7.戦場の幻影
「手を貸す必要は…ないかな?」
イリスは戦闘の補助をするべきか迷ったが、ハイドラには必要は無さそうだった。出番すら与えてくれそうにはない。
今のまま重力場で敵の身動きを制限するだけで十分そうだ。
「お手並み拝見といこう!お前の力を見せてみよ、勇者ハイドラよ。」
イリスはハイドラが彼の望む夢の果てを、彼と共に見たくなった。
「人間どもが内輪もめしている今が好機だぞ!!」
魔族の兵士達は人間達が争っているのを好機だと判断し、人間側に一斉に攻めようとする。
「させるか!!王の命令を聞けぬとは後で奴には注意しとくか!!」
イリスは魔族側の重力だけを強めて、下手に動けないように動きを制限した。息を吸う事も辛い状況にする。
ハイドラが魔族についた事をまだ彼らは知らない。
魔族の平和の為に戦う兵士を抑えつけるのに、イリスは少し罪悪感を覚える。
だが放置すればハイドラにも攻撃が及ぶ可能性がある。
(ハイドラの唯一不安なのは彼の精神面か…かつての味方に裏切者と言われるのは辛いだろう…)
イリスはハイドラがこの場面からどうするかが気になっていた。
裏切者と呼ばれる状況がつづけば、心が先に潰れてしまうかもしれない。それが不安だった。
もしハイドラが人間側に寝返ったとしても、彼を見逃すつもりだ。
寝返って魔族を殺すと言うならば、それでもイリスは構わなかった。
それも彼の選択の一つだからだ。無理だから諦める事を咎めはしない。
人間と共に夢を見れただけでも、イリス達魔族にとっては進歩だからだ。
『覚悟』を決めて信念の元に目的を達成するのは困難だ。だって途中で心が折れるから。
心と言うモノは思っている以上に脆い。いっそ心を無くせばと思っても、心が無い事はもはや生きているとは言えない。
綺麗事だけ並べて、全てがうまくいくなんてありえない事をイリスは知っていた。
彼の望み…いや自分たちの望みは困難な事の連続…つまりイバラの道…それを裸足で歩くようなモノなのだ。不可能に近い。
どれだけ頑張っても何らかの拍子に全てがダメになる。
それでも夢を叶える為に命を賭け続けられる者がいるのを信じたかった。
困難の連続に心が折れるかもしれない。体が壊れるかもしれない…
でもそれさえも乗り越え、不可能な夢を叶えられる者を、皆は『勇者』と呼ぶ。
平和の為にハイドラはイリスに命を捧げようとした。
ならば自分も平和の為に命を捧げると決めた。
不可能な事に出会しても、彼が諦めずに命を賭けるなら、出来る限り手助けをするつもりだ。
それこそ自分が力尽きる最後の最後まで彼に付き合うつもりだ。
ハイドラはただ戦場の先へ進んでいる。敵将の元へ向かってただ歩く。
「死ね」
「裏切者め」
兵士達は武器を構えてハイドラに攻撃する。
それでもハイドラは歩むのを止めなかった。ただ歩いていた。
周りの兵士達はハイドラの力によってお互いを攻撃し合っている。
敵兵は互いに距離を取ってハイドラを警戒する。頭では味方同士が攻撃しているのを理解している。
でもハイドラの『逆夢』の前では無力。いざ攻撃しようとすると、いつの間にか攻撃対象がハイドラから味方になっていた。
それをただハイドラは少し悲しそうな顔をして通り過ぎていく。
「お願いだ…死なないでくれよ…」
一人で多くの人間を相手に傷一つつかずに制圧していく。
「バ…バケモノだぁ‼︎」
時間が経つにつれて兵士達は現状を理解して現実を受け止める。
何百人もの仲間がハイドラ一人に倒されているのを見て彼が只者ではない事に気付く。気付いた頃には自分の傍にやってきている。
そして気付かないうちに倒れている。
気付いた頃には仲間同士で殺し合っている。気付けば仲間は倒れている。
まるで呼吸をするごとに死が近づいているようだった。
