48.希望の光
イリスはハイドラの作り出す地獄に苦しめられていた。
苦しみ・憎しみ・哀しみの負の感情や人々の怨念が彼女を何回も殺し続ける。
ただただ為す術も無くあらゆる苦痛に苛まれる。
消えてしまいたいと願っても消えることが出来ない。
苦しみから解放される瞬間が一瞬だけある。その一瞬に助かったと希望を持つ時もあった。
でもそれはより深く絶望させる為の休息でしかなかった。
何回も何回も心は砕け、何回も何回もその都度心が回復してまた地獄を味わう。
生き地獄があるとすればまさにこの様なモノだろう。
何回も苦しめられ、死ねると思った瞬間に元通りに戻される。そしてまた何回も苦しめられる。
(もう生きているかさえ分からない…ただただ苦痛だけが続く…)
イリスは声を出しているかも分からない。
(ハイドラが作り出す地獄…どうしてこれだけの地獄が作れるのだろう…)
ふと苦痛の中で怨嗟の声に耳を傾ける。
「タスケテ」
「シニタクナイ」
「ニクイ」
様々な声…それは暗闇でもがき苦しむ人の声…
(タスケテ…か…わたしが助けて欲しいものだわ…)
イリスは再び闇に沈んで行く。
考えるのも苦痛だった。
けれど苦痛の中でずっとハイドラの事を考えていた。
(ハイドラの抱えている闇に気付かなかった…)
(彼を助けられなかった…幸せに……)
「わたしはハイドラに幸せになって欲しいのに…」
イリスは涙を流し始める…
「ここまで頑張ったのに報われないなんて、絶対に間違っている。」
イリスはハイドラと共に過ごした日々を思い出し始める。
最初に出会った時…
自身の料理を美味しいと言って食べてくれた時…
初めてのデート…
そして結婚した時の事…
彼女にとってはどれも幸せな日々だった。
「苦しい…痛い…逃げ出したい…
けれどこれがきっと今までハイドラが抱えてきた闇…」
痛い…苦しい…けれどもイリスは体を動かそうと必死でもがく。
「わたしが彼を助けないで誰が彼を助けるの?」
(わたしはハイドラと出会った時に決めたじゃないの…)
「彼を幸せにするって…」
「ハイドラが暗闇にいるならわたしも暗闇に行く。
地獄に行くというならわたしも一緒に地獄に行く。
生涯を共にするって誓ったんだもん。」
「だから一人になんて絶対にしない。どんな暗闇の中にあなたがいたとしても必ず救ってみせる。
だってあなたはわたしのモノでわたしはあなたのモノなんだもん。」
「ハイドラ…あなたを絶対に幸せにしてみせる。」
イリスはハイドラと過ごした幸せな日々を思い出す。
こんな日々をこれからも過ごしたい。
ずっとハイドラと一緒にいたいという気持ちが彼女を奮い立たせる。
『彼を幸せにする。』その強い気持ちを心に宿し、それを口にした。
自身に諦めさせない為に…
しかしハイドラを助ける為に立ち上がろうとするが、それも出来ない。方向が分からないから…
そうしている間にも暗闇から伸びる手がイリスを再び悪夢へいざなおうと近付いて来る。
『|惨禍≪さんか≫の|蜃気楼≪しんきろう≫』
優しい声が聞こえた。イリスの体を優しい闇が纏う。
(これは…ハイドラの…?いや違う…)
その優しい闇を纏ったイリスに怨念も手も触れる事は出来なかった。
「……リス……イリス。」
その声はイリスを眠りから覚ますように優しく声を掛ける。
上下左右分からない彼女の背中を押し上げて起こし上げた。
イリスの体は起き上がる。それにより上下左右の方向を理解した。
「誰なの?」
声は答えてくれなかった。
「イリス……あの光に向かって進みなさい。後ろを振り返らずに…」
その声の主はイリスの頭の中に語り掛ける。
その声によって何も分からなかった暗闇にただひとつ小さな光がある事に気付いた。
「あなたは……」
イリスが聞こうとする前に、声の主はイリスの背中を押した。
「進みながら聞いて欲しい。我が懺悔を…
あの少年を歪めてしまった事を許して欲しい。」
イリスは小さな光に向かって歩き出す。優しい声の主はイリスを守るように後ろにずっといてくれていた。
怨念たちからイリスを守るように…
「あの少年は優しい子なんだ。
けれど…とある秘密を守るために誰にも頼る事が出来なくなっていた。
そのうちに彼は1人になり闇を抱えるようになり苦しみ始めた。」
「彼が世界を愛せなくなってしまった原因はわたし達だ。
そんな彼の心の風景がこの地獄だ。」
「だからこんな地獄で苦しむ彼を救い出して欲しい。
世界を再び愛せるように支えてやって欲しい。」
「『あなたの想いを誰にも踏みにじらせはしない。』
と、苦しんでいた私を救ってくれた彼の想いをなかったことにしないで欲しい。」
そうしてイリスは声の主の懺悔を聞くうちに光にたどり着く。
「お願いだ。イリス。彼を苦しみから解放してやってくれ…」
イリスは懺悔を聞くうちに声の正体が分かった。
その声のする方向に振り向きたかった。だってずっと会いたかったから…
「ありがとう。お父さん…この暗闇の中でも私を見守っていてくれて…」
イリスは涙を流しながら感謝を述べる。それでも振り向かなかった。
泣いている姿を見られたくなかったから。
もうきっと会えない父・ガイウスに成長した事を見せなければ、安心して旅立てないと思ったから。
「お父さん…わたしね…彼と結婚したの。勢いではあったけれど、それを後悔していない。
魔族の為に頑張ってくれたハイドラを幸せにするって決めたの。」
「彼は魔族に希望を与えてくれた。
それは小さな希望だったけど、それは今魔族と人が分かり合うきっかけになった。」
「だからわたしは過去を振り返らずに先に進むよ。これからも諦めないよ。」
「お父さん…愛しているよ。これからも…」
イリスは小さな光に触れる。
「イリス…ありがとう。お前達をこれからも愛している。」
そう言ってイリスを包む闇は消えた。
「ここまで見守ってくれてありがとう。だからわたしは未来に進むね。」
イリスは小さな光を手に取った。
イリスが光に触れると、光はその実体の姿を現わす。
「これはハイドラの…」
イリスが手に取ったもの…それは『神剣・咎』。勇者の剣だった。
「わたしは勇者ではない。けれど…お願い。彼を救うための力を下さい。
ここまで頑張って来た人間が報われないなんて嫌なの。苦しんでいるなんて嫌なの…」
(共に…)
剣から声が聞こえたような気がした。
イリスは剣の柄を握り剣を鞘から出そうとする。
しかし剣がイリスを助けようと意思を持ったが如く、刃が自然と鞘から抜ける。
この真っ暗闇とは真逆の、白銀の美しい剣だった。
その剣の放つ光は優しく清らかで、心が洗われて行くように見る者に安心感を与える。
「ハイドラ…絶対にあなたを救ってみせる。」
イリスは再び歩き出す。暗闇の中で苦しんでいるハイドラを救い出す為に…
白き剣を手に取り、黒い剣を携える彼の元に近付いて行く。
「ハイドラ…あなたのお陰で今の世界がある。
夜明けの時が来たの。だからもう苦しまないで?悲しまないで?
一人で抱え込まないで?
あなたが紡いで来た想いはもう誰にも踏みにじらせたりはしない!
だから一緒に帰ろう?あなたを待つ人達の為にも!」