2.争いの原因
(何が起きた?兵が一斉攻撃し、その土煙で視界が塞がれた…)
視界が晴れていきイリスは状況を把握出来る様になる。ただ一人の影だけが見える…
勇者を名乗るハイドラのみがその場に立っていた。しかも無傷で
彼の投げ捨てられた剣は位置が変わっていなかった。彼は何も持たずにその場の兵隊を壊滅させた。
(一瞬か…)
イリスの胸が少しざわついていた。大口をたたくだけの実力はあったようだと感心した。
「あ…あり得ない…」
その場で配下のゾークだけが唯一無事だった。尻餅をつき、多少は怪我をしているが…
周りの兵士は死んではいない。しかし重症の者が多かった。切り傷や魔法による傷など様々な傷だった。
「役立たず共が…相手は一人の人間だからと油断しおって…」
ゾークは立ち上がり悔しそうに地団太を踏んだ。
「まだやるか?」
ハイドラは余裕そうにゾーク達に話しかけた。
(ゾークだけが無事か…奴の|天恵≪ギフト≫による能力は何だ?攻撃の反射か?)
「一人だからと油断しすぎだ。立つのだ兵士達よ。イリス様を護る為に!」
ゾークは衛兵たちを激励する。しかし兵士達は重症で立ち上がるのも困難な様だ。
「敗北が分からんとは…愚か者が…。動ける者は負傷者を連れて、この場より引け!!」
イリスは玉座より立ち上がり、ゾーク達に命令する。
(ゾークは減給だな。管理者意識が足りていない…あと床のクリーニング代も給料から引いておこう。)
ゾーク達はハイドラとイリスに背を向ける形で無様に撤退した。
「『勇者』ハイドラよ。部下の非礼を…そして貴様を侮っていた事を詫びよう。」
ハイドラに対しイリスは深々と頭を下げて詫びる。彼を見くびっていた事に対して。
及び力を試す形とは言え、部下の不意打ちを謝罪した。
「ハイドラよ…ここは我も同胞の仇を取る為に貴様を討つべきだろうか?」
しかし彼の力を試す為とは言え、彼女は部下が無残に倒されたのが気に入らなかった。
頭を上げた後にイリスは本気でハイドラを睨みつける。
その時までは本気でハイドラと向き合っていなかったからだ。彼を完全に見くびっていた。
あのまま彼に挑まれたら、恐らく死んでいたかもしれない。
部下がやられた以上に、危機管理が出来ていなかった自分が一番許せなかった。彼が交渉に来たのでなければ、彼女達は人間にやられていた。すなわち魔族の敗北であっただろう。
彼女はハイドラを『弱そうな人間』から、『勇者と名乗るに相応しき存在』へと認識を変えた。
イリスは魔王として、勇者としてハイドラと本気で向き合う気になったのだ。
部屋に魔王イリスによる殺気が満ちていく。重々しい…常人ならば逃げ出したくなる殺気だった。
「お前とやり合うのは構わない。だが俺はお前を殺すつもりはない。」
殺気に物怖じすることなく、イリスに向かって言った。
今にも殺されそうな状況だが殺気すら出すことなく、綺麗な蒼い目でイリスの目を見ていた。
「は?」
流石にこれにはイリスも呆れてしまった。
「これで俺の命一つが交渉に釣り合うと認識してくれたか?」
彼は微笑んだ。イリスが最初から見くびっていた事を見透かしているようだった。
(自らの力を見せつけ交渉材料にするか…無謀にもほどがある。だが実力があるならば、それは愚者の行いではなくなる。)
「ククククク。カッカッカッカ。」
魔王は広間に響き渡る大声で笑い始めた。初めて見たのだ。この様な面白い人間を…
不思議と胸が高鳴っていた。それと同時に彼が欲しいと考える。
優秀な部下は何人いても困る事がないからだ。
「確かに…貴様は多くの人間の命と釣り合う価値の持ち主じゃ。貴様が魔族との戦争で我が同胞を殲滅出来ると言うのも恐らく本当じゃろう。」
イリスは再び玉座に座り、細長い脚を組んで背もたれにもたれ掛かった。
イリスは勇者ハイドラと戦う気は無くなった。彼にとっては魔王を討伐するチャンスではあるが、堂々と殺す気はないと言われたからだ。
