閑話 祭りの前~ベルメラの場合~【ベルメラ視点】
「ふぅ……」
集中して作業していた手元から、ふと窓の外へと視線を移せば清々しいほどの快晴。
そろそろ陽の光が強まり、暑くなる季節。
三日後に迫るハイケア祭も、陽に照らされた、青く美しい水面を背にしながら開催されることでしょう。
「──ベルメラ様」
「どうぞ」
ノックの後、侍女のケイが部屋へと入ってきた。
短く切られた前髪のおかげでよく眉が見え、そのくるくると変わる表情を隠すことなく披露してくれる。屋敷に居る頃は「落ち着きがない」と他の者に言われていたこともあるようですけど……わたくしにとっては、とても信頼できる女性。
幼い頃からの付き合いですから、もう気心の知れた仲といっても差し支えない。
「そろそろ休憩の頃合いかと思いまして!」
「あら。あいかわらず、気が利きますこと」
その手で押すのは、ティーセットやカトラリーが載ったティーカート。
カタカタと乾いた音がわたくしに甘いひと時をもたらすかと思うと、それだけで胸が高鳴りそうになる。
空いているテーブルでティータイムの準備を手際よくこなすケイ。
わたくしは家を飛び出したのだからもう主従関係ではないと言いましても……一向に関係が変わる気配がない。
それどころか、屋敷にいた頃よりも制約が少ない分より距離が縮まったように思う。
「本日のスイーツは、──こちらです!!」
ケイが得意げに銀のクローシュを開けると、スポンジの上に濃厚なクリーム。さらにその上にはハチミツが染み込んだ、甘い木の実が敷き詰められたケーキが。
「まぁ! おいしそうですわ」
セットされたテーブルへと移動すると、思わず身を乗り出して魅入ってしまった。
しっとりとしたクリームとスポンジ。それからローストされたハチミツ漬けの木の実の香ばしくも甘い香り。
フォークで一緒に掬って口に入れればどうなるか……考えただけで気分が高揚する。
「ソフィアの手作りですよ~」
「素晴らしいですわね。ありがとう」
ソフィアは【測定】のスキルでも、いつもわたくしを助けてくれる侍女。
自分の魔力を纏わせたものの大きさが、的確に把握できる。
そんな彼女はお菓子作りも得意。
わたくしとケイ、それから執事のレヴィンバーズはいつも彼女の作る甘いものを楽しみにしている。
ケイはケーキを丁寧に切り分け、紅茶を注いでわたくしの前にセットしてくれた。
「…………、そういえば」
「?」
祭りの行われる交易都市ハイケア。
そこで今と同じような光景を、つい先日も目の当たりにした。
「どうされましたか?」
「……いいえ。なんでもありませんの」
──打算で人付き合いすることもそりゃあるが、そうじゃないことだってあるさ。極端なんだよな、姫さんは。どっちかでなきゃいけねぇのか?
あの時言われたファディスの言葉。
それは人の持つ『曖昧さ』を諭す言葉だというのに、わたくしの心の中でははっきりとした意味を持つ言葉となった。
ケイだってそうだ。
打算……ではないけれど、給金のために仕事をするというのも本当であるし、心からわたくしに仕えてくださっているのも本当。
どちらかが正しいというよりは、どちらも正しい。
子爵家の令嬢として参加するお茶会は、相手の派閥や本音を探る場でもあった。
もちろん純粋にお茶を楽しむ皆さまもいらっしゃったけれど、わたくしは次期当主としてどこか気を張っていた。見極めようとしていた。
ヴィヴィアンとエドガーのこともありましたし、その曖昧さが己の首を絞めるものだと思ってきた。
でも、立場が異なるとこんなにもちがう。
同じ『冒険者』同士であると、あんなにもちがう。
今だってそう。
同じケーキやお茶を前にしても、心持ちがこんなにもちがう。
「ベルメラ様?」
「……すこし、先日のことを思い出しておりましたの」
「先日って…………、あぁ! ファディスさんですね?」
「そう」
ケーキにフォークをさすと表面の木の実がサクッと音を鳴らし、濃厚なクリームはなんら抵抗もなく受け入れた。
口に入れると思ったとおり、ハチミツの甘さと香ばしさを醸し出す木の実と、甘いクリームの相性は抜群。
ザクザクとした食感にねっとりとした口触り。
そこに香り高いお茶を満たせば、また次の一口を待ちわびようとする。
