15.エクレール
「な…貴様は…」
それまで気配がなかった。一瞬で彼の背後に現れ、剣で背中を突き刺す。幸いに急所は外れているようだが…
「油断した…」
イリスは焦る。飛竜から彼らが降りる際に危険は無いか確認していた。その上で安全だと判断していた。
しかし敵は意識の外から来た。
右手に魔力を込めて、黒い球体を何個も作る。それを金髪の少女へと飛ばそうとする。緊急事態の為、牽制と制圧を兼ねて。
少女はグリフィスから剣を抜き、バックステップで素早くイリスとグリフィスから距離を取る。
身軽ですばしっこいようだ。
「まずは一匹。いや…防がれていたな…」
彼女の目に光は灯っていなかった。宙で剣を振り払い、グリフィスの血を落とそうとする。
狩人の目だった。
イリスから黒い球体が物凄い速度で少女に向かう。だがそれも彼女達から距離を取り、剣で薙ぎ払う…
(これを…全て薙ぎ払うか…)
「貴様は…誰じゃ?」
弟を傷つけられた事もあり、イリスは殺意を顕わにする。
少女はイリスの質問を無表情で流した。横目でハイドラを見て安堵の笑みを浮かべているようだった。
「はぁ…良かった。ハイドラ無事だったんだね?」
笑顔でハイドラに話しかける。パーマのかかったふんわりと短めの金色の髪…パッチリした水色の瞳はハイドラと話している時だけ瞳に光が宿る。
剣2本分くらいの小さく可愛らしいその少女は華奢だった。先程の剣を軽々と振るような人間には見えなかった。
首元には目の大きさくらいの小さな赤色の宝石がついたネックレスをかけていた。
グリフィスとイリスはハイドラの方を見る。ハイドラを知っている…つまり彼の関係者であることが明白だからだ。
「エクレール…どうしてここに?」
ハイドラは驚いた表情を隠せなかったようだ。
「ハイドラを助けに来たの。助けてって手紙にあったから。」
エクレールはにこやかに質問に返事した。
「やはり勇者…貴様は人間側か…俺達を裏切るつもりだったのか?」
グリフィスはハイドラを睨みつける。
「いや…俺はそんな手紙は書いていない。」
ハイドラは本気で慌てた素振りを見せる。
「分かっているよ。あなたがどうしようも無い状況だった事を…」
そしてエクレールはポケットから手紙を差し出しイリス達に見せる。
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親愛なるエクレールへ
人間と魔族が争う世界が嫌になりました。
一刻も早く争いを止めようと思います。
平和な世界を作る為に命をかけて
魔王と話し合いをしてきます。
今までありがとう。
お前のお陰で俺は救われた。
平和になった世界で幸せになってくれ。
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「?ただの手紙だ…」
「?普通の手紙ね…」
イリスとグリフィスはただ手紙を見た。
「そう…これはただの手紙に見せた暗号。私でなければ見逃していた。」
エクレールはそう言って、自身満々に勝ち誇った表情を見せる。
「いや…暗号なんて使っていない…本当にエクレールへの最後の手紙のつもりだったんだ…」
ハイドラはエクレールの訳の分からない言葉に物凄く困惑している。冷静な事が多い彼も今回ばかりは例外的な様だった。その上グリフィスのクスリの効果もあった…
「大丈夫だよハイドラ?私が来たからには安心して良いよ?私達の暮らしの邪魔する奴は私が殺してあげるから。」
「アイツは殺すか…」
グリフィスはエクレールの地面に落ちた血を空中に浮かせる。
更には彼女の剣に付いた血を、巨大なスライムに変化させる。それをドロドロと動かし、彼女のを覆って拘束しようとする。
「貫け」
エクレールの周りの血は凍り付き、槍の様にエクレールに向かって攻撃する。
「やだなぁ…」
エクレールは持っていた剣を惜しげもなく捨てた。グリフィスの血が付いている気がしたから。その後どこからともなく、両手に剣を召喚する。
剣は手品の様に一瞬で彼女の両手に現れた。それでスライムと血の槍を軽々とみじん切りにした。
「頼む。エクレール。この人たちと戦わないでくれ。」
