練武の森 5
静岡県 御殿場市 陸上自衛隊東富士演習場
南外周道沿い、自衛官には専ら『男坂』の愛称で親しまれているのだという急坂の上、旧軍時代のトーチカが鎮座する広場が今回私たちが拠点として使用するエリアだ。
本案件『21-0034U 砲兵森の幽霊』が発生するエリアからはそれなりの距離があり、なおかつ直接当該地域を監視する事ができるので非常に都合のいい場所である。
もちろん実際の実験は砲兵森まで下っていって行うことにはなるが、どのようなメカニズムで事案的特性を発揮するのかがわかっていない相手である。
計測機器への干渉がないとも言い切れないので主要な計測はこの地点から行うことになる。
「それじゃあ川島くん達は予定通り畑岡射場に移動をお願い。射撃準備が完了したら連絡ちょうだい」
「アイマム、中隊乗車!」
「大嶋君達は砲兵森に移動して再現実験の準備をお願い。2000に残機の輸送を始めるからそれまでに整えておいて」
「アイマム! おら! 穴掘りの時間だ! 行くぞ! 分隊乗車!」
「諏訪先生達はここで病院天幕の設営と準備をお願い。終わったら残機コンテナの受け入れ準備を進めて」
「かしこまり--いや、アイマム!」
「じゃあ私たちは予定通りケーブル引っ張り祭りだ! 気合い入れていこう!」
というわけで早速それぞれのセクションに指示を出す。
内容は予定通り決めてあることばかりなので普段であれば「予定通りよろしく!」で済むのだが、今回に関しては審判部の目があるので基本に忠実にいこう。
大丈夫、苦笑いされたのは諏訪先生だけなのでこのノリは間違ってはいないはずだ。
「中々の気合いですね」
私が3t半の荷台から卸したツルハシを担いでふらついていると腕に赤い腕章を巻いた三等陸佐……の格好をした『機構』職員が声をかけてきた。
今回の審判として私たちについてきた関二硏の早川博士だ。
「うちの子達は元気なのが取り柄ですからね」
彼は所掌部こそ違うが、『ジェット婆』対応において長いこと一緒にやってきたいわば同志のような人なので、彼が審判なことにはかなりの安心感を抱いている。
別にインチキして欲しいとかそういうわけだ。
「元気なのは良いが、くれぐれも余計な真似だけはしないで欲しいものだ。十部連中は仕事が杜撰でいかん」
早川博士のにこやかで爽やかな態度とは真逆の敵意剥き出しの彼は今回の統裁部できてくれた中部研の大瀬博士だ。
こっちは実に不安であるが採点の権限は早川博士にあるはずなので安心しても……いや無理そうだな、目の前で重箱の隅をつつくように難癖をつけられて仕舞えば早川博士とて減点をせざるを得ないだろう。
嫌だなぁ……昔は仲良しだったのになんでこんなに嫌われちゃったのか……いやまあ原因はわかっているんだけども……
「あれ? 大瀬博士……?」
両肩にケーブルを担いだがっさんが騒ぎに気づいてこちらへやってきた。
今日はずっと3t半を運転してたから大瀬博士とは顔を合わせていなかったのだろう。恩師との久々の再会に随分と嬉しそうな表情をしている。
「おおっ……小笠原くん!」
それに対する大瀬博士も打って変わって急に嬉しそうな表情をし始めた。
大瀬博士が私に対して非常に当たりが強い理由、それはがっさんである。
『機構』ががっさんの才能に気づいて以降、ずっと彼女の面倒を見てきたのが大瀬博士なのだ。
一般の大学を卒業してからでなければ新卒の正規職員として採用できない『機構』の規定に真っ向から噛みつき、理事会とも保守派の職員とも全力でやりあった彼の行動は、がっさんが採用されて数年後に環境科学大学校の設立という形で実ることになった。
しかしながら彼の行動は愛娘の未来を想う父親のそれであり、大学校設立の立役者たる名誉は聞き分けの悪い『機構』上層部に対する憤りを鎮めるには些かか弱いものであった。
とはいえがっさんは正規の職員となり、これで晴れて……と思った矢先の甲信研への異動である。
主任研究員まで育て上げたがっさんを横から飛んできた保守派のトンビに掻っ攫われたとあっては大瀬博士の怒りも尤もな事だとは思う。
ただ、ここで重要なのは別に私が希望してがっさんを横取りしたわけではないということだ。
当時は今の所長が勝沼に異動になって副室長がいなくなってしまったうちに、代わりの主任研究員なり主幹研究員なりを送ってくれとの要望を出していて、十部での勤務に挑戦したがっていたがっさんに白羽の矢がたっただけの話である。
もちろん大瀬博士にもその説明はした。
だが、彼からすれば「娘さんを頂きましたが別に欲しかったわけじゃないですよ?」と言われたように感じてしまったようで、そっからはもうとっても嫌われてしまっている。
私としては大瀬博士の事はアーティファクトの専門家として非常に高く評価しているし、がっさんという天才をここまで育て上げたことには敬意さえもっているのだが……
「あ、大瀬博士が統裁部長なんですよね、よろしくおねがいします!」
「う……あ、ああ……しっかり頑張るんだよ?」
「はいっ!」
私に対する敵意とがっさんに対する思いがないまぜになってなんともいえない表情をしている。
さて、どうなることだろうか?
