練武の森 4
長野県松本市 環境科学研究機構 長野支部本庁舎
4F情報科会議室
長野県は松本市の市街地、上層階から頑張れば松本城をどうにかみることの出来る場所にある長野支部はかの城の佇まいと同様に質実剛健を体現したプロフェッショナルたちの棲家だ。
というような修辞はさておき、なんで検閲の準備で忙しい私がこんな場所にいるのかといえば防衛省側担当者との打ち合わせのためだ。
細かく計画を詰めるために対面での打ち合わせをしたいというのは先方からの希望ではあるが、流石に部外者をPgSLグループ5研究所である甲信研に招くわけにもいかずこの場所を指定させてもらったわけなのだが……
「すみません、いつもみたいに旅団の方が来られると思っていたもので……」
「いえいえ、こちらこそお時間を取らせてしまって申し訳ないです」
J-7とはいえ麾下に大隊戦闘団やヘリ隊を抱える大所帯であり、基幹要員は『機構』との連携を前提に各主要研究所近傍の自衛隊駐屯地に分散、一般の自衛隊部隊に紛れ込んでいる。
そのため普段私たちが直接やりとりをするJ-7の隊員さんといえば松本駐屯地に浸透している人たちか、12旅団司令部のある相馬原駐屯地に浸透している人たちなのだ。
今回の『砲兵森の幽霊』に関しても私たち的には検閲があるので大事ではあるが、普通に考えれば木端も木端な雑魚事案である。なのでいつも通りだろうとよく考えもせずに支部での打ち合わせを提案してしまったのだが、今回きてくれた赤塚三佐は第一師団司令部の所在する練馬駐屯地からわざわざ来てくれたらしい。
サスペンションのかったい自衛隊車両で道の悪い中央道を通って疲れただろうに……
「本来であれば富士学校からも人を出すべきだったんですが……今管理部にうちの然るべき人員がいないもので」
「それは……少しよろしくないのでは?」
富士学校の管理部、その中でも演習場管理課は富士演習場の管理を行う部署である。
そこにJ-7の息の掛かった人間がいないとなると私たちの情報の隠匿に支障をきたすのではないだろうか?
「そこはご心配なく。権限の問題で人員を出せなかっただけで頼れるベテランの曹長がいますので」
「そうですか、であればそちらに関してはお任せしてしまっても?」
そういえば私たちが打ち合わせで顔を合わせるのは幹部自衛官ばっかりだからきっと向こうさんにもうちの情報管理権限規定みたいなものがあるのだろう。
まあ他所様には他所様の事情があるだろうし、うまく回せているのであれば外野がとやかく口を挟むような問題でもあるまい。
「ええ、お任せください。本来でしたらこの程度の脅威は我々独力で対処するのが筋なのです。それを態々『機構』の皆さんの手をお借りせねばならないのですから可能な限りの便宜は図らせていただきますし最大限のバックアップもするつもりです」
「いえ、まだ情報を分析している段階ですがこの案件は我々の管轄ですよ……ところで防衛省側ではこの『事案』についてはどのようなものであるとの認識をお持ちですか?」
「どのような……幽霊ではないことは認識していますが、それに類する類のものではあるとの報告を受けています。あくまでも殺傷や捕食ではなく恐怖を与えることを目的としていることから幽霊と同様の機能を有する情報生命体であることはまず間違い無いだろうと」
やはりというべきか……昨日みんなでひーこら言いながらどうにか片付けた書類の情報も概ねそのような感じで認識しているんだろうなぁと感じさせるものが多かった。
実際今のところはそれが間違いであるとも断言はできないのだが、仮にそうだとすると奇妙な部分が幾つかある。
まず有害情報生命体であればその駆除能力はJ-7も保有しているし、実際にその手段を用いた駆除作戦が実施された記録があるにもかかわらず現在でも『砲兵森の幽霊』が存在している点
次に対象に被曝した人員の脳に有害情報生命体との接触を示す兆候が一才見つからなかった点。本来であれば幽霊であれ『ヤマノケ』であれこの手の生命体との接触から概ね一週間程度の期間一次聴覚野の神経細胞が異常な活性化を示すことが知られているが、『砲兵森の幽霊』に関してはそれが無い点
最後に長距離の移動が報告されている点だ。基本的に情報生命体の行動半径は非常に狭く比較的アクティブな『ヤマノケ』ですら発生地点から半径2km以上生身で離れることはまず無い。友好的な幽霊への聞き取り調査によると通常の行動領域外への移動は耐え難い程の嫌悪感があるとのことでなんらかの本能的な部分なのでは無いかとされているのだ。
これらの情報生命体の特徴と照らし合わせた上での差異は『砲兵森の幽霊』がそれ以外の『事案』もしくは私たちが今まで確認していない類の情報生命体の形であるとも言えるだろう。
そうなってくると流石に事案対処部局でしかないJ-7の手に負えるような代物ではなかろうし、だからこそ彼らの上層部は私達に助けを求めてきたとも言えるだろう。
まあ赤塚三佐の反応を見る限りだと自衛隊側も確信があったわけでは無いのだろうがどちらにせよ手に負えないと見て私達に助けを求めるのは良い判断である。
