第百四話 大きな借り【別視点】
「……」
道を鳴らす車輪の音だけが響き渡る。
貴族の屋敷に比べれば広いとは言えない馬車の中で、対面に座る護衛の騎士はロベルタの胸中を推し量り視線を向けることも、言葉を発することもできずにいる。
「……なぜかしら」
「え?」
突然、ロベルタはそう漏らした。
「いくら考えても分かりませんの」
「それは……、どういう?」
意図の分からない護衛騎士は、車窓から外を眺めるロベルタへ素直に尋ねた。
「自分に利益があるわけでも、ましてメナール・アイレにとっても利があるわけでもないのに……。どうして、あの冒険者はわたくしのことを……」
「ロベルタ様」
言葉尻を濁した返答でも、護衛騎士には言わんとすることがよく分かった。
貴族としての慣習を除き、他人に己の行動を制限される機会の少ない立場。そんなロベルタは、敬愛するミゼルマイドに自分の行いを告げられることを人並以上に恐れた。
あのリシトという冒険者が、正確にロベルタの行いをミゼルマイドへ告げていたとしたら……。清々しいほどまでに正々堂々とメナールへ勝負を挑むミゼルマイドは、ロベルタを軽蔑していてもおかしくはなかった。
あるいは、それすらも愛と受け止めるのかもしれないが。
「……彼も言っていたように、『他者を想う心』。その点に関して共感を得られたからではないでしょうか?」
「共感を得られたから、何だというの? たとえそれが本当だとしても、優しさで片づけるには……彼は、甘すぎますわ」
もしこれが貴族社会におけるものだとしたら。
家の面子、責任。様々なものが複雑に絡み合い、もっと大きな物と引き換えに事を収めることになったのかもしれない。
だから、ミゼルマイドに自分のしたことを知られるのは嫌だと思いながらも、仕方のないことだとロベルタはどこかで理解していた。まさか、許されるとは。
「これはあくまで私の想像に過ぎないのですが……」
そう前置きして、護衛騎士は答えた。
「これが、自分の行いを一切顧みないような相手であれば、彼も容赦はしなかったのではないでしょうか?」
「……?」
その言葉に興味を惹かれたかのように、ロベルタは外へと投げかけていた視線を目の前の騎士へと向けた。
「あなた様がそう思い悩む姿こそ、証拠かと。彼はロベルタ様の良心に賭けているのではないでしょうか。共感する部分が少なからずあるからこそ、……その。変化に……期待していると言いますか……」
するすると言葉を紡いでいた護衛騎士の口が、次第に重くなる。ロベルタの悩みに寄り添いたい心と、仕える相手に偉そうに説く立場には無いという理性が、同時に働いたかのようだ。
「……自分を陥れた相手に、変化の機会を与えたと?」
「あくまで、想像ですが……」
「……」
甘い。甘すぎる。
ロベルタは不思議と怒りのような感情が湧いた。
なぜ自分を許したのか。
ロベルタにとっては自分の『利』であるはずのその事実に、未だ納得できないでいた。
「わたくしが彼の立場だったら……どうしたのかしら」
貴族令嬢である自分。
冒険者で食堂を営む彼。
共通するのは──他を想う心。
たったそれだけの共通点で何を想像できるというのか。
分からないからこそ不思議で、そして知りたいと思う。
「わたくしがミゼル様を想うように、彼はいつも他人を気に掛けている……?」
自分にはまるで、たった一つしか大切なものがないと。そう思うかのように燃え上がる感情がある。
だが、先ほど気付かされたのは、大切だと思うものを大切にする過程。そこに集う者。
それらも同様に大切だとロベルタは改めて気付かされた。
いや、分かっていたはずなのに見えなくなっていた。
「共感を覚えるというのは、……大切なものを見落とさないことに繋がるのかしら」
他人に成り代わることはできないが、しかし推し量ることで気付きを得る。
ロベルタは、ミゼルマイドへの変わらぬ敬愛を誓いつつも、その表現方法を見直すべきかと考えた。
「っ、ロベルタ様!!」
「きゃっ──」
突然、馬車が大きく揺れる。
急に止まったのだとロベルタが理解した時には護衛騎士の腕に抱かれ、事なきを得た後だった。
「な、なにごと──」
外を覗こうとすれば、並走していたはずの他の護衛二人が居ないことに気付く。
「ロベルタ様、動かないでください」
「え、えぇ……」
ただならぬ雰囲気を感じたロベルタは、言われた通り馬車の中で待機する。
微かに震える手。
こうした予想外の事態に遭う立場であるとは分かっていても、体の反応は正直だ。
息を飲んで外に出た護衛騎士の帰りを静かに待つ。
