第35話 海の家でのバイトが始まった
春陽と悠介は電車に乗り、悠介の叔父である啓蔵が経営する海の家へと向かっていた。今日から一週間の住み込みでのバイトとなるが、二人ともスポーツバッグ一つと身軽だ。
電車で二時間弱。
二人は海水浴場のある最寄り駅へと着いた。ここからは徒歩十分程度だ。
まずは、同じく啓蔵が経営している海近くの民宿へと向かう。そこが一週間春陽と悠介が寝泊まりする場所となる。
民宿へと到着した二人は扉を開けると、悠介が中に向かって声を張った。
「すみませーん」
すると奥から一人の女性が出てきた。
「はいはーい。って、あら、悠介、春陽。いらっしゃい。二人ともよく来たわね」
「お久しぶりです、成海さん」
「お久しぶりです」
御島成海は海開きの期間、この民宿を手伝っている女性だ。
ダークブラウンのミディアムヘアをアップにしており、Tシャツにショートパンツというラフな服装だが、それがまたよく似合っている。さらには、服を押し上げるほどの主張の激しいスタイルをしている。中々の美魔女っぷりだ。
ちなみに、啓蔵とは大学の同級生らしい。大学時代に意気投合し、今でもいい友人だ。啓蔵の彼女でも何でもない。と言うよりも成海は既婚者だ。左手の薬指にはその証が嵌められている。
「部屋に案内するわね。ケイちゃんは海の家で待ってるから、着替えたら早速行ってあげて?」
軽く挨拶を交わした後、そう言って、成海に案内されたのは去年と同じ部屋だった。二人が寝泊まりするには十分な広さの和室だ。
二人は荷物を置くと、すぐに水着へと着替え始めた。
春陽は、青系のサーフパンツに白い薄手のパーカーを羽織り袖を捲っており、悠介は、赤系のサーフパンツに派手な柄のTシャツを着ている。そして二人とも首にタオルをかけている。仕事中は非常に暑いため必須アイテムだ。
着替え終わった二人は、成海に一言声をかけ、民宿から徒歩で五分足らずにある海の家へと向かった。
海の家に着いた二人は一際目立っている人物に声をかけた。
海の家は、すでに結構な賑わいだ。
「ケイちゃん、来たよー。今年もよろしく」
「よろしくお願いします、ケイさん」
二人の声にその人物が振り向いた。
「悠介、春陽ちゃん!よく来たわね!待ってたわよぉ」
野太い声で二人に返事をした人物、佐伯啓蔵は、長い金髪を首もとで一つに纏めて、ボディービルダーのような筋骨隆々な体をしており、こんがりと日焼けした肌が筋肉をより際立たせている。
ブーメランパンツの水着にアロハシャツを羽織っており、それが様になっているから不思議だ。口調でわかるかもしれないが、見た目と中身のギャップが激しい。
去年、啓蔵と初めて会った春陽は、そのキャラの濃さに理解が追いつかず、一時茫然としてしまったほどだ。その時悠介は春陽を思いっきり笑い、啓蔵に怒られていた。
「あんた達、相変わらず引き締まったいい体ねぇ。去年より男らしくなったかしら?二人がいると女どもがどんどん来るからね。じゃんじゃん稼いじゃいましょ。それと春陽ちゃんの考えたメニュー、すっごい好評よ。レシピ通りに作ってるけど後で味見してみて♪」
最後は綺麗なウインク付きだ。
「え、ええ。わかりました」
「ははっ。変わらねえな、ケイちゃんは」
久しぶりの啓蔵節に、春陽は若干押され気味になり、悠介は乾いた笑いが出るのだった。
そんな話をしていると唯一人働いていた女性が啓蔵に文句を言った。
「ケイちゃん、サボってないで早く仕事してー。悠介君、春陽君、おひさー。今年もよろしくねー」
「はいはい、わかってるわよ、彩花。それじゃあ二人は去年と同じ感じでお願いね」
小鳥遊彩花は、この街が地元の大学二年生で、去年もここで働いていた。明るい性格でコミュ力も高く、悠介達にとっても頼れるお姉さんといった感じだ。明るい茶髪を一つに束ねて右側で流し、ビキニの水着の上にTシャツを着て、胸の下あたりで裾を結んでいる。
