18.幸せになってくれ
「ハイドラ!!」
エクレールがハイドラを抱きかかえていた。彼が目を覚ました瞬間に安堵した表情に変わる。
「エクレール…」
ハイドラはエクレールに抱きかかえられ、彼女に体重を預けていた。
「2人…は…無事か?」
ハイドラはイリスとグリフィスの心配をしていた。絞められた喉が不調で声がうまく出ないようだった。
イリスはハイドラが起きた事で安堵の涙を流した。
彼女は再び両手で顔を隠して泣いた。先程まではハイドラを傷つけた事で…
その為かハイドラとエクレールから距離を置いていた。イリスはハイドラに近付いても大丈夫か分からなくなっていたのだ。
エクレールも彼女達がハイドラに害を及ぼさないと分かった為、戦意を見せなかった。仮に見せた場合は直ぐに対応は出来るようにはしていたが…
「あいつらなら大丈夫。」
エクレールは泣きかけながらも、ハイドラが安心できるように微笑んだ。ハイドラはイリスとグリフィスの方を見た。
「本当にハイドラは無茶し過ぎだよ…」
「あぁ…そうかもな…」
穏やかな空気が徐々に戻りつつあった。
エクレールとハイドラだけの…
その光景をイリスはただ眺めていた。この2人の間に自分が入り込む余地がないと思い始める。
ハイドラはエクレールに抱きかかえられながらも、彼女の首元をふと見る。
「そのネックレス…まだ持っていてくれたんだな…ありがとう。」
ハイドラはエクレールが首からぶら下げているネックレスに左手で触れた。ルビーの様な真紅の宝石…
「当たり前じゃん。ハイドラがくれた大事な宝物なんだから。命よりも大事だよ。」
エクレールは今にも泣きそうだった。
(ハイドラと彼女…すごく仲がいいんだな…)
イリスはハイドラが彼女を傷つけるなと言った気が何となくわかった。ハイドラにとっては本当に大切な人間なんだと。
自分がハイドラと彼女の間に入ってはいけない程、固い絆で結ばれていることを嫌でも思い知らされる。
「ありがとうな、エクレール。」
そう言うとハイドラはエクレールの頭を右手で撫でる。
「ハイドラ…」
(あぁ…見たくないなぁ…)
この場から消えたいくらいの疎外感で満ちていた。この世界から取り残されているような…2人を悲しそうに見る事しか出来なかった。
グリフィスは悲しそうなイリスを見て、腕を組んでその場にただ立っていた。本当はエクレールをぶちのめしたかったが、姉がこれ以上悲しむのを避けたかった。
「ねぇ、ハイドラ帰ろう?私達の故郷に…あなたのお父さんもお母さんも待ってる。」
「あぁ…そうだな…昔が懐かしいな…」
ハイドラの瞳から大粒の涙が溢れだしてくる。
「もう戦う事なんて考えず穏やかに暮らそう?故郷に帰って家族みんなで暮らすの。」
「あぁ。」
「あなたの家族の喫茶店も建て直そう?だって……だって……あれ?」
エクレールは何かに気付いた様に少し困惑しながらハイドラの顔を見る。
「あ…れ?私の故郷は…?」
記憶の違和感…エクレールはハイドラと話すうちに何かがおかしくなっている事に気付き始める。
「ハイドラの…お母さんは……私を庇って……」
エクレールは完全に困惑し始めた。
「エクレール…もういいんだ…」
ハイドラは優しい瞳でエクレールに諭しかける。もうこれ以上は無理して話さないように…何かを思い出さない様に…
エクレールは首を横に振る。何かを否定するかのように…何かに気付いてしまったかのように…
自身がハイドラを安心させねばならない。ハイドラを不安にしてはならないという心から迷いを捨てた目をした。
エクレールはハイドラを力強い目で見る。
「どんな事があっても私があなたを守るから。たとえ私が変わり果てたとしても…」
(あぁ…お前は10年前から変わらないんだな…)
一番聞きたくない言葉だった。
ハイドラの脳裏に浮かぶ、血塗れのまま彼に微笑みかけるエクレールの姿…
彼女の周りには彼らの親や街の人、沢山の兵士の死体が転がっていた。
ただ2人だけで生き残った日の事を思い出す。
「エクレール…お前…に…何度も…救われたよ。お前は俺の…」
ハイドラは声を上げて泣きそうだった。それを誤魔化すかの様にエクレールを強く抱きしめる。
(それと同時にその言葉は俺を苦しめる呪いの言葉だった。)
「だから帰ろう。皆待ってるよ?」
「ありがとうな。何度も何度も何度も何度も…エクレール…お前に救われた。」
ハイドラは右手でエクレールの頭を撫でる。
「そして俺はお前が苦しむのを見ないフリして来た…」