最高の組み合わせだ。
「なんだかすこし……自分が弱くなったような気がして」
なんてことない、アンバー家のお茶の場で思わず涙してしまった。
それは自分でも未だよく分かりませんけれど……。お姉さまやファディス、アンバー家の皆さま。お優しい方々に、自分が何も返せないと思ってしまったからだろうか。
わたくしのような者に時間や労力を割かせてしまって、申し訳ないと思ったんだろうか。
「え~? ベルメラ様が弱い、……ですか?」
「もちろん、冒険者としてということではないですけれど。ちょっとしたことで心が動いてしまうなんて……」
万が一そんな状態でディアバートン子爵となっていたら、大ごとだ。
「それはほら! アレですよ!」
「あれ?」
諸々をセッティングし終えたケイは、わたくしの合図に従って向かいの席に座る。
屋敷では滅多に見られなかった光景だ。
「ファディスさんと靴を脱いだり、言い合ったり……なんていうか、締め付けドレスを脱いだ時のような開放感? ご自分の知らなかったことを一緒にやるうちに、心まで軽くなったのかもしれないですね!」
「心が、軽い……?」
「んー……。えーっと、うまく言えないんですけど……。ほら、戦闘だって防御力の高い防具を纏っていたらダメージ少ないじゃないですか? 貴族のご令嬢だと、ドレスや笑顔、装飾品なんかでしょうか? それを脱いでいったらあとに残るのは……ベルメラ様本人!」
「え、えぇ。まぁ」
「つまり、今は武装してないベルメラ様なんですよ!!」
「……?」
武装……。
ええと、貴族令嬢として気を張っていたことを指すのかしら?
「セレさんやファディスさんと接するベルメラ様は、立場にとらわれず一人の人間としてお二人とお付き合いされていて、感情が刺激されているんでしょうね~」
「感情が……刺激」
もし自分が子爵家の長子でなければ。
たしかに泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだり。
それを人前で見せることを『弱さ』とは言わなかったことでしょう。
わたくしはようやく今、それを経験していると……?
「分かるような……分からないような」
「それが人生ってもんですよ~」
「あら……ケイったら、わたくしとそう年齢も変わりませんのに」
そう、年齢もそう変わらないのに。
わたくしには分からないことを、何となく察しているケイ。
それはきっと今わたくしが不思議に思っているような感情の揺らめきを、ずっと昔から体感して、自分なりの気付きを得たからだ。
幼い頃から自分は物分かりのいい子供だと思っていた。
貴族の礼節を早々に理解し、感情を優先した行動はなるべく避けた。
守るものが多いというのはそういうことだ。
でも……。
貴族の令嬢というベールを纏わないわたくしは……感情の揺らめきを抑え込んできたわたくしは。
ようやく今、なんらかの気付きを得ようとしている。
なんてことのない心の動きを人並み以上に激しくとらえてしまうのは、他人に自分の想いを伝える経験が乏しく、耐性がないからだろう。
「…………わたくしも、まだまだ学ぶべきことが多いですわね」
「そりゃぁどれだけ偉い人でも、この世のすべてを知ってる人なんていませんからね~」
「ふふ。それもそうですわね」
「それより、午後は領主さまとの面会ですよね?」
「ええ。先日お伝えしたことのお返事がいただけるとのことで」
ユーグ宮中伯。
ハイケアで遭遇した男二人からもたらされたその人物名は、わたくしとも浅からぬ縁がある方。
母の兄であり、父の仕える方。
「……」
男らは『北』と『南』に向かえと命じられたらしい。
南というのは実質ハイケアのこと。
なら北は──
「領地のこと、なにか分かればいいですね」
「ええ、そうね」
そもそも宮中でほぼ毎日顔を合わせるはずの父──ディアバートン子爵とユーグ宮中伯。
そんな宮中伯が、わざわざ名も知らない者にディアバートン子爵領を害するようなことを頼むとは思えない。
子爵領を包括的に守るのは北方将軍であるゲールハルト侯爵。
国境守の四将軍は騎士団の派閥に左右されない、各々の矜持のもと確固たる地位を築いている。