兵士達にとってハイドラは死神。
幻影のようにゆっくりと近付き…敵を認識したら、いつの間にか自分が倒されている。
ハイドラは左手をズボンのポケットに入れたまま、人間の兵士達の中を進んで行く。
最初はハイドラに襲い掛かる兵士だったが、仲間が彼に攻撃を当てる事なく同士討ちをしている事で、次第に畏れを成して彼を避け始める。
一人の圧倒的な力の前に戦意を喪失していた。
戦意を喪失した兵士達は、後ずさりしながらハイドラが前に進む為に道を作る。
ハイドラが最初言った様に、死にたくないから剣を構えているが目を瞑り続ける者もいた。
兵士達は次第に武器を構えるのを一旦止め始める。ハイドラの姿を遠目に眺めていた。
攻撃する魔族はおらず、ハイドラも殺すつもりはなくトドメを刺さない。
つまりは武器を構えなければ死なないと理解させられたのだ。
戦意を喪失したのだ。暖簾に腕押し、柳に風のように一般兵はただただ無力化される。
もちろん魔族に恨みを持つ人間は命を顧みずに、単独で突っ込んで行きハイドラに攻撃する。
だが『夢幻』で攻撃は当たらず、『蝕夢』で痛みを与えられる。
1対1でも1対多数でも、傷一つつけられない。
勝てないと分からされた。まるで羽虫が人間に挑むくらいの圧倒的な差があると…
「あの戦いぶりを見るに…ったく、どっちが恐ろしい魔王か分からんな…」
イリスはハイドラの戦い方が、あまりに勇者の戦い方でないと実感していた。
(恐らくは幻術により敵を自分に見せて、相打ちを誘発する。しかもその認識が変わっている事に相手は気付けない。いつの間にか仲間を攻撃させる技。)
外道の戦い方。正々堂々といったような、戦士としてのプライドを感じない卑劣な戦い方。
歴代の勇者は正々堂々と戦うタイプだったのに比べると、邪道すぎる戦い方だ。
しかしハイドラにはまだ抜かない剣がある。
ここから更に戦い方が変わるのはイリスにとっては心強くもあり、同時に恐ろしく強い存在だと実感させる。
(だがハイドラが今戦っているのは一般兵。戦場である以上、兵をまとめる将がいる筈。それも一騎当千のな)
敵にも将はいる。圧倒的な実力を持つ者が戦場にいない事はあり得なかった。
兵が大量にやられているならば、早急に戦線のケアに来る為に。
そして想像した通り、甘くは無かった。遠くで兵士の様子に気付いた人間が二人でハイドラの元に近づいて来る。
彼らをハイドラの元に導くかの様に兵士達は移動して道を開けた。
「おいおい、敵の為に一本道なんて作ってどうしたよ?やる気ないなら、かえ…」
奥の方から巨大な斧を肩に抱えて赤髪の男は立ち止まる。40〜50代くらいの歴戦の戦士だった。片目は眼帯をしているが、体はキズだらけの筋肉質で屈強な肉体だった。
大抵の人間は正攻法では彼に勝てないと思ってしまう強そうな人間。
一方でその隣を歩くのは若くて弱そうな女子だった。
「ゴリりんどしたの?急に立ち止まって?」
ライフルを抱え金髪のツインテールを揺らし、派手なメイクと格好をしたギャル系の女性が近づいてくる。
「おいおい、ティアラ見ろよ。アイツは…」
ゴリりんと呼ばれる男は、ゆっくりと歩きながら近づいてくるハイドラの姿を見て驚愕する。
「あれれぇ、ハイドラっちじゃん、ヤッピー!」
ティアラと呼ばれる女性はハイドラに向かって大きく手を振る。
ハイドラも2人の姿に気付く。
「ゴリアテとティアラか…」
「ったく、ハイドラを探しに戦場に来たらこれかよ…」
ゴリアテは溜息を吐いて、巨大な斧を肩から下ろして構える。
ハイドラにとっては予期せぬ再会。かつて共に旅をした仲間との再会。
長年の仲間だから、お互いに分かっている。
今から戦うべき敵は目の前にいる者だと…
お互いがゆっくりと近付いていく。未来へ進む為に…お互い平和を求めて…