3.不束者ですがよろしくお願いします。
「確かに俺が生きるのが最善だろう。でも…」
「仮にお前の配下になったとしても人間を殺すつもりはないし、魔族が人間を虐殺するなら俺はお前たちを殲滅する。それでも良いのか?」
ハイドラは魔王の配下になるという前提で話した。
イリスはそれを見逃さなかった。『仮に』と言う言葉が出てくるのは、あと一歩の所まで来ている。気持ちが揺れている証拠だからだ。
「それで構わんよ。人間に可能な限り手出しをしない条件は飲んだ前提での交渉じゃ。」
「我が配下になったあかつきには、世界の半分を貴様にくれてやろうぞ。」
『世界の半分を貴様にくれてやろう』
いつか言ってみたい凄そうなセリフの一つであった。小さい時から憧れていた、強大な敵を勧誘する為の王が言うセリフ。
ついイリスはうまく事が進んでいた為気が緩んでいた。
「そんなものいらん。」
はっきりと断られる。イリスにとっては冗談のつもりだったが、真顔で返される。
「まぁ例えじゃ。貴様の希望には可能な限り応えようぞ。この城の全財宝、望みなら魔王の座でもくれてやる。そんなつまらんものに興味はないからな。」
「じゃあお前の望みは何なんだ?」
「魔族の子供がすくすくと育ち国が発展するのが我が望み。人間と憎しみ合う事も無く互いに手を取って歩めるならば王の座もいらん。」
イリスは自分の望みを真剣な眼差しで言う。
「魔王でなく個人的には世界を旅してみたい。立場上ここを離れられんしな…その為には世界が平和にせねばならん。」
イリスは一息置く。
「勇者ハイドラよ。我の手を取れ。共に世界を統一し平和にしようではないか?」
イリスは再び玉座から立ち上がる。そして少しずつ右手を前に出して、勇者へと歩み寄る。
「嘘だ。そう言って俺を都合よく操るつもりだろう?」
ハイドラは断る。彼にとっては都合が良すぎる。まるで悪魔のささやきの様に…
「嘘の様に聞こえるじゃろう?だが本当じゃ。」
イリスはわざと意地悪そうな笑みを浮かべる。まるで嘘を吐くかの様に…一層ハイドラの緊張感を高める為に。
「平和になるなら世界なぞいらんし、望むモノをくれてやろう。世界を統一し平和になった暁には世界全てでもくれてやる。」
「操られるのが嫌であれば、我に代わり魔王の座を望め。我は貴様の命令に従うぞ?」
ニヤリと笑いながら…イリスの言葉はまるで蛇の様に勇者の心に絡みついていく。
「命を賭ける貴様の願いを叶えるために命を賭けよう。怖ければ我が命でも構わん。無論くれてやるのは平和になった後にじゃが…」
揺らぐハイドラに対して、間髪入れずにイリスは提案を行っていく。ハイドラの緊張感を高め、判断力が鈍ったタイミングを作るために。
「ハイドラよ。貴様の望むモノならば何でも与えよう。だから我が手を取るが良い。」
勇者のスカウトは魔族にとって大チャンス。ならば破格の待遇でも応える覚悟はあった。
イリスにとって今ある全財産で魔族と人間の未来が手に入るなら安いものだった。
これまで冷酷な表情を見せていた魔王イリスは優しく微笑みながら勇者に手を差し出す。
緊張した空気を緩めてギャップを作る為だ。緊張した状態から緩んだ空気は、一気に交渉を成功させやすくする。
「俺と魔王で世界を一つに…ならば戦争を終わらせることが…」
勇者は悩む。悩むと言うよりは考えているようだった。
「俺は……どうすれば良いんだ…」
(折れたかな…)
「別に時間なぞいくらでもある。別に今日は帰って、次にここに来る時でも構わんよ…」
交渉の優位性は完全にイリスのモノになる。ならばあとはハイドラに時間を与えるだけになる。
仮に交渉が失敗しても、魔族に対しての恐ろしいイメージを払拭する良い機会でもあるのだ。
『話合えば解決出来る』と人間が認識するならば、それは未来への懸け橋となる。
しばらくの間ハイドラは悩んだ。
悩んだ結果、ハイドラの重たい口が開いた。
「なぁ魔王よ。変な提案かもしれないんだが…」
「ん?なんじゃ?」
「世界を平和にする為に『お前』が欲しい。」
勇者は真剣な表情で魔王を見つめた。
「え、わたし?えええええええええ!!」