ハイドラは両手を横に広げてエクレールとグリフィスとイリスの間に入った。
「どいてハイドラ…あなたがどかないとそいつら殺せないよ?」
エクレールは微笑みながらハイドラに話しかける。狂気的な笑みだ。
「殺すだって?人間風情がいい度胸じゃないか?」
グリフィスはエクレールの煽りを間に受けて、冷静さを欠いていた。そんな彼を見てイリスは彼の元に近付き肩に右手を置く。
「熱くなるな。冷静になれ。」
イリスは冷静さを欠くグリフィスに語りかける。そして自分が出るとアイコンタクトを送る。
「姉上…」
イリスはエクレールに対して本気で殺気を向ける。
「よくも弟を傷つけてくれたわね?」
イリスの周りには膨大な魔力がまとわりついた。本来は見えないはずの魔力が可視化されるほどの密度に圧縮されていた。
そんなイリスの言葉をまったく聞かずにエクレールは剣を宙に振る。
「危ない」
イリスはグリフィスと自身を反発させて、その場からお互いを無理やり吹き飛ばした。
シュッ
風の刃がイリスとグリフィスの間を裂く。イリスが殺気を見せた瞬間のその一瞬のことだった。エクレールは見えない程の速度で剣で空を斬った。その斬撃はかまいたちのように見えない刃となって地面をえぐった。
それは戦場でゴリアテがやったように、斬撃を飛ばす攻撃だった。
「随分と不躾じゃない?いくらハイドラの大切な友達でも痛い目を見せないとね?」
イリスは宙に浮かぶ。ハイドラと弟を傷つけさせない様にする為。彼女の怒りの沸点も限界の様だった。こちらの話を聞かずに、ひたすらにこちらを殺そうと攻撃する人間。
彼女とは分かり合えない…例えハイドラの大切な人でも…
殺さないまでに痛い目を見させるつもりだった。
「死ね。メス豚が…」
容赦なくエクレールは空中に浮かぶイリスに向かってイリスに斬り込む。
「宙に浮かんだわね?」
イリスは右手を動かし、宙に飛びあがったエクレールの重力を何倍にも強める。その瞬間エクレールは急に重さが増したように、真っすぐに下に落ちる。
ドスン
エクレールは地面に落ちる。いや叩き落とされたというべきだろう。メシメシと地面にのめり込み始める。
更には重さで持てなくなったのか、両手の剣は地面に落ちて、その重さで地面にのめり込んだ。
「さぁ人間?このまま地面に埋まりたくなければ…」
イリスが話している途中だった…
シュッ
再び風の刃がイリスに飛ぶ。しかし威力が弱く、イリスに届くも彼女の右手に薙ぎ払われる。
エクレールは両手に剣より軽いナイフを持っていた。
「へぇ?それがアナタの天恵なのね?武器でも創造する力なのかしら?」
イリスは余裕そうだ。
「魔族ごときが私を舐めすぎじゃない?」
すると先程までの重力が無かったかのように軽々とジャンプし、再びイリスに飛び掛かった。
一瞬でイリスの目の前にエクレールは近付いた。
(速い…この重力の中では信じられない程…)
そのナイフはイリスの頬っぺたを切り付けた。油断していた。常人では歩くのが難しい程に重力を強めたつもりだった。しかし彼女はものともしていなかった。
イリスは切りつけられる際に、彼女の首に掛かっていたネックレスに何故か気を取られた。
何故かそのネックレスから嫌な気配を感じたからだ…
(彼女は空間操作系のギフト持ち…?)
「チッ…ナイフじゃなきゃ顔面真っ二つだったのに…」
エクレールは残念そうに地面に降りる。まるで無重力化の様にフワッと…
「2人ともやめろ。」
そう言ってハイドラはイリスとエクレールの間に入ろうとする。
「さて…姉上にこれ以上手出しはさせないぞ?人間風情が…」
グリフィスはそうさせない為に、大気中に氷の槍を生成してハイドラに攻撃する。
「待て。俺はお前の敵じゃない。」
「うるさい。お前のせいで今こうなっているんだろうが。」
グリフィスは激昂している。
「そんなに怒ると傷口が…」
そう思いハイドラはグリフィスの傷口を見る。しかしグリフィスの傷口は塞がっていた。彼の傷口は氷で塞がれていた。
「お前は俺達を裏切った上に怒らせた。つまり死刑確定だ。」
グリフィスは完全に戦闘体制に入る。
「やはり人間を信じなくて良かった。いくぞハイドラ。俺はお前を殺して、姉上の目を覚ましてやる。」