第3話 俺の妻は良妻賢母
「これ、おいしいな」
そう言いながら、妻が作ったスムージーを飲み干した。
「本当? 良かった。新しいミキサーで作ったのよ。氷とかも細かく砕くし、いろいろな機能がついて便利なの」
「へぇ」
結婚して2年目。
妻の祖父は大手食品会社の創設者であり、父親は現社長だ。同会社に勤めていた俺は、上司の口添えで社長の一人娘である江美子との見合いにこぎつけ結婚。一年後には息子の康介が誕生。婿養子となった俺は、入社6年目で課長に。異例の昇進だ。まぁ、将来社長になる身としては当然の処遇だけどな。
妻はおとなしく地味な顔立ちだが、着飾ればそれなりに見栄えがする。将来社長夫人になるのであれば、これくらいがちょうどいい。派手な女は自己顕示欲が強く、でしゃばる傾向があるから社長夫人には向いていない。
それに家事が完璧だ。特に料理はプロ顔負けの上手さ。家電や調理器具にこだわりがあるらしい。包丁は何本も持っており、材料によって使い分けているみたいだ。部屋はいつも片付けられているし、育児の事も妻に任せきりだが、一度も文句を言われた事はない。
「宏さんはいずれ父の会社を継ぐ身なのだから、お仕事を優先して」
いつもそう言ってくれて、家庭の事で煩わされたことも愚痴を聞いた事も一切ない。本当に従順でよくできた妻だ。
しかし…夜の方は少し淡泊で、康介が産まれてからはすっかりご無沙汰だ。
かといって俺の精力がなくなったわけではないので、それはしっかり外で発散している。
昨夜も残業だと妻には伝え、サキと会ってきた。そろそろ半年になるだろうか。
サキは接待で使った店にいた女の子だ。親の借金を抱えて、やむなく夜の商売に足を踏み入れたらしい。
彼女は金を俺は欲望を得られる相手を、利害が一致した者同士うまくやってきた…と思っていたのは俺の方だけだったみたいだ。サキが面倒な事を言い出した。
「奥さんと別れて、結婚して欲しい。」
水商売をしてきたんだから、この関係は割り切っていると思っていたのに…。
「私と結婚してくれないとこの動画、ネットにあげるから。宏くんの会社にも送ろうかな」
そう言いながら、スマホの画面を俺の目の前に突き出した。そこには全裸の俺とサキがベッドの上で激しく『運動』している動画が映し出されていた。
自分の顔はしっかりぼかしてやがる。
…いつの間に撮られていたんだ。厄介な事になった。
こんな事が親バカの義父にバレたら即刻“離婚しろ!”と言われるに決まっている。おとなしい妻もさすがに許してはくれないだろう。離婚となったら、婿入りした俺は会社での地位も、家も金も全て失う。それが嫌ならそもそも浮気をしなければいい、それは分かっているが…無理だろ。地位も金も将来性もあり、顔も悪くない。そうなれば女はいくらでも寄ってくるし、俺にそれを拒む理由はない。
いやいや、そんな事より今はサキをどうするかだな…。
とりあえず、その日は何とかなだめすかして帰ってきたが…これからどうすればいい?
* * * *
―――― あれから4日。
毎日サキからLINEが来ていたが、仕事を理由に会うのを避けるようになっていた。
そういえば、今日は一度も連絡がきていないな。
「ただいま…江美子?」
いつもは『おかえりなさい』という声とともに出迎えてくれる妻の姿が今日はなかった。
「ごめんなさーい。お客様がいらしてたから、まだお風呂の掃除が終わっていないの。しばらく康介を見ててもらえる?」
浴室の方から妻の声が聞こえた。
「ああ、いいよ」
着替え終わり、康介を抱きながらテレビを見ていたが、30分過ぎても妻は戻って来ない。
『いつまで洗っているんだろう』
康介をベビーベッドに寝かせ、風呂場へ行った。
扉を開けた状態で掃除をしている妻の姿を見て俺は固まった。
開いた扉の向こうが一面真っ赤に染まっていたからだ。
「う!」
錆びたような臭いが鼻につき、手で鼻と口を覆った。
俺は何が起こっているのか理解できなかった。
ゆっくり風呂場の入り口まで行く。
浴槽の中も血だらけだ。
洗い場で横たわっているのは…マネキンじゃないよな?…人間…なのか…?手や足がバラバラに置かれていた。その傍にはどれも血まみれになっている複数の包丁。
かろうじて見えた顔は…『…サ…キ…?』
「ああ、ごめんなさい。血ってなかなか落ちなくて…」
そういう彼女の全身も真っ赤だ。
そんな凄惨な状況の中で、妻はシャワーを流しながら一生懸命掃除をしていた。
今する事はそんなことじゃないだろ。
何でサキが血だらけでバラバラになっているんだ!?
妻は何をやっているんだ!?
何があったんだ!?
聞きたい事がある、話したい事がある。
けれど、のどが張りついて言葉が出てこない。心臓の動きが速すぎて息が苦しい。
「…な、なんで…彼女が…い、いったい…」
それだけ言うのがやっとだった。
「今日、突然いらしたの。いきなりあなたと別れて欲しいって変な事言い出して。あなたが愛しているのは自分だっていうのよ、いやらしい動画を見せながら。宏さんがそんな事するはずないのにねぇ? そうでしょ?」
そう言いながら笑顔で振り返った妻の目は笑っていなかった。
身体中に鳥肌が立った
「…し、知らない! 知らないよ! 知らない!!」
俺はバカみたいに同じ言葉を繰り返した。
「そうよねぇ、あまりにも失礼な事ばかり仰るから、思わず肉たたきで殴ってしまったの。でも大丈夫よ。細かくして生ゴミと一緒に捨ててしまえばいいわ。新しく買ったミキサー、手羽先の骨まで砕けるんだけど、人間の骨もできるかな?」
何が大丈夫なのかさっぱり分からない。分かるのは、明日から妻の料理は食べられないという事だ。
おいしかったんだけどな…。
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