同 砲兵森
本部地域から砲兵森までと畑岡射場まで、それぞれ通信ケーブルやら観測機器やらのケーブルを引っ張り、地面に埋めておく。
非常にかったるい重労働ではあるが、赤塚三佐が連れてきてくれたJ-7の隊員さん達、しかも工兵……じゃなかった施設科やら通信科やら出身の隊員さんたちが手伝ってくれた上に砲兵森で歩哨壕と宿営地の設置を行ってくれていた大嶋くん達が作業を手早く終わらせて手伝いに来てくれたおかげでどうにか実験の開始までには間に合わせることができたわけだが……
「う……腕が……」
「上がらない……!」
今までの人生でツルハシを振り回すなんてほぼなかっただろう双子ちゃんがマメだらけになった手をプルプルさせている。
「あー……流石に疲れましたね」
そういうがっさんはまだ多少余裕がありそうだ。主幹研究員たるもの部下達に見せる背中は斯くあるべきであろう。
「……博士、大丈夫ですか?」
「ごめん……多分腕取れたっぽい……腕も脚も感覚がない……」
私に関してはご覧の通りの有様だ。
普段であれば取れた手足はすぐに生えてくるのだが、今回はそんな様子もない。そうか……これが死、か……
「……バッチリくっついてますよ?」
「嘘だぁ……」
小県ちゃんも嘘が下手くそだ。そう思って重い首を動かすと、しっかりくっついた腕と脚が見えた。
ただ現状として全く役立たずになってしまっているのも事実なわけで……うん、仕方ない。
「小県ちゃん、大嶋くん呼んで来てもらっていい?」
「……はぁ」
「博士と大嶋さんどこ行ったんでしょう?」
「さぁ……さっき大嶋さんが博士担いでどっかいくのは見ましたけど……」
「そろそろ実験開始の時間なんですけど……」
「ごめん! お待たせ!」
うん、どうにか間に合ったみたいだ。
「あ、お帰りなさい」
「どこ行ってたんです?」
「まあちょっとね」
しかし疲労が抜けると色々なものが見えてくるものだ。
さっきは自分の疲労で一杯一杯だったが……
「双子ちゃん、手ボロボロじゃん! 猪狩くん! アカチン塗ってあげて、あとなんか腕冷やせるものあったらそれもよろしく」
「博士……どうしちゃったんですか? なんていうか妙ですよ?」
「なんもないよ! がっさんも疲れてるだろうけど……いける?」
「はい、それは……まあ……」
幸いなことに今日の実験の予定は一回だけだ。
それさえ終われば近場の駐屯地のお風呂を借りてゆっくりできる。少しばかり頑張ろうじゃないか!
「あれ? 班長どうしたんですか斧なんて磨いて……もう実験始まりますよ?」
「お、おう」
「ん? 腕怪我したんですか? 血ついてますよ?」
「あ、これは……あれださっきマーカーが液漏れして」
「……? まあ良いっすけど、邪魔んなるんで片付けといてくださいね」
科学の発展というのはこういうことなのだろうか?