疑いの気持ちは少しあるが本当の発言だと確信している。最初から討伐に来るならば、味方を連れてくるはずだから…
本当に交渉に来たのだ。ならば彼女が取るべきは交渉で自分が優位に立つこと。
彼女のベストな選択…玉座で堂々と余裕そうに振舞う事べきと判断する。
勇者の言った通り戦うのも良いだろう。しかし殺す気のない勇者と戦い勝ったところで交渉のプラス材料になる事は無い。つまりこの場で彼と戦うのはマイナス材料でしかないのだ…
「ハイドラよ。世界を平和にするのと引き換えに、お前の様な面白き者を殺すのは惜しい。そこで我からも提案がある。」
玉座に座り両手を組み、勇者に提案をする。
「人と魔族が分かり合えるかは分からんが、我も平和な世界を作りたい気持ちは同じじゃ。」
彼女は一息置く。冷静になる為に。高鳴る鼓動を抑える為に…
自分と同等もしくは格上の相手への交渉で、声を震わせるのは悪手だからだ。決して失敗の無いように、声が裏返る事の無いように冷静に交渉を進めようとする。
「どうじゃ我が配下にならんか?我らと貴様が手を取り合えば戦争も早く終わらせられるじゃろうて。」
魔王の自信に満ちた提案に勇者は初めて動揺した。
「魔王の部下か…?あり得ないな。」
流石に彼は抵抗するだろう。イリスにとっては予想の範囲内だ。
これからの交渉で彼を配下に出来るか決まる。その認識だ。
「魔族最強の我と人間最強の貴様が手を組めば、仮にたった2人でも世界を相手に出来るとは思わんか?世界を征服するなども容易い。貴様が命を引き換えにするよりも、協力した方が効率的に世界を平和に出来るだろう。」
「世界征服などに興味はない。俺の目的は世界の平和……ただそれだけだ。」
ハイドラは「平和」の言葉を発した後に、ふとある事を思った。平和の為に捨てた願いが…
「世界征服に悪いイメージを持ちすぎではないか?人間と魔族が分かり合う為に、まずは全てを一つに統一せねばならぬぞ?でなければ人間も魔族も分断されたままじゃ。まずはそれを無くす必要がある。」
「な?世界平和を望むという点で、お互いに目的が一致しているのではないか?」
「一致だと?お前達魔族が人間に争いをしかけなければ良い話だ。」
ハイドラは亡き故郷を思い出し拳を握る。
「こちらも好きで攻めてはいないぞ。貴様ら人間が我らの土地を侵略するから、やり返しをしているだけ。それが発展して、各地で戦争が起きておるのじゃ。」
「じゃあやり返すなと魔族に命令してくれよ。」
「ならば貴様らの王にもそれを伝えよ。それが叶わぬから戦争が起きておるのじゃ。」
イリス自身も過去を思い出す。父が人間の王に交渉に行った時を…
そして帰って来ることが無かった事を。
「争いが起きる原因を考えた事があるか?大切なモノを奪われた憎しみが繰り返される『憎しみの連鎖』じゃ。誰かがそれを止めねば、戦争は終わらんよ…」
「憎しみの連鎖か…」
ハイドラは少し考える様に俯いた。
「のう…勇者ハイドラよ。憎しみの連鎖はどう止められると思う?」
「それは…やられた方が………いや…なんでもない」
ハイドラは最後まで言えなかった。彼自身が勇者となった理由。その根幹は憎しみだからだ。
解決策は彼が言おうとした言葉。でも彼は解決策を取らなかった。
「貴様は命と引き換えにと言ったが、我が貴様を殺したとしよう。そして人間との戦争を止めたとしよう。」
「しかしだ…人間は勇者を殺した魔王や魔族を憎む。こちらが平和を望んでいても、人間が復讐心から攻撃してくれば、それから起きる戦いには対処出来ぬ。」
「あぁ…」
ハイドラはイリスの言う事が正しいと理解している。
「ならば貴様はここで生きるのが最善ではないのか?貴様が生きたまま、世界を一つに統一することが平和への近道なのじゃ。」
「俺は……生きるべきか…」
ハイドラは悩み始める。
完全に彼は彼女に呑み込まれていた。イリスのペースで交渉が進んでいく。