14.魔王の弟
「姉上、ただいま戻りました。」
玉座の間にてくつろぐイリスに対して、片膝をついて報告に来ている魔族の男がいた。
イリスと同じ銀色の髪で、やや目付きも鋭い。ツノは額に一本のみで、髪が短い点を除けばイリスとうり二つの様な顔立ちだ。
イリスより少し年下の幼さが残った青年だった。
彼は玉座の間の外にて姉のイリスの業務が終わるのを3時間待っていた。
彼女の迷惑にならない為に…
「うむ。グリフィスか。ご苦労。」
「いえ姉上が出陣されたお陰で苦労はしていません。戦場に赴いて頂きありがとうございました。」
丁寧な口調でイリスと会話する。
「一応じゃが、部下の管理はきちっとせいよ。我が命令を聞かない奴がいたからの。」
イリスは戦場で自分の言う事を聞かずに、人間の軍に突っ込もうとした魔族がいた事を咎める。
「はっ。申し訳ございません。」
「後でアイツら詰めるか…」
彼は誰にも聞こえない声で呟いた。
「こちらからも報告じゃが、近いうちに結婚するかもしれん。」
「え?はぁ。誰がですか?」
唐突なイリスの報告にグリフィスは一瞬何を言われているか分からないようだった。必死に姉の結婚ではないと信じたかった。
「我じゃが…」
「はぁ?」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ?」
5秒くらいしてようやく頭が理解する。大声で驚嘆の声を上げる。
「え?相手は?どこのどいつですか?」
「相手は勇者ハイドラ。『お前が欲しい』って言われちゃった。」
イリスは頬を赤く染めながら、弟に嬉しそうに報告する。
「いやいや、姉上騙されてますって。相手は人間ですよ?」
「ようやくグリフィスにも『お兄さん』が出来るね。ずっと兄さんが良かったって言ってたよね?」
グリフィスの話は聴いていなかった。何故ならイリスの頭の中は既にお花畑だった。隙があればハイドラの話をしたいお年頃だった。
勿論、報告に来た他の部下にもハイドラの話を隙あらばしている。
グリフィスは「兄さんが良かった」と確かに言っていた。それは姉への好意を誤魔化す為である。
「では今度その人を紹介して下さい。」
(ダメだこれは…早く何とかしないと…)
グリフィスは姉が好意を持つ相手をなんとかして引きはがしたかった。相手が人間であれば尚更認める訳にはいかなかった。姉想いの彼は自分以上に姉に相応しい者でなければ、認めるつもりはない。
つまりは誰も認めるつもりはない。姉が至高の存在で、自分がその次だと信じているからだ。
むしろ今後グリフィスが認める者が現れず、自分が姉とくっつきたいと思う程のシスコンである。
グリフィスは廊下を歩きながら考える。
自分の評価をマイナスにせずに、相手の評価だけを下げる方法を…
「さて…どうやって潰すかだな…」
こうしてハイドラが知らないうちに、彼を狙う刺客が増えていく。まるで魔王イリスの与える試練の様に。
朝食を取る為、ハイドラは食堂に来ていた。
「ハイドラさん、おはようございます。」
「ハイドラ様、今度訓練つけてください。」
「あぁおはよう。」
兵士が我先にとハイドラに挨拶をする。魔王の花婿候補は人気者だった。
人気と言うよりは、今後の地位を確立する為に兵士は媚を売るのに必死だった。
城の食堂は魔王や神将などの偉い者を含め全員が使える。部下の声を聴く為にだ。
しかしイリスは滅多に食堂に来ない。業務が忙しすぎて、部下に自室に運ばせる事が多い。
「あ、グリフィス様。お戻りになられたのですね?」
「グリフィス様、此度はお疲れさまでした。」
兵士たちは珍しく食堂に来たグリフィスに声を掛ける。彼もまず食堂には来ないからだ。
「ハイドラと言う奴はいるか?」
兵士達の日常の会話でざわついていた食堂が、グリフィスの声により静まり返る。
「俺だが…」
「一緒に朝食を食べないか?」
グリフィスは必死に殺気を抑えてハイドラを朝食に誘う。
「……分かった。」
裏があるかもと考えつつも一緒のテーブルにつく。
年齢差もあまりなさそうだった。
何故か圧の凄い朝食が始まる。
「お前は人間なんだな?」
「あぁ」
「この前の戦場では見事だったと姉上から聞いている。お前には俺も助けられた。」
「なら良かったよ。」
「俺…ピーマンが嫌いなんだ。食べてくれないか?」
グリフィスはふと朝食に入っていたピーマンを見てフォークが止まった。
「分かった。代わりにお前の好きな食べ物があれば取って良いぞ。」
「え?本当に?ありがとう。」
気を抜いて喜ぶ姿はイリスにそっくりだった。綺麗な笑顔であった。
(は…こいつが良い奴だからとうっかり礼を言ってしまった。)
グリフィスはハイドラをいびる為に彼の朝食の殆どを取り、ピーマンだけをハイドラに渡す。
(ふははははは。これぞ心無き非道な行い。さぁ怒るが良い。無様な姿を晒せ。)
だがハイドラは何も気にせずに、ピーマンだけを食べる。
「ごはん足りないなら、貰ってこようか?」
ハイドラはグリフィスの事を気に掛ける。