出来もしないのに無理して頑張ると大抵の場合とんでもないことになるし、色々と手遅れな事態になることも珍しくない。
『機構』とアメリカが仲良しだった頃はちょいちょいそういうトラブルをアメちゃん達が起こしてくれたもんだが、その辺りの教訓……いや戦訓はしっかりとJ-7に継承されているようで何よりである。
「なので情報生命体と決め撃ちはせずに進めていく予定ですが……演習場内って火砲は使えますよね?」
「火砲……とは戦車砲や榴弾砲のような……?」
「そうです。その火砲です」
『砲兵森の幽霊』が物質的実態を有する『事案』なのかもわからないのである。
平衡固定弾はもちろんだが、必要に応じて通常の榴弾やらを使う機会もあるかもしれない。まぁ富士演習場はかなり広大な演習場だし、火力投射はし放題だろうから幾分かやりやすくはある。
「実弾の使用……ということですよね……ええとですね、結論から申し上げますと博士が計画されているような無制限の実弾使用はできません」
赤塚三佐が言うには富士演習場内は小銃であっても射場が限定されているらしく、火砲に関してもどっからでも好き放題ぶっ放せるというわけでは無いらしい。
かなり厳格に規則があるらしくぶっ放すならちゃんと弾着地目掛けた上で都度申請してほしいとのことだった。
それは火砲だけに留まらず小火器射撃においても同様とのことで、その辺の規則に関しては後で資料を送ってくれるとのことだが……なんか意外と面倒だぞ!
「特に今回の対処の中心になることが予想される地域砲兵森は東富士演習場外周に面していることもあって民間の工場も目と鼻の先にあります。くれぐれも! 軽はずみな行動はなさらないようにお願いします!」
「わ……わかりました」
そうなってくるといざという時に備えての火力運用も考えなくてはならないなぁ……
その後も装備やら部隊やら色々細かい部分の調整を話し合って、打ち合わせが終わる頃には外はもう真っ暗になっていた。
長野支部 地下駐車場
「今日はありがとうございました」
赤塚三佐を見送りに車寄せまで出てくるとそこに停まっていたのは『自衛官募集!』とデカデカとプリントされたライトバンだった。オフロード極振りの軍用車より乗り心地は明らかに良いだろうが……特別な部署に所属する少佐殿が乗るには些か……いや、言うまい。
「こちらこそありがとうございました。あ、それと現場への臨場の際は私も防衛省側の要員として参加することになっていますのでよろしくお願いします」
「そ、その車でですか?!」
「いえいえ、当日はもう少し自衛官らしい車両で行きますよ」
そんなことを考えていたせいか素っ頓狂なことを聞いてしまった。うん、そりゃそうだ。
「あはは、そ、そうですよね……当日もよろしくお願いします」
走り去っていく赤塚三佐の車を見送り、小さく息をついた。
新たな知己ではあるが彼は実直で頭の回転も早そうだ。それに言動の端々から彼が非常に優秀な軍人であるということは素人ながらに私にも伝わってくる。
今回の案件で私達についてくれるというのなら実に頼もしい限りだ。
「あ、博士! 打ち合わせ終わったんですか?」
色々と今日決まったことを頭の中で整理していると背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「がっさん……どうしたの? こんなとこで」
がっさんはがっさんで今日は調布に行く用事があるからと徹夜明けでそのまま出発したと思ったのだが……
「博士は今日支部で打ち合わせって言ってたんでタイミングが合えば帰りに拾っていこうかなって。今日はバスですよね?」
がっさんの言う通りだ。なにせ普段から運転技能は下の下だというのに徹夜明けで眠い目を擦りながらでは関電トンネルさえ抜けられずに大事故になってしまうのは目に見えている。
「それなら連絡くれれば……」
言いかけてがっさんが着ている喪服に何やら目立つ毛が付着している事に気がついた。
「いやまあ……うん、楽しく時間潰せてたんなら別に良いんだけどさ」
多分あれは猫の毛だ。
そして長野支部内で猫といえば一匹しか思い当たる対象はいない。
そこから推理すれば社畜症候群のがっさんは今日は発作を起こさずにリフレッシュできたとみて間違いは無さそうだ。
「あはは、まあとにかく乗って下さい!」
がっさんに促されるまま着いていくと停まっていたのはスバルのスポーツカーだった。俗にいう『キモオタブルー』の車体はまさにがっさんが好みそうではあるが……
「流石に三菱党のがっさんでもスバルに宗旨替え?」
彼女は生粋のランエボ至上主義者だったと思っていたが……まあ生産終了して何年も経つしなぁ……
「違いますよ!! ほら!」
何やら運転席で操作をすると、屋根から赤色回転灯が生えてきた。
「あー……そういや関越行ってた時に何回か見たなぁ……」
どっかの県警高速隊の覆面だったと思うが、そうかうちでも買ったのか
「うちの覆面だとマークXとこれはすごい人気でなかなか使えないんですよ!」
