19.後悔の無いように
コンコンと誰かが深夜にドアをノックする。日付もそろそろ変わる頃だった…
「深夜に誰だよ?夜更かしは肌に悪いってのに…」
「はいはーい。今ドア開けまーす。」
ティアラは夜遅くに来る客に驚きながらも、ドアを開ける。普段の濃い目のメイクは落とされ、ほぼ素顔の状態だった。ピンクのパジャマを着てもう寝る準備までしていた。
ナチュラルメイクの方が良いよ?彼女は男にそう言われる。
だが男ウケを狙う王都のビッチ達とは違う。誰の目も気にすることなく、自分が生きたいように生きる。それが彼女の流儀…
ドアを開けると無言の男が立っていた。女子を一人抱きかかえながら…
「……あっれー?エクレアちゃんの彼ピじゃん。どしたん?とりあえず入りな?」
こうしてエクレールを抱きかかえたハイドラはティアラの家に上がる。辺境の田舎町にティアラは住んでいる。
彼女は仕事が嫌いだ。だから仕事を急かしてくる人間が来ない場所に家をいくつも持っている。こうして現実から逃げ隠れるように、彼女は転々と各地を移動して暮らしている。
エクレールをベッドにゆっくりと横たわらせた。ティアラはどうやら魔宝具でお湯を沸かしているようだった。
「ティアラ…明日で良いんだ。エクレールを家まで送ってやってくれ。」
そうティアラに告げてハイドラはこの場を去ろうとする。ドアに手を掛けようとした時だった。
「待ちな?」
キッチンにいた筈が、ティアラは家のドアの前に瞬間移動する。ドアを蹴って開けられない様にする。
「お前…こんなところで|天恵≪ギフト≫を無駄に使うなよ。」
「いや…オメーと話したいことがあってよ。」
「俺には…」
「オメーになくても、こっちには山ほどあんだよ。」
ティアラは大分怒った様子だった。普段はメイクで隠れた感情も、今日はむき出しだった。
「分かった。」
ハイドラは渋々と家に入って行く。そうしなければ彼女は地の果てまで追いかけまわして来そうな雰囲気だったからだ。
ハイドラが了承すると、ティアラは再びキッチンに行った。
そして少ししてハイドラのいるテーブルにカップとグラスを持ってきた。
「ほらよ。」
そう言ってハイドラの前にココアを置いた。ティアラ自身はウイスキーの瓶を開ける。
それをグラスいっぱいに注ぐ。
「夜に酒を飲むと、寝覚めが悪くなるぞ?」
「テメェのせいで、目覚めどころかずっと気分悪いわ。」
「悪い…」
「手紙の指示通り、お前の口座の金は全部抜いた。で、半分はもう寄付してある。」
「ありがとう。」
「で…残りをあーしとエクレアちゃんで分けろとかさ…」
「依頼料だと思ってくれ…」
「アンタ…こっちで居場所を無くしてどうすんのよ?」
「………」
「アンタに後悔はないの?」
「ない…と言ったら嘘になるな。」
「まぁオメーらとは付き合いがなげーし、考えてる事は大体分かるよ。」
「オメーこれから…」
そう言おうとした瞬間に、ティアラは窓の外の人影に気付いた。そして溜息を吐く。
「それは置いておくとするか…オメェよ手配書に名前載ったぞ?」
「まぁそうだろうな。」
ティアラはハイドラの手配書を見せる。
「額見ろよ。街ひとつ買えるぞ。国家反逆罪で国中がお前の敵になったぞ?影薄いお前も一躍有名人だな!!」
ティアラは悔しそうな怒りを押し殺した表情で言った。
ハイドラは手配書を見る。二つ名まで付いていた。『偽りの勇者』と…
それを見て「フッ」と少し笑う。
「笑い事じゃねぇからな?金目当ての人間には気をつけろよ?」
「ティアラは相変わらず優しいな…」
「バーカ。エクレアちゃんの為だよ。オメーの事なんて別にどうでも良いわ。」
そう言ってウイスキーをグイっと一気に飲む。
「そうだな…。これからはエクレールを頼んだぞ。お前しか頼めないんだ…」