元フリーライターの矢島慎介は何度目かもわからない疑問を抱いていた。
交通死亡事故を起こして実刑……初犯にしては重い判決に多少の不服はあるにしても他者の命を奪ってしまった事実は変わらない。
甘んじて判決を受け入れた彼ではあったが、交通刑務所にて打診された明らかに違法な司法取引には血が騒いだ。
それは減刑のためでも金の為でもない。
報道の末席にあるという自負、ジャーナリズムの正義によるものだ。
それ故に彼はその申し出を受けた。
この国の司法に巣食う何かを明らかにするために
今までの人生で受けたものを遥かに上回るほどの回数身体検査を受け、移動し、また検査を受け、また移動……
これが閉じ込められることへの影響を調べるとかそういった類の実験だったらまあ納得もできるだろうが、そもそもとして実験の内容は一切説明されていないので真相のほどは分からない。
とはいえそれ自体は契約書にも書いてあったことなので構わないのだが、今の状況は以前のモノに比べても奇妙なモノだ。
自衛隊のコスプレをして何やら森の中でモデルガンを構えている。
一体全体何をさせられているのだろうか……?
そう思わないでもないが、こんな簡単な仕事をこなしただけで刑務所から出られておまけに大金が手に入るのであれば普通は文句はないだろう。
『G -19862 聞こえますか?』
有り余る時間でそんなことを考えていた彼の耳に女の声が入ってきた。
先ほど色々説明してきた背の高い眼鏡の女、迷彩服を着ていたので自衛官なのだろうがそれにしては妙に……まるでファッションモデルのような体型に違和感を感じたので彼女についてはよく覚えていた。
日本人離れした体型とハッキリとした目鼻立ち、それこそこんな森の中などよりランウェイにでも立っていた方がしっくりくるようなルックスのくせに、化粧っけの無い顔と目の下の濃い隈、そして全く輝きの感じられない濁った瞳が非常にミスマッチではあったが、何故かそれらが一体となって不思議な魅力になっていた。
今まで彼が出会った女性の中でも独特で他に類を見ない魅力的な女性であった。
『G-19862?』
「あ、ああ聞こえてる」
記憶の中の彼女の姿に呆けていた彼はもう一度呼びかけられた声に我に返る。
『そうですか、それで周囲に人はいますか?』
「いや、誰もいない。暗くて静かで不気味だな……いつまでここにいれば?」
『実験の終了時期については目処が立ち次第こちらから連絡します。他に何か変わったことはありますか?』
「ないな……ちょっと霧が出てきたくらいか? あとちょっと冷えるな……上着かなんか無いのか?」
『足元にポンチョがあるはずです。それより本当に霧が出ているんですか?』
「ああ……あんたらはどこにいるんだ? 結構濃い霧だがこの辺だけか……?」
女の言う通り足元に綺麗に畳んだポンチョがあったのでそれを被りながら彼は訪ねる。
あまり天気に詳しくはないが霧というのはそんなに局地的に出るものなんだろうか?
その辺りはさておき、通信機の先が何やら騒がしい。であればこの霧が何かしら『実験』とやらにとって重要なのだろう。
それが成功に資するモノなのか、それとも予定外の事態としてなのか……
「もしあれならこの辺りの様子を見回ってこようか?」
彼がそう提言したのは件の女に良いところを見せたいという下心からのものだったが、いつの間にやら通信機の先から一切声が聴こえなくなっていた。
聴こえるのはガリガリという不快なノイズだけ……
「ったく……なんだよ、この霧のせいか?」
霧深いところではラジオの電波も入り辛いのでどうせその類だろうと彼はため息をついた。
しかしである。今彼が置かれている状況、頭を冷やして考えてみるとかなり不気味である。
まず現実味のないここに来た経緯、人気のない森の中、不意に立ち込める深い霧、通信の途絶……これらの要素はステレオタイプな怪談噺でありがちな展開であろう。
とはいえあまり怪談で怖がったり楽しんだりできるタイプではない彼にとってはそれらは多少気にはなりこそすれ、概ね無視できる程度の話である。
それよりも気になるのは今自分自身が置かれている状況だ。
件の女の美貌が与えた強烈な衝撃も、奇妙な現状でだいぶその熱は冷めてきた。
その上で、の話だ。
自衛隊が行う『実験』とは恐らく兵器や戦術の研究開発に類するものだろう。
加えて霧が出やすい地形と辛うじて闇の中でも確認できる風景からしてここは自衛隊の富士演習場だろうとは容易に推測ができる。
(だとすれば……防衛省による非人道的な何か……出た後が楽しみだな……)
そう考える彼は、背後から近づく『何か』に気がついてもいなかった