「へぇ……」
マークXは知ってる。警視庁管内の中央道ではうちのも警察のもたまに見かけるし、何回か使ったこともある。
「クラウンで良くない?」
「良くないですよ! いやクラウンも良いんですけど!」
まあ、なんだ……楽しいならば良しとしよう。
ともかく送迎していただけるのだ。文句などあろうはずもないので当該車両の魅力をどこか悔しげに話すがっさんを無視して助手席に乗り込む。
運転をはじめたがっさんの口から垂れ流されている話題はいつの間にやらモータースポーツの歴史みたいな話になっているようだ。
「そういえば博士ってバイク持ってましたよね? あれってまだ乗ってるんですか?」
「最近はあんまりだね……欲しいんならあげるけど?」
ようやく日本語を話しはじめたのでちゃんと返事をする。別に私もがっさんのことが嫌いで無視していたわけじゃない。
割と世界中のあらゆる言語を自由自在に話せるコンピューターおばあちゃんな私とて異星人の言葉は専門外だ。
せめて得意のABCで話してほしいところである。
「いや、いらないです!」
意外と走行距離もいってなくて年式の割に元気に走ってくれる良い車両なのだががっさんの好みには合わなかったようだ。
まあモータースポーツ大好きなタイプにウケるバイクではないだろうが……便利なんだけどなぁ、マルシン出前機付きのカブって
「博士って車と比べると意外にバイクは乗れますよね」
「車だって普通には乗れるよ、今のとこ死んでないわけだし」
「その基準だとミサイルの先っぽに括り付けられてもおんなじこと言えますよ」
「相変わらず酷い言われようだね」
「あ、そう言えば今度の検閲で追跡用にKLX持ってきたいって藤森さん達がいってましたよ」
藤森ちゃんってことは前進観測班か……定点と追跡で目標を補足し続ける彼女らは川島くん率いる射撃指揮班及びJ-7から借りられることになった重迫撃砲4個小隊とともに実験に必要な火力を供給してくれる仮設の重迫撃砲中隊としてことに当たってもらう事になる。
「編成関係の資料を確認してみなきゃではあるけど多分持ってって問題ないと思うよ」
要はその辺で演習中の陸自部隊に違和感さえ抱かせなければ良いのだ。
通常の装備品である以上そこまで神経を尖らせる必要もないだろう。
「それなら博士の足用にも一台持っていきます?」
「いやいいよ、それだと御殿場までバイクで行くことになるし」
車よりは多少運転技術がマシというだけで、別にバイク大好き! とかそういうわけでもない。
250ccのオフロードバイクで高速道路を走るなんて私からすれば苦痛でしかないのだ。予定通り大嶋くんの運転するパジェロの助手席に乗っていくつもりだし、現地で私一人で移動しなくてはならなくなったとしてもその時はまあ……頑張れば良いだけの話だ。
幸い演習場内には民家とかもないし、何より軍用車は頑丈だからなんとかなるだろう。
「えー、ツーリング楽しいじゃないですか」
「否定はしないけどさぁ、私の趣味には合わないよ……そう言えばがっさんバイクも買ったんだっけ?」
「あ、はい。R1000乗ってます! 今度一緒にツーリング行きましょう!」
「やだよ、絶対速いやつじゃん!」
仕事で使う機会の多い車と異なり、バイクに関しての知識はほぼない私だがXとかZとかRとかが名前についているバイクは速いやつだっていうくらいの知識はあるし1000ってついているということはおそらく排気量1000ccってことだろう。
何よりあのがっさんが買うようなバイクは頭のおかしい走り屋向けのものだということは確定しているのだ。
少なくとも排気量110ccの業務用モデルに出前機を取り付けた原付二種とツーリングに行くような車両ではないことは確かだろう。
「ふふっ」
「どうしたの? 気持ち悪いなぁ……」
「いえ、そう言えば博士とこうやって二人でのんびりお話しするの久しぶりだったなって」
言われてみればそうかもしれない。
がっさんがうちに来たばっかりの頃はだいぶ余裕があったが『ジェット婆』専従指定を受けてからはずっと忙しかったからなぁ……
「あと部下に気持ち悪いとかいうの普通にハラスメントなんでやめた方が良いですよ」
「あはは、そうだね! 今の時代はコンプラだもんね」
きっとそう遠くないうちにがっさんも私の元から巣立っていくだろう。
その前にもっと色々教えなければならないことは山ほどある。特に労務管理とかその辺に関しては課題が山積みだし、何よりも可愛い弟子とは話せるうちにたくさん話しておきたいものだ。
そのためにも今はさっさと目の前の厄介事をやっつけてしまわねばなるまい。
「ありがたいことに最近は時間もあるからね、早いとこ戻って仕事終わらせて無駄話で一日終わらせられるくらいにしないとね」
「そうですね、それに静代さんと安曇さん達にとんでもない量の仕事置いてきちゃってますしね」
「あー……そうだった……帰りたくないなぁ……戻ったら全部片付いてないかなぁ……」
「あっはっは! そこは諦めましょう!」