互いに多くは干渉せず、仲がいいとも、悪いとも言えないそうだが……。
唯一、ゲールハルト侯爵はルーエ卿シドファラヌ様になにかと突っかかるらしい。
その上現在はわたくしの要請のもと、ディアバートン子爵領にルーエ領から小麦を融通してもらっている。
北方は現在、ベレゼン王の側室となられた方の働きかけにより、北の聖導国に利する取り決めが多くなされた。
特に関税は北方の領民たちにとって一大事。
そんな中、わたくしとルーエ卿の一存で子爵領だけに小麦を融通しているとなると……。
規律に反してはいなくとも、いい顔はされないかもしれない。
アンバー商会の、子爵領へと向かう荷馬車が都合よく襲われる事件。
もし、二つの点が繋がっていたとしたら……。
「ともかく、お話をうかがってまいります」
「はい。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
本来、お茶や甘いものを楽しむ場とはこういうものなのだろう。
リラックスして自分と向き合い。
席を共にする者らと語らい、心にある何かを共有して互いを理解する。
貴族というのは制約が多いのは事実。
お茶会の場が、貴族たちの勢力の縮図であるのも事実。
でも、振り返れば自分自身に多くを課せてきたのは……他ならぬ自分自身だった。
自分の貴族としての矜持を持つことも大事。
でも、それだけじゃなくてもいい。
今なら少しだけ、ファディスの言っていたことが分かるような気がした。
◇◆◇
「やあ、ご足労をおかけしてすまないね。ベルメラ殿」
「……」
ルーエ城へと足を運び、兵士の方に案内された部屋にはすでにルーエ卿のお姿が。
慌てて礼を取ると、壁際にはアドルファス様の姿も見えた。
「どうぞ」
綺麗に揃えられた指先がソファを示す。
緊張しながらも腰かければ、早々に欲しい答えが返ってきた。
「──さっそくだが、先日モリクに報告いただいた件。北にいる者に調べさせたのだがね」
「は、はい」
「今のところ、何らかの繋がりがある確証は得られなかったよ」
「……そう、でしたか。お手数をおかけいたしましたわ」
いい報せ、ではあるはずだ。
純粋に荷の中身を知り、北方で高く売りつけようとする盗賊の仕業かもしれない。
であれば、護衛の冒険者を多く雇うことである程度解決する問題だ。
「ただ、一つ気掛かりなこともある」
「?」
一息ついて、ルーエ卿は答えた。
「仮に私が彼の方だとしたら……、わざとでない限り末端の者にまで自分の存在を悟られるようなことはしないはずだ」
「! それは……」
つまり、ユーグ宮中伯の名を騙った別人が男たちに依頼したということ……。
「大体、不作とはいえ凶作とまではいかない小麦なんざ、そこまでリスクを冒してあいつらが欲しいと思うか? それこそ王都で金を積めば、まだどうとでもなる範囲だ」
「アドルファス様」
それまで黙って壁に背を預け腕組みをして聞いていたアドルファス様も、離れたところから口を挟む。
「ベルメラ殿。我々がこういった場合に考えることはまず二つ。それが純粋に必要か、あるいはそれが必要な者への牽制か」
「! 牽制、ですか?」
「んな回りくどいやり方するヤツなんざ、そうそういねぇがな」
「たとえば、宮中の勢力争いのような……ね」
そういえば……、ファディスが以前言っていた。
ルルサハン帝国がベレゼン王国へ小麦の量を融通するよう言っても、色よい返事はもらえなかったと。
帝国側は、王妃の力が弱まっているのではないかと疑っている……とも。
「仮に宮中に勤める者が純粋に小麦を必要とするとして、所領を持つなら理解もできよう。だが彼の方は領地を持たないお立場だ。陛下のおひざ元である王都は、国内で最も物資の潤う場所。そうしなければならない場所。ご自分が必要な分であれば、どうにでもなるだろう」
「つまり後者。ココか、帝国か。そら知らねぇが、どっかを牽制したいバカが、名を騙ってやったとみた方がいい。仮に本人がやったんなら単純に雇った奴らの質がわりぃな。……まぁ、さすがに王の側近が悪事を働くってのに、代理人も立てねぇってコトはねぇだろうがな」