と、怒号と共に剣の交わる音が聞こえた。
「っ!」
襲撃されたのだと理解したロベルタは、恐怖を感じながらも今の自分に出来ることを必死に考えた。
考えたが、武芸には精通していない自分の出る幕はない。
せめて自分を守るために剣を振るう者の邪魔にならないよう、言われた通りこの場で静かに待つ他無かった。
「──なんだ、一人か。手間が省けてちょうどいい」
「!?」
勢いよく開け放たれた扉。そこから聞こえてきたのは嘲笑を含んだ声だった。
「あ、あなた…!!」
そこに居たのは、メナールの屋台を陥れるために協力関係を結んだはずの者。
金さえ積めばなんでもやる。そう言って近付いてきた者だった。
最近根城を移してきたらしいならず者達であったが、他の貴族から汚れ仕事を受けることもあると吹聴していた。
ロベルタは全てを信じていたわけではないが、仮に依頼を失敗したとしても口を割ることはないと言われた。確かにここ最近、貴族たちの間でそういった事件の話題は挙がっていない。
メナールの屋台で物を盗ませ、後ほど持ち主へと返還すれば大した問題にはならないであろうと考え、彼らに依頼したロベルタであったが──
「どういうことです!?」
「どうしたもこうしたも無いだろう? 仲間が一人捕らわれたんだ。損失を埋めるためには莫大な金が必要だ」
「なっ! 仮に失敗しても、それは自分たちの責任だと……そう言ったではありませんか! それにお金が必要でしたら、そうおっしゃれば──」
「…………。あのなぁ」
「いたっ」
男は、馬車の中へと乗り込むとロベルタの髪を左手で乱暴に掴む。
「あんなおままごとが俺たちの仕事だって……、本気で思ってるのか?」
右手に忍ばせた短剣がロベルタの喉元を這う。
「っ……!」
「甘いんだよ、お嬢さん。もしこれがあんたの父親なら、失敗した俺たちを切り捨てて自分の身を守っただろうよ」
「あま……、い?」
「あぁ。とんでもなーく、な」
馬鹿にしたような。愉快なような。
獲物が罠にかかったとでも言いそうなほど楽し気に笑う男。
ロベルタは髪を引っ張られる痛みや喉元に迫る恐怖以上に、男の放った言葉の意味を確かめた。
「爪が甘い。やることなすこと甘い。お嬢さんの領地のように……頭の中はお花畑、ってか?」
嘲笑う言葉と共に男は左手でロベルタの髪を引っ張りながら、外へと出た。
「いっ、いたい」
「おれらだって懐が痛いさ。大損失、──おい!」
呼ばれた仲間の一人が縄を持ってくる。
ロベルタは自分がこの後どうなるかを容易に想像できた。
「ま、殺しはしないさ。……多分な」
「い、いや……」
縄を持つ男が迫りくる。
ここで自分が捕まれば──。きっと、彼らは父であるリューベンス男爵に身代金を要求するのだろう。
ロベルタは痛みや恐怖に支配されつつある心を、なんとか諫めようとした。
せめて、冷静であれ。
男爵家の令嬢として、取り乱し彼らを優位に立たせることだけは……許されない。
震えと共に零れようとしている涙をぐっとこらえ、ロベルタは気丈に振舞った。
「わ……わたくし、逃げも隠れもしませんわ! ですから、その手を──」
「ぐあっ⁉」
「え?」
ロベルタは、乱雑に自分を扱う男の左手から逃れるため、右手に力を込めて振り払おうとした。……ら、なぜか男は吹っ飛んで馬車へと激突し気絶した。
「…………え!?」
「この女!」
「気をつけろ! 何か仕込んでるぞ!」
「ちょ、ちょっと」
誤解だ。自分は何も仕込んでなど。
そう言いたかったロベルタは、はたと思い出した。
先ほど自分は飯バフとやらを食べたことを。
「多少傷付けても構わねぇ! 捕まえろ!」
「っ!」
大きな力がある。
とはいえ、それを上手く使いこなせないロベルタは反射的にぎゅっと目を瞑った。
「──やれやれ」
この場にそぐわない柔らかな声が聞こえると、ロベルタに迫ろうとする男らの足元、あるいは懐。さらには腕まで。各々違う箇所が凍り付いて彼らの動きを止めた。
「あ、あなたは……」
ロベルタはその声の持ち主に見覚えがあった。
つい先日、彼の父親にも会ったばかりだ。
「シグルドさん……?」
「おや。ロベルタ様もいらしたのですか」
シグルドは、まるで予想外の収穫だと言わんばかりに僅かに目を見開いてロベルタを見た。
「皆さん、あとはお願いしますね」
そう声を掛けると、彼の後ろからハイケアを守る騎士団の兵士たちが一斉に駆け込み襲撃者らを捕縛する。
「! ルイス──」
ロベルタは慌てて護衛騎士の安否を確かめようと辺りを見回すと、兵士たちに介抱される姿を確認できた。どうやら無事のようだ。
