20.あなたが死ぬ時がわたしの死ぬ時
ハイドラの故郷『エメリア』。飛竜がそこにたどり着く頃には朝日が昇りつつあった。
「懐かしいな…」
朝日に照らされて故郷が見えて来る。
「あれが……ハイドラの故郷…」
イリスはそれを見て絶句する。何も無かったからだ…何もないわけではない。かつて街があった事がかすかに分かる瓦礫と残骸の街だった。
大きな力によって押しつぶされたかのように、残っている家や建物は無かった。
飛竜は瓦礫の街に降り立つ。何年もの間、人の手入れがされておらず草が生い茂っていた。
「ありがとうポチ。少しの間休んでいてね?」
イリスは飛竜の頭を撫でて彼らを乗せて飛んでいた事を労う。
「何も無くて悪いが、ここで仮眠を取ろう。ティアラの土地なら誰も来ないし安心だ。」
ハイドラは休息を提案した。建物が何もないために彼は草の生い茂る地面に寝そべる。
「ハイドラ、地面で眠らなくても大丈夫だよ?ポチの上で眠れば?」
「…いや…俺は慣れているからさ…イリスはしっかりと休んでくれ…」
こうして早朝にようやく仮眠をとる時間が訪れる。彼らには長い一日だった。
*
「あれ…ハイドラ…?」
イリスが目覚めるとそこにはハイドラはいなかった。太陽の昇る位置から予想するにお昼時の様だった。
飛竜は横たわり休みながらもイリスにハイドラが向かった先を教える。
その先にイリスは向かう。
ハイドラは何やら大きな石が立ちならぶ場所に立っていた。
「あと少し…………から」
ただ祈るように立ち尽くしていた。
(この辺りだけは別空間みたいに草が生い茂っていない…)
「俺を…最後まで見守っていて下さい。」
それは最後の別れを言うかの様に…
その後ハイドラは黙祷をする。しばらくして彼は頭を上げた。
それを見計らって話しかける。
「ハイドラ…この場所は?」
イリスは少し時間をおいてハイドラに聞いた。
「ここは…墓だ…かつてこの街で暮らしていた人のな…」
「………」
それはハイドラの故郷が滅ぼされたという事だった。エクレールが言っていたハイドラの帰る故郷…それは既になかった。
あると信じたかった。
「平和な街だったんだ…毎日みんな笑っていて…」
ハイドラはイリスに向かって話しかける。かつてを懐かしむように…
「平和が終わるのは突然だった。10年前のある日、魔族がこの街を滅ぼした。」
淡々と話していた。
だがそれはイリスにとっては少し疑問に思えた。10年前ならばまだ先代の魔王である父が生きていた可能性がある。ならば無害な街を攻め滅ぼす事はあり得ないはずだった。
「魔族が大群で?」
「いや…たった一人でだ…」
「………」
(たった一人?それは神将以上の力を持っていないとあり得ない…)
あり得ないとイリスは言いたかった。でも彼がこんな場面で嘘を言っているとはありえなかった。
「でさ…援軍の兵士とかも来たんだけれど、生き残ったのは俺とエクレールだけだった。」
「その後俺達は『王都セレスティア』の孤児院に引き取られて一緒に育った。」
そう言ってハイドラは祈りを終えたのか草木が生い茂る方向に進んでいった。
少し進むと草木の中に一つの少し大きな石があった。
「ハイドラ…これは?」
「これが俺達の街を滅ぼした魔族の墓。」
敵の墓も建っていた。ハイドラの情けなのだろうか?とイリスは思う。
「今もその魔族を憎んでいるの?」
「さぁ?どうだろうな?俺には分からない。」
儚げにハイドラは微笑んだ。
(街を滅ぼされて…やっぱり彼は…)
憎まない訳がない。かつてここに住む人々を殺され、憎まない人間がいるとしたらそれは既に心が壊れている。
分からないと言いつつ、ハイドラは気持ちを誤魔化しているとイリスは思う。
「全てはここから始まった。」
ハイドラは一息吐く。何か伝えるべき事がある様だった。
「ここは俺達以外は誰もいない。だからせめてお前には俺がこれからやる事を話そうと思ってな。それとイリスにやって貰いたい事だ。」
「これからわたし達がやること?」
「『王都セレスティア』に攻め込み王を殺す。そして俺が王に君臨する。悪逆貴族を殺し尽くす。」
「は?」
イリスには言っている事が分からなかった。平和を望むハイドラがそんなことを言うのはあり得なかった。
「人間の憎しみを俺が引き受ける。だからお前はその悪逆の王を討って欲しいんだ。そこで次の王と友好関係を築き、魔族は争いを望んでいないと証明してくれ。」
「何をバカなことを言っているの?」
冗談だと思いたかった。冗談であって欲しかった。
「元々俺は死ぬ覚悟でお前の城まで行ったんだ。平和の為になら俺は死ねる。」
「そう言う事じゃない。」