だんだんと2人の空気が暗くなりかけていた。
「『お前しか』…かよ…オメーは……」
ティアラは口を開いた。何かを悟っているかの様に…最後に質問をするために…
嫌な予感を払拭する為に…
「ねぇ…ハイドラ…」
「私達の…いやエクレアちゃんの元に…帰って来てくれるよね?」
ティアラの顔は少し寂しそうだった。答えを知っているが言う、意味の無い質問。
「どうだろうな…」
(あぁ…やっぱりか…)
ハイドラは立ち上がる。
「ありがとう。最後に話せてよかった。」
全てを悟ったからこそ、ティアラは最後に言うべき言葉に迷う。
彼が先に進める言葉を…せめて悔いが残らない結果を出せるように…
「次会う時は戦場だろうけど、手加減しないから。だからお互いが後悔しない様にしよう?」
「手加減されなきゃ、お前には勝てる気しないな。」
ティアラはハイドラの後姿を見送る。覚悟を決めた人間の姿を。
ハイドラは帰って行った。
「あとこれも持ってけ。外にいるアイツの為にな。」
ティアラはココアと携帯食を2食分ハイドラに渡す。外にいるイリスの為に…
「ありがとうな。」
「あとオメーの金でオメーらの故郷『エメリア』の土地買い占めたから。オメーの故郷あーしの|物≪モン≫だから。誰も入れねぇから。」
「そこまで教えてくれなくてもいいんだぞ?」
「バーカバーカ。」
ハイドラはティアラの顔を見ずに去った。泣いているのが分かったから…
パタン
ドアの閉まる音が聞こえる。別れの合図…
「他の皆にも会ってけよバカ…」
ティアラは少し寂しそうにしながらドアにもたれ掛かった。
「マジもうムリ…やってらんねぇ…1週間仕事サボろ。」
少し泣いた後ティアラはテーブルに着いた。ウィスキーの残りを空ける為に…
物思いにふけりながら、少しずつウイスキーを開けていく。
「ふぁああぁ。」
ベッドから間抜けな声が聞こえた。どうやらエクレールが起き上がったようだ。
ティアラは目の周りに涙が残っていないように、パジャマの袖でゴシゴシと拭う。
エクレールがティアラのいるテーブルまで起き上がって来た。
「ごめんねぇ…エクレアちゃん。アンタの彼氏もう帰っちゃったよぉ…マジぴえん。」
「やだなぁティアラ。私に彼氏はいないって…てかお酒臭い…」
エクレールは笑顔で受け流す。
エクレールの様子を察して、ティアラは何か嫌な予感がした。普段の彼女なら照れる場面だからだ…
「いや…彼氏…じゃなくてハイドラの事なんだけど…」
「ハイドラって……誰だっけ?」
「は?」
ティアラは驚愕した表情を浮かべて、ただただ固まった。
「いや…アンタの幼馴染だよ?喧嘩でもした?」
「やだなぁティアラ。酔っぱらって記憶が変わってるって。そんな人知らないって。その人との記憶なんて全くないよ?」
その表情は嘘を吐いている表情ではないとティアラは知っている。お酒を飲んでいるからと、見間違えているせいではない。
ティアラの心の奥底にとてつもない怒りの感情が浮かび上がる。
彼女の目の前で叫んでしまいそうな程、悔しさと怒りが湧いて収まらない。
「どうしたのティアラ…そんな怖い表情をして…」
もはや隠しきれるものではなかった。
「ごめんねエクレア?ちょっとアンタの夜食作るわ…」
エクレールにはこんな怒りの表情は見せられない。だってハイドラの覚悟の結果だから…
少しでも彼女に悟らせる訳にはいかなかった。それでもあまりに酷い出来事に怒りが収まらない。
「あの野郎。絶対にぶっ飛ばしてやる。」
*
ハイドラとイリスは飛竜に乗ってある場所に向かっていた。
「ねぇ…ハイドラ…どこに向かっているの?」
イリスはティアラの用意してくれたあったかいココアを飲み、携帯食を食べる。
「俺の故郷『エメリア』だ。イリスも疲れているだろうし今日はそこで休もう?」