ハイドラは一呼吸おいた。嗚咽を押し殺す為に…
エクレールに今生の別れをしっかり伝える為に…
「だからこれでお別れだ。」
「え?何を言っているの?」
「エクレール…幸せになってくれ。」
「え?ハイドラ?」
『|儚却≪ぼうきゃく≫』
エクレールのネックレスから黒い光が一瞬放たれる。その後すぐ元通りの真紅のネックレスに戻る。
エクレールは地面に倒れ込んだ。それを防ぐようにハイドラがエクレールを抱きかかえた。
「俺は…もうお前とはいられないんだ…」
これまでハイドラが見せた事のない表情だった。哀しさも後悔も絶望も全てを含んだような、苦しそうな表情だった。
(あぁ、ハイドラが本当に守りたいのは…平和じゃなくて…)
イリスはハイドラとエクレールをただ見ていた。彼の本当の気持ちを知った。そして胸が締め付けられるほど苦しくなった。
「ハイドラ…?大丈夫なの?」
イリスは心配になりハイドラに少し近寄る。
ハイドラはイリスの方を見なかった。ただただエクレールを見て、声を殺して泣いているのが分かった。嗚咽をこらえていた。
「………」
ハイドラは答えなかった。いや応えられなかった。
そしてそのまま少し時間が過ぎる。
気持ちの整理が着くと、ハイドラはエクレールを抱えて起き上がる。
「……ハイドラ…大丈夫?」
「あぁ…」
「…その子に何をしたの?」
「記憶を…上書きした…何も思い出さない様に…」
そのハイドラの言葉を聞いてイリスは言葉を失う。
「それは…そんなことをしてハイドラは辛くないの?」
「例え辛いとしても…全てを捨ててでも俺は進むしかないんだよ。」
ハイドラは涙を拭いて強い決意をした表情を見せる。それをイリスは責める事が事が出来なかった。
「俺が泣くのはこれで最後だ。エクレールには幸せになって欲しいから…」
「俺は世界を必ず平和にするんだ。例え誰かの想いを踏みにじってでも…」
(これがハイドラの決意…)
この時イリスはハイドラの呟く誰かがエクレールの事だと理解した。きっと平和な世界にしたいのもエクレールの為。
(でもその決意は彼を含めて誰も幸せになれない…ただ現状を見ないフリをしているだけ…)
(大切なモノを捨ててまで作る未来に価値はあるのだろうか?)
ハイドラが作ろうとする未来には、彼の姿が見当たらない気がした。彼にとって救いが無かった。
それは彼を大切に思う者の望む未来ではない事…彼の願いだけが押し付けられた未来…
(せめて頑張った人間には報われて欲しい…)
彼にとっての幸せは何をすればよいのかとイリスは考えていた。
「ハイドラ…大切な人の気持ちを踏みにじってまで平和になった世界で、あなたは本当に幸せなの?」
誰にも聞こえない声で呟いた。
ハイドラはエクレールを眺めていた。彼女を脳裏に焼き付けるために…これが最後だと言わんばかりに…
彼の瞳から再び涙が溢れだす。
再び時間が過ぎる。
「お前とも…これでお別れだな…」
泣き止んだ後にエクレールを抱きかかえる。
「こいつを安全な場所に送って良いかな?最後に心残りが無いように…」
(最後に…か)
イリスはハイドラの背負うモノを知っていき、どこか胸が締め付けられて苦しくなる。
このまま彼を放って置いて良いのかを疑問に思う。平和な未来には彼の姿がない気がした。ふとした瞬間に、途中でどこかに消えてしまう気がした。
「どこにも行かないで」とは怖くて言えなかった。彼を咎められなかった。
彼の決意を否定できなかった。彼の事を知らないから…
イリスはコクリとうなづく。
そうしてハイドラはエクレールを抱き抱えて、飛竜に乗ろうとする。
「姉上!!いや…イリス!!」
グリフィスは姉を叱責する。生まれて初めて姉を呼び捨てにする。これ以上先は彼自身も言えない。姉の判断に任せるしかなかったからだ…
「……」
イリスはグリフィスの方を見る。それでも迷っていた…
(私は…ハイドラを……いや…)
イリスは覚悟を決める。
「ねぇ…ハイドラ…。私も貴方に着いて行って良い?」
「……向かうのは人間の住む場所だ…大丈夫か?」
「行くわ…だって私は…」
イリスはこれ以上は言えなかった。今の状況で言える訳がなかった。
こうしてイリスとハイドラは飛竜に乗ってエクレールを街に送る事になる。
グリフィスはそれを見守っていた。
「勇者が助けを求めてどうするんだよ…」
ハイドラが気を失っている間に呟いていた「助けて」の言葉…
きっとそれは誰にも手を出せない。もしも彼を助けられるならば…
それを飛竜を見送りながら考えていた。




