになぜ春陽はそんなことを言うのか。雪愛は混乱してしまう。
雪愛の様子を見ていた春陽は、恐る恐るといった手つきで、雪愛の頬に右手を伸ばす。
そして今も溢れる雪愛の涙をそっと親指の腹で拭う。
「ごめん、泣かせたかった訳じゃないんだ。……泣かないでくれ、……頼む」
春陽は痛む胸を必死に誤魔化し、雪愛へ言葉をかける。春陽は雪愛への申し訳ない気持ちでいっぱいだった。断られることは想定していても、泣かれてしまうことは想定していなかったから。
春陽のその言葉で初めて自分が泣いていることに雪愛は気づいた。勝手に流れていた涙が春陽を勘違いさせてしまった。違うのに。そんなのじゃないのに。この涙は―――。
雪愛は慌てて小さく首を振る。自分の想いを言葉にしなければ。
「ちが、違うの。嫌とかそういのじゃなくて。これは、……これは春陽くんに好きって言ってもらえて嬉しくて」
そう言って、頬に添えられた春陽の手に自分の手を重ねる雪愛。
その顔は静かに涙を流しながら、微笑を浮かべていた。
雪愛の言葉に春陽の心臓がトクンと高鳴る。
それは、まさか?いや、けど本当に?そんなことがあり得るのだろうか?
春陽の中で様々な思いが浮かぶ。
「それって……」
春陽が実際に言葉にできたのはそれだけだった。
雪愛は自分が泣いているとわかってしまえば、涙が出た理由については簡単に察することができた。
当然だ。今日、雪愛は告白するつもりでここに来た。
朝から自分でも意気込み過ぎていたと感じるほど、そのことで頭がいっぱいだった。
午後から春陽達と一緒に過ごすにつれて、徐々に普段通りに戻れていたと自分では思う。
春陽と二人、海を浮輪でぷかぷか浮いているとき、春陽に今日話したいことがある、と言えたことも大きいだろう。
後は自分の気持ちを伝えるだけだ、と心が定まった気がした。
春陽からも話があると言われたときはどうしようかと思った。
自分がしたい話の内容が内容なので、春陽の話は聞けないかもしれない、と。
さっきは春陽に促され、折角想いを伝える機会だったのに、思わず動揺してしまい、春陽の話を先に聞くと言ってしまった。
けれど、その後の春陽は今まで見たことがないほど真剣な表情で、何を言われるのかと少し怖くなった。
それがまさか春陽から告白してもらえるなんて。
驚きや嬉しさ、幸せなど様々な感情が飽和して、それが涙となって勝手に出てしまったのだ。
春陽を吃驚させてしまった。
春陽の表情を見るとまだ誤解させてしまっているかもしれない。
春陽が自分の言葉を待っている。
早く自分の気持ちを伝えなくては。もっとはっきりと。心を込めて。自分は元々そのためにここに来たのだから。
「私も…、私も春陽くんのことが好きです」
その時の雪愛の表情はこれまで誰も見たことがないほど、幸せに溢れ、輝いていた。
「っ!?」
春陽は息を呑み、目を大きくする。
あまりの衝撃に言葉にはならなかった。
すると、雪愛が春陽の胸に顔を埋めるように飛び込んだ。衝動を抑えることができなかったのだ。
「私、私ね、今日春陽くんに気持ちを伝えようって、ずっと考えてて。けど、断られたらって、怖くて。すっごく怖くて」
雪愛は想いを伝えることができて、春陽と両想いだとわかって、気持ちが溢れてしまったようで春陽に自分のことを話し出す。
雪愛の瞳から再び涙が溢れ出る。嬉し涙は全く制御ができない。でも今はそれでいい。この気持ちを抑え込むなんてことできないし、したくない。自分の心はこんなにも春陽への想いで満たされているのだから。
「うん……」
春陽は、雪愛の言葉を聞き、相づちを打ちながら、そっと壊れ物に触れるように雪愛の背に腕を回す。
まさか、雪愛が今日自分に告白しようとしていたなんて思いもしなかった。雪愛の話というのは自分と同じだったのだ。
そのことに驚きながらも、今は雪愛の言葉を聴こうと耳を傾ける。
春陽の腕を背に感じたのか、雪愛も春陽の背に腕を回した。
雪愛の腕に籠められた力に呼応するように、春陽も強く雪愛を抱き締める。もっと、もっと全身で互いの存在を感じたいと思っているかのようだ。
それは、雪愛が思いの丈を言い終わり、涙が止むまで続いた。
泣き止んだ雪愛は腕の力を緩めると、顔を上げ、春陽を見上げる。
その目は少し赤くなっていた。
春陽もそれに合わせて腕を緩め、雪愛の肩に手をやり、同じく雪愛を見た。
見つめ合う二人の顔は幸せそうに微笑んでいる。
お互いの瞳が相手を映し、互いに目が離せない。ずっとずっと見ていたい。
まるでこのオレンジ色に染まる世界には互いに相手しかいないとでもいうように。
波の音だけが一定のリズムを刻む中、しばらく静かに見つめ合う時間が続いた。
どれほど時間が経ったのかはわからないが、徐に、雪愛がその目を瞑った。
頬には赤みが差している。
雪愛の行動のその意味は一つしかなかった。
それがわかり、春陽の頬にも赤みが差している。
春陽の顔がゆっくりと雪愛の顔へと近づいていく。ただ緊張しているのかその動きは少しぎこちない。
そして、その距離がゼロになり、そっと二人の唇が触れ合った。
それはほんの一瞬のこと。けれど二人にとっては―――。
唇が離れ、二人は再び見つめ合う。
「雪愛、好きだ」
「私も。春陽くんが好き」
あらためて互いに気持ちを伝え合い、二人は笑みを浮かべると、今度は自分からとでもいうように、雪愛が春陽の首に腕を回し、踵を上げ、春陽の唇に自分のそれを重ねるのだった。
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