11.一日の終わり
こうして祝勝会は幕を閉じ、一日も終わりとなる。
ハイドラは豪華な客室に案内される。
見張りの兵士以外は眠りに就く時間。ようやくハイドラとイリスも休める時間が来た。
イリスは祝勝会でのドキドキが収まらずに眠りに就けずにいた。なのでハイドラともう少し話をするために彼の部屋に行くことにした。
白色のおしゃれなワンピースに着替えて。
急ぎ足でハイドラのいる客室まで進む。すると中からかすかに独り言が聞こえてきた。
「…れ……だ……ていた……な?」
ハイドラは一人で何か呟いていた。
イリスはコンコンと客室をノックする。
「だれだ?どうかしたか?」
部屋の中からハイドラは応える。
「わたしよ。少し話がしたくて…入って良い?」
「イリスか…別に構わない。」
イリスが部屋の中に入る。ハイドラは窓際に座り、月を見ていた。その間も左手はズボンのポケットに入れたままだった。
「あなたも眠れないの?」
イリスはベッドに座りながら質問する。シーツに皺がない。一度もベッドを使っていないようだった。
「あぁ…眠れないんだ…」
「それで月を?何か考え事でもしてたの?」
「今日までの事を…それとこれからの事をずっと考えていた。」
少し悲し気な表情が窓に映って見えた。
「今日は凄かったね。まさか一人で人間達を制圧するなんて…」
「敵への敬意が無いって怒られたけどな…」
「けれども人間に武器を向けなくて済んだ。相手の被害は最小限だった。」
「それでも俺が傷つけた人がいた。」
「けれどもあなたのお陰で命を落とさずに済んだ人は沢山いた。救われた人が沢山いた。」
「かつての仲間を傷つけた。本当ならばゴリアテとは正々堂々とやるべきだったんだろうが…」
「真正面からぶつかったら、どちらも無事じゃなかったんじゃない?」
「その時はゴリアテが一方的に勝つに決まってるさ。勝てないから、あんな手段を使ったんだ。」
かつての仲間への信頼。だからこそのハイドラの戦い方をイリスは理解した。
「やっぱりそんなに強いんだ…」
「あいつの強さはこれからも世界のために必要なんだ…だから怪我を負わせたくなかった。あいつの心を傷付けたとしても…」
ハイドラは少し口篭った。そのまま黙り込んだ。
「勇気を出してこちら側に来てくれてありがとう。」
ハイドラが黙った後にイリスは一番伝えたかった事を言う。
「貴方が来てくれなきゃ、私達はもっと人間を傷つけるしか無かった。彼だって…私達だって無事じゃ済まなかった。」
「魔王がイリスで良かったよ。俺は誰かを傷付けなきゃ前に進めなかっただろうから…」
「俺はやっぱり勇者には相応しくなかったな…」
「勇者というよりは、戦場のあなたは恐ろしい魔王みたいだった。」
気が緩んでいたイリスは微笑みながらその言葉を口にした。その言葉でハイドラはハッとして、初めてイリスの方を見た。
「人間の裏切り者として…ぴったりってか?」
彼は悲しそうな顔をした。
イリスは両手をバタバタさせ、首を横に振り必死に否定する。
「いえ…あなたが頼もしくて…それと同時に恐ろしかったの…」
「恐ろしい…か…」
ハイドラは少ししゅんとした。
「あなたが力を使う度に少し苦しそうな顔をしてるから…あなたも実は力を使う度に傷付いているんじゃないかって…」
「……」
「誰かを傷付けない為にあなただけが苦しいのは、私にとっては凄く嫌で怖いの…」
「ハイドラ?あなたが命を賭けてまでここに来たのは、誰よりもあなたが優しいからだよ?」
「俺は…優しくなんて…」
「もしも私があなたの力を持っていたら、私は絶対勇者なんてやらない。むしろ正しく使わずに楽して生きるんだから。」
「そんな選択肢もあったんだろうな…」
ハイドラは過去を思い出すかの様に天井を眺めた。
「だから無理は絶対にしないでね?約束だよ?」
「俺がここに来たのは……」
ハイドラは口ごもる。その後イリスから目を逸らし再び月を眺め始めた。