春陽と悠介は、彩花に頭を下げて挨拶を返し、啓蔵に返事をしてそれぞれ仕事を始めるのだった。
春陽は調理と飲食関係の接客、悠介は飲食関係の接客と物品のレンタルや販売の接客といった具合だ。
ちなみに、啓蔵は調理がメインで、彩花は悠介と概ね同じ仕事内容となっている。
ここでは、春陽の日常において非常に珍しいことに、春陽のことを『春陽』と名前で呼ぶ人ばかりだ。
去年は最初、そのことにも大分抵抗があったが、この時期、この場所だけのものだと思えばそれほど気にならなくなった。
啓蔵の海の家は、民宿もやっているため、営業時間が朝の九時から夕方の十七時までと早めの終わりだ。今日は途中からだった二人だが、明日からは始まりから終わりまで働くことになる。
さすがは繁忙期といったところだろうか。
客が途切れることはなく、春陽達は忙しく働いている。
春陽も悠介も持ってきていたタオルを頭に巻いており、それもまたよく似合っていた。
繁忙期は間違いのない事実だが、春陽や悠介をチラチラ見ている女性客が多いため、啓蔵の言った通り、二人目当ての客が多いのも事実なのかもしれない。
中には春陽や悠介に声をかけてくる女性客もいて、悠介は穏便に、春陽は結構な塩対応で断っていた。
仕事中の春陽は、以前逆ナンされた時のように、引いて黙ったりしないのはさすがだ。
それから春陽考案のミルフィーユカレーも啓蔵の言う通りよく売れていた。
春陽も啓蔵に言われてすぐに味見をしたが、美味しかった。
この新メニューのために、ミニ黒板を一つ使って、絵と説明がされており、店として推しているのがわかる。
限定三十食という特別感も一役買っているかもしれない。
実際、女性客からの注文が多く、カレーが届くと可愛いと盛り上がり、そのほとんどがスマホで撮影していた。その後、食べ始めれば、今度は美味しいと盛り上がっており、お昼を過ぎた頃には、その日の分が完売した。
完売するまで、そうした光景を今日だけで何度も見た春陽は、達成感や充実感を感じ、メニュー開発に挑戦してよかったと一人小さな笑みを浮かべた。
間に休憩を挟みつつ、働き続け、この日の営業はあっという間に終わった。
営業が終わると、彩花は海の家にあるシャワー室でシャワーを浴びてから帰っていった。
春陽達三人は、簡単に掃除をし、戸締りをしてから民宿へと戻った。
民宿に戻ると、成海が三人を迎えた。
「お帰りなさい。悠介も春陽も久しぶりで疲れたんじゃない?お風呂はいつでも入れるし、ご飯も下準備はできてるからね」
「「ありがとうございます」」
「成海ありがと。すごく助かるわぁ」
「何言ってんのよ。私は大したことしてないわ。ケイちゃんなんて昼間は海の家で働いて、夜は全部の仕込みをやってのお化け体力じゃない」
「誰が化け物ですってぇ!?」
瞬間的に啓蔵の額に青筋が浮かぶ。初めて見る人は腰を抜かすほどの圧がある。
「そんなこと言ってないでしょ。それじゃあ私は帰るからまた明日ね」
だが、成海は啓蔵のそんな反応にも慣れたもので、呆れた表情で言い返し、そのまま別れの挨拶をした。
「ええ、お疲れさま。また明日よろしく頼むわ」
啓蔵も先ほどの圧が嘘のように、笑みを浮かべる。
春陽達も挨拶を返し、成海は民宿を後にした。成海が民宿で働く時間は、啓蔵が海の家に行っている間ということになっているからだ。
今春陽と悠介はお風呂に入っている。啓蔵が先に入ってきちゃいなさい、と勧めてくれたからだ。お風呂に入っている間にと今日着ていた分の洗濯機も回している。
一方、啓蔵は春陽達の入浴中にご飯の準備をしてくれている。それもノリノリで鼻歌を歌いながら。
一体いつ休んでいるのか。本当にすごい体力をしている。
体を洗った二人は湯船に浸かっていた。
「いやー、やっぱこのバイト疲れるな」
「ああ。暑さがヤバいしな」