「あ、あの……」
ロベルタはシグルドへ礼を述べようとしながらも、上手く言葉が紡げなかった。
この状況を一から説明するとなると、自分と彼らの繋がりまで話すことになるからだ。
「良かったですね、ロベルタ様」
「え?」
そんなロベルタの胸中を知ってか知らずか、シグルドはなぜか楽し気に告げる。
「彼らはハイケアに来て日が浅いのか、祭会場に用意された魔道具や商品なんかを盗んでいたようです。まして、料理大会の投票に使う琥珀のメダル……。アンバー商会の物に手を出すとは。いやはや、恐れ知らずで何よりです。彼らの無謀な勇気と、ロベルタ様の彼らに立ち向かう勇気のおかげで、一網打尽にすることができました。お礼申し上げます」
背後で起こる大捕物の事態とは対照的に、にこにことした様子でシグルドは礼を述べた。
「!? そ、それは違いますわ!」
ロベルタは慌てて訂正を試みる。
「? 違う、とは」
わざとらしく首を傾げるシグルド。
「ですから、その……」
「ロベルタ様」
言い淀むロベルタを導くように、シグルドは優しく、しかしはっきりと告げた。
「美しく聡明である貴女なら、時にそうした方がいいこともあるというのはお判りでしょう。清く、正しく、誠実に。もちろん、我々のモットーでもありますが……。しかし今後、より良い取引が見込めるのであれば、ね?」
終始優し気な表情を崩さないシグルド。
だがそれは、ロベルタにとっては自分に有無を言わせないのと同じに思えた。
「……」
先ほど恐怖と痛みを打ち払った心は、いやに冷静だった。
今、この場でなんと答えればいいかが瞬時に判断がつくほど。
ロベルタは口から出そうになった言葉を飲み込むように、静かに頷いた。
「ああ、よかったよかった! 兄さんの仕事がやりづらくなるのは避けたいですからねぇ」
「グレンさんの、ためですの?」
ロベルタは、リシトとはまた違った『誰かを想う』姿を垣間見た。
「そうですねぇ。兄こそ、清廉潔白。お世辞にも愛想がいいとは言えませんが……嘘はつかない。いや、つけない? ですので、西方貴族の方と揉め事というのは……避けたいですねぇ」
シグルドは、王国のどこかの路上にいるはずの兄の姿を思い浮かべたのか、遠い眼をして言った。
「……それより、もし今回のことで誰かに借りを感じているのなら。いずれお返ししてはどうでしょう? あ、当商会は今後ともごひいきにしていただければ、それで十分ですので」
そう言い残して後の対応を騎士団へと引き継いだシグルド。
「借り……」
もし、リシトやメナール達がミゼルマイドへと自分の行いを公表していたら。
恐らく今回のことも、正確な情報が公になっていたかもしれない。
それはつまり、ハイケア領とユルゲン領との関係が悪化する可能性を含む。
飯バフによりある意味体も守られ、リシトの対応でミゼルマイドからの失望も避けられた……。
ロベルタは、彼らに対して大きな借りができたと感じていた。
「この借りは、……必ず」
今すぐにはどう返せばいいのか思い浮かばない。
だが、いつの日かこの借りは必ず返すと。ロベルタは心に誓った。
2024年もお読みいただき、ありがとうございました!
今年は書籍が2冊発売し初めての経験で余裕がなく、Webの更新も途切れ途切れで申し訳なかったです。
現在の書籍作業が落ち着くまではもう少し同ペースかと思いますが、2025年も何卒よろしくお願いいたします!
今年はあまりWeb小説のコンテストに参加できなかったので、そこまで沢山書き貯めできていないのですが……。飯バフの休憩がてらコツコツ書き貯めている内の一作を一緒に公開しています。
VRMMOもののラブコメ(?)ですので、もしご興味があればぜひお読みいただけると嬉しいです。
以下タイトルとあらすじです。
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【タイトル】
ブラエ・ヴェルト~癖つよゲーマーカップルのVRMMO記~
【主役】
腐+夢女子な二次元イケメンハンターと、巻き添えをくらう彼氏
【あらすじ】
ゴリゴリの男キャラタンク(彼女)と、けしからん系美女キャラDPS(彼氏)の同棲中ゲーマーカップルが、新作VRMMOではっちゃけます。
主にBLをも嗜む夢女子主人公が、イケメンNPCとのフラグを乱立させたいお話。
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皆さまも体調にはお気を付けてお過ごしくださいませ。
よいお年をお迎えください!