ハイドラが口ごもった事で、少し静かな時間が流れた。
彼は月を少し眺めた後、イリスを見ないで窓の外に向かって話しかけた。
それは本心を隠すかの様に…表情を見られたくないかの様に…
「なぁ…イリス…もしも俺が誰かを傷つけるバケモノになってしまいそうなら、迷わず俺を……」
その言葉の先をイリスは察した。だから言わせなかった。
例え予想した言葉が違ったとしても…
「えぇ…迷わずハイドラ、あなたを救ってみせる。どんな困難な状況でも、あなたを助ける。」
イリスは迷いのない瞳で真っすぐとハイドラを見る。そこに嘘など全く含まれていない。
ハイドラはイリスの方を再び見つめる。何か安堵するかの様に…しかし悲しみをその表情は含んでいた。
「だってあなたはわたしの配下で、わたしはあなたのモノなんですもの。」
イリスはハイドラにニコリと微笑む。その微笑みを見て再びハイドラは顔を窓の外の方へ逸らした。
その後無言のままハイドラは窓の外を見つめる。
無言だがイリスにとっては心地の良い時間が続いた。
「…………」
ハイドラからの言葉はいつになっても返ってこなかった。
イリスはずっとハイドラを見ていた。
「じゃあそろそろ戻るね…おやすみなさい、ハイドラ。」
そして部屋から出る。部屋から出る際、彼に向かって呟いた。
「あなたの勇気が私達に人と共に歩む選択肢をくれた。本当にありがとう。」
ハイドラと話した事で、イリスは更に頭が冴えて眠れなくなった。
だから一日分のたまった仕事をしようと事務室に行く。作業をする間にイリスはずっと考えていた。
勇者が単身でここに乗り込み、自らの命と引き換えに戦争を止めろと言った意味…
ハイドラの|天恵≪ギフト≫の能力についても…
人間のギフトは環境や感情によって進化することがある。
彼の能力は確かに勇者にふさわしいほど圧倒的な力だ。だがどこかの過程で捻じ曲がってしまったように禍々しい力だった。
魔王である彼女が怖いと思ってしまうほどの…
(誰かの想いを踏みにじっても…か…)
ハイドラが口にしていた自己暗示のような言葉を思い出す。
そこまで彼は人の想いを踏みにじって生きて来たのだろうか?それとも勇者として戦ううちに人の想いに応えられなくなったのだろうか?
「誰かの想いを踏みにじるのを自覚するって事は、自分自身の本心も見ないフリして誤魔化すって事だよ…」
イリスは独り言をつぶやく。
(それを自覚するハイドラは優しいんだろうな…優しいから自分だけ傷ついていく。彼は誤魔化しているが|脆≪もろ≫い気がする…それこそいつか彼が壊れてしまいそうな程…)
「ハイドラは自分の命にも未練がないみたいだしなぁ…」
きっと人が苦しまずに済む平和の世界の為ならどんなことだって彼は出来るのだろう。命を賭けるのと命を差し出すのでは意味が違う。
彼は命を賭けて平和にするのではなく、命を投げ出して平和を望んだ。
「勇者である事が苦痛だったのかな?幸せを感じられない程に…」
イリスは彼女なりにハイドラを分析する。少しでも彼を知りたかった。彼の心に近付きたかった。
まだ出会って一日しか経っていないが、もっと知りたい気持ちで溢れていた。
「彼が味方になった事で平和に近付いた。今なら人間と分かり合う世界も実現が不可能ではなくなった。」
「ならいつか平和になった後の世界の事も考えなきゃ…」
「平和になった世界でしたいことは…まず魔王を辞めて…」
「ハイドラと一緒に過ごしたいな。人間のお店で洋服を買ったり。喫茶店でお茶を楽しんだり。人間の友達も作れると良いなぁ。」
魔王として…いや魔族だからこそ諦めていた事。それも実現できるようになったことに気付いた。ハイドラのお陰で。
「平和なら何も望む事がないって言ったけど、やりたいことが沢山あったんだなぁ。」
「さて…今日出掛けていた分の書類も目を通さなきゃ…はやく平和な世界を実現する為に。徹夜は避けたいなぁ…」
長い一日はようやく終わりを迎えようとしていた。