4.ブレイク・ファスト
ハイドラは魔王の城の食堂の椅子に座っていた。歴史を感じる厳かな広い食堂。そこに彼はただ一人ポツンと座っていた。
「なぁ…イリス…用事も済んだし帰って良いか?」
ハイドラは厨房にいるイリスに声を掛ける。あの後イリスは手を引っ張ってハイドラを食堂に連れて来た。
彼と一緒に朝ごはんを食べる為に。もっと彼を知る為に…
「あと少しで朝ごはんが出来るから、それからにして!!」
イリスはたった一人で厨房で調理をしている。ドレスからエプロン姿に着替えて。
ハイドラは退屈そうに周りをキョロキョロと見渡す。食堂の入り口からゾークと軽傷の衛兵たちが心配そうに見守っている。その為ハイドラにとって居心地は最悪だった。
ゾーク達は厨房に入って来れない。イリスが有事の際以外は入らない様に命令をしたからだ。
数分してイリスは自分とハイドラの分の料理を持ち運んできた。
持ち運ぶ間にドアの隙間から顔を覗かせる部下を一睨みして近寄らない様にプレッシャーを与える。
「どうぞ、ハイドラ。」
「あぁ、ありがとう。」
イリスは城にあった干し肉と野菜で煮込んだスープと、焼いた簡素なパンを勇者に提供する。だがお世辞にも美味しそうとは言えなかった。むしろ…毒々しい見た目だった。
ハイドラはそれを眺めていた。
「食べて良いのか?」
「はい!!冷めないうちにどうぞ」
イリスはパァァと頬を赤く染めて、ハイドラが料理を食べる姿を見る。
部屋の外ではゾーク達がヒソヒソと話をしていた。
「なぁ…イリス様が料理をしたことは?」
「何度か…しかし味が…」
「いや全てが酷過ぎるあまり以降は作らせない様にと……弟君が厨房にイリス様を立たせない命令を…」
「はっ…まさか…自らの料理で勇者を毒殺するおつもりでは?」
ゾーク達はニヤリと笑い、ヒソヒソと話を続ける。
ハイドラはイリスの作ったスープを口にいれる。それを嬉しそうにイリスは眺めていた。
それまでどこか固かったハイドラの表情が丸くなったようだった。少しだけ表情が変わった。
その後数口食べてから、口を開いた。
「少し刺激的な味だ!!美味しいよ。」
ハイドラはイリスに微笑みながらそう言った。だが彼の微笑みはどこか無理しているような表情だった。
「よし食べたぞ。」
「くくく…勇者もこれで…」
ゾーク達はひそひそと中を見ながらガッツポーズを取る。
その後もハイドラはイリスの作った朝食をどんどん食べ進める。
ハイドラが笑顔を見せた事で、イリスは自分の作ったスープを口に頬張った。
「………」
口に入れた瞬間イリスは無言になった。
ハイドラはあっという間にスープとパンを頬張り完食した。
「お礼に俺が何かデザートでも作るよ。厨房を使って良いか?」
ハイドラは微笑みながら、イリスに聞いた。
「……うん。」
イリスは少し低い声でハイドラが食堂を使う事を了承した。
彼が厨房で料理をしている間、少しの間イリスは自分の料理を口に入れていた。
「嘘つき…すごく不味い…」
酷い味だった。全部を食べきるなんて自分には無理な程に…
(嘘までついて食べなくて良かったのに…ハイドラは優しいんだなぁ…)
イリスは今度はハイドラが厨房で料理をするのを眺める番になった。慣れているのか料理の手際が物凄くよさそうだった。
しばらくしてハイドラはデザートを食堂に持ってきた。
小麦粉を練ってクッキー状にし、それに生クリームとフルーツを乗せたフルーツタルトを作って来た。
「凄い…美味しそう!!」
イリスはタルトを見るなり小さな子供の様にパァっと明るい笑顔になった。
「食べて良い?」
「あぁ。勿論!!」
先程まで玉座に座していた怖そうな美女とは思えないに、笑顔が似合う可愛らしい女性に変わる。
「イリス様、いけません。毒が入っているかもしれませんぞ!!」
(勇者が毒殺されたか期待して)外から覗いていたゾークは、慌てた表情で食堂に入って来た。
彼にとってはイリスが毒殺される事は有事。魔王イリスの事を心配してだ。
「え…毒…入れてないんだけど。」
そう呟いてハイドラは悲しそうに自分のタルトを見た…
「無礼者!!」
イリスは怒りをゾーク達に向ける。ハイドラに向けた時以上の殺気…本気で怒っているようだった。
「客人に対して失礼であろう!!次、ハイドラに無礼を働けば即刻城から追い出してやる!!」