疲労度が高いのは確かだが、その分、食住は付くし、時給はいいため、二人に不満はない。
「だな。何回海に飛び込みたいと思ったか」
暑い中、海で遊ぶ客を見ながらというのは結構辛いものだ。
「それに客に声をかけられるのは余計に疲れる」
ため息を吐きながら春陽が愚痴る。
「お前、めちゃくちゃ素っ気なく断ってたじゃねえか」
「……ケイさんの店だし、あれでも気を遣ったつもりだ」
「くくっ。まあそうなんだろうけどな。……お前が優しくなるのは白月相手くらいだろ?」
ニヤっと笑いながら悠介がそんなことを言う。
「…………」
春陽は黙ってしまった。が、無駄だとわかりながらもジト目を悠介に向ける。
雪愛への想いを自覚してしまった春陽には雪愛が自分にとって特別だと思い当たる節があるから黙るしかないが、ジト目は最後の抵抗、無言の抗議、のつもりだ。
黙ってしまった春陽に、悠介は雪愛のことに関しては本当に素直な反応をするなぁと声に出さずに笑った。
お風呂から上がった二人は、啓蔵が暮らしている部屋へと向かった。
部屋の中は、カーテンや家具、クッションなど『可愛い』で溢れていた。可愛いものに目がない啓蔵の趣味が全開となっている。春陽と悠介は去年も見ているため、そこに驚きはない。
二人が部屋へと入ったとき、啓蔵が可愛らしいエプロンをつけて、三人分の食事を並べているところだった。
「少しは疲れが取れたかしら?明日からも頑張ってもらわなきゃいけないし、いっぱい食べて早く休みなさいね。今日はお刺身の盛り合わせとサバの塩焼きよ。ご飯はたくさんあるからおかわりしてちょうだい」
ここでの食事は新鮮な海の幸が中心で、啓蔵が料理上手ということもあり、どれもすごく美味しい。
春陽と悠介は啓蔵にお礼を言って、三人はお喋りをしながら食事を楽しむのだった。
「あら、そうだったの?じゃああのメニューができたのはその雪愛ちゃんって子のおかげなのね」
「ええ。本当にたくさん助けられました」
啓蔵が、春陽にどうやってあの新メニューを考えたのかと聞いて春陽がそれに答えたところだ。
「そぉ。雪愛ちゃんってどんな子なの?」
啓蔵は春陽に優しい目を向け微笑む。
「どんな、ですか。……すごく優しい人ですよ。意志の強さもあって、行動力もあります。笑顔が似合う―――――って、まあそんな感じです」
雪愛のことを思い返しながら、真面目に答えてしまっていた春陽だが、ふと我に返り、語ってしまったことが恥ずかしくなったため打ち切った。
打ち切らなければ、まだまだ続いていただろうと簡単に予想できる。
「ふ~ん、春陽ちゃんが女の子のことでそこまで言うなんてねぇ。私もその雪愛ちゃんって子に俄然会ってみたくなったわ♪」
「いえ、まあ機会があれば……」
会いたいと言ってすぐに会える訳がない。そんなこと啓蔵もわかっているはずだが、自分の語ったことで啓蔵がそう思ったというのはちょっと照れ臭い。
悠介はそんな二人の会話に、言いたい衝動を堪えるので必死だった。
今ここで、ケイちゃんすぐに会えるじゃんか、なんて言って、割って入ったら、春陽はどんな反応をするのだろうかと考えてしまう。
啓蔵だって、予約名簿ですでに知っているはずなのに、絶妙に誤解させる言い方をしている。
悠介がサプライズとして春陽には黙っててほしいと頼まれ、その旨を啓蔵にも伝えた結果が今の状況ではあるのだが。
雪愛なら事前に春陽に言うんじゃないかとも思っていたが、どうやらそれもなかったようだ。
そう考えれば、若干春陽が不憫にも思える悠介だった。
食事を終えた春陽と悠介は、片付けを手伝い、部屋へと戻った。
二人ともさすがに疲れていたのか、洗濯物を干した後、その日はすぐに布団を敷いて、眠りにつくのだった。
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