43.神剣『咎』
「この剣…神剣『咎』を抜けば、晴れてお前は勇者として認められることになろう。」
レディオン王は玉座に座りながらハイドラに向かって話す。
自身の策謀に満ちたギラギラとした目を輝かせて…
玉座の前にはおどろおどろしい台が用意されており、その上に神々しい剣が置かれていた。
今は鞘と柄しか見えていないが、国宝と呼ばれるに相応しい美しい剣だった。
「今ここで…俺が勇者である事を証明してみせましょう。」
ハイドラは神剣『咎』に向かって手を伸ばす。
その場にはディカプリオ、ディランと言った王族、ゴリアテ、カイゼルと言った王族特務の護衛の数名しかいなかった。
つまり圧倒的な力を持つ勇者が裏切れば皆殺しにもなり得る危うい状況…
それでもハイドラを勇者として認める為に、秘密裏に行われた…
「かつて最強と言われた『超越』の勇者エリファスを唯一殺す事が出来、歴代の多くの魔王を葬り平和を作ってきた神剣。
剣を抜くには資格が必要だと伝えられている。それを抜き、初めて勇者となれるのだ。」
その日ハイドラは勇者と認められた。
*
ハイドラは真正面からディランの喉元に心繋の宝玉を突きつける。
「俺はお前を救う事が出来なかったんだな…」
ディランは涙を流していた。武器を離し、戦闘態勢を解除していた。
神に祈る時の様に両手を組みハイドラを祈るように見ていた。
膝をつきハイドラに自身の命運を含めて全てを委ねる事を決めた。
「ハイドラ…ごめんな…お前がこんな苦しんでいるのに助けられなくて…
お前と向き合わなくて…」
ディランはこれまでの旅路を振り返る。
神将と二人きりで戦う事になり、自身を庇いながら勝利を治めた事。
神将を筆頭とした魔族の大群から民を護る為に、ハイドラを筆頭として仲間と共に戦った事。
一番頭から離れないのは、皆の前で神剣『咎』を抜くところを見せ勇者と認められた時のことだった。
脳を焼かれた様に鮮明な記憶として今でも覚えている。
いつもディランはハイドラの背中を見ていた。
憧れだった。だから彼に着いて行った。
力を付けていつか隣に並びたてる時が来ることを信じて…
その為に必死で努力をしてきた。
実際には彼と向き合っていなかった。
彼の背中を見続けた結果…彼の苦しんでいる表情を…
憎しみに囚われた心を見ていなかった。
ハイドラが追い詰められていたことに気付かなかった。完璧な憧れの存在だと理想を押し付けていた。
彼も同じ人間だと今更気付いた。彼を崇めるうちに自身も追い詰めていたのだと気付いた。
「ボクは無理をしてでもお前の隣に立ち、お前と向き合うべきだったな…ごめんなハイドラ…」
「謝っても失ったモノは何も戻ってこない。」
ハイドラは未だに無表情だった。
虚な彼の瞳には景色しか映っていないようだった。静かに殺気を放ちながら…
「ハイドラ…ボクは『罪』を認めて罰を受ける。
だから最後の願いを聞いてくれないか?」
ディランは涙を拭いてハイドラを真っすぐ見つめる。
「友の頼みだ…最後くらいは聞こう。」
「お前が携えているその神剣『咎』で殺してくれ…
憧れの勇者に殺されるなら本望だ…」
ディランが頼んだこと…それは勇者の剣で殺される事だった。
「………」
ハイドラは考えていた。最後の頼みにも関わらず迷っていた…
右の腰に携えた神剣を眺めながら…
「ディラン…お前に秘密にしていたことがあるんだ…それでも良いか?」
ハイドラはディランに話しかける。
「最後くらいお前の秘密を聞かせてくれよ…」
ディランは微笑んだ。最後の刻が迫るにも関わらず。
もう後悔をしたくなかったから…
「分かった…」
そう言ってハイドラは心繋の宝玉をポケットにしまい、神剣『咎』に左手を掛ける。
「ディラン…すまなかった…」
ハイドラは剣を抜く前に謝った。ディランは真意を理解できなかった…
ハイドラは神剣『咎』を鞘から抜いた。その瞬間時間が止まったかのように、ディランは固まった。
「お前…その剣は…」
ディランは驚愕していた。信じられない表情だった。
神剣『咎』には剣の刃が無く、ハイドラが握っている柄だけだったのだ…
「ディラン…お前に話さなきゃいけない事があ…」
「ハイウインド…」
突如強烈な風が吹き、ディランの前に立つハイドラの体が吹き飛ばされた。
吹き飛ばされると同時に、刃の無い神剣『咎』がディランの前に落とされた。
「ディラン様…まだ終わりじゃないです。
あたしがあなたを逃がして見せます。」
ハイドラの姿を見て真っ先に逃げた少女エベレスがディランの元に戻って来た。
彼を助ける為に…
「気配遮断して逃げるつもりだったけど、やっぱりあたしの王を殺させる訳にはいかないんです…」
ハイドラは苦しそうな表情をして起き上がる。
「ディラン…お前はやっぱり勝てれば何でも良いんだな?」
憎々しい瞳をハイドラはディランに向けた。
その瞬間、天地がひっくり返るような強烈な錯覚をディランとエベレスは感じた…
上下左右あらゆる方向が分からなく、常に自身が空に落ちて行く感覚…
地面に立っているのに、歩いているような体の制御が出来ていない感覚に襲われる。
自身が生きてるか死んだか分からず、痛いような痒いような苦しい様な変な感覚だった。
精神汚染と例えるに相応しい状況だった。
そんな中エベレスは辛うじて神剣『咎』の柄を握る。
それと同時にナイフのような短さの刃が『咎』に発現した。