そう言って、イリスは怒りながらもハイドラが作ったタルトを口に入れる。
「えっ」
怒りの表情も一気に笑顔へと変わった。続けてタルトをリスの様に頬張る。
「え…すっごい美味しい。」
お世辞無しにそう呟く。その後は無言でタルトを食べ続けた。それは可愛らしい女性の様に、見ているハイドラは先程までの機械的な笑顔でなく、本心での笑顔がほころんだ。
子供が好きな食べ物を急いで食べるかの様に、次々と口の中にタルトを入れていく。
「うぅっ」
だがいきなりイリスは苦しそうな表情をしだす。呼吸が出来ない苦しそうな顔をした。
「え…大丈夫か?」
ハイドラはうろたえた。
「ほれ見ろ!!勇者はイリス様を毒殺するつもりじゃったんじゃ。そこの勇者を今すぐ殺せ!!」
ゾークと兵士達は勇者に武器を向ける。
すぐさまイリスは右手に魔力を込めて、部屋を黒い魔力で充満させた。
黒い魔力が変化しゾーク達を弾くように食堂から追い出す。同時に右手に引き込む様に器用にも飲み物を引き寄せた。
その飲み物を一気に喉に流し込む。
「はぁ…はぁ…死ぬかと思った。」
ハイドラが作った料理の美味しさから、急いで食べて喉につっかえさせたのだった。
タルトはもうほとんど残っていない。一瞬でイリスが平らげてしまったのだ。
「美味しかったぞ。ハイドラ。」
イリスはハイドラに微笑みかける。
それに嬉しくなったのかハイドラもイリスに微笑み返した。
「ごはんのお礼だよ。お前の為にまた作るよ!!」
その言葉にイリスは頬を赤らめる。その瞬間にハイドラから目を逸らした。
「えっと…その…ハイドラは料理も出来るんだね!!」
目を逸らしたままモジモジとハイドラを褒める。魔王としてでなく一人の女子として…
「あぁ…両親から教わったんだ。家がスイーツも提供する喫茶店だったから…」
「だからお店の物みたいに美味しかったんだね!今度ハイドラのご両親に挨拶に行かなきゃ!」
「あぁ…両親はもういないんだ。殺されてさ…」
その瞬間、イリスは凍り付いた。親睦を深めるつもりで何気なく会話をしたつもりだったが、踏んではならない地雷を踏んでしまったからだ。
何を言って良いか分からずに、イリスは少し黙った。
「その…ごめんなさい…」
申し訳なさそうにイリスは謝る。
「あぁ…別に良いよ。昔は憎んでいたけど、今はもう憎んでいないし…」
対してのハイドラは全く表情を変えないままだった。
彼は本心か嘘を吐いているのかさえ彼女には分からなかった。表情や本心を隠すのがうまいようだった。
(自分の肉親を殺した敵を憎んでいないわけないじゃない…)
イリスは今も父を奪った人間を許していない。彼女の憎しみは消えていない。今後消える事もない。
仮にこの言葉が嘘だとしても、イリスは食事を通してハイドラについて分かった事があった。
それは彼が優しい事だった。気遣いが出来る良い人だと分かった。勇者としてでなく、人間として人望があるタイプだ。
彼がもっと傲慢で非情であれば、より多くの魔族が殺されていただろう。
勇者がハイドラで良かったと安堵すると共に、何か裏があるのではとイリスは思わずにはいられなかった。
その優しさ故に命を捨てる覚悟で交渉しに来た。どうしてそこまでするのかはイリスには分からない。だが彼にどこか儚げで悲しい雰囲気を感じていた…
ハイドラは勇気を出して魔族に手を貸してくれることになった。だからイリスはそれに精一杯応えなければならないと、覚悟を決める。
「ハイドラ…これからは私が貴方を必ず守るから。」
ハイドラの色々な表情を見たいと思った。彼の笑顔をもっと見たい。その為にはやく戦争を終わらせる。そう決意する。
魔族に味方するという事は、この世界の7割を占める人間を敵に回すという事だ。彼は裏切り者として酷くさげすまれるかもしれない。そんな彼を護りたい…そう思った。
「朝ごはんも食べたし、そうと決まれば行くわよ!!」
「行くってどこに?」
「戦争を止めるんでしょ?」
まだハイドラと知り合って半日も経っていない。けれど戦争を早く終わらせてたい気持ちは一緒だろう。彼になら背中を預けられると確信した。
『勇者』と『魔王』という称号を無くしたい…対等な存在となりたい。そうイリスは思ったのだった。彼の前ではありのままの自分でいたいと思って。