「アンバー商会は南方大陸とも深い縁を築いている。もしかすれば、子爵領ではなくそちらが狙いかもしれないね。ユーグ宮中伯は……どちらかといえば中立でいらっしゃる。陛下に近い者が帝国、つまりは王妃派……ひいては王弟派を牽制したともなれば宮中の者らにとっては大ごとだ」
「でしたら、益々見当がつきませんわね……」
仮にユーグ宮中伯……叔父様を貶めたい者がいるとして。
陛下の側近にして財政を担う者を蹴落としたいと考える者は、多くいてもおかしくはない。行動を起こさないにしても、今回のような件を黙認する者だっているかもしれない。
まさにゲールハルト侯爵のように。
そして仮に牽制したい相手が帝国だとしたら……。
彼らが今後、ベレゼン王国に干渉してくる可能性も捨てきれない。
帝国出身の王妃様はもとより、王弟メルメナイ公爵はパキア海に面する多くの都市を治める、まさにベレゼンと帝国の架け橋。
これは、わたくしが思っているよりも大ごとなのではないかしら……。
「今のところ、これといってお力になれることがない。すまないね」
「!? いえ! わたくしの方こそ。お力添え、誠に感謝いたします」
「まぁ、なんだ。あんたはハイケア祭のことでも考えておくんだな」
「彼の口が悪いのは申し訳ないが、言っていることはそのとおり。ベルメラ殿は、ひとまず目の前のことに注力してほしい」
「はい……」
想定以上の話だ。
すぐに自分がどうこうできる規模の話ではない。
今のわたくしは……一介の冒険者。いえ、仮に子爵家の令嬢であったとしても手に余る話に違いない。
ここは大人しく、ルーエ卿のお力を借りて状況を見極めるしか……。
ともかく、まずは護衛の件ですわね。さっそくお姉さまに相談しませんと。
「なに。背後がどうであれ、貴女にとっての話は簡単だ」
「え?」
「先日シグレ殿とも話したのだが、陸送の責任者であるグレン殿がさっそく手を打ってくれた。冒険者の護衛を増やすとともに、荷を運ぶスケジュールに不規則性を持たせたそうだ」
「まぁ……ありがたいですわ」
グレンさん……お姉さまの兄ですわね。
「だから貴女がすべてを背負う必要はない。私はなかなか宮中のことに口出ししづらい立場ではあるが、だからこそ見えるものもある。何かあれば、すぐに貴女の耳に入れると約束しよう」
「ルーエ卿……。本当に、ありがとうございます」
「お互い様さ。今回も、村のためにその力を尽くしてくれていると聞いている」
「もったいないお言葉ですわ」
「…………あ」
「?」
思わず漏れ出た言葉に自分でも驚いているかのように、アドルファス様が目線を泳がせている。
どうしたのかしら。
「村のためといやぁ、おっさ…………あ~~リシトも参加するからな。その、なんだ……」
「もしリシト殿が困っていたら、ぜひ力になってあげてほしい。……ということでいいかい? アドル」
「……そんな大層なことは言ってねぇ」
「まぁ」
あのアドルファス様が、他人を気に掛けるだなんて。
「それと、ベルメラ殿も」
「わたくし、ですか?」
「そう。困ったことがあれば遠慮せずに言ってくれ。私から見れば貴女とリシト殿は、同じに見えるよ」
「!?!? わっ、わたくしが……リシトと、ですか!?」
いったいどんなところが似ているというのかしら。
「リシト殿については伝え聞く限りではあるが……貴女も彼も、いつも他人のために一生懸命だ」
「……! それは」
言われてみれば、そう……なのかしら。
「たまには立ち止まって自分を労わるといい。意識して休まなければ、ある日突然自分の容量を超えるかもしれないからね」
「……はい。肝に銘じますわ」
その必要な休息を自分の代わりにずっと担ってきてくれたのが、ケイやソフィア、レヴィンバーズ。本当にいつもタイミングよくお茶を持ってきてくれる。
わたくしをよく見てくれている証拠だ。
彼らに甘えるだけでなく、自分でも自分自身を労わる……か。
わたくしでいえば、抱えている問題を他人の力を借りて解決すること。
それが一番心休まるにちがいない。
今一番困っていることを言ったら、またルーエ卿に休めと言われるかしら?
もし祭りの期間が終わっても回復術師が見付からなかったら……その時は、お力を借りれないか相談してみましょう。
前置き長くなりましたが、あとメナール編閑話を挟んでお祭り編に移ります。