<カツカツ>
ハイドラは2人が惑わされているうちに、ゆっくりと2人に近付いて行く。
「やはりお前達は殺さなきゃな…」
ゆっくり歩いていたにも関わらず、2人は何も出来ずハイドラの接近を許した。
ハイドラはもう二人を見ていなかった。ただ景色を眺めていた。
人間を信じない…もう何も信じない様に…世界が見るに値しないかの様に目は虚ろだった。
ハイドラは心繋の宝玉を握る。宝玉から禍々しい邪気がにじみ出て来る。
「断罪の時だ。『悪…』」
「あたしの王を殺させない…」
エベレスは訳が分からなくなっていた。
剣を握っているか、それが自身の体なのか分からない。
手足か何かも分からず必死に体を動かす。
結果ナイフ状の刃しかない神剣『咎』を振り回す事に繋がっていた。
「あたしが王を護るんだ…」
『咎』の刃はハイドラの左手を掠る。
掠っただけだった。それこそ紙で指を切る程度に…
それでもハイドラは2人を見るきっかけになる。
少女エベレスは勇気を出してディランを庇っていた。
それを見てハイドラは固まった。
エメリアの出来事がフラッシュバックしたからだ。
かつてエクレールがハイドラをガイウスから守ってくれた時と光景が重なっていた。
今回は自身がガイウスの様になり2人を殺そうとしていた。
この場では最も勇ましいエベレスがエクレールに一瞬見えた。
「エ…ク…」
かつてのエメリアの光景が蘇る。自身を苦しめる過去が走馬灯の様に頭に流れ出す。
「俺は守りたいだけなんだ…大事な物をもう奪われたくないだけなんだ…」
ハイドラは混乱し過去を必死に振り払おうとする。
ディランとエベレスを放置して…
「もう誰も憎みたくない。誰も殺したくない…」
ハイドラの『偽飾』による精神汚染は解けていた。
それと同時にエベレスは立ち上がり『咎』をハイドラに向ける。
「バケモノめ…これで終わりにしてやる…」
ハイドラに立ち向かおうとするエベレスの肩にディランは右手を置いた。
そして止めろと言わんばかりに首を左右に振った。
「エベレス…良いんだ。ボクは自身の罪を受け入れるって決めたから…」
「それでも…今の絶対王政を終わらせて、民を中心とした国を作るにはあなたが必要なのです。我が王よ…」
エベレスは悲しそうな表情でディランに訴えかけた。
ディランはそれでも左右に首を振る。
「目の前の『友』を助けられないボクが、沢山の民を救えるとは思えない。
ボクは憧れと向き合っていたようで、向き合えていなかったんだ。
…せめて最後くらいは『憧れた友』と向き合わせてくれ…」
ディランは悲しそうに微笑んだ。
「エベレス…お前みたいな人間がいれば国はもっと良くなる。これからの未来を任せたぞ!」
そしてハイドラの前に歩み寄る。
「ごめんな…ハイドラ…お前ともっと向き合うべきだった。お前と話をするべきだった。
俺の命ひとつでお前の苦しみが治まるとは思えない。
それでもお前の思うようにしてくれ…」
ディランはハイドラを見つめ微笑んだ。
苦しそうに悶える彼の為に…断罪を受け入れる為に…
「俺は…友を殺したくない…ディランを…アイツの作る未来を信じたいんだ…」
ハイドラは苦しんでいる。まるでディランを殺そうとする意思と彼自身の意思が相反するかのように…
ディランはハイドラに歩み寄る。そして彼を抱きしめた。
「お前の苦しみは俺も引き受ける。だからもう苦しまなくて良いんだ『友』よ。」
ディランは初めて憧れと向き合った。敵としてではあるが、初めて対等になれた気がした。
「お前…こんなに痩せていたんだな…勇者らしくないじゃないか…」
ディランはハイドラの体が細い事を初めて知った。簡単に抱きかかえられそうなくらいの体だった。
ハイドラは苦しみながらも『勇者』と言う言葉に反応した。
「勇者……俺は勇者であり続けなきゃ…」
「助けて…イリス…」
ハイドラは左手を上げ、ディランの背中をつたわせ心臓の位置まで持っていく。
「助けて…エクレール…」
「俺はお前に最後まで付き合うぞ!だって仲間だから!」
ディランは力強くハイドラを抱きしめる。
ハイドラはハッとした表情をした。そして涙を流す。
「助けて…ディラン…ティアラ…ゴリアテ…皆…」
そして左手を自身の頭に乗せた。
『儚却』
ハイドラは自身にワザを使う。それと同時に先程までの殺気は消えた。
時間が止まったかの様にハイドラは静かになった。
「ディラン…みっともないところを見せてすまなかったな…」
そこには先程まで泣いていたとは信じられない程、いつもの様な感じにハイドラは戻っていた。
そしてハイドラは自身を抱きしめていたディランを左手で遠ざけた。
「ハイドラ…お前は何をした…」
「自身の『憎しみ』を忘れ消した。
もう俺には一時的なことだけどな…情けないな…」
「ハイドラ…すまなかった…お前が苦しんでいるなんて知らずに…」
ハイドラは首を振る。
「いいんだ…俺にはお前達に話せない事がまだ沢山あるから…」
「だったら…お前の秘密もボクに話してくれ。
『友』としてお前の罪を背負わせてくれ!」
「………」
ハイドラは固まる。
「いつか…話せる時が来たら話して良いか?」
「その時が来るまでお前に着いて行くさ。いや、着いて行くじゃないな…」
「お前と一緒に歩んで良いか?」
ディランは微笑み、左手を伸ばす。
ハイドラもディランの手を取り握手をした。互いが対等であると認め合った瞬間だった。