「魔族は争いを望んでいないんだろ?だったら人間が争いを止めなきゃならない。でも今の王じゃ無理だ。」
「そうだとしても話合えば…」
「話し合いでは今ある憎しみは収まらない。だから憎しみを一つに向けなければならない。」
「それでも何か解決策が…」
イリスは泣いていた。気付いていた未来…彼がいない事…ようやく彼のやろうとすることを知った。
「迷っているうちに命は失われていく。」
「俺はお前のモノだ。だからお前の為なら…いやお前の願いの為に死ぬ。」
覚悟を決めた目。でもそれはイリスが到底受け入れられるものではなかった。
バチン
「お前が死ぬ為にわたしを理由にするな。」
イリスは思いきりハイドラの頬をビンタする。力強くぶったせいか、軽い彼の体は少し吹き飛んだ。
「何だそのやせ細った体は?勇者なんだろ?何でそんなに軽いんだ?戦士らしくしっかりと食え。」
ハイドラは起き上がらなかった。
「どうして世界を平和に…人を幸せにしようとする勇者が幸せになろうとしないんだ?何でお前ばかりが苦しむんだ?」
イリスはハイドラに馬乗りになって彼の胸倉をつかんだ。
「わたしじゃエクレールの代わりになれないのは分かってる。彼女に勝てないのも分かってるし、あなたの不幸なんて分からない。」
イリスは泣きじゃくり始めた。
「だからあなたを幸せにしたいの…初めて出来た人間のパートナーだから…」
初めて向ける自分の本心を知って欲しかった。
「でもわたしがお前に幸せにしようとしても、あなたがそれを拒むなら意味がないじゃないか?」
だからハイドラにも本心を曝け出して欲しかった。
「あぁ…すまない…」
「すまないじゃない。あなたがいなくなった世界でどうやってわたしは願いを叶えれば良い?」
泣きながらも胸倉をつかみブンブンと彼を揺らす。
「じゃあその願いを今…」
「私は沢山の人間と友達になりたい。けど先の未来であなたを殺してしまったら、私は人間とは二度と仲良くは出来ない。それに自分自身を許せなくなる。生涯願いなんて叶わなくなる。」
「なら…俺はどうすれば良い?」
「そうだ。もっと他人に頼れ!!自分一人で抱え込むな。他人を信じろ!他人の気持ちを見て見ぬフリをするな!!」
「でも俺はもう戻れない…沢山の人を傷つけて来た。」
「だからって死のうとするな。楽な道を選ぶな。傷つけた罪は生きて償え!!」
「生きて…」
「あんたの幸せは何だ?やりたいことは何だ?」
「俺のやりたい事?」
「死ぬならやりたいことをやってから死ね。笑って死ね。じゃなきゃ私はお前を絶対に殺さない。」
イリスは必死に彼に語り掛ける。
「あぁ…」
「ねぇ…ハイドラ…どうして私がこんなにあなたを責めているのに、あなたはわたしを否定しないの?表情一つ変えないの?私はあなたが今何を思っているのか、全然分からない。」
ハイドラの首元元から手を離し、胸をポコポコと叩き始める。
「悔しいならやり返しなさいよ。哀しいなら泣きなさいよ。怒っているなら怒りを向けなさいよ?」
「すまない…」
「すまないって思うなら、私に相談しなさいよ。だって私はあなたの…」
一度言おうとしたが、一瞬言葉に詰まった。それでも彼女は言わなければならないと思った。
「だってあなたはわたしのモノで、私はあなたのモノなんですもの!!」
「だからあなたが死ぬ時が私が死ぬ時。」
泣きじゃくりながらイリスは微笑んだ。イリスは立ち上がり涙を拭った。
「魔王として命じます。私の命令で死になさい。代わりにあなたの為なら私は死ぬ。」
そう言ってイリスはハイドラに右手を差し出す。
「………」
ハイドラは少し困った顔をした。
「返事は?まぁわたしはワガママだから、『はい』としか言わせないけれど…」
「……」
「拒むならわたし1人で王都に行って話してくるけど…」
「……はい。」
ハイドラは差し出された右手を掴んだ。その手をイリスは引っ張ってハイドラを立ち上がらせる。
「だからお互いに死ぬなら笑顔で死にましょう?その為に…いやあなたの為に私は命を賭ける。」
イリスは微笑みかける。
「フフ…」
ハイドラもその笑顔につられて微笑んだ。本心から笑みがこぼれたようだった。
「ありがとうイリス。」
「俺もお前の為に命を賭ける。だからお前も俺の為に命を預けて欲しい。」
ハイドラは再び強い覚悟を決める。
「じゃあ行きましょうか?」
「え?」
「善は急げよ。王都セレスティアに平和の為に交渉に行きましょう?」
自身満々にハイドラに言う。
ハイドラはやれやれと言った感じで溜息を吐いた。
「到着が深夜になるから時間的にそれは無理だ。」
彼は相変わらず真顔で突っ込んだ。
イリスは恥ずかしくて赤面した。