(え…器が大きいな…)
「いや大丈夫だ。」
ハイドラから朝食を奪ったは良いが、2人前を食べ切れるか不安だった。むしろ才色兼備な姉に相応しい弟を目指す彼は太りたくなかった。
(器の大きさでは勝てないな…)
「姉上…いや魔王イリスに対して不満はあるか?」
グリフィスは質問する。不満を過大報告してハイドラの心象を悪くする為に。
「いや、ないよ。」
即答された。それもそうだ。まだ不満が出るほど一緒に過ごしていないからだ。
「いやいや…少しくらいはあるだろう?過労死しそうとか、死にそうになったとか…」
グリフィスはハイドラとイリスの付き合いが長いと勘違いしていた。何故なら姉が結婚するつもりでいたからだ。
まさか自分の姉が出会ってすぐにプロポーズを受け入れる程のアホではないと信じていた。熟慮の末の結婚だと思い込んでいた。
「うーん。飛竜から手を引っ張られて飛び降りた時が怖かったくらいかな。」
(よし。こいつはきっと高いところから飛び降りるのが苦手なんだな。)
「じゃあさ…今日は飛竜から飛び降りる練習に付き合ってくれないか?俺も苦手で克服したいんだ。」
(いびってやるぞ。ここから逃げ出したくなるくらいに…かっこ悪い声を上げさせてに姉上にこいつを嫌いになって貰おう。)
「分かった。じゃあ一緒に練習しようか。」
ハイドラはグリフィスの提案を快く引き受ける。
*
そうして朝食を終えて、彼らは飛竜乗り場まで向かう。グリフィスはイリスを誘って。
彼女は仕事が溜まっていた為断りたかったが、ハイドラの為に時間を作った。
「とりあえずこれを飲むと良い。飛竜に乗っても大丈夫なように…」
グリフィスはとある小瓶に入ったクスリをハイドラに渡す。
希釈することで感度が5倍になる薬だった。本来はイリスに使う為に取っておいたものだった。
原液を1ml取って水で10mlに希釈して感度5倍の媚薬2回分が出来る。
グリフィスはそれを希釈せず20mlを渡した。
これ1mlだけで1週間は生活出来るらしいが採算を度外視してハイドラに渡した。
つまり計算しなくてもめっちゃ効く事をグリフィスは理解していた。計算は理解していないが…
ハイドラという倒さねばならない敵が現れた以上、どんな手段を使っても潰すつもりだった。
苦手なモノに対して恐怖の感度を高める。ハイドラが空中から落下する恐怖に耐えきれずに気絶やおもらしをさせる為に。
どこか抜けているのは姉にそっくりであった。
ハイドラとグリフィスは飛竜に乗る。イリスも遅れて来た。
「で、飛竜から降りる際のコツをつかみたいらしいんだ。姉上の足を引っ張らない為に…」
グリフィスはイリスに不自然が無いように説明した。
(あぁ…ハイドラ私の為にそこまで)
イリスは頬を赤く染める。ハイドラが自分の為に頑張っていると勘違いしているのだ。
飛竜に乗り景色の良い上空へと飛ぶ。上空を見渡しながら景色をイリスは楽しんでいた。遠くには人間の住む場所も見える。
ハイドラ達が飛竜に乗っているのを地上から見上げる金髪の少女の人影があった。
「あぁ…やっと見つけた。長かった…」
「さぁハイドラ。心の準備は良いか?着地のコツは教えるから。」
グリフィスはハイドラにニヤリと笑って話しかける。
(ククク…これでこいつも終わりだ。)
「ハイドラ…心配なら私が手を握ろうか?」
「ダメです。彼にはなんでも一人で出来るようにならないと。」
(は?姉上が『私』?姉上は『我』と上から目線の方が一番カッコ良いのに…)
「あの綺麗な花畑を目掛けて着地の練習だ。」
グリフィスも実は飛び降りるのが怖かった。それでもハイドラを潰せるなら、恐怖に耐える覚悟はあった。彼の恥を見せる事で、自分の恥は誤魔化せると思っていた。
ハイドラとグリフィスだけ飛び降りる。
イリスは飛竜に乗って飛竜と自分を中心に「引力」を発生させ、ハイドラだけ緩やかに降りれるように調節する。
「ぎぃゃあああああああああああああ。」
グリフィスだけは通常の速度で大声を上げながら飛び降りていく。
「………」
ハイドラは終始無言だった。イリスによる引力のケアがバッチリの為だ。
(どうしてだ?恐怖の感度がすごい筈だ。なんでアイツは…というか、俺だけ落ちる速度速くない?)
グリフィス以外は無事に着地した。グリフィスだけは息を切らしていた。
「はぁ…死ぬかと思った。」
(どうして…こうなったんだ…)
「ハイドラめ…絶対に…いつか…殺してやるぞ…」
グリフィスはハイドラに聞こえない様に呟いた。
一陣の風が吹く。
「殺す…か…」
「グリフィス?大丈夫か?」
ハイドラは地面にかがんでいるグリフィスに手を差し出そうとした。
「あぁ…すまな…」
グリフィスがハイドラの手を取ろうとしたその時だった。
ブシャッ
グリフィスの背後から剣が彼の胴体を貫く。
「え…?」
グリフィスは動揺していた。全くの予想外だったからだ。
剣を突き刺した人間は眩しい位の笑顔でハイドラに話しかける。
「やっと見つけたぁ!ハイドラ、迎えに来たよ?」