魔王イリスは物凄い動揺した。あらゆるパターンを想定していたが全くの予想外だったのだ。
<ドクンドクン>と心臓が高鳴る。
恐る恐る勇者に差し出していた右手を顔の前に上げ、自分の右手人差し指を自らの顔に向ける。美しい彼女がなかなか見せないアホ面をしていた。
「わたし?」
再度ハイドラに聞いた。みんなの前では我と言っている彼女も、実は一人称は『わたし』なのだ。
とりあえず上に立つ者としての威厳ある態度を取っていただけで、中身は至って普通の女子と大差はない。
「ああ、お前が欲しい。」
ハイドラはコクリとうなづく。
(なんでもって言ったけど、わたし自身とは予想してなかったよぉ…)
望むモノが魔王の命までは予想していた。しかし自分自身とは予想外だった。
「俺はお前と対等に手を取って未来を歩んでいきたい。(同じ理想の元)お前となら今後の苦難を乗り越えられると思うんだ。」
<ドッドッドッドッ>と心臓の高鳴りが大きくなる。
鼓動の音が高まり過ぎて少しずつ勇者の言葉が聞こえなくなっていた。一番重要な部分なども含めて…
「(平和の為ならば)イリスお前がいてくれれば良い。俺の欲しいモノはそれだけだ。」
勇者の魔王への(精神)攻撃はクリティカルヒットしたようだった。
<ドッドッドッドッ>
もはや心臓の音しか聞こえなくなった。彼女自身が心臓になったかのようだった。彼女はもう何も聞こえなくなっていた。
(え…え?もしかして、いきなりプロポーズされちゃった?)
みるみるうちに魔王は顔を真っ赤に染め上げる。勇者にその顔を見られない為に、急いで玉座の方に逃げ帰る。今度は椅子に座らず玉座の後ろに隠れた。
勇者ハイドラは魔王の態度が急変した事に対して少し心配そうな表情をした。そして玉座に近付いて行こうとする。
「いやっ!今はこっちに来ないで!!」
玉座越しに聞こえる、先程までとはトーンが変わり女子らしい高めの声。
「え…あ…すまない。」
勇者は彼女を酷く傷つけたかもしれないと思い酷く落ち込む。落ち込みのあまり彼はよろけた。そして先程地面に投げた剣を踏んづけてしまう。
少しの間お互いに沈黙し合った状態が続く。
それから少しして勇者は口を開いた。
「ちょっとお前の具合悪いようだし、またここに来るわ!」
「…って思ったけど、またここに来て良いか?」
玉座に隠れたイリスは答えなかった。
「まぁいいか…じゃあ帰るわ。とりあえず俺はお前に自分の思いを伝えたからな!!じゃあな!」
そう言って勇者は剣を拾い部屋を去ろうとする。
「ま…ま………待って!ハ…ハ…ハイドラさん?」
玉座に半分隠れたままだが、イリスはハイドラを引き留めた。
「ハイドラで良いよ。」
(えぇぇ。いきなり呼び捨てで呼んで良いの?これはもうプロポーズに違いないわ…)
「本当に…本当に私で良いの?」
イリスは再び頬を赤く染めて、モジモジしながら聞いた。彼女の胸は高鳴り続けている。
「あぁ。(世界を平和にする為に)俺が手を取るべきはお前しかいない!」
ハイドラはニッコリと微笑んでイリスに告げた。
その言葉に魔王は顔を真っ赤に染めた。頭がクラクラしながら、感覚がフワフワしながら、イリスは玉座に隠れるのを止めて勇者に近付いていく。
イリスはハイドラと手が触れられる位置まで近付き、向き合った。
「勇者ハイドラ…不束者ですが末永くよろしくお願いします。」
イリスは再び右手を差し出す。顔を真っ赤にしながら、微笑みながら…
「???」
勇者は最初意味が分からなかった。しかし交渉はうまくいったことを確信して、イリスの手を取る。
「ああ、これからよろしくな!!」
最善の言葉を選び続けていた結果、ハイドラは知らず知らずのうちに魔王イリスに告白をしていたとは夢にも思わないだろう。
「で…これからお前をなんて呼べば良い?魔王様?」
「イリスって呼んで?お互いに対等である為に。」
「分かったよ。これからずっとよろしくな、イリス。」
ハイドラはイリスに向かって微笑み、イリスはハイドラを直視できずにうつむいた。
魔王イリスの大暴走。(特に彼女の心臓の高鳴りだが…)
互いが意図せずもこうして魔族と人間が共存する世界への第一歩が踏み